第125話 傍若霹靂
(術水の流れ——鍵はそれか。自分の姿を好きなように消せたり、分解できるようなこいつらは、一見対処のしようがないように見えて、実際、原点に立ち返って術水の流れを見ようとするだけで容易く対処できる)
雷火により接続した右手で湊を包含する靄を掴み、左手で宏紀を分解した状態である糸を掴む。
雷火を伝わせることにより、一点を掴むことで全体を掌握する與縫は、冷静に思考を巡らせる。
(術水とは、すべての賢術師が当たり前に使用する力の源であり、日常生活でも常に血のように身体中を駆け巡っている。血が常に身体を巡り続けていることを気にする人間はいない。それが怪我で身体の外に出ることで、血という存在に初めて焦点を当てる)
「《雷火印》——」
與縫は両腕に宏紀と湊を抱えながら、目の前に術印を描く。そこから溢れ出す術水が雷火となり、けたたましい雷鳴を響かせた。
(だが、体外への放出をも常としている賢術師にとって、術水の流れなんてもんは穴でしがないだろ。人間は常日頃、視界に入ってきたり感じたりする現象を、そのうちに意識しなくなる。常日頃の現象ゆえの無意識——三流の賢術師なんて、そこを衝いてしまえば簡単に崩れる脆屑だ)
「な、何を——」
「見せてやる、お前らがオレをここに収容し、お前ら如きで足止めができると驕った先の結末を。せいぜい足掻くことだ、ド三流ども」
苦言を呈す宏紀に対し、與縫は獰猛な笑みを返した。
(つまり、戦場を廻り続ける"常"を見極めることが重要だ。ほとんどの場合、それは賢術師が放出する術水。掴むべきはその流れ。特に、相手が姿を自在に変える相手なら、戦況をも変えうる切り札だ)
「くっ……身体が動か——」
「雷火は神経網を直接攻撃して麻痺させる。糸や靄の姿になっても、それ以前に人間であることは変わらない。その糸や靄の深淵にも、神経は通ってる」
(博識——と言うレベルではありません、この男……!知識量が桁違い…!?)
「変幻を自在とする術印の穴は、様々だ。派生術印に関してはそこまで詳しくもないが、お前たちの術印のレベルなら、初見でそれに気がつくことが出来る。速度や威力に長ける術印であれば、その長所を長所たらしめているのは結局術水だ」
目の前に展開した《雷火印》を、與縫は自身の足元の床に移動させる。
「例えば糸野郎、お前の術式のスピードは、それだけのスピードが出せるように術水により強化をし、さらに放出による後押しの相乗効果で、あのスピードを出しているに過ぎない。それも技術のうちだといえばそうだが、術式の極地に至るには足らないな」
足元の術印に術水を注ぎながら、與縫は糸と靄へ語りかける。
「死ぬ前に言え。各地区の蓋世樹で何があった?」
「…は?」
予想外の質問だったか、思わず宏紀は絶句した。無論、湊にも與縫の質問の意図は分からなかっただろう。
「聞く耳まで分解されたわけではなかろう。オレは、蓋世樹で何が起きたのかと聞いている」
「なぜ、私があなたにそれを伝える義理がありましょうか……ぬぐうぅっ……!!」
雷火が糸をキツく締めあげた。
「ぬあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁっ!!?」
キツく締め上げたことで掌からは雷火が溢れ落ち、それが糸の全てをさらに蝕んだ。締め上げればそうするほど、断末魔が惨く響き渡る。
「オレもあんま暇じゃない。次にオレが不愉快だと感じたら、その時が本部の賢術師どもの最期だぞ。少しでも時間を稼いでみろ」
「かっ…かはっ……」
身体に大ダメージを負った為か、與縫の掌握していた糸は繭へと纏まった。そして術印の効果が消え、繭はやがて人型を象ってゆく。
「ごぼほっ……」
宏紀が吐血する。
「もう一回絞められたいか?」
「……副官——」
靄から自主的に人型へ戻った湊が、憂うように宏紀を見詰める。無論、湊とて雷火を身体に流されている状態だ。簡単には與縫の手中からは逃れられないだろう。
「……話してやってもいいですが……」
裏返るような息使い、身体の損傷が激しいながら、宏紀は声を絞り出した。
「その前に、刈馬…右座を……襲った動機を、先に教えていただけますか……」
意志が灯ったような、覚悟の一声。
「…お前は狂ってんな。次にオレの機嫌を損ねれば何が起こるのか、分かっててそれを言ってんだろうからな」
「……ここがどこか、まだ分からないでしょう……それでも、迂闊に"それ"を放つことが出来ますか?」
それを聞くと、與縫はくつくつと喉を鳴らした。
「上が『万』だろうが、オレは撃つ」
與縫の言葉に、宏紀の目が僅かに泳いだ。その揺らぎを、與縫は鋭き眼光を放って睨み付ける。
「その情の揺らぎ、この上は『万』だな?」
「なぜ…そうお思いに?」
「動揺は面に現れる。お前は今、オレが言ったことがハッタリだとは思わなかったろ?」
「いいえ」
宏紀はまっすぐに與縫を見つめ、言った。
「あなたは……この上が『本部』であると知っています」
「……ほう。見事な読みだな」
当たっているのだろう。與縫は、はなから頭上にあるのが本部であると勘付いていた。
その上で、それを確証めいたものにするために宏紀にカマを掛けたのだ。
「右座と戦闘している最中、そこへ近づいた『万』の生徒二名に構わず、あなたは広範囲術式を放ったと報告を受けております。ここが『万』であれ本部であれ、どのみちあなたはそれを放つ。私が読みを当てようと外そうと、結果は同じことです」
「覚悟の実った面だな、実に滑稽だ」
與縫は、それまで床の術印に注いでいた術水を止める。
「……装填は、完了しましたか?」
「撃てばお前たちと頭上のお仲間どもは消し飛ぶぞ」
「……ここに実った覚悟は……生半可なものではありません……。若いか、老いているのか、たったその程度の違いのこと」
自己を全面に示すかのように、宏紀は震える手で眼鏡をクイっと上げた。
「あなたに勝てないことなど、覚悟の上でした……刈馬右座が敗れた相手なのですから、我々などには到底勝てるはずなどありはしません」
「なんで挑んだ?愚かなド三流どもが」
與縫が問うと、その時、宏紀の頬をツーっと一筋の涙が伝った。
「我々は、本部の水面下組織。左座、千韻廻途様に自ら命を売った堕ちし者です。命ならば、とうに投げ打った……!!」
與縫が僅かに目を見開いた。その瞬間、與縫の背後に人影が突如出現する。
「…!?四式——」
「油断はおすすめ出来んね」
低い声が響く。
「さ、左座……!?」
その姿を仰ぎ、湊が声を上げる。
そこにいたのは、漆黒と灰銀の外套を羽織る白銀髪の男——本部帝郭殿上層部左座、千韻廻途であった。
「お出ましかよ、千韻廻途……!!」
身を翻し、與縫は廻途の攻撃に備える。
「両手の荷物はどうする?そのまま機と戦うか?おすすめはせんよ」
まるで感情の籠もっていない殺したような声は、空気を締め付けた。
同時に全身を鋭く突き刺すような視線が、與縫の身を震わせた。
「うぬは……何を所望か?力か…?知恵か…?地位か…?注目か…?」
「手間が省けたが、気が変わった。本部はここで壊滅させる」
與縫が、宏紀と湊の首根っこを掴んだまま、足元の術印を発動させる。
「——四式、[破猛殛]」
それは、天と地を雷火により染め上げる滅びの術式。雷火が天井をぶち抜き、頭上にあるありとあらゆる建造物を貫きながら天まで一直線に突き進む。
「さ、左座……!!」
「部下まで見捨てるか?非常者」
與縫が天へ雷火を放ち続ける最中、煽るように廻途へ話しかける。
「今更要らんよ。不必要は淘汰されるべきだ。機はただ……新たな時代の幕開けを見たい。宏紀、湊……うぬらは、その礎だね」
ズガガガガガガガガガガッと雷火が万物を飲み込み、また飲み込んだ万物を灰燼へと返してゆく。
ついに雷火は地面を突き破り、地上と空一面を破壊一色に染め上げた。
ガラガラガラガラと天井からの崩落はとめどなく、無限とも言える質量が一息に與縫と廻途を押し潰さんと迫った。
「既に多くが死んだぞ、千韻廻途」
崩落する本部帝郭殿を仰ぎ見ながら、千韻廻途は冷酷無慈悲な態度を示した。
「一〇〇〇人が死んで時代に変革が起きるのなら、安いものよ。機も含め、全ては世界の歯車に過ぎんね——それらが、ただただ役目をまっとうしただけのこと」
「っつ、くははは……異端者め……っ!」
崩落する瓦礫の合間に視線を通し、両者は眼光を交錯させる。崩れゆく本部帝郭殿を頭上に、二人の異常者が、同時に術水を放出した。
「第二人格も散々殺やれたからな。覚悟しろよ、異常なる時代の変革者」
「奇跡は起きんね。うぬが望もうと、もう機にはどうすることも出来んよ、異常なる時代の追随者」
本部帝郭殿、陥落。
数多の瓦礫と屍降り注ぐ死の戦場で、
二人の異常者が対立する——