第122話 水面下で蠢く悪意
高い木々の連なる森林の要所。
緑の天井が開けて空の見える湖の側で話すのは、琉那と波論である。
「あ、少しお待ちください」
琉那は服の胸元を捲り、内ポケットに手を突っ込む。手を抜くと、そこには赤い髪紐が握られていた。
「おめぇ、そりゃ…」
赤い髪紐をみて、波論が思わずそれを指し示すと、琉那はそれを唇で挟み、両手を後頭部に回した。
一見纏めにくそうな茶髪のショートヘアを見事に纏めて、唇で挟んでいた赤い髪紐を手に取る。
流れるような所作で髪紐をいじると、数秒ほどで琉那はショートヘアを後頭部で結び上げた。
「父上からいただいた髪紐です。私のお守りなのです」
「そうか。大切にしとけよ」
少しムスッと頬を膨らめ、琉那は波論を睨む。
「あなたに言われなくとも。それはそうと、あなたの知っていることを教えてくれるのでしょう?」
「あぁ。そのジジイの髪紐に免じて詳しく話してやる」
「なにを免じると言うのですか……」
意味がわからぬと言った様子で琉那が溜息を吐くが、波論は特に気にせずに喋り始めた。
「本部には、一部の奴らで構成されてるレジスタンスが存在する」
「レジ…スタンス?そんなものが……?」
「あぁ。確証めいたもんはあるが、先に俺が気になってることから言わしてもらうぜ」
顎に手を添えた波論は、それとは反対の手で二本指を立てて見せた。
「『魔譜』の連中が、『裁』に提出すべき研究結果ってやつを、提出してないのは知ってるか?」
琉那が思わず目を見開いた。
「な、何でそれをあなたが?本来、その情報は『裁』と『魔譜』、そしてそれを管理する本部の上層部と一部の管理班しか知らないはずなのに…」
「『裁』と『魔譜』には、既に独自潜入して粗方の情報は全部ここに入ってるぜ」
波論はそう言いながら、指で自身の頭をつついた。
「どうやって侵入したのですか?強引に入って仕舞えば騒ぎになるし、私のところにも話はすぐに入ってくるでしょう……ん?」
ハッとして琉那は思わずのけ反り気味に波論を見た。
「ま、まさか、『裁』に忌み子を名乗って訪れた人って……!?」
「そりゃ、俺らだな。まぁ厳密に言えば、俺じゃなく、俺の相方のやつだ。裁判長って奴と話したかったが、結局話せなかったけどな」
どこか呆れた様子で琉那が波論を睨んだ。
「せめて騒ぎを起こさないようにしていただけると嬉しいんですけれど……」
「裁判長の野郎が出て来ねぇのが悪い。都合上時間がなかったからな。忌み子だって言えば少なくとも騒ぎにはなる。與縫が騒ぎを起こしてる隙に、俺は手薄になったところ狙って『裁』に侵入したってわけだ」
「與縫と言うのは、相方ですか?」
「あぁ」
再び呆れた様子で琉那が睨みを利かせると、波論は目を細めてそれを睨み返した。
「さっきっからなんだよそりゃあ」
「呆れてものも言えないんですよ。父上の旧友の方だろうと、私は父上以外を敬う気は御座いませんので」
「そ、そうかよ。俺と似てんじゃねぇか」
「誰があなたなんかと……んんっとにかく。それからあなたはどうしたのですか?」
話を進めるように琉那が促す。
波論はおめぇが話止めたんだろうが…とボヤきながらも、話を戻す。
「それで、俺は穏便にことを済ませた。『裁』が『魔譜』と提携して骸研究をしてたことは元々知ってたが、『魔譜』が少し前から非協力的だったことはそこで知ったなぁ」
琉那が顎に手を置いて考えるように唸る。
「でも、そのことが、本部にレジスタンスが存在するかも知れない根拠になりますか?」
「実はな、俺が本部に勤めてた頃にも一度、同じことがあった」
波論の言葉に琉那が目を丸くする。
「『魔譜』がとある骸についての研究を頼まれた時だ。そん時、『魔譜』は『裁』と言い結んでた期日を過ぎても、研究結果を提出しなかった」
「……」
琉那が黙々と睨みながら話を聞くので、少々気まずそうにしながらも、波論は話を続けた。
「期日を…ありゃ二週間くれぇか。過ぎた時点で、本部は即座に『魔譜』の調査を決行した」
「それで?」
「結果、『魔譜』の奴らは、研究対象として渡されていた魔術骸の亡骸を使って、何やら怪しげな研究をしてやがった。勿論、『裁』からの指示にはねぇやつをな。そのことがバレると都合でも悪かったのか、当時その怪しげな研究に加担してた研究員が一斉に投身自殺を図った」
「……よほど、隠したかったのでしょうか」
「だろうな。俺はその調査にゃ参加してねぇから正確には分からねぇが、投身自殺をしやがった野郎どもは三〇は下らねぇって話だ」
琉那が手で口を覆う。
「そんなに多くの方が……」
「そこまで聞いて、何か疑問が浮かばねぇか?」
波論が、まるで琉那を試すかのように言う。琉那も波論に聞かれるや否や、即座に己の推論を示した。
「じゃあ、なんで今、『魔譜』は粛清されないかってことですか…?でも確かに、それは気になりますね……でも、本部が調査に入ったら、波論さんの時代のように多くの投身自殺を図るような方がいる可能性があるから、下手に手を出せないと言うことではないのですか?」
「不正な研究を行う奴等に遠慮するこたぁねぇはずだ。本部は本来、人類が魔術骸を倒すことだけに固執してるっつうのがあるべき姿だろ」
琉那に否定は出来なかった。
琉那自身も、そうあるべきだと思っているからだ。
「なんで本部はいつまで経っても、『魔譜』が『裁』への研究結果の報告をしねぇことを咎めねぇのか。考えすぎと言われりゃそんな気もしねぇが——」
「流石に違和感はありますね……でも、それだけで本部にレジスタンスって。想像が飛躍し過ぎている気もしますが……」
「決定的なのはそこじゃねぇ。俺の相方——まぁ與縫の野郎は、本部のレジスタンス出身なんだってよ」
「…えっ?」
俯き気味にしていた琉那が、ふっと顔を上げて目を丸くした。
「俺ら二人で『裁』、『魔譜』の潜入調査を行ったあと、與縫は独断で本部にまで潜入調査を行ってやがった。昔、本部のレジスタンスに所属してた頃の経験を活かして上手く潜入しただかなんだかほざいてやがったが」
歯切れ悪く波論は言った。
「…結局潜入先で返り討ちに遭いやがって、俺の目の前で死にやがった」
「あっ、つい先日の事件はその時の——」
本部で起きたのだから、琉那も把握しているだろう。それを機に、本部は忌み子を殲滅する方針を固めたのだ。
「與縫から、レジスタンスがどんな活動をしてんのかって話も粗方聞いたぜ」
波論がそう言うちょうどその時、二人を眩い斜陽が照らした。視線の遠方に見える山脈から、朝日が顔を出して輝いているのが見える。
「活動っていうのは…?」
「レジスタンスの野郎どもは、とある魔術骸と繋がってるって話だ。レジスタンスには被害を齎さねぇ代わりに、魔術骸の連中の言いなりになってやがんだぜ」
衝撃の告白に、琉那は動悸を隠せぬ様子だった。
明かされる本部の闇——




