第17話 謁見の条件
「託斗、稔!」
治療室に眞樹先輩の声が響き渡る。
柊先生が稔先輩を抱え、託斗と一緒に治療室へと戻ってきたのだ。
託斗先輩と稔先輩、特に稔先輩が重傷で、稔先輩の命を紡いでいる術式が効果を消失すればすぐに死んでしまうだろうと柊先生は言った。
「こっちの寝台が空いてるわ。波瑠明、早く」
「了解っ」
柊先生が稔先輩を寝台に乗せる。稔先輩は酷い状態だった。片足が捥げ、肩口に大穴が穿たれている。
あの魔術骸と戦って、こんな風になってしまったのか。稔先輩でなく俺だったら、確実に死んでいるだろう。
「故馬先生、稔は…?」
眞樹先輩が後ろから心配そうな眼差しを向ける前で、託斗先輩が故馬先生に問う。
俺と澪もそれが最も心配だったので、稔先輩に視線を向ける。
「私の術式で間に合うよ。稔の自己蘇生が功を制したのね。この子多分、一回死んでるわよ」
この場にいる全員が驚愕の表情を浮かべた。
「一度、し、死んでいる?」
信じられないと言った様子で託斗先輩が呟いた。
故馬先生は稔の制服の上から胸部に触れる。
「胸部に明らかに骨までいってるくらい凹んでる箇所がある。俄には信じられないけど、自分で心肺蘇生をしたようね。どうやって力を加えたのかは未知数だけど」
そんな規格外な。
止まりかけた心臓を自身の心肺蘇生で復活させるなど、聞いたことがない。
「稔は《大地之恵》で延命してた。心臓が止まりかけても、まだ辛うじて意識だけははっきりしてたんだね。《大地之恵》は自身の術水強化だけじゃなくて、術水を一時的に補填することも出来る。言わば回復ってやつ」
技術が桁違いだ。
自身の手で自分の心臓を蘇生するなど聞いたことがない。とても可能だとは思えないが、実際に戦場で稔先輩は成功させた。
「それにしても、こいつ流石に死ななすぎだぜ……死なれたら困るが、前回の任務もそうだったな」
「そうだな」
託斗先輩の言葉に眞樹先輩が苦笑気味に言い返す。
「稔は治療室の常連だからね。素だとクールキャラなのに、骸を前にするとすぐ無茶するんだから。全く、どっかの誰かさんのかつての姿を見てるようで堪らないわ」
そう言いながら《癒抗印》で稔先輩の治療を行いつつ、故馬先生はゆっくりと柊先生に目を向ける。
「俺も自分の昔を見てるみたいで堪らないよぉ〜、全く〜」
「あんたのこと何回治療したかなんて覚えてないわよ……?稔よりも酷かったじゃないの、《顕現印》を使いこなせなくて、一時期無理しすぎて気を失ってから二週間くらい目を覚まさなかったことだってあったし」
「んー、そんなことあったっけ?」
「忘れたとは言わせないわよ、馬鹿っ。私が付きっきりで治療してやった恩を忘れたとはねぇっ」
故馬先生の怒りを抑えるように柊先生が両掌を上下に振った。
「まぁまぁ、冗談。あん時の話ねぇ。懐かしいや」
柊先生は思い出に浸るように天井を見上げる。
「……先生、術印を使いこなせなかったの?昔は」
疲労のためかそれまで喋らず座っていた澪が柊先生に問うた。
「そうだよ。《顕現印》は術水放出が著しい術式ゆえ、それを制御する技術が必要だったんだけど、それがなかなか出来なくてね」
「へぇ、そうなんだ。先生強いから、初めっから使えてるんだと思ってた」
眠そうなジト目で柊先生を見詰めながら澪は言った。それに対して、柊先生は笑って返す。
「俺だって全能じゃないよ?出来ることは多いけどね」
可能性を実現する《顕現印》、ハイリスクを背負うがリターンも大きいだろう。
そのハイリスクを柊先生は昔に克服し、現在はリターンとしてその強大な力を得た、そんな感じか。
「まぁ、その話は一旦置いておいて」
柊先生が話を切り、全員を注目させる。しかし話を切り出す前に、部屋の中を一周見渡して言った。
「あれ、圭代さんは?」
圭代先生が部屋にいないことに気がついた柊先生はきょろきょろとあたりを見渡す。
だが直後、柊先生の背にあった扉が開き、圭代先生が入ってきた。
「どこ行ってたんですか?」
「『裁』への申請の結果を聞きに行っていまして。『万』に直々に『裁』の職員が出向き、申請が受理された旨を伝えて帰っていきましたよ」
「受理されたんですかっ!?」
大声を張り上げて故馬先生が言う。
「はい。ですが、条件付きで」
「条件?」
「えぇ。一つ。柊波瑠明を含む、最大四名までをその対象とすること」
「少ないな。出来れば負傷してない生徒は連れていきたかったんだけど」
圭代先生は続ける。
「二つ、同行する者のなかに、日野遥希または尾盧輪慧を含むこと。両者同行か一名のみ同行かは『万』の判断に委ねることとする」
その瞬間、先生方と先輩方が一斉に俺を振り向いた。
「じ、自分と輪慧…ですか?」
「あぁ。『裁』から提示された条件ゆえ、従わないわけにはいかない上、息子はこの有様。日野くん、共に同行してほしい」
なぜ俺か輪慧が招集されるのか。
わからないし聞きたいことも多かったが、『万』がこの状況であるのに、これを断るなど出来るわけがない。
「はい。行きます」
俺の回答を聞き、圭代先生が微笑んだ。
「ありがとう。では波瑠明。君と日野くんと、あと二人です。決める権利は、申請を出した君にあります」
柊先生は天井を仰ぎながら顎に手を当てる。
しばらくして、柊先生は同行人を指名した。
***
「——で、私が呼ばれたわけですか」
「あんたは『裁』に顔の利く人だ。裁判長と謁見するんすよ?それなりに権威を持った人がこちらにも一人は必要なんです。俺なんて『裁』の中では戦力外でしょ?」
「確かにその通りですね、柊先生。それにしても、君から直々に指名されるとは思いもしなかったですよ」
柊先生と話すのは、『万』の長、深駒理事長だ。
柊先生が指名した残り二名の同行人は、深駒理事長と圭代先生らしい。理由は柊先生が言った通り、『裁』に顔の利く人物がいた方が良い。
と言うのも、深駒理事長は『裁』の裁判長と同期なのだという。
「則弓と会うのは数年前の会合以来ですね。私も気が上がってしまいます」
「俺も申請を受理してくれるとは思わなかったですけどね。あんたの同期はどうやら器がお広いお方のようだ」
「則弓は非合理を許さない、主義者。彼がこの申請を合理だと判断したのでしょう。ゆえに、『裁』は君からの申請を受理し、こうして招待してくれたのです」
理事長の言葉に、柊先生が頷いた。
「寛大なる裁判長に感謝ですよ」
これから向かう場所は、賢術の学府の秩序と均衡を維持するために潜む罪を裁く機関、『裁』。
生半可な覚悟では行けない。俺も招待された身として、然るべき態度で居るべきだ。
俺は一度深呼吸をする。
「日野くん」
深呼吸の刹那、横から理事長に名を呼ばれ、すぐさま振り返る。
「よろしくね」
ニコニコした優しい笑みで俺の顔を覗く理事長に、緊張して身体が固まる。それを見兼ねたのか、理事長の背から柊先生がヒョイっと顔を出して言った。
「日野、固いよー?理事長は怖くないし、むしろ優しい人だよー?緊張しないで、むしろ睨んでやるつもりで!」
そう言う柊先生を理事長が振り返る。
「ははっ、面白いことを口遊むようになりましたね」
「緊張は笑いで解れるんですよ」
柊先生がそんなことを言っていると、丁度そこに、用意のため集合に遅れていた圭代先生が到着した。
「申し訳ありません、行きましょうか」
そう言う圭代先生は、招待状が俺に届いたあの日と同じ仮面を着けていた。圭代先生のことを知った今なら、躊躇なく聞ける。
「圭代先生、その仮面はなんのために?」
俺が聞くと、圭代先生は俺を振り向く。
「これですか?義眼で外を歩くと、周囲からの視線がどうにも気になりまして。気にしないと言う意味合いもあって、この仮面を」
余計に注目されるのではないかと思ったが、俺は言葉を慎んだ。
「日野、圭代さんの義眼は特殊な模様だから。小っちゃいけど意外に目立つんだよ」
「そうなんですね…」
まぁ人それぞれの価値観に介入するつもりはないしな。別にこれといった影響がないなら別に問題ではない。
「それじゃ、行こっか」
手をパンっと叩き、柊先生が話を切り替える。
「そうですね。行きましょうか」
そう言い、理事長が歩き出す。それに続き、柊先生と圭代先生も歩き出した。
大きな三人の背中を見て頼りになるなと思いつつ、俺も後ろに着いて歩き出した。
次回、『万』行動制限解除へ向けて、螺爵則弓との謁見へ——




