第30話 問い掛け
蓮辺地区、住宅街外れ。
隣の黒舞地区に比べ都市開発の進まない蓮辺地区には、まだまだ荒地や山地が多く点在する。
ここは、木々が点々と地面に根を張る荒野。ヒュウヒュウと強く吹き付ける風がどこか切迫した雰囲気を醸し出している。
そんな荒野の中心に降り立つ影が三つ。
崩壊した廃発電所からいち早く脱し、屍轍怪を連れ、圭代と柊は一時的に離脱して来ていた。
屍轍怪が、遥希たちに危害を加えぬためだ。
「教え子を捨てたか?」
「そんなわけないじゃん。稔に任せたんだよ、あの場を、あの二人を、あの魔術骸を」
「俺を殺さないのか?」
柊の言葉に、屍轍怪が挑発するかのように問う。
「如牟と濤舞って魔術骸が賢学と教え子たちを襲撃したり、君が稔を連れ去ったりした一連のことを画策したのは餓吼影?」
「質問に質問で返すか。俺の質問には答える意思もないようだな」
屍轍怪がそう吐き捨てるように言うも、沈着に柊は言葉を選ぶ。
「いいから俺の質問に答えてよ。こっちは熟練の賢術師二人だよ、反逆しても勝てないのは明らかでしょ?君は今、この場では弱者なんだよ。稔の目の前では強者でもね」
柊の視線に威圧が籠る。
屍轍怪も迂闊に抵抗したりするようなことはしない。警戒しているのだろう。
「てっきり柊波瑠明一人だけで来るかと思えば、そっちの《次元印》持ちもノコノコついて来たわけだ。俺一人に、余程臆病と見える」
「そんなこと聞いてない。さっさと質問に答えてよ。それか、聞こえてない?」
「かもな」
言い溢すと、屍轍怪は押し黙った。
「時間の無駄なんだよね。こうでもしないと、そっちの情報が聞き出せないから殺さないで待ってあげてるの。わかる?」
「それは、ありがたいことだ」
そこまで言ってついでに溜息まで吐くと、屍轍怪は言葉を続ける。
「餓吼影様はそのようなつまらぬ事は好まない」
「あっそう。じゃあ君?少なくとも如牟や濤舞、寒廻獄よりは君の方が強いでしょ」
食い気味に柊が言うが、屍轍怪も冷静に言い返す。
「さぁどうだかな。お前たちの好きな通りに解釈してればいい。さぁ、喋った。殺したくば殺せばいい」
瞬間、屍轍怪の首に白き竜が噛み付いた。
「ぬぐうっ……」
「まだ自らの立場を分からないようですね」
それまで静観していた圭代の術式だ。
白き竜の鋭利な牙が首筋に食い込み、そこから血がポタポタと滴る。
「尾盧圭代——曰く付きの《次元印》の使い手らしいが、お前の息子はどうやら《次元印》は引き継げなかったようだ」
「今はそんなこと関係ありません。その白竜は、私の一存で首を噛み千切る——」
その瞬間だった。
屍轍怪の首に噛みついていた白竜の脳天を、一撃の銃弾が撃ち抜いた。
それは白竜の脳天をぶち抜いたまま、勢いを緩めぬままその奥にいた屍轍怪の喉元をも貫通した。
白竜と屍轍怪がその一撃で絶命し、白竜は消え失せ、屍轍怪は糸の切れた人形のようにその場にバタリと倒れた。
「銃撃っ!?」
柊と圭代が辺りを見渡す。
すると、柊と圭代の視界を一つの影が遮った。二人は頭上を仰ぐ。
「お初にお目にかかるかな。柊波瑠明、尾盧圭代」
声の方へ目を向ける。
黒の千鳥格子の模様がゆらゆらと蠢く制服と紺色のマントを身に纏った男——その男は長銃を、右掌にバットプレートを乗せ、銃口を肩にかけて持っていた。
「——餓吼影」
圭代がその名を口にすると、餓吼影は笑みをたたえた。
「私も随分有名になったものだ」
餓吼影は微笑みながら上空より大地に降り立った。紺色のマントを靡かせ、ゆるりと歩き出す。
「おっと、そこで止まっておいた方がいいよ」
柊の言葉に、餓吼影は素直に足を止めた。
そして、顎を突き出し、まるで二人を俯瞰するような態度をとる。
「甦ったばかりの私にそれほどまでに畏怖するのか?そのような力を持っていながら、忌み子たる君が」
「ははっ、怖くねぇよ、言っておくけど。強がりじゃないよ。望むならタイマン張ってやったって良い」
柊が挑発するよう、餓吼影と同様に顎を突き出した。それと同時に、餓吼影が顎を引く。
「慎重な男だ。私は屍轍怪を取り戻しに来ただけだ。別に君たちに殺されに来たわけじゃない」
餓吼影は魔源を放出し、背に魔法陣のような紋様を出現させた。
「《死痕再誕》」
餓吼影が詠唱を終えると、彼の背の紋様がドス黒いオーラを発した。そこから無数の黒き粒子が出てくると、それらは餓吼影の真横に収束する。
「いつでも柊の賢術師は、餌を狩る獣のような鋭利な目をしているものだ」
「昔のこと知ってるなら話してもらいたいね。柊の家系とかよく分かんないから」
餓吼影は後頭部をぽりぽりと掻きながら言った。
「今はまだな」
言葉を交わしている間に、餓吼影の真横に収束した黒き無数の粒子が屍轍怪の輪郭を象った。
「お前はまだ絶えるな」
「申し訳ありません」
圭代と柊に視線を向けたまま、餓吼影は横目で屍轍怪に強い口調で言う。
畏怖するように屍轍怪が視線を下げながら謝礼の言葉を口にすると、餓吼影はどこか含みがあるように言った。
「——忌胎津姫が生まれるかも知れない」
「……はっ?」
餓吼影の言葉に屍轍怪が反応する。
柊と圭代は横目で視線を交えるが、それを見た餓吼影が口を開いた。
「柊波瑠明よ、一つだけ質問させてもらう」
餓吼影の言葉に反応し、柊は餓吼影に睨みを利かす。
「急だね」
「この世界は、公平か?不公平か?」
餓吼影の問いに、しかし柊は迷うことなく答えた。
「不公平だよ、この世界は」
間髪入れずに餓吼影が聞く。
「なぜだ?」
「少なくとも、俺は世界に望まれぬ人間だ。世界に望まれない人間は、人類にも望まれない人間。それだけで蔑まされて、幼い頃は殺されそうにもなった」
顔色一つ変えずに頷きながら話を聞く餓吼影に対し、柊は続ける。
「世界が公平なら、世界に望まれぬ人間なんて存在、あろうはずが無い。そんな人間が一人でも居るのなら、世界は不公平だと俺は思うよ」
柊が言葉を切ってから、しばらくして餓吼影は口を開いた。
「——ならば、この世界は不公平だな」
「なにか、事情でもありそうな表情だね」
「杞憂だ。気にするな」
この場に静寂が訪れた。
両者はただ動かないのではない。互いに相手の行動を伺い、様子を見ているのだ。
互いに迂闊に動けば戦争になることは避けられないと、両者の本能がそう察知しているのだろう。
「まぁ良い。今は、まだあまり、君たちに構っている暇は無い——」
「逃げる気ですか?」
振り返って背を向けた餓吼影に対し、圭代が言う。
「教え子のことが気になることだろう。迎えに行ってやると良い。一戦くらい交えても良いが、ここで殺し合いをするのは得策では無いと思うね」
そう言い残し、餓吼影は再び振り返り、歩き始めた。
「……フンッ」
吐き捨て、屍轍怪も餓吼影の背に着く。
「また後に伺う。必ず」
圭代と柊が、背後から手を出すことはしない。それは賢明な判断だろう。
餓吼影と屍轍怪は、その後一度も振り返ることなく、荒野の先の街の中へと消えて行った。
餓吼影の介入により不穏な空気が漂い——