第32話 虚なる剣閃
寒廻獄の身体から夥しい量の魔源が溢れ出る。まさに悍ましき姿だ。溢れ出る魔源の重圧だけで簡単に萎縮してしまうほどだ。
「日野、澪!一旦離れ——」
「来たれ、我が意志宿し剣——虚飾之剣」
寒廻獄が両手の長剣を手放し、空を掴むように手を握る。そこに黒紫の柄が出現した。
だが、奴の握る柄の先に刀身がない。
「間に合わないかっ……!《地踏印》三——」
「《虚殲陣》」
寒廻獄がその柄を振るう。刃がないその柄が魔源を帯びると、それは横一閃に薙ぎ払われた。
その柄と同じ黒紫の剣閃が無数に出現し、それが忽ち視界を覆い尽くす。奴の正面全てを埋め尽くさんとする黒紫の剣閃の嵐が、俺らを飲み込んだ。
(——!!?)
渦巻く竜巻が黒紫の剣閃を振り回し、飲み込んだ俺らの全身をこれでもかと斬り裂いてゆく。
地肌を抉り、刻まれた傷にさらに傷が迸り、なおもその上から斬り刻まれる。
ありえないほどの量の血飛沫が背後へ飛び、やがてその嵐は過ぎ去った。
「か……はぁ…………」
僅か五秒ほどの出来事だった。
理解に追いつかぬ間に、俺らの全身には、それで肌面を埋め尽くすほどの傷が刻まれていた。
空気に触れるだけで全身のあらゆる部位に激痛が走る。立とうとするも、動かそうとした筋肉から血が滲み、力が入らない。
「鎖刎極刑、究極の一級品——虚飾之剣じゃ。さて、今のを受けて、主らはあとどれくらい立っておられるかの」
亀裂の入った鎧に反して、泰然とする寒廻獄を前に、俺らは睨みを効かせる。
「くっ……そ……」
稔先輩と澪を横目で見る。幸い眼球には傷はなかったが、それでも顔を動かそうとすれば、少し捻るだけでも首には刺すような激痛が走った。
「稔先ぱ——」
「脳にまでダメージが行ってるのぉ。おそらく左前頭葉——長くは持たんかもしれんのぉ」
「日野……澪……すま、ねぇ…………」
そう言う稔先輩がこちらに向けた顔は、見るに耐えない容姿だった。
顔面の左半分が大きく抉られ、肉という肉が削がれていた。それは頭髪部位まで及んでいて、そこから流れる血が額を真っ赤に濡らしていた。
左眼球に傷が入っており、おそらく機能していない。
「稔先輩…………俺たちで……なんとかしますからどこかで休憩を……」
俺や澪は、全身に傷が入った程度と言えばその通りだが、稔先輩はクリティカルヒットをモロ食らったのか、ダメージが俺らの比じゃなかった。
「やめ……やめろ………ぁぶねぇ……」
稔先輩は、顔面蒼白としていた。
そして、前方の方へバタリと倒れてしまう。
「稔……先輩……稔先輩!!」
前方を見れば、寒廻獄が刃のない虚飾之剣を構え、こちらへと歩いて来ていた。
俺は砕けそうなほどに歯を食いしばって身体を動かそうとするが、その度に全身から血が滲み、流れ出す。
数箇所は筋肉の繊維にまでダメージがいっているのか、思うように動かせない。
澪も虚な目で、ただ寒廻獄を睨んでいるだけだ。
絶体絶命——俺の脳裏に、その言葉だけが過った。
***
(こんな醜態晒しちまって、情けねぇ……。奴の剣の召喚に構わず攻撃を仕掛けようとした結果がこのザマだ——怪我して完治した後の脚のちょっとした後遺症なんて、言い訳にもなんねぇだろうが……)
「…………をしっかり!!」
俺を呼ぶ声に、俺は淀む視界をこじ開けた。
「…………先輩、気をしっかり!!」
(ダメだ……敵をまだ葬ってないじゃないか。俺が攫われて撒いた種だ……俺自身がケジメをつけなくちゃいけないだろうが……!)
「「稔先輩っ!!」」
(守るべき後輩がいる——。守るべき——母がいる。家族を失った時、俺は一体何を心に刻んだんだ?思い出せ……痛みに甘え怠けようとしてる性根を、いま叩き起こせ……!)
***
俺が必死に稔先輩の名を叫ぶと、稔先輩の右頬がクイっと上がった気がした。
そして、稔先輩は倒れた身体を起こした。その間も変わらず血が流れるも、それを気にしてる暇もないと言わんばかりに、稔先輩は膝を立てる。
「日野……澪……」
あの傷で動く気力と体力は何処から湧くものか。
「稔先輩……」
着実に目の前に寒廻獄が迫っている。
「鎖刎極刑——」
死が迫る。
だが、俺と澪は稔先輩から目を離せなかった。
突如訪れし絶望、打開策はあるか——