第38話 両者が考える可能性
崩壊した廃発電所跡。
時間が分からない。
周囲が漆黒に落ちつつあるその最中、俺と稔先輩の目の前に現れたのは、俺の家族を殺した犯人、餓吼影だ。
俺らを俯瞰し全てを掌握する様に泰然と立っていた。
「——日野遥希」
俺の名を口にした後、餓吼影は髪を掻き上げる。
「今しがた、柊波瑠明と話して来た。そして和解して来たところだ」
「和解?柊先生がお前なんかと——」
「一旦、君は黙っていると良い」
餓吼影の一際低い声に俺は思わず押し黙る。俺に言うと、餓吼影は視線を僅かにずらし、稔先輩を睨みつけた。
「私が今話したいのは江東稔、君だよ」
「……なんだよ、俺かよ」
餓吼影がニヤリと微笑んだ。
餓吼影は全身をマントに包んでいる。しかし、それでも隠しきれないのは、その長さ故だろう。
奴は背に長銃を携えていた。稔先輩の肩を撃ったのもそれだろう。
「肩に打ち込んだ銃弾は本当なら反対側まで撃ち抜けるほどの威力を持つ。即ち、君は本当なら死に至るはずだった。なぜ死ななかったと思う?」
「くっ……。クソが……」
「痛みはするよな。それもそうだ。死に至るはずだったほどの傷なのだから、変哲のない道理だ」
終始不敵な笑みを浮かべる餓吼影に対して、稔先輩と俺は明らかな憎悪を絶やさない。
憎悪に満ちた視線で奴を射抜く。だが、奴の圧倒的な威厳に押し返されているような感覚だった。
「ふん、質問を変えよう」
そう前置き、餓吼影は数秒開けて聞いて来た。
「可能性とはなんだと思う?君の思う通りに答えればいいさ」
「か、可能性……?なんの話してんだ」
「君の思う通りに答えばいいと言っただろう」
餓吼影は長銃を地面に置き、腕を組んで立ち尽くす。稔先輩の回答を気長に待つ気か。
「稔先輩、質問になんて迂闊に答えちゃいけませ——」
俺がヒソヒソと稔先輩に言っていると、俺らの目の前に白い影が突如現れた。それは、圭代先生の術式により召喚する白竜だ。
それを見た餓吼影が口角をさらに上げた。
「餓吼影……!」
ほぼ同時に、圭代先生が駆け足に俺らの前に立った。圭代先生と餓吼影の視線が交錯する。
「先刻ぶりだな、尾盧圭代」
「私の教え子たちになんの用でしょうか?」
餓吼影は顎に手をおく。
「ふーん、ならば圭代。君に代わりに問おう」
「何をでしょうか?」
圭代先生が俺らの前に立ちながら身構える。
「可能性とはなんだと思う?答えは君の思う通りに答えれば良い。ちなみに、君に代わりはいないと心得ることだ」
「漠然とした問いだ、私が答えねばならない必要性を感じません」
「ふむ、そうか。では必要性を与えよう」
餓吼影は地面に置いていた長銃の引き金に指をかける。そして、ゆるりと持ち上げては稔先輩に銃口を向ける。
「何を——」
「構える必要はない。単なる賭事さ」
しばらく間を置いて、再び奴は喋り出した。
「この銃口には今、二つの可能性が宿っている。江東稔を撃ち抜く可能性と、撃ち抜かない可能性だ。勿論公平にするために、私自身も実際に引き金を引くまでどちらが当たるかは分からない」
淡々と餓吼影は説明を続ける。さも子供が遊戯を楽しむかの如き笑顔を絶やさずに。
「それで?」
「先の質問に答えるのなら、私自身に銃口を向けてこの引き金を引く。答えないのなら江東稔に向けて引き金を引く。制限時間は、私が五つ数える間だ」
圭代先生が答えなければ、半分の確率で稔先輩は撃ち抜かれる。確かに、稔先輩を確実に守るため、先の餓吼影の問いに圭代先生が答える必要性が生じた。
餓吼影自身にも、引き金を引くまで結果は分からない。これが奴の嘘でなければ、逆に言えば、圭代先生が答えずに稔先輩に向かって撃たれたとしても、半分の確率で稔先輩は撃ち抜かれない可能性も存在すると言うことだ。
「選べ」
餓吼影が五本指を立てる。無論、銃口は稔先輩に向けられたままだ。親指が折り畳まれ、一カウントが刻まれる。
だがその直後、圭代先生が言葉を発した。
「可能性とは、弱者が希うことです」
餓吼影は動かしていた指を止める。
「……ふっ」
そして餓吼影は鼻で笑い、その後自身の喉元に銃口を向けた。
「一旦は約束だからな」
言葉の後、餓吼影は躊躇うことなく引き金を引いた。
その瞬間、銃口から勢いよく撃ち出された銃弾が餓吼影の喉元をぶち抜いた。
奴は苦虫を噛み潰した様な顔をしながら、ガクンと落ちた下顎を手で押さえて支える。
「ハズレを引いた……?」
俺がそう呟くと、圭代先生が餓吼影の方を見ながら補足する。
「解釈の方法は二通りあります。稔くんと餓吼影にそれぞれ五分五分の確率で撃ち抜かれる可能性がある、要は結果が全て合わせて四通りの場合と、稔くんか餓吼影、どちらかが撃たれない可能性を持ち、どちらかが撃たれる可能性を持つ、結果が全て合わせて二通りの場合です」
「えっと、つまり……?」
分からないといった風にしている俺を見て、圭代先生は解説を続けた。
「彼は、あくまでも可能性が宿るのは銃口であると言いました。餓吼影本人と稔くんに宿るのではなく。と言うことは、稔くんと餓吼影に先述の二つの可能性があり、合計四つの可能性が生じる解釈の方法の前者ではなく、銃口自体が二つの可能性をもつ後者の信憑性がより高いです。結果、銃口は餓吼影に二つあるうちの可能性の結果を齎した」
要は、餓吼影の運が悪く、銃口に宿った、銃弾が撃ち抜く可能性と撃ち抜かない可能性のうち、撃ち抜くハズレの方の可能性を引いたと言うわけだ。
「この手の賭事では私の勝率は高いのだがな……今回は銃口は私を選ばなかったようだ……ゲホッ……」
餓吼影の喉元がじきに再生を始めた。
「まぁ潰れた首など怪我の数に入らぬ」
餓吼影の首に再生を齎すは、濤舞や寒廻獄も頻繁に使用していた分解身学術の真骨頂。
その神髄は、遺伝と細胞の情報を分解し、過去の身体に当てはめる様に解析と融合を繰り返すことで、本来の己の肉体を複製することだと、濤舞は言っていた。
「お前もかよ……骸どもはみんな持ってるんだな……分解身学術をよ」
稔先輩が餓吼影に言う。
「濤舞の権能という訳ではない。それでも専売特許ではあっただろうが、奴が葬られた今、それを支配するのはさして困難なことでもない」
淡々と餓吼影は語っていた。
その最中、俺は小声で圭代先生に問う。
「圭代先生、ここで奴と戦りあうのは……」
「得策とは言えません。屍轍怪や寒廻獄の時とは違うこの威圧感——ここまで足が竦むこともありません」
「圭代先生でも……」
「最も、得策はこのまま話すか交渉で餓吼影が大人しく去るのを待つことだと思いますが、やむを得ず戦闘になった場合、私が時間を稼ぐので二人は真っ先に逃げて下さい」
「なんでですか……俺らだって——」
俺の言葉を、圭代先生は制する。
「いいですね?」
俺に話しかけながらも餓吼影をまっすぐに睨む圭代先生の横顔に覗く真剣な眼差し。それを見て俺は黙り、その後無言で頷いた。
「さて、見苦しい姿を見せたね。話の続きをしよう」
喉元の治癒を終えた餓吼影はこちらへ視線を戻す。
「さっきの君の回答だが、悪くない」
「ほう」
「そう睨むな、今は意見を交える者同士なんだ」
「少なくともあなたと同士になった覚えはありません」
「連れないね」
餓吼影がわざとらしく不服そうな表情をする。
「で、答えは?」
圭代先生が聞いた。
「この問いに答えなどない。強いて私の推論を言うのならば、可能性とは命題の実体化だと考える」
「曖昧ですね。私の回答も、あなたの回答も」
言い捨てる様に圭代先生が言うと、餓吼影は両眉を仰け反らせながら息を吐いた。
「別に、君の回答が間違いだとは言わない。だが可能性とは、より現実的に顕著に表せる事象の成れの果て——それが収束した存在、世界と称する事だって間違いじゃない」
今ひとつ、餓吼影の考えの意味がわからない。
可能性が、世界?
「可能性が実現することは、命題を実体化することを表す。先の賭事だってそうさ。難しく考える暇はない、簡単なことじゃないか」
銃口には、『銃弾が稔先輩を撃ち抜く』可能性と、『銃弾が餓吼影を撃ち抜く』可能性の二つが宿っていると餓吼影は言った。
確かにこれらの結果とは命題と言い表すことができ、先ほどは後者の可能性が実体化したに過ぎない。最初から用意された結果のうちの一つが唯々実体化しただけ。
簡単な考え方をすれば、餓吼影の言いたいことはこう言うことだろう。
「可能性とは実に愉快なものだ」
餓吼影と圭代先生。両者一歩も引かず互いを睨み付ける。そんな状況を俺と稔先輩は見守ることしか出来なかったが、次、圭代先生が口を開いた。
一触即発と言わんばかりの緊迫した空気が張り詰め——




