第14話 裁
賢学の学府『万』。
「美乃梨先生、大丈夫かな……」
治療室の奥の寝台に横たわり、目を覚まさない美乃梨先生を見て澪はそう呟いた。
「《音響印》の使い手にとって、肺などの呼吸器官は重要であり、外内部からの衝撃や激物に敏感だ。裂けた程度でも《音響印》の賢術師は瀕死に至ることが多い」
俺の横で説明をするのは、二年の登能眞樹先輩。傷を癒す《癒抗印》の数少ない使い手だ。
「でも、故馬先生の《癒抗印》ですぐに目を覚ますだろう。過去に俺も治療を受けたことがあるが、重症でも数日ありゃすぐに治っちまう」
「でも、眞樹先輩も《癒抗印》、使えるんですよね」
俺がそう聞くと、苦笑しながら眞樹先輩は答える。
「故馬先生には及ばないがな。術印の掛け持ちはやっぱ、術水の配分とか単純な技術向上とかが難しくてな」
「そうなんですね」
眞樹先輩の話を真剣に聞く。そして、俺の後ろの寝台で寝て並ぶのが、尾盧と姫狗である。
「日野くん、澪さん。尾盧くんと姫狗さんを賢学まで連れて来てくれてありがとうね。もう少し放置してたら、本当に危なかったわ」
そう話しかけて来た長髪の女性は、怪我をした賢術師を治癒室で癒す、故馬由美先生。眞樹先輩も使用する、《癒抗印》の使い手である。
「尾盧と姫狗、大丈夫ですか?」
「あなたたちのおかげで死には至らないわ。ただ、目を覚ますまでは何日かは掛かると思うけれど。何せ、身体内部の損傷が激しくて」
故馬先生に向けていた視線を再び尾盧と姫狗の方に向ける。
故馬先生の施した術式による治療が進むが、尾盧と姫狗は呼吸を一定の速さでするだけで、その他の動きはもちろんない。
聞く話によると、全身の骨が捻じ曲がるように折れていて、危うく骨が内臓に突き刺さりそう、あるいは、今にも皮膚を突き破りそうなくらい骨の出て来ていた部位もあったらしい。
「それにしても、試験会場で襲撃に遭うなんて不運だったわね。過去にはそんな前例なかったし……」
「俺らは柊先生にすぐ救助されたので。本当に不運だったのは、柊先生が助けに行った場所にたまたまいなかった二人の方です」
不運だったと片付けるのも違う気もするが、不運だっと言えば全くその通りとも言える。
そのまましばらくすると、治療室の扉が開いた。
「お待たせ、みんな」
入って来たのは、柊先生だ。いつもの悠々とした表情とは一変、深刻そうに尾盧から姫狗、そして美乃梨先生へと視線を流した。
そして、こちらを向く。
「柊先生、あの魔術骸は…?」
「稔と託斗が相手してる。みのりんが限界そうだったから俺はこっちに来たけど、大丈夫。稔と託斗なら、あの程度なら勝てない相手じゃない。虹と流聖は、相手が悪かっただけだ。なんら問題はないよ」
一年、二年、教諭ともに重症者を出した、複数の魔術骸による今回の襲撃は、即座に各機関に報告された。
市街地から外れた廃墟、一般人の立ち入りのない賢学での出来事だったため一般人への被害こそ無かったものの、多数の関係者に負傷者を出した今回の事案は見過ごされなかった。
「でも、とんでもない事になりましたね」
「そうだね」
眞樹先輩が言い出し、それに柊先生が答える。
「とんでもないこと、ですか?」
俺が聞くと、柊先生は近くの椅子に腰を下ろして脚を組む。そして、説明を始めた。
「賢術の学府『万』の関係者は、『裁』に、許諾のない行動はするなとの命令が下された」
「『裁』……?」
「あぁ、三つある賢学のうちの一つ。俺たち賢術師を取り締まって、罪を犯した賢術師を裁く機関ね。関係者全員に事情聴取をするから、一ヶ月間は許可なく『万』から出れない」
俺は質問を続けた。
「じゃ、事案が起こったらどうするんですか……?」
「許諾さえ得られれば外出はできるから、完全に束縛されるって訳でも無いんだよね。でも、正当な理由って判断されないと基本的に俺たちは任務にも行けないから、それらは本部と、もう一つの機関『魔譜』でなんとかするんじゃ無いかな」
『万』の行動の一切を取り締まるなら、少なくとも任務に赴ける人材が本部と『魔譜』にはいる、と言うことか。
「それにしても、なぜ『裁』はこんな期間を設けたのでしょうか……?魔術骸が襲撃して来ただけで、俺たちには一切非はないはずだ。一般人にも被害はないうえ、重症者こそ出たものの死者は誰一人出していないと言うのに」
眞樹先輩が深刻そうに言う。
「それは俺も考えたよ、明らかに過剰な対応だ。ただ、理由を聞いても、処理と事情聴取に時間が掛かるからって言って、一方的に払い出された」
『裁』とやらには、俺たちを動かせたくない確たる理由があるのだろう。それも、今回の事案とは明らかに違う事情で。
「学長は役に立たないから、理事長に今交渉に行っ貰いたいなぁなんて思ってるけどどうせ結果は同じかな」
柊先生は前のめりになって頭を掻く。
この場にいる全員が脱力し、よもや諦めるしかないと言った雰囲気を醸し出していた。
故馬先生の《癒抗印》が尾盧と姫狗を癒すために術水を放ち続けるわずかな音も聞こえてくるほど、この場は静寂に包まれていた。
『裁』の許諾無しに動けない以上、状況は転ずることはないだろう。破ってバレたら面倒だし、かと言って動かずに状況が一切分からないのも不服だ。
稔先輩と託斗先輩があの魔術骸を倒した功績を挙げたとて、『裁』はこの判断を覆さないだろう。
「『裁』の意図が掴めませんね。正当な理由があるのなら、こちらだって従うかもしれないのに……」
「理由がこっちにとって正当じゃないから教えないんじゃない?よく分からない事言って来ても理由を聞けば門前払い。逆らえば法に従って裁かれる」
強行突破は通じないのか?いや、それで解決するなら柊先生や深駒理事長が実行しているだろう。
それに強行突破しようとて、本来は同じ賢学の機関同士、協力し合うべき関係のはずなのだ。
どちらかが武力行使して亀裂が入ると言うのは法度もいいところだろう。
「『魔譜』の動きによるかな。それか、『魔譜』も俺たちみたいに動けない状況になっているか……」
柊先生の言葉に空かさず故馬先生が口を挟む。
「『魔譜』に頼るのはどうなの?最高戦力が『万』であることは大前提に置いて、単純な戦力だけで測れば『魔譜』は下の下。『裁』にさえ、任務に就ける碌な奴が少ないって言うのに」
「そこも見越しての俺たちの行動制限なら大したもんだね、『裁』は俺たちが居なくてもある程度の任務は解決できる人材を育ててるのかも知れないね」
柊先生と故馬先生が考えるように顎に手を添える。
しばらく考えていたが、その直後、柊先生が呟いた。
「いっそのこと、申請出して『裁』に乗り込んでみよっか」
『裁』の目的とはいかに——?