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第117話 癒しの輪を繋いで


 曇天(どんてん)下、頂から崩壊する[天陰月庭(てんいんげつてい)]の欠片が、雨と共に降り注いでいた。


 雫一粒一粒が(かさ)を纏うように淡い光沢を羽織い、それらがキラキラとしていて幻想的な風景を創り出している。


 「雨が強くなってきましたね」


 手を(かざ)して掌に数敵ほど雫を(いこ)わせながら、柊がそう呟いた。


 「栄養を失った蓋世樹を潤してくれると良いですね。街にとって、それは生命の象徴ですから」


 圭代がそう返答する。


 [天陰月庭(てんいんげつてい)]は間も無くして、その姿を完全に風化させる。


 それまで曇天より降る雨光は褪せ、いつの間にか、不穏な雰囲気を漂わせる灰雨へと変貌していた。


 「右座様っ!」


 柊が治療を開始して数分。


 遠方より、刈馬を呼ぶ複数の声がした。柊と圭代は木陰から顔を出し、ここに刈馬がいることを示した。


 「こちらです」


 圭代が彼らを呼ぶ。


 真っ先に駆けつけたのは、前髪をまっすぐに切り揃えたおかっぱヘアの賢術師だった。


 「お待たせしました。本部の賢術師の大田(おおた)と申します。右座の容態は——」


 大田たち複数の賢術師は、地面に倒れる己の上司の姿を見た。


 柊の治療があってもなお、未だ塞がらぬ胸部を穿つ穴。無惨に砕け、焼けた胸骨、肋骨。骨が刺さった臓物——。


 全ての賢術師が息を呑み、吐き気を(もよお)す者すらいる中、先頭の大田は、努めて冷静に現状と向き合っていた。


 「——まだ、生きていますか」


 (ひざまず)き、濡れた土で膝を汚しながら、それを意にも介さぬと言った様子で大田は問うた。


 「確かに生きてる。俺には見えてるよ、まだ僅かに自然放出されている術水の流れがね」


 柊の言葉を受け取り、大田は意を決したように、深々と頷いた。


 「柊波瑠明さん。まずはあなたに、全身全幅の礼意を。ここまで紡いで下さった右座様の命、必ずや繋いで見せます」


 大田が頭を下げ、柊に誠意を示すように言った。


 しばらく大田の姿を見た後、柊がニカッと笑みを浮かべ、立ち上がる。


 「ちゃんと治療すれば、時間こそかかるだろうけど、刈馬右座はきっと目を覚ますよ。まずは荒れに荒れた体内組織の修復を優先すると良いよ。外の肌を先に再生しようとしても、ここまで骨や臓物がはみ出していたら再生もままならないだろうから」


 「はい。心得ております」


 大田が全身から術水を放出する。それが彼の目の前に集い、構築されたのは浅葱(あさぎ)色の術式だ。


 視界に収めただけで、どこか心が安らぐような、そんな雰囲気の術式——傷を癒す《癒抗印(ゆこういん)》である。


 「《癒抗印(ゆこういん)》一式——」


 降る灰雨の中に、ほんの一粒の温かい光が瞬いた。


 浅葱色の術式から、同色の術水が零れ落ちる。それは刈馬の破損した胸部にそっと纏わり付いた。


 「[癒泉(ゆせん)]」


 大田の詠唱と共に、刈馬の体内組織が修復を開始した。


 今の刈馬は言わば、柊の術式により、その状態を維持する可能性により生きながらえているに過ぎない。


 そこへ干渉した《癒抗印(ゆこういん)》が傷を修復し、全ての欠損を完全に取り除くまでは、柊の術式を解除しても蘇生は叶わない。


 元はと言えば、胸部をぶち抜かれてもまだごく僅かに術水の自然放出があった刈馬の驚異的な生存力があってこそ成せる蘇生。


 だが、この機を逃せれば、二度と刈馬は蘇らないだろう。


 「——息を呑んでいる暇はありません。皆さん、僕に続いて下さい」


 大田が振り向かぬまま、背後の賢術師たちへ言葉をかける。


 「……はい!」


 一人の賢術師が大田の横へ歩み寄った。


 それに続くように、その他の賢術師も刈馬を囲うように並び、《癒抗印(ゆこういん)》にて傷の修復を試みる。


 「人数は多いだけ修復も進みます。僕が修復する箇所を随時マークしますから、他の皆さんはその箇所を集中的に治癒して下さい」


 「「「了解っ」」」


 心を一つに、実に七名の賢術師が《癒抗印(ゆこういん)》を行使する。


 全ての浅葱色が織りなす癒しの膜に包まれ、刈馬の身体は、内部から段々と修復されていった。


 一〇分後。


 「——よし。体内組織の修復、完了致しました」


 複雑なはずの体内組織の修復に成功するとは、伊達に本部の賢術師をやっているわけでもないのだろう。大田たちの治癒技術は秀でたものだ。


 「由美の《癒抗印(ゆこういん)》に匹敵するものがありますね」


 ふと、圭代が柊へと話しかけた。


 「そうですね」


 『万』所属の《癒抗印(ゆこういん)》使いと言えど、由美の治癒技術も凄まじいほどだ。


 「故馬由美(ふるまゆみ)さん、ですか?」


 大田が圭代を振り向き、そう聞いた。


 「えぇ」


 「いいえ、由美さんに比べれば僕なんて。でも、そう言っていただけると嬉しいです」


 「君は、由美と面識が?」


 圭代が聞くと、大田は考えるように首を捻った後、静かに答えた。


 「……五年前、ですかね。とある任務に救護班として派遣された際、誤って怪我をしてしまった時に傷を癒して頂きました」


 「五年前か……俺らが一八のとき?あぁ、確かそのとき、《癒抗印(ゆこういん)》の術者が足りないからって、由美が頻繁に本部の任務に同行してたっけ……」


 記憶を引っ張るように柊が言う。


 刈馬の肉体の修復に移りながら、大田は続けた。


 「初めての任務で、とても怖かった。でも、由美さんはそんな僕に、声をかけてくれました」


 それまで(しか)めたような真顔だった彼が、その時、少しだけ微笑みをたたえていた。


 「由美さんは、僕らには成し得ないような術式技術も去ることながら、周囲への声掛けなど、配慮の仕方までも素晴らしかった——」


 他の賢術師も、それまで強張らせていた表情を緩めながら話を聞いていた。


 「由美さんは、僕らにとって憧れの存在なのです」


 他の者も、由美に助けられた経験があるのだろう。


 清々しいほどに思い出に浸るような表情には、憧れに焦がれる者たちの微笑みと、決意があった。


 「……俺、由美さんから言われたことがあるんです。ただ傷を癒すだけじゃダメ、親身になって心まで癒してあげるのよ、って……」


 大田の隣の賢術師が言った。


 「当時の俺には、とても暖かい言葉でした。みんなよりも術式を上手く扱えなくて、少し内気気味になってた俺に、由美さんは声をかけてくれた。それが俺にとって、どれほどの救いになったか」


 彼の目から、堪えていた涙が溢れて落ちた。


 「…よかったらみんな、今度直接、由美に伝えると良いよ。受けた恩は、忘れちゃいけないよ」


 柊が言うと、大田をはじめに、他の賢術師も頷いた。


 「まぁ、由美はそう言うこともすぐに忘れちゃう性格だから、覚えてるかはわからないけどね。意外とあいつ、ほぼそう言うところあるよ」


 「肝に銘じておきます」


 大田がはははっと少し笑った。


 そうしている間にも、刈馬の肉体の修復は続く。背までぶち破られていた肌は、見る見るうちに組織を繋ぎ止め、穴を埋めてゆく。


 複雑な体内組織とは違い、すぐに終わりそうだ。


 「——大田さん。息が」


 一人の賢術師が大田を呼ぶ。

 見れば、刈馬の呼吸が先ほどよりも深くなっていた。


 体内組織の修復から数分。体内の器官が活動を再開した証だ。まだ気こそ失っているものの、目を覚ますのも時間の問題だろう。


 「肉体修復完了。これより、右座様を連れ、本部へ帰還いたします」


 本部への連絡を終えた大田が、柊と圭代を振り向いた。その後ろで、残りの賢術師たちが並ぶ。


 「柊波瑠明さん。尾盧圭代さん。初期段階での右座様への応急処置、心より感謝申し上げます」


 大田たちが一斉に頭を下げた。


 「由美にも、伝えておくからね」


 頭を下げたままの彼らへ、柊が言葉を投げかける。


 「よろしくお願いいたします。では、行きます」


 大田たちが術水を放出し、それを掻き集めて刈馬に纏わせる。すると刈馬の身体が浮遊し始めた。


 「蓮辺地区のワープポイントへ向かいます」


 そう言うと、大田たちは颯爽と去っていった。向かった先は、蓮辺地区の中心あたりにあるワープポイント。


 各地区の中心部にあるポイントより、本部へ直接帰還することができる仕組みがあるのだ。


 そこには、本部にある、地上から地底の帝郭殿へと転移する《次元印(じげんいん)》を応用した技術が搭載されている。


 「波瑠明。私たちは一旦『万』へと帰還しましょう。眞樹くんたちも、先に帰らせています」


 大田たちを見送った後、圭代が踵を返した。


 「そうっすね」


 どこか優しい笑顔をたたえながら、柊はそう返答する。二人は蓋世樹の元を離れ、『万』への帰路についた。

 





恩は己を律し、己は次代を癒す。

その輪を繋ぎ、進んでゆく——

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