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第111話 覚悟


 (あのときの気持ちを、戒めにして——)


 筋肉を一目で分かるほど膨張させ、掌から繋がる鱗の膜を引っ張ることだけに全力を賭す。


 (かの日、俺が初めて実感したあの心地良さ、人を助けるやり甲斐。そして、それを俺に教えてくれた優乃(あいつ)を——)


 楓真はこのとき、ただ優乃から屍轍怪を引き剥がすためだけに、全ての意識と全幅の力を込めた。


 その瞬間、少しばかり屍轍怪の身体が引っ張られ、蹌踉(よろ)ける。それを見逃さず、楓真は掌から繋がる[鹵赫鱗(ろかくりん)]を切り、即座に足を踏み締めた。


 (助けられなかった全ての同胞たちよ。君たちの死は、決して無駄にはしない。君たちが命を賭して戦ってくれたから、君たちが俺に繋げてくれたから、この魔術骸を討ち倒すことが出来たのだと)


 「《空鱗印(くうりんいん)》二式——」


 直後、楓真の身体は寸分の無駄もなく前方へと飛び出した。


 風を切る勢いで楓真が屍轍怪の目の前まで接近する。蹌踉めいた体勢を直した屍轍怪に対し、純赫のオーラと碧色の鱗を纏った刺突を放つ。


 (本当に、こいつ正気か?俺を貫けば、この女も同時に殺すって簡単な理屈が理解できてねぇのか?いいや、仲間くらい、どうとも思ってねぇのかもな)


 屍轍怪が目の前の楓真に向かって大気を歪ませる爪撃を立てる。そのまま横一閃に爪撃を薙いだ。


 「遅い」


 放った刺突はフェイントに過ぎない。


 寸前のところで刺突を引っ込めて、楓真は膝を脱力した。


 身体を立てていた状態から膝を折ることで体勢を低く構え、同時に爪撃を躱す。


 頭上を爪撃が通り過ぎるとすぐさま楓真は、屍轍怪の腹部に再び刺突を繰り出した。


 (一か八かの賭けだ……!)


 閃光の如く疾走した楓真の刺突は、屍轍怪が手で防御するよりも遥かに早く、そこにある腹部を捉えた。


 [皐鱗衡(さつりんこう)]は、分散した破壊力を一点に集約して相手を衝く刺突。


 楓真が突き出した刺突は、楓真の身体の欠損による余裕の無さも相まって正確ではない。


 されど、その粗雑さを術式の特性にてカバーし、より破壊力の高い刺突を実現させている。


 「なっ……!?」


 屍轍怪が驚愕の表情を浮かべた。


 (既に常人とは思えない。それほどの怪我で、なぜそこまで動ける……?)


 楓真が放った刺突は屍轍怪の皮膚を裂くも、されどそれより奥深くは達していない。


 ギリギリ肉だけを貫き、その中にいる優乃には一切刺さらぬよう調整をしたのだ。


 (優乃……待っていろっ!!)


 刺突により抉れた屍轍怪の肉肌を[逆鱗(げきりん)]を纏う両手で引き裂き、楓真が優乃を掘り出そうとする。


 優乃の取り込まれた方から引っ張り出せないのなら、反対側裂いて救出しようという算段だろう。 


 だが、それをみすみす見逃す屍轍怪ではない。


 楓真の刺突により腹部に穴をあけられた直後、屍轍怪は掌に黒き爆炎を構築していた。


 「さぁ、黄泉の方で同胞たちが待っているぞ。貴様もこの女諸共、今すぐそちらへ送ってやろう!」


 視界を覆い尽くすとまではいかないものの、至近距離で食らえば十分致命傷に至るほどの爆炎だ。


 屍轍怪の掌に構築された黒き爆炎が、眼下の楓真の後頸部(うなじ)に着弾し、爆散する。


 爆散した衝撃が楓真の全身を激しく揺さぶった。同時にガコッっという音が鳴り、楓真の首が下の方へ滑るようにズレ落ちた。


 おそらく頸椎が曲がったのだろう。


 「おとなしく死ねぇぇぇぇっ!!」


 「……お前の目は節穴かよっ!!分解身学術で肉体を弄りすぎてついに感覚までイカれたんじゃないのかっ!?よく見ろっ!!」


 楓真はあえて黒き爆炎の直撃を躱さずにその場に留まり、優乃の救出に専念した。[逆鱗(げきりん)]による咄嗟の首の補強が無ければ、肩口あたりまで余すことなく吹き飛んでいたことだろう。


 「肉が抉れたとしても今の貴様にこの女を引き摺り出すほどの余力はあるまい。朽ち果てろ、愚かな賢術師っ!!」


 屍轍怪の言う通り、肉は抉れて優乃がすぐそこに見据えたとしても、それを屍轍怪の身体から引き摺り出す余力は楓真にはないだろう。


 だが、楓真は不敵な笑みを浮かべた。


 「誰が、俺が優乃を引き摺り出すと言った?」


 その瞬間だった。


 屍轍怪の再生しかけの身体が真っ二つに裂け、同時に起きた衝撃波が屍轍怪の切り離した上半身が鮮血と共に宙を舞った。


 「なぜっ!?あの女は——」


 宙で屍轍怪が楓真の方へ視線を向ける。


 そこには、屍轍怪の下半身から身体を離そうとする優乃の姿があった。


 (力の限り締め付け、失神させたはず……あの女、まさか痙攣まで演じ、失神したと俺に思わせて、自ら脱する瞬間を狙っていた……!?)


 屍轍怪の身体は上と下で分たれた。


 上半身は数メートル先の方まで飛ばされ、下半身もその場にバタリと倒れる。


 「優乃——」


 楓真の呼びかけに優乃が振り向く。だが直後、楓真は言葉を切らして、その場に(うずくま)った。


 「ち、長官っ!」


 優乃が真っ先に駆け寄り、楓真の肩を支える。


 「優乃……五式を使用する」


 楓真の言葉に、優乃は思わずと言った様子で目を見開いた。


 「五式って……長官、まさか——」


 「敵は死んでいない……」


 楓真は優乃の方を見ない。否、見れないのだ。


 先ほどの爆炎の直撃を受け、楓真の頸椎は歪み、ぴくりとも動かしたならば想像を絶するほどの激痛が全身に響き渡るのだ。


 「すまない……あまり……動けないから、俺が核となって——」


 「ダメですよっ!!」


 肩を震わせながら、優乃は楓真の言葉を遮った。

 優乃の顔を見れない分、楓真は優乃の言葉によく耳を傾ける。


 「私なんかが……残るなんて……それなら、私が核になります」


 楓真は動かぬはずの首を強引に動かし、優乃の方を見た。少し捻るたびに、人体からはなり得ない惨い音が幾度となく響き渡り、優乃の耳を苦しめた。


 「長官……動かないで——」


 「優乃」


 楓真に呼ばれ、優乃は俯いていた顔を上げた。その反動で、優乃の瞳から溢れる大粒の涙が、下の地面を濡らす。


 嗚咽にも近き呼吸で、されど優乃は必死に涙を堪えている様子だった。


 「言っていなかったな。優乃」


 「……えっ?」


 楓真は滝のように脂汗をかきながら、痛みに堪えて優乃の顔をまっすぐに見る。


 「俺はあの日……お前に助けられた。俺は表に出さなかっただけで、賢術師という仕事に、どうにもやり甲斐を……感じることが出来ずにいたんだ……」


 二人の視界の外で、地面に散らばる肉という肉が蠢いた。屍轍怪の上半身と下半身が意志を持ったように地面を這いつくばって、再生しようとしているのだ。


 「お前が幼い頃、お前は俺に抱きついてきたのを、覚えているか?」


 「……はい」


 優乃は頷きながら言う。


 千切れた右腕は、止血をしているものの、それでも断面から服に血が滲み、垂れてきていた。だが、それにすら構わず楓真は口を開く。


 「あの時、俺はお前に救われた。賢術師という人を助ける役目に、初めてやり甲斐を感じることが出来たのだ……」


 優乃は肩を震わせながら、楓真の言葉を黙って聞き入れている。


 「俺は嬉しかった。それに報いる時だ。お前は生きろ。俺とお前が真に共鳴し、この逆境を越えることが出来たならば俺も生きるかもしれないが——」


 楓真の表情には、紛うことなき覚悟が見て取れた。


 「若き芽は、古き樹たちにとっての希望だ」

 





覚悟は決した——

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