第11話 必死必烈
矜持とは強者の悦びであり、矜持とは弱者の可能性である。この言葉が稔の憤怒の情を更に騒ぎ立てる。
強者の悦びをへし折る。
弱者の可能性があることを——。
(勝って証明する——!!)
「《地踏印》一式[大地之恵]」
深呼吸を繰り返しながら、撫でる様にゆるりと術式を描いて行く。[大地之恵]が稔の身体に浸透し、彼から溢れ出る術水が翠緑の光を帯びた。
(先刻と比べ異常なほどの出力速度。己の術式を強化する術式を使用することで、その速度をさらに上昇させている……)
「強化系統の術はその効率性によっては使わぬ方が吉となる場合もあるが、その場合が起こる可能性を度外視しているというわけか」
稔が駆け出すと、一気に濤舞との距離を詰めて肉薄する。
それに反応した濤舞が二節棍を突き出すが、上半身を捻って稔はそれを躱し、それとほぼ同時に、半詠唱の術式使用を行った。
「[地表断裂]」
濤舞の足元に亀裂が入る。
(最初と同じ術式か)
亀裂が入り、割れる寸前の大地を踏んで空に身を浮かす濤舞。ニヤリとした嘲笑が窺えたが、瞬間その表情も笑みを失った。
「隙を見せたな」
空に浮いた濤舞の腹部を稔の[大地之怒]が貫いていた。忽ち血がドクドクと流れ出す。
「くっ……!」
(これほどの威力とはいえ、無詠唱ゆえに強度もそれほどでないことに変わりは無い。こんな脆い土塊、易々と砕い——)
[大地之怒]を叩き砕こうと二節棍を振るう濤舞だが、肝心な点に目が届いていなかった。完全に油断したか、稔に意識の一切を向けていないのである。
「四式——」
(最低でも致命傷をっ!!)
「[暴悪熱林波]っ!」
稔の掌で凝縮されたエネルギーが爆裂する様に弾け飛んだ。
この瞬間に放出できる有りったけの術水全てを凝縮させた高熱のエネルギー、その全てを濤舞に一点集中で。
嵐の様に渦を巻いて空間を焼き尽くした術式が、やがて薄れる。黒煙でよく見えないが、それでも薄らと見える輪郭が泥のように爛れているのが分かる。
「おんのれぇ……っ」
容姿の焼き爛れた濤舞が二節棍を握る。
「まだ動くのかよ、バケモンがっ!」
「分解身学術、《混沌之歯車》」
詠唱と同時に、二節棍を握った両腕を除く、濤舞の肉体が内から爆発したかの様に弾け飛んでバラバラとなり、いずれも全てが稔に向かって直進した。
肉片の一部が稔の左膝に付着する。
浮遊した両腕が二節棍を勢い良く振り回した。
「ぐああああっっ!」
無抵抗に稔の左膝が折れ、ガクンと崩れ落ちる。二節棍の回転と同じ動きを繰り返し、稔の左膝から下がブチッという音と共に千切れ落ちた。
稔の全身が震え、額に滲む汗が一気に垂れ落ちる。
(なんだ……何が起こった……!?)
断面から夥しい量の血が流れ出した。
(……どうするっ、どうする……!)
稔が左脚を失って尚、濤舞の肉片が彼にくっ付こうとして停止しない。右脚の脚力を使い、跳ねて肉片を躱す。
だが、一つ一つの肉片に意思があるかのように、カーブして次々に稔へと襲い掛かる。
「[大地之怒]つ!」
大地が盛り上がり、無数の棘を形成する。
襲い掛かってくる肉片を次々に大地の棘が穿ち抜き、確実にその数を減らしているが、肉体的な稔の限界が近づいていた。
(やっぱ脚一本持ってかれた損傷はデカすぎるか……血も止まんねぇし)
肉片が地面に、廃墟に、草木に付着しては次々に湾曲して破産する。それの繰り返しで、空間が歪んでいるかのようだ。
しかし、稔の視線は何時も濤舞を見逃さなかった。
(半詠唱でここまで粘れたのが奇跡に近いくらいだっ!耐えれるか……!?)
まだまだ肉片が飛来する中、稔が濤舞に向かって再び駆け出した。《混沌之歯車》により折れた木々が稔を襲撃するも、術式を駆使して隙を潜り抜ける。
「《地踏印》一式[大地之恵]っ!!」
稔の術水が、失いかけていた翠緑の光を再び取り戻す。全詠唱による最大出力の術式強化。
「《地踏印》二——」
廃墟の壁に肉片が付着した瞬間、歪むように壁がガラガラと崩れ始めた。巻き込まれることを危惧した稔が廃墟とは真逆の方向へ飛び退いた。
稔の全体重を支え、一本で駆けて来た彼の右脚がいよいよ限界寸前に到達する。
されど彼は動きを止めない。
「くっ……!!二式[地表断裂]!!」
稔が横一文字に腕を振るうと、その動きに沿って地面に二〇メートルにも及ぶ亀裂が入る。目標は濤舞の腕ではなく、飛来する肉片。
[地表断裂]による亀裂の片面を[大地之怒]にて反り立つ壁へと変形させ、そこに肉片を付着させた。
付着したそれらの肉片は濤舞の腕の動きに沿って歪み、大破する。
(柊先生の到着を待っていてはそれまでに潰されるのは明らかか……なら待つ時間なんてない。俺が潰れる前に終わらせるまでっ!)
大破した地面の無数の土や大岩が宙を舞う。空かさずそれに向かって稔が[暴悪熱林波]を放つ。
嵐のように渦を巻く高熱のエネルギーを纏うそれは、さながら、爆ぜる寸前の隕石群のようだ。
「最後の最後で手抜きの無詠唱。甘いのであるっ!」
どこからか濤舞の声が響く。
と思えば、[暴悪熱林波]の高熱を纏った無数の大岩の質量攻撃を前に、濤舞の浮遊した両腕が二節棍を構えた。
右腕を引いて構え、大岩の質量攻撃と肉薄した瞬間、目にも止まらぬ速さで二節棍の先端を突き出した。
(腕力だけで俺のアレを——!?)
[大地之怒]の恩恵を受け、[暴悪熱林波]を纏った大岩の質量攻撃を、濤舞の両腕は一撃で穿ち抜き、退けたのだ。
「嘘だろっ!!?」
高熱を纏ったまま、穿ち抜かれた大岩が地面に次々と落下する。
雨の如く落下する岩と岩の隙間から、積み木の様に肉片が積み上げられて行くのが垣間見えた。
「分解身学術」
そして、完全に濤舞の身体を象る。
「《遺伝調和》」
濤舞が髪を掻き上げながら稔をギロリと睨む。
「これぞ分解身学術の原点にして真骨頂。遺伝と細胞の情報を分解し、過去の身体に当てはめる様に解析と融合を繰り返すことで、本来の己の肉体を複製できる」
稔が並ぶ大岩に体重を置きながら、足に極力負荷を与えない様に立つ。稔を挑発する様に、濤舞が饒舌に口を動かしていた。
「本来、現代では失われた一種の蘇生技術とも呼べるが、その復元に成功したのだ。分解身学術は、永き時を経て現代に甦った神秘の学術なのだよ」
高慢に言葉をつらつらと並べ。
「美術的価値の高い学問とは思わないかね、江東稔よ。君が我の魔術により失ったその脚も、分解身学術に掛かれば刹那の間に元に戻る。我も不慣れで時間こそ余分にかけてしまったものの、こうして完全復活を遂げてしまうのだからな」
さも笑いを溢すかのように濤舞は高らかに言った。
「美術的価値なんざ感じねぇよ。要は改造した肉体で人間たちを殺してってるだけじゃねぇか。頭のネジ何本外れればそう言う思考に至るのかを教えてほしいね、俺は」
濤舞の挑発に対し稔が思うままに発言するが、それに対して濤舞は冷たい視線を送っていた。さながら愚か者を見ている様な目付きだ。
「改造した肉体?」
濤舞はくつくつと喉を鳴らしながら笑みをたたえ、言った。
「この肉体は美学だ。分解身学術は我の弟子によって後世へ伝えられる。君のようにこの美学の美しさを理解できぬ愚か者は、やがて淘汰されるだけだ」
濤舞が両腕に魔源を纏わせる。分解身学術発動の用意だろう。凄まじい出力である。
「柊波瑠明の到着まで幾分も猶予は無いだろうな」
濤舞の身体がぶくぶくと膨れ上がる。
「そして君の体力も限界に近いだろう。我が学術の礎となれ。分解身学術、[等魔]」
再び、濤舞の身体が内から破裂したように弾け飛び、無数の肉片が飛来する。美乃梨に瀕死の重傷を負わせたあの魔術である。
(術式を無闇に連発できるほどの余裕は、最早残っていない……受け流すしか無いっ!)
稔の身体より術水が溢れ出し、その悉くが稔の両腕に宿る。目を見張り、無数の肉片に占拠された空間の把握に努める稔が迎え撃つ。
「潰れるのも時間の問題かね」
分裂した肉体のどこかから響く濤舞の囁き。翻弄されまいと稔は深呼吸を行い、集中する。
初撃、初めに稔と肉薄した肉片を、稔は術水の手で受け流した。その直後に次々と肉薄する肉片の殆どを抑制するも、受け流された肉片が旋回して再び稔に襲い掛かる。
抜け出さない限りほぼ無限ループの状態である。
(受け流してるだけじゃこちらの体力を一方的に削がれて終わりだ。考えろ……)
稔の息が上がる。かなり疲弊している状態だ。
空間の把握が遅れて肉片に身体を撃ち抜かれるのは、よもや時間の問題と言えよう。
(術水を中途半端に腕に纏わせた今更になって術式を使用しても、そこそこの威力しか出せずに突破される……相手は分散した肉片全て。大きな的がない以上、殴り合いに持ち込んでも集団リンチにされて元も子もない)
肉片を受け流し続ける稔だったが、稔の視界に収まり切らなかった肉片の一部分が稔の肩に突き刺さった。それに意識を持っていかれ、次の瞬間にはもう一片の肉片が稔の右脚の大腿部に突き刺さる。
(意識を背けたら死ぬぞっ!!)
身体の動かせる部位に全神経を巡らせ、右脚だけでなんとか堪える稔だったが、直後、突如として全ての肉片の動きが止まった。
(……!?)
肉片がぴくぴくと微動している。そんな肉片たちをその場に留めているのは、術水である。
「まさかお前がここまで追い詰められるとはな、稔」
制止した肉片の間を悠々と歩き、稔に合流した人物が一人。
「ようやく任務は終わったかよ、託斗」
「あぁ、待たせた」
助っ人見参——!!