第35話 肉弾戦
再生が止まない寒廻獄を前に、圭代の背で白竜が雄叫びを上げる。同時に圭代が白竜に指示を下した。
つまり、術印の詠唱である。
「《次元印》四式、[無限次元]」
詠唱と同時に、白竜が勢い良く飛翔する。
現実世界に別次元を強制的に作り出し、己が存在する空間レベルの段階を底上げする《次元印》。
空間レベルの高い世界に適応するため、必然と術者の身体、肉体レベルも向上し、平均身体能力、肉体強度は通常時の倍以上に引き上げられる。
己が存在できる別の次元のレベルを底上げし相手を引き摺り込む[無限次元]の真骨頂は、レベルの高い別次元に引き込んだ相手に身体能力的デバフをかけることにある。
今、再生しかけの寒廻獄の身体能力は、既にこの次元に適応している圭代の二分の一にも満たない。
尾盧圭代に圧倒的に利があるのである。
「《次元印》五式、[突穿次元断裂]」
寒廻獄が再び再生しようとした肉体を、勢いよく渦を巻きそのまま突撃した白竜が一息に削りとった。
白竜が突撃して穿たれた大穴から鮮血が散り、バラバラになった肉体だったが——。
「圭代先生っ!」
前方を睨む圭代の元へ眞樹が駆け付ける。
「まだです、油断は——」
圭代が一瞬、眞樹の方へ顔を向ける。
その時だ。
「そうだ、まだ油断するな」
悍ましき声と、そこに現れた黒き影。
(一瞬で再生を!?圭代先生のあの術式を食らっておきながら、たった一瞬で……!)
現れた黒き影。
寒廻獄が、左手に握る燃ゆる剣を横一閃に振るう。しかし、斬烈する寸前のところで、圭代が右手でその刃先をガシッと受け止めた。
「外殻のみの再生とあらば、一瞬でも出来るのでしょうね。代わりに中身がスカスカなのでしょう。その証拠に、この剣を押す貴方の力は微弱です」
圭代の背後より、ヌッと白竜が首を伸ばし、圭代と肉薄する寒廻獄に噛みつこうと巨口をガバッと開ける。
「そうじゃの」
柄をパッと離し、寒廻獄は地面を踏んでスッと華麗に後退する。何も咥えず、白竜の巨口がバクッと閉じられた。
「強さの度合いで言ったら上位クラスの武具でしょう。加え、貴方はこのクラスを何本も所持していると見えます」
「察知能力も大したものじゃの。伊達に賢術師を教育してるわけじゃなさそうじゃな」
寒廻獄の外殻、つまり表面の肉体は、今にも崩壊しそうな様子でよろよろと立っている。
内部の修復中だろうが、そう時間はかかるまい。
「悪いが完全修復は待ちません」
「構わまいて」
初老の表情がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
(託斗くんの報告で聞いていた、自身の肉体を再生する魔術、分解身学術を使用していると見て間違いないですね……)
「《次元印》、二式」
(ですが、如何なる術にも抜け穴はある。全て試すまで)
「《次元竜顕現》」
詠唱と共に、圭代先生の背後の白竜の輪郭が肥大化を始める。寒廻獄も同じく魔術を使用した。
「鎖刎極刑、《騎灼盤》」
寒廻獄、圭代、眞樹の三人を炎の障壁が囲い込んだ。先ほど稔たちも危惧していた、あの炎のフィールドである。
周囲の温度が瞬く間に上昇し、環境が悪化する。さながら、熱されている鉄板上の如く。
「げほっ、げほぉっ!!」
(息を吸うだけで肺が焼けるように痛い……)
ここは炎の壁に囚われた隔絶地帯。
稔が建物ごと崩壊させて潰さなければならないと選択するほどの強固さも備えているため、そう易々と逃げることはできないだろう。
「乗改」
圭代がそう呟く。
おそらく詠唱の類だろう。
一方、肥大化が収まった白竜の身体は、元の倍ほどの大きさになっていた。
「《断魔武装》」
同時に寒廻獄が両手に長剣を握る。鋸状の炎を纏う長剣を逆手に構え、寒廻獄は駆け出した。そこに空かさず、圭代が反応する。
「《蝕焔斬》」
振るわれし焔の一太刀を、圭代はその脇腹に諸に受ける。その剣閃は圭代の肉体にめり込み、瞬く間に断裂していく。
「削り切る事です」
「な——!?」
寒廻獄の表情は驚愕を隠せない。
断裂されたかと思った圭代の肉体は、しかし次の瞬間には内側から再生し、瞬く間に寒廻獄の刃を押し出したのだ。
「な、なんじゃと……」
圭代が両拳に術水を凝縮する。
寒廻獄の首根っこを掴み、そのまま足元の地面に勢いよく叩き付けた。圭代はすぐさま足のつま先に術水を凝縮し、そのまま倒れる寒廻獄の腹部に蹴りをぶち込む。
ボールを蹴り上げるかの様に、容易く宙へと蹴り上げられた寒廻獄に対して左拳を突き出して腹部にそれをぶち込むと、またもや寒廻獄の身体は弾き飛ばされ、炎の壁に打ち付けられた。
「ここまでの力差が……」
「[無限次元]は、自身と相手を強者と弱者の両極端に分断する術式。貴方の炎のフィールドには、環境の均衡を著しく低下させる効力しかなく、それすら、肉体強化された私には何ら影響はありません」
「儂の分解身学術が完了したら真っ先に殺してやるわい。それまで虚勢を張っていることじゃ。愛しの生徒も、一緒にな」
寒廻獄が長剣を手放し、その場に魔法陣のような紋様を描く。そこから出てきた悍ましきオーラの魔源を寒廻獄は身に纏った。
「陣展魔術、《深焔災禍》」
寒廻獄の首筋に燃える火のような紋様が浮かび上がる。その紋様が光り輝き、瞬間、寒廻獄の全身が激しく燃え盛った。
薄暗くなった周囲を照らすほどに煌々と。
「鎖刎極刑——」
「長いですね」
魔術を使用しようとする燃え盛る寒廻獄に向かって、圭代が駆け出した。
両拳に術水を凝縮させており、戦闘態勢である。
「ふっ——」
寒廻獄と圭代が肉薄する。一息挟み、圭代が右脚で蹴りを繰り出す。
だが、それを寒廻獄は脇腹で受けた。しかし先ほどとは打って変わって、びくともしない。
「ほう……」
肉薄した瞬間を寒廻獄も逃さず、炎に包まれた拳を振り上げた。それを首を横に倒して躱し、圭代はすぐさま後退する。
「スーツで任務に出るとやはり動きにくいものですね。確か、貴方は鎧を着ていたと思いますが、稔くんたちに剥がされましたか?」
圭代が腕袖を捲る。
「脱いでみればどうじゃ、別次元に適応した肉体の強化とやらが如何なものか拝めるというものじゃて」
洗練された魔術からなる終局地、陣展魔術。
寒廻獄のそれは、触れたものを焼却する獄炎を身に纏う効果がある。
圭代の先の蹴りも、《次元印》による肉体強化の影響に加え乗改による効果で守られていただけであり、さもなくば即座に塵と化していただろう。
(乗改の効果、肥大化した白竜の身を削り、私のダメージを肩代わりさせる効力は先の斬撃で思ったよりも持っていかれましたね……奴の攻撃力に換算して、肩代わりさせられるのは残り五回程度、と言ったところでしょうか)
「鎧を剥がれた醜態はお似合いですね」
あからさまに挑発するように圭代がそう言い、勢い良く駆け出した。
「ナマを言いおって——」
寒廻獄との距離が縮まり、圭代が拳を振りかぶる。先程同様、一点に凝縮された術水が淡い蒼白のオーラを成していた。
「ふっ……」
振り下ろされた圭代の拳を身を仰け反って躱し、すぐさま体勢を整えた寒廻獄が長剣を振るう。
そこにあった圭代の顔面を横に両断するも、切られた瞬間から即座に圭代の顔面は再生する。
圭代にダメージが通った瞬間、白竜がそのダメージを肩代わりしたのだ。寒廻獄が癪に触ると言った表情で圭代の後方へ目を向ける。
しかし、そこに白竜は居なかった。
(どこに……ほう?なるほどな)
「教え子を捨てる訳にも行きませんので、悪しからず」
「あの白竜に《癒抗印》の少年を助けさせ、自身は遠隔でダメージの肩代わりを強要する。あの白竜も大概気障りなのでは無かろうて」
圭代が一足蹴で飛び出し、続いて拳を振り上げた。
寒廻獄はそれを躱す。
だがその拳に気を取られ、圭代の死角からの蹴り上げに気が付かない。
寒廻獄は顎下からもろに蹴りをくらった。
「……ぬぅ、肩代わりは何回まで持つんじゃろうなぁ」
「まさか教えるとでも?」
「いいや、野暮は聞かん」
顎を蹴り上げられた寒廻獄が仰け反った勢いでバク宙で身を捻り、そのまま後退する。
そして、両拳に先ほどの特殊な魔源を凝縮し始めた。
「身を熾るこの火は、こんな使い方もできるのじゃて」
燃える魔源が凝縮して拳に纏い、装着されたのは炎の拳鍔だ。
拳先を余すことなく覆い、直視することを躊躇うほど煌々と燃え盛っている。
「肉弾戦はちょいと好まぬがの。お主がその気ならば乗ってやらんこともない。さぁ、この炎のフィールドはリングじゃて」
「ボクシングはさほど得意分野ではありませんがね」
ここは寒廻獄の《騎灼盤》と圭代の[無限次元]が共存する空間。互いの能力が鬩ぎ合うことで次第に互いの効果も薄れてきている。
圭代も悪環境的要因の影響を受けにくくなっているが、それは寒廻獄にも言えることであり、寒廻獄にかかる身体能力的デバフは消えつつある。
加え、寒廻獄の陣展魔術による強化により、両者はほぼイーブンな状況を確立した。
肉弾戦となれば、決定的な一撃でも決めない限り泥沼試合になることはほぼ避けられないだろう。
「儂の|鍔がくで、諸々葬ってやろう」
「何を言うかと思えば」
圭代が白竜を背に携え、構える。
「虚勢はほどほどにしておく事です」
能力が鬩ぎ合う盤上で、両者が鎬を削る——