第18話 裁判神の巨像
賢術の学府『裁』。
「黒井、今回の要請の受理処理は、お前が全て任されたらしいじゃないか」
「えっ?」
事務の仕事をこなす黒井紗枝に話しかけたのは、『裁』の裁判官、枢木拓真である。
その表情には、黒井への心配が滲み出ていた。
「ここに来てまだ一ヶ月とちょっと。裁判長から仕事を任されすぎじゃないか?まぁ、頼られていると言ったらある意味、羨ましい事ではあるけどな」
黒井は俯く。そして、再び枢木に視線を戻した。
「大丈夫です。裁判長、いい人ですし。仕事を任されるのもあまり苦じゃないです。それに、今が正念場ですから。裁判長も仰っていましたし」
「今こそ忌み子を裁くべき時って、裁判長も仰っていたな、確かに。ったく、俺ら底淵と中央組には話回ってこないし。深淵法廷での議会事項は原則その場に留めなければならないって、別に『裁』の職員にくらいなら共有してもいい気がするんだが……」
「深淵法廷の如何なる権限か、あるいは裁判長の独断なのか……。深淵法廷の裁判員の方々に聞こうとしても門前払いですからね」
黒井が苦笑しながら言うと、そこにもう一人裁判官が歩いて合流した。
「井上先輩?」
彼の名は井上春幸。中央法廷の裁判官である。彼は口を開く。
「裁判長にも何かご考えがあるのだろう。余り詮索するのは良くない。それに、忌み子の問題に関しては、次回の三法廷会合で議題に挙がるそうだ」
「三法廷会合で挙がっても、どうせ詳細までは教えてくれませんよ。深淵法廷全体で、それはきっと共通の意思です。我々でなく、中央法廷ならば多少、その話関連の話題を聞いたりとかはないですか?」
「俺たちとて深淵法廷から見れば下っ端だ。下っ端に重要な情報を教える先輩はいない、そう言う事だ。中央法廷も今扱ってる一件で手一杯、そっち関連の考え事もしてる暇も、そもそも無いしな」
井上が不服そうな表情で後頭部を掻く。
「裁判長の意向は絶対だ。それを覆すことは出来ない。俺らは、大人しく深淵法廷の指示に従って動くしか無い。黒井は特に、最近入ってきたばかりだから不服だろう。だが、賢術師界隈の秩序と均衡を守るためには、これは大切な序列なんだ」
「重々、理解してます」
「それならば良かった。互いに頑張ろう」
手首に付けた時計を覗き、井上は振り返る。
「次の裁判が始まるから俺は行くわ。じゃあな」
そう言い忙しそうに、井上は走り去っていった。
「……なんだか、最近は中央法廷にばかり事案が飛び込んできますね」
「罪の度合い制度のせいだろうな。今日も朝から三件分も裁判が執り行われている。この一週間で一五件だ。何が起こっているんだ…」
「私たちは見守ることしかできませんね……」
そんなことを話しながら、枢木と黒井は井上の走って行った廊下を静かに見詰めていた。
***
賢術の学府『裁』。
『万』の隣の地区、蓮辺地区に点在する施設だ。俺たちが門の前まで歩いてゆくと、鎧を身に纏った門番が四名、俺たちの前に立ちはだかった。そして、その中の一人が言う。
「『裁』の職員ではありませんね。申請書を拝見させて頂きます」
「申請書?あぁ、これか」
そう言って柊先生は折り畳んだ申請書を胸ポケットから取り出し、それを目の前の門番に手渡す。
それにしばらく目を通していた門番は、その後駆け足で道を開ける。
「本日謁見が受理された旨を確認致しました。ようこそ、賢術の学府『裁』へ。奥へ進まれるとあとは案内役に従って下さい」
門番四名が一斉に頭を下げた。
「どうも、お疲れ様です」
深駒理事長がそう挨拶をする。
そして、柊先生を先頭に門を抜ける。そこにいたのは、こちらに頭を下げた一人の女性である。
「ようこそ、お待ちしておりました。柊波瑠明様、深駒篠克様、尾盧圭代様、日野遥希様」
俺の名前まで告げ終えた後、彼女は名刺を差し出した。代表し、柊先生がそれを受け取る。
「『裁』の案内員、西條尊です。本日はよろしくお願い致します」
「よろしくね、案内」
「はい、承りました。では、付いて来てください」
そう言うと、西條さんは早速歩き出した。向かう先に見えるのは、三つの天秤を背に掛け、両腕に剣を携えた一体の巨像である。
「『裁』を案内するにあたって、皆さんには裁判神象をご紹介致します」
「裁判神?」
柊先生が西條さんに問う。
「はい。背の天秤は上からそれぞれ、原初と終焉、変革と不変、思考と精神の均衡を保つと言われています。また、『裁』の調和の乱れを整える願いも込めて、こう言った尊像という形でここに座されておられるのです」
「なるほど、威厳のある尊像ですね」
顎に手を置いて理事長がそう呟く。
「そして、両腕に携えた長剣。右の長剣は罪を裁く剣、左の長剣は平和を切り開く剣と言い伝えられております。罪を断ち平和を齎す神という意味合いから、断罪神や、平成神と呼ばれることもありますが、神聖書『英傑伝承譚』から名を取り、我々は裁判神と敬称します」
複数の名がある神というわけか。そんな中、裁判神という名は、この尊像が置かれている『裁』にとっては適任だろう。
「『裁』の歴史は裁判神像とともにあったと伝えられています。現裁判長、螺爵則弓様の七代以前より伝えられ、実に三〇〇年以上の歴史を誇る尊像となっております。ぜひ、心に留めておいていただければ」
説明を終えると、西條さんは俺たちから見て右側の方を指し示した。俺たちはそちらへ視線を移す。
「裁判長より、柊様御一行様方は、直接深淵法廷へとご案内するよう指令を承りましたので、これより深淵法廷へご案内いたします。よろしいでしょうか?」
「あぁ、問題ない。案内して」
柊先生が視線をそのままにして横の西條さんに言う。
「それでは、こちらになります」
西條さんの案内の元、俺たちは『裁』の内部へと続く門を潜った。
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次回、螺爵則弓との謁見です。