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第121話 信頼への投資


 怒りを包含して、机に掌を叩きつけた鳴音(めいおん)が響き渡った。誰あろう、机を叩いたのは哲夫だった。


 「理事長の考えとて、それには納得出来ません。篤馬波論は我が旧友にして、若き日には共に切磋琢磨して高め合った同士でもあるのですぞ……!!」


 篠克の突き刺すような視線と威圧に、負けじと哲夫も声に怒気を込めて張り上げる。


 「…まさか、本部の未来のためと言えば、私が旧友をその礎としてまんまと差し出すとでもお思いかね?理事長」


 「君がどうこうと言う問題では無いのだよ。いつから、篤馬波論(かれ)は君のものになった?」


 まんまと差し出すという哲夫の言葉に引っ掛けて、篠克が哲夫に圧で迫る。


 「それは……」


 「既に、篤馬波論の所在は掴んだ」


 哲夫の言葉に、哲夫が顔を上げて反応する。


 「はっ?」


 哲夫の反応を見るや否や、篠克は黒い外套(がいとう)(なび)かせながら席を立ち、円卓の外を歩く。


 「私でさえまだ、彼の所在は——」


 「深く知る必要はありません。だが、彼にも彼なりに信念はあるでしょう。手懐けるにはある程度の苦労は必要そうだ」


 横目で篠克が微笑むのを睨みつけながら、哲夫は息を荒くする。


 「では、私はこれで失礼します。この後には用事もあることですし——」


 「待って下さいっ!!」


 流れるように話しながら部屋の扉へ向かう篠克を止め、哲夫は俯きながら声を張り上げた。


 「理事長。あなたのしたいことには賛同出来ずとも、頭に入れておきます。ですが、私の旧友を弄ばれるなど、到底理解できたことではありません。私ではあなたを止められないでしょう……」


 哲夫が悔しそうに拳を固くする。


 「……ですが、篤馬波論に理事長が会いに行く際、せめて私も同行させてほしい」


 「ほう」


 篠克をまっすぐに見つめ、哲夫は言い切った。

 語尾が弱々しく消える。


 「旧友だからと厚かましい願いだとは承知だ。ですが、本当に理事長が、我々の未来のためと思って成すべきと、心の底から実行すべきだと思ったならば、同等の決意が私にあると思ってほしい」


 この通りです——と言葉を切り、同時に哲夫はその場で頭を低くした。それは紛れもない土下座であった。


 今この場において、自身の決意の固さを表明するには最も時短になり、かつ合理的で最適な方法だろう。


 「とても健気な姿勢だ。許可します」


 そう言い残し、哲夫の返答も待たぬまま、篠克は円卓の部屋の扉を開き出て行った。


 扉が閉まる際の余韻を聴き伸ばしつつ、皆がしんとしたこの場に掴みどころを見出さんと視線を巡らせる。


 最初に口を開いたのは、迦流堕だった。


 「——学長。そろそろ……」


 なんの進展も及ばさぬような言葉だが、しかしその言葉は場の雰囲気を少しずつ温め始めた。


 「そ、そうですよ……理事長も納得してくれたようですし!」


 一際明るくキャピッと言うのは美乃梨。


 「苦渋、とも言うべきか。まさかそのような姿を晒すとは」


 だが、そんな中でも冷ややかな声を浴びせたのは、久留美であった。


 「我は言った。私情をこの場に挟むことは看破(かんぱ)出来ぬと。波瑠明だろうと圭代だろうと。学長、あなたであろうとそれは同じだ」


 その場で手を組み、久留美が続ける。


 「あなたが理事長へ付いて行ったところで、理事長の先の様子を見れば、どのみち篤馬波論とやらは支配されるのが末だ。それでもなぜ、あなたは付いていく決断をしたのですか?」


 「強いて言うならば、信頼があったからだ」


 床に伏した頭を上げ、哲夫は言う。


 「信頼?理事長へ、ですか?」


 「いいや。波論への、信頼だ」


 額を濡らした汗を袖で拭うと、哲夫は言葉を続ける。


 「彼は私を信じている——と、信じている。それ以上でもそれ以下でもない」


 「何を言い出すかと思えば。曖昧模糊(あいまいもこ)な言葉よの」


 首を左右に振りながら、話にならぬと言った様子で久留美は言葉をこぼした。


 「信じていてどうこうとなる話でもあるまいが、そもそもあなたを信頼に足る存在だと、篤馬波論が認識しているのかどうか——」


 「理事長のあの圧に迫られれば、波論とて理性をろくに保てなくなるだろう。なれば、波論は理事長の思惑通り、本部への諜報員(ちょうほういん)として調教される」


 切羽詰まった表情で哲夫は自身に言い聞かせるように喋り続ける。まるで久留美の声など聞こえていないと言わんばかりに。


 「私に信頼をおく彼ならば、私がその場にいれば、少なくとも理性を保つことができるだろう。波論は孤独だったのだ、私が幼き時からずっと……」


 皆が哲夫の言うことを静聴している。


 「だが、彼は私が入れば表情に正気を宿し、仲間の賢術師が死んだ時には共に並び、悼んだ……」


 息が乱れていた。


 「……悪いが私情でしか無い。私情でしか無いが、それで波論のことを守れるのなら安いもの」


 「そもそも、篤馬波論が理事長に圧倒的に劣るとも思えないんですけど?」


 床に座したままの哲夫を眼下に、柊が問う。


 「……産まれて数時間以内に両親を亡くし、金がなければ食にも在り付けない。愛も受けず、ただ身体だけを自分で育てた彼には、一度圧を加えて仕舞えば簡単に折れてしまうほどの脆い心しかないのだ」


 頭上の柊を仰ぎ、訴えるように哲夫が唸った。


 「心が未熟なのだ……彼は……!理事長が彼の過去をどこまで知っているのか……。過去の悲劇を盾にして弱みを握られれば、波論とて心が壊れてしまう。力で隠しているだけの、脆い心が……」


 篤馬波論の話を聞いただけの美乃梨たちはまだしも、死闘や言葉を交わした柊にさえ、哲夫の言うことの想像ができなかった。


 だが、波論には心が弱い面があると、哲夫は確かに言ったのだ。


 「情けない姿を晒したが……」


 「いつもと変わんないですよ」


 柊がボソッと呟く。


 「その醜態も、私と波論の互いへの信頼を買っただけと考えれば、チャラだろう……」


 哲夫は自虐的に微笑んだ。


 「……飼い犬に手を噛まれることもあろう」


 席を立ち、篠克のように円卓の外を回りながら久留美は扉へ向かった。


 「学長。あなたがどれだけ、噛みついてくる飼い犬に順応するか。見させていただく」


 期待か失望か。


 どちらとも取り切れぬ歯切れで言葉を残し、久留美は扉を開けて円卓の部屋を出て行った。

 


 ***



 翌日の六月二日、早朝。

 本部帝郭殿、地上の御殿。


 まだ陽光が連なる山々に隠れている時であった。


 (今のうちに……)


 御殿の前には、二人の守衛の賢術師が番人を務めており、ちょうど今、交代が入ったのだ。


 つまり、一番意識が逸れる瞬間だ。


 (子供の頃に嫌なことがあったら逃げれるように作っておいた抜け穴…まさかこんなところで役に立つなんて思わなかったわ……)


 守衛の交換のタイミングを見計らい、こっそりと抜け穴を抜け、帝郭殿の敷地の外へ出たのは琉那である。


 まだ陽光もおりぬ冷たい空気にショートヘアを靡かせながら、彼女は急いで帝郭殿を離れた。


 (なによ……昨日からいきなり守衛を付けるだなんて……父上の葬儀は先に送るとは言ったけれど、それと何か関係でもあるのかしら……)


 琉那はひたすらに、本部から離れるように森の中を走る。そして数分間走ってたどり着いた場所は、周囲を高い木々に囲まれた泉であった。


 静謐な光を反射する水面(みなも)に靡きはなく、まるで月光を映す鏡のように美しかった。


 「…いるのでしょう。出てきて下さい」


 そう言いながら、ふと、琉那は右の方を見た。

 樹の影に、誰かがいる。


 「察知能力は人並みにあるが、ジジイには劣るな」

 琉那が思わず身構える。


 「だが(おせ)ぇ」


 次の瞬間、琉那の視線から波論は消えており、彼女の真後ろにいた。声で初めて気がついた琉那が振り返る数瞬か前に地面を蹴り、構えたまま身を退く。


 「何のようですか。忌み子、篤馬波論さん」


 「やっぱジジイは策士だな。自分の死期を悟って、粗方のこたぁ娘に教えてたか」


 ツギハギの服から垣間見える肉体を爪でポリポリと掻きながら、波論は少しだけ微笑んだ。


 「まぁいい。これからあんたに、俺の知ってる全てを伝える」


 「あなたの知っている、全てを…?」


 「あぁ。覚悟はできてるか?」


 波論が憂うように問うた。


 琉那は数秒熟考したのち、波論をまっすぐに見つめて口を開いた。


 「……はい。ただの雑談などでは無いのでしょう。教えて下さい、篤馬波論さん」

 




 

動く者たち——

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