第110話 幼い温もりに感じたもの
その村の食糧源であっただろう、広大な畑は色を無くしていた。風が吹けば、その横を歩く者たちの視界を細かい砂埃がかすめるだけである。
そこに水気の気配は一切無かった。
「村の人間は、一体こんな状況でどうやって生きてた?ここら一帯には狩れるような鹿も猪もいないって言うのに」
「ここらの畑、何年も手入れがされていないだろうな。肉も狩れず、作物さえままなって無い状況で、この村は如何にして生き抜いていたのか……?」
村の状況や周囲の環境と合わせて考えてみても、当時のその村が飢饉に陥っていることは明らかであった。
作物に至っては、おそらく長い間収穫することは出来ていなかっただろう。それは、乾きに乾き切った広大な畑がはっきりとものがたっていた。
「よくよく考えてみれば、村中の家屋を捜索しても、食べられるようなものや収穫物などは見受けられなかった。それどころか、生活感がないような……そんな違和感も感じた気もする」
一人の賢術師が言った。
その違和感は俺も感じていた。
「なにより不可解なのは、餓死体と思われるものが複数あったことです。それも、見つかったのは一般的な家屋や畑の傍、あと、付近の山中なんかでも。村民たちは、そんな餓死体を葬送してあげようとは思わなかったのでしょうか?」
俺が言うと、同期の一人がそれに頷いた。
「そうだよな……。骸に襲われて死亡したと思われる村民の数も相当だったが、明らかに死臭が酷かった餓死体もそれなりに見つかった。村が飢饉に見舞われているのなら村民が餓死してしまうのも納得のいく話だが……」
そんな餓死体を処理せずに放置しておくと言うのは、どうにも腑に落ちないという言い分だろう。
俺から見ても、明らかに異常という村民はいなかったし、生き残った村民たちは、待機所で互いの体調を気にし合い、心配しあっていたような人々だった。
少なくとも、なんの理由もなくただ死体を放置しておくような冷たい人間には見えなかった。
「とりあえず、本部に連絡しましょう。餓死体の処理に関しては、指示を仰ぎます」
「俺、連絡しておきますよ」
「おう、頼んだ。楓真」
約一時間の捜索で確認された人の数。
生き残り、一五名。
骸襲撃による死者、三五名。
餓死体と思われる者、二〇名。
事前に聞いていた村人数である七五名には届かないが、最後に人数が更新されたのは数年前という話だったし、多少の誤差はあるだろう。
俺は本部へ簡潔に情報を伝え、発見された死者、餓死者の処理を行うための応援を要請した。
「——はい。生存者は、既に本部直轄の保護施設へ送っています。はい。承知いたしました」
伝達を終えた俺は、先輩の賢術師の元へ戻る。
「本部より、賢術師数名をその場に残し、本部からの増援と合流するようにと。その他の賢術師は本部へ戻り、詳しい報告をするように、とのことでした」
「わかった」
先輩は俺から話を聞いた後、即座に残る賢術師を四名指定した。
万が一、さらなる襲撃があった時に対処できるよう、熟練の先輩の賢術師が選ばれ、それ以外の賢術師は本部へと撤退するようにとの指示が下った。
***
とある村の襲撃からちょうど一週間が経った頃。
その日もいつものように任務に出ていた。その日は朝から任務に出て、本部へ帰還したのは夕方ごろになってしまった。
連日任務続きであったこともあってひどく疲れていた俺の元へ、先輩の賢術師が声をかけてきた。
「おい、楓真」
「お、お疲れ様です。どうかしましたか?」
ソファにだらぁっとかけていた背を起こし、先輩の方へ身体を向ける。
「お前にお客さんだ。本部の門前」
「俺にですか?は、はい。ありがとうございます」
おれはすぐに身体を起こして、先輩連れられるまま本部の外へ出てきた。
主帝の御殿の前をお辞儀をしながら通り過ぎ、本部の敷地と外界を繋ぐ門まで歩いた。
「あの子は確か……」
門の前には、本部直轄の保護施設の女性職員の方と、その陰に隠れるようにしてこちらを見るショートヘアの女の子がいた。
俺は二人の元まで歩いて行き、保護施設の方へ話しかける。
「どうも、先日はどうもお世話になりました」
一週間前のとある村の襲撃事案の時に、一度だけお会いしたことあった。
「ご無沙汰しております。保護施設の吉野と申します。先日は多忙ゆえに挨拶を怠ってしまいまして。今一度、ここで挨拶を」
丁寧な吉野さんの挨拶に、俺は再度一礼をする。
「ほら、優乃ちゃん。挨拶は?」
吉野さんは手を繋いでいた女の子を手を優しく引いて、俺の目の前まで連れて来た。
「一週間前に、あなたに救っていただいたことのお礼をしたいって、この子が」
その子はまさに、一週間前に俺が助けた女の子だった。優乃、という名前はこの時初めて聞いた。
優乃ちゃんは、俺の顔を見ずに俯き、まるで恥ずかしそうにモジモジと足を擦らせていた。
「えっと、優乃ちゃん?」
「あ、あ、えっと……」
頬を赤らめて、優乃ちゃんはゆっくりと俺に顔を向けた。俺は喋りやすいよう、優乃ちゃんの身長に合わせてしゃがみ込む。
一瞬、俺と優乃ちゃんの顔が急接近する。
すると、優乃ちゃんは咄嗟に顔を背けた。
「この子は人見知りで、一昨日、やっと私と手を繋いでくれたんですよ。それまでは誰にも懐かないで、あっちでもずっと一人で手遊びをしてて」
吉野さんが俺と同じくしゃがみ込み、優乃ちゃんと目線を合わせた。
「ほら、優乃ちゃん。お兄さんに、ありがとうって」
吉野さんに言われ、優乃ちゃんは口をもごもごとしながら、再び俺の方を向いた。
「お、お兄さん……」
着ていた薄赤のワンピースにも劣らないほど頬を赤らめ、優乃ちゃんは細々とした声で言った。
「ありがとう」
幼い口調で発せられた、感謝の言葉。
俺は一瞬言葉を失ったが、その分笑顔を優乃ちゃんに向けた。
優乃ちゃんはまた顔を背ける。
「どうしても、ちゃんと会ってありがとうって言いたいって。ご迷惑じゃなかったかしら……」
「いいえ。むしろ、明日も頑張ろうって気持ちになれました」
俺が言うと、吉野さんは温かい笑顔を浮かべた。
「よかったね、優乃ちゃん」
「うん」
俯きながらも、優乃ちゃんはこくりと頷いた。
「ありがとうね、楓真さん」
「こちらこそ」
またね、と手を振ろうとしたその時、優乃ちゃんが俺の顔を見た。そして何かを言いたそうに、口をもごもごとさせていた。
「どうしたの?」
俺がそう聞くと、優乃ちゃんは恥ずかしそうに途切れ途切れに言葉を発した。
「あっ、あのねっ。優乃、その……」
なぜか今にも泣きそうに目をうるうるとさせる優乃ちゃん。俺は思わず慌ててしまった。
「あぁ、えっと、優乃ちゃん!無理しなくていいよ、へ、変なこと聞いちゃったかなっ!」
慌てた様子を俺を見て、しかし優乃ちゃんはしっかりと俺に言った。
「お、お兄さんと、ぎゅー……」
俺を見ては目を背け、また俺を見ては目を背け、それを繰り返していくうちに、優乃ちゃんの言いたいことが分かった。
「ぎ、ぎゅー……?」
「う、うん。ぎゅー、したい……」
幼い口調で、優乃ちゃんは確かに言った。
俺はとやかく言わずに、優乃ちゃんに向けて両手を広げる。
「……いいの?」
「いいよ」
俺が言うと、優乃ちゃんは吉野さんの顔を見た。
「行っておいで」
優しい口調で吉野さんが言うと、優乃ちゃんは吉野さんと繋いでいた手を解き、相変わらず頬を赤らめながら俺の方へ歩いて来た。
そして、俺の胸に小さな身体が飛び込んでくる。
「お兄さん、ありがとう……」
俺の肩に顔を埋め、鼻を啜りながら優乃ちゃんは言った。正直、なぜここまで俺に感謝をしているのかは分からないが、俺は黙って優乃ちゃんを受け止めた。
優乃ちゃんは俺の背中へ両手を回し、拙い所作で俺のことをギュッと抱きしめた。
「ありがとう……ありがとうっ……」
しばらく、俺は幼き温もりを受け止めていた。
なぜだろうか。
瞬間、本部に入ってから安らぎもなく、緊張しっぱなしだったはずの心の緊縛が解けたような気がした。
いささか、心の緊縛が解けた数分間。
その時初めて、人を助けることができたという実感が湧くのと同時に、賢術師という役目にやり甲斐を感じた。
いいや、何かに対する実感ややり甲斐とは言葉の飾りか。
素直に、俺はただ嬉しかったのだろうな——。
ただ単純な嬉しさ。
その奥に秘めたる数多の気持ち——




