第19話 深淵法廷
真っ白な柱が等間隔に佇む一本道の廊下で歩を進める。二〇メートルほど先の方に、二枚の壁画が貼られた巨大な扉が見える。
「それでは、この扉の先は深淵法廷で御座います。入られますと、螺爵則弓様自らが歓迎して下さると思われますので、あとは指示に従い、謁見を行なって下さい」
「承知しました」
歩きながら圭代先生がそう答える。
もうしばらく歩くと、間も無く巨大な扉の前に到着する。扉の前で止まると、さらにもう一歩踏み出し、西條さんが扉をコンコンコン、と三回ほどノックする。
「失礼致します、螺爵則弓様」
「入りたまえ」
扉の向こうより、男性の声が聞こえる。それに従い、俺たちは扉を開けて部屋の内部へ。
「うわぁ……」
思わず声が漏れてしまう。
高き黄金の天井が法廷内部を照らしており、威厳のある雰囲気である。
階段上に羅列した席の頂点、天井に最も近き席にただ一人、黒の法服を身に纏った男性が座っていた。
「ようこそ、賢術の学府『裁』へ。歓迎しよう」
その男は徐に椅子を引き、立ち上がってゆっくりと机横の階段を降りて来る。
広き法廷内部に、革靴と床の大理石が擦れる足音が鳴り響いていた。
「妾は螺爵則弓。『裁』の裁判長を務める」
「こんにちは、裁判長。先日ぶ——」
「柊波瑠明よ、本来ならば妾はお前を歓迎しない。それはお前が身に染みて理解しているはずだ。口を慎むがいい」
柊先生の挨拶を遮り、裁判長はそう言う。
「すんません」
柊先生が理事長の背に隠れ、小物を演じる。それを見兼ねた理事長が、続いて裁判長に向かって口を開いた。
「則弓、再開するのは何年ぶりかな?」
「以前の会合以来、実に一〇年ぶりと言ったところか。と言うか、妾はそんな問いに答えるために時間を割いたのではない。謁見を申し込んだとなれば、何か意図があるのだろう。まぁ、大方の予想くらいは付いているがな」
裁判長がそう言うと、柊先生が理事長の背から顔を出して言う。
「なら話は早いで——」
柊先生の言葉だけ、裁判長は頑なに封じ込む。
何か確執があるというのか?
「とことん話が通じな——」
「謁見申請を出したのは俺です。話くらい聞いて下さいよ、裁判長」
互いの言葉を潰す言い合い。
裁判長が柊先生を睨む。一瞬の静寂が訪れ、それが去ると柊先生が颯爽に口を開いた。
「率直な質問ですけど、俺ら『万』の行動をあそこまで制限する理由——その真意を教えて頂きたい。我々は賢術師としての誇りと、その責任を持って、なんとか被害を最小限に抑えました。一般人への被害もなく、せいぜい我々の中から負傷者が出たくらいだ」
裁判長が腕を組み、柊先生の話を黙々と聞く。
「その功績に対する対価がこんな束縛?冗談じゃない。今回に関しては、まだ未熟な一年が命を懸けて、格上の魔術骸に挑んだんだ。全身の骨を折った生徒だっている。それに対して、こんな仕打ちとかありですか、裁判長?」
柊先生が裁判長の回答を求めて口を閉ざす。その視線は、まっすぐに裁判長を射抜いていた。しばらくの沈黙の後、ゆるりと裁判長は口を開いた。
「確かに、今回の魔術骸による襲撃に対する、諸君ら『万』の対応と結果には目を見張るものがあった。緊急事態だと言うのに、あそこまでの対応力を見せるとは、とな」
そう語りながら、裁判長は付近にあった椅子を引き、そこに腰を下ろして足を組む。
しかし、視線はしっかりと柊先生へ注がれていた。
「報告を受けた限りだと、二年が三名、一年が二名、意識不明の重体であるとか」
「双橋美乃梨も意識不明です」
「《音響印》の使い手故の重傷とは、以前君から聞いていた通りの結果となったな」
眞樹先輩から教わったことか。
《音響印》の使い手は、その術式の都合上、常人離れの肺活量が必要であり、その根幹たる肺に大きな負傷を負うと常人よりもより大きいダメージとなる。
「上級クラスの魔術骸二体による襲撃事案。解決したが、その裏で一つ、大きな問題が発生した。ここにいる四名には、妾の判断でそれを伝えることとする」
裁判長が立ち上がり、俺たちの目の前まで歩いて来る。その表情は険しく、その視線は俺らの方を鋭く射抜いていた。
「裏で問題?一体何が…?」
圭代先生の問いに対して、裁判長は口を開く。
「餓吼影が現れたかもしれない」
「「「!?」」」
この場の空気が凍てついた。
「餓吼影…………」
「日野……」
俺が呟くと、柊先生が俺を見る。
餓吼影と言う名は知っていた。それもそのはずだ。俺があの日、柊先生から聞いた名。
***
「犯人は…誰なんですか?」
「犯人は、餓吼影という名の怪物だ。君も俺らと同じ世界にこれば、きっと怪物の意味がわかるさ」
俺は押し黙った。
「……ま、君が望むなら俺の教え子として鍛えてあげても良い。君、適性の赤子として産まれたでしょ?賢学で検査を受けたはずだ」
「はい。その自覚自体はあります」
「よかった。じゃあ、気が向いたら——」
俺はその人の言葉を遮って言った。
「この力を使えば、その、餓吼影って奴に復讐できますか?」
その人の目の色が変わった。
「お、良い意気だね。気に入ったよ、日野くん」
「両親をあんな殺され方して、挙げ句の果てにその記録を抹消するなんて、とても許せたものじゃありませんから。俺の手でそいつ、ぶっ殺したいです」
俺の言葉を受け、その人は俺の両手をギュッと握る。
「俺が一から鍛えてあげるよ。その手で、餓吼影をぶっ殺すんだろ?言ったからな。俺は約束は必ず守るから。餓吼影をぶっ殺せるくらい、君を強く育ててあげる」
***
「どうした、日野少年」
裁判長が俺を呼ぶ。
「いいえ、何でもありません。話を遮ってしまい申し訳ありません」
俺は一旦正気を取り戻し、裁判長の顔を見る。そうか、とだけ言うと、裁判長は話を続ける。
「君らが先の襲撃を処理している間、実はもう一つ事案が発生していた。その対処に向かった本部の賢術師が、それらしき姿を目撃している」
「『万』にはそんな報告は……」
柊先生が呟く。
「状況が状況だったためと、餓吼影に関する情報は、各機関上層部にしか伝えられない規定だからだ」
裁判長の言葉に、圭代先生が頷いた。
「餓吼影と決まったわけではなさそうですが、姿を見て餓吼影かも知れないと思ったのなら、その任務に赴いたのは本部の上層部の賢術師なのでしょう」
「本部出撃班のトップとの話だ。妾もその任務の詳細な内容までは聞かされていないがな」
裁判長が軽い愚痴のように言う。
「餓吼影が現れたのなら、異常事態だ。妾も独自に調査は進めようとは思っている」
裁判長が話題を切る。待ってましたと言わんばかりに柊先生が食い気味に話題を戻した。
「で、『万』の行動を制限した意図は?」
「諦めの悪い奴だ。仕方あるまい」
裁判長が溜息を吐く。
「諦めるわけがないでしょうが」
裁判長は席を立つ。そして、饒舌に語り始めた。
「——忌み子の存在は、全人類にとって共通の脅威だ。今、人類は脅かされている。いつか訪れる世界の終末にな」
「俺が人類を滅ぼすとでも?俺は忌み子としての衝動を抑えられますし、第一、これまで癇癪なんて起こしたことがない。俺を理由に行動制限を設けたのならやめて頂きた——」
「何も、原因がお前だけだと妾は言っているわけではない。忌み子は、お前一人ではないのだよ」
不定期の投稿でも見てくださる皆様、ありがとうございます。
小難しい内容かと思いますが、頑張って言語化していきたいと思っております!