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第104話 忌み子の追憶


 九八年前。


 俺は何の変哲もねぇただの一軒家で産声を上げた。

 俺が忌み子として産まれたと知った親父は、母親と俺を置いて首を吊って逝きやがった。


 「波論……母さんは、波論のことを愛してるよ……ごめんね、ごめんね。母さんが不甲斐ないせいで、波論には苦労をかけちゃうかも知れない」


 物心がつく前だったが、母親は俺にそう言ったのを、今でもぼんやりと覚えてる。


 物心は、産まれて数時間で付いていた。

 だが、当時はただぼんやりと、周囲で起きる数々の出来事を受け止めていた。何も食わしてはもらえず、まともな寝床もねぇ。俺に注がれたのはただ一つ、母親が口で言ってただけの愛情だった。


 「……()ぁ……?」


 産まれてから数日。


 それまで確かに目の前にいたはずの母親が、突然湯煙が開けるかのように消えた。そこで赤子ながら悟ったぜ。


 それまで見ていた母親は、幻想だった。


 忌み子を産んだ母親がタダで済むわけはねぇ。当然の世の条理に従って、俺と言う忌み子を産み落とした母親は、そん時すでに死んでたんだな。


 ——おなか、すいた。


 産まれて数ヶ月、俺は赤子にして孤独だった。腹の底で湧くのは極限の空腹。


 言葉や身体能力はまだまだ並の赤子程度だったが、忌み子として産まれたことの副産物か幸運にも頭脳は発達していた俺は、親父と母親の死体がある家の中を彷徨い、食糧を探した。


 だが、俺を産む前からこの家庭の生活は困窮していたんだろうな。倉庫を漁っても見つけられんのは空の棚と、とうに腐り切った塵屑ばっか。


 ——つまらない。つまらない。つまらない。


 椅子や布団の綿、玄関先の土、床に散らばる塵芥を胃に収めて空腹を凌いだら今度は快楽欲求が湧いてきた。家の中で湧く蛆虫を手で潰したり、壁を爪で引っ掻いてみたりしたが、そんなんで欲求が満たされるわけはなかったなぁ。


 産まれてからしばらく経って、俺は一度死のうとしたんだったなぁ。欲だけが腹の底に巣食っているだけでそれを満たせずにいた数年間。


 数日の空腹に耐えかねて、俺は意識を手放した。


 今となって思うことはある。

 なんで数年間、誰も彼も俺のことを助けてくれなかったんだろうな。


 答えは分かり切ってる。

 俺が忌まれた赤子だったからだ。


 この後、俺はどうしたんだっけなぁ。


 それからしばらく、少なくとも五〇年以上の記憶はねぇな。忘れてるって表現の方が正しいかもしんねぇ。與縫と会ってからの記憶しかねぇんだ。



 ***



 (あ?俺は何を思い出してやがんだ?)


 吹き抜けた学長室から空を仰ぎ、波論は何か考え事をしているかのように呆然とした。


 「波論?」

 「あぁ?」


 傍から哲夫が問うと、まるで我に返ったように波論は強気に返答をした。


 「どうしたの?」


 柊がもう片方から問うと、波論は首を傾げて後頭部を掻きながら、再び正面を向いた。


 「すまねぇ。喋る」


 波論が話を仕切る。

 話は、なぜ波論が無所属の賢術師となったのか、と言うことに関してだ。


 「よく覚えてるぜ。ある日の任務で、飛び降り自殺をしやがったある賢術師がいた」


 「任務中に飛び降り自殺?」


 そんなことがあるのかと言った様子で柊がオウム返しをする。


 「そうだな。そして、その飛び降りた賢術師ってのが本部所属の賢術師だったことで、本部は一時期、活動停止を余儀なくされた。とくにその任務じゃ、その賢術師が自殺しやがったことで予定が停滞しちまって、結果的に一般人から大量の死人を出しちまうことになった」


 波論は淡々とあった事実を述べるように話す。

 それを豪奢な椅子に座り、俯きながら聞いていた哲夫が横口を挟んだ。


 「『裁』からの圧力はあったはずだ。任務の遂行に著しく影響を及ぼす事態になってしまった事を咎められ、それには流石の主帝と言えど、本部の行動を制限せざるを得なかったのだろう」


 「そりゃそうだろうな。若かった時の虎殿のジジイは冷酷な性格だったが、一般人を何より優先する正義感は誰よりもあった。それ故だろうな、一般人が多く死んで責を感じた虎殿のジジイは、本部の行動停止を真っ先に決定したんだとよ」


 「へぇ。今の虎殿主帝からは想像できないね」


 柊が言うと、波論はギロリと柊を睨んだ。


 「おめぇには分かんねぇだろうがよ。虎殿のジジイは他の誰よりも正義感ってやつを持っていやがった。忌み子だから他人からは塵芥のように扱われるはずの俺や與縫に手ぇ差し伸べてくれたのも、虎殿のジジイだ。恩は忘れねぇ」


 「虎殿主帝のお人柄が見えるね」


 虎殿主帝を少しでも否定するように聞こえる発言が地雷であると悟った柊が、言葉を訂正して言う。波論は再び視線を前へ戻した。


 「話戻すぞ。で、その事件があってから数日後、事態は由々しい方に向かって行った。本部の上の腹黒どもはこの機を使って、気に食わねぇ俺らを追放しようと画策しやがった」


 僅かに眉間に皺を寄せながら波論は言う。


 「重々承知はしてたぜ。虎殿のジジイ以外の本部上層部は俺らを気に入ってねぇ。虎殿のジジイが贔屓する俺らのことは大嫌いなはずだ。ましてや忌み子だとすりゃ尚更な」


 「自殺した賢術師と、君らは何か関係があったってこと?」


 柊の問いに、波論は視線をずらさぬまま頷いた。


 「詳しくはそこのハゲが鬱陶しいから言わねぇが、

その賢術師は俺や與縫、特にそこのハゲとは縁があってな。それを理由に上層部は次第に、俺らが自殺に追いやったと決めつけ、俺らの返答もなしに賢術師界隈から追放しやがったってわけだ」


 鬱憤とでも言うべきか、波論の首筋に血管が浮かぶ。両眼もどこか血走っているようにも見えた。


 表情には、どこか悔しさともいうべき感情がひっそりと張り付いている。

 「本部(てめぇら)の都合で俺らが追放されんのには今更なにも、言及なんざする気はねぇ。だが、その賢術師が自殺した件に関して、奴らは俺らのせいにした挙げ句の果て、最後には結局あやふやにしやがった。どうにも俺は、それが気に食わねぇな」


 ちらりと波論は、数歩分先の豪奢な椅子に座る哲夫へ視線を送った。哲夫は波論の視線に気がついたようだったが、依然として俯いているばかりだ。


 「けっ。四〇年も前の想い出に浸って居られるご様子だ。あのハゲは確か一九か二〇かそこらだったと思うが、いつまで覚えてやがることやらなぁ」


 半ば飽きれた様子で波論は言った。


 「追放された後、俺らは目的を失い、ここら辺の森林に身を潜めた。それでも、虎殿のジジイに救ってもらった恩だけぁ忘れられず、通称、無所属の賢術師を名乗ってるってわけだ」


 「君らが追放された時、虎殿主帝は救ってくれなかったのかい?」


 柊が聞くも、波論は聞かれると思っていたと言わんばかりにすぐに答え始めた。


 「丁度、虎殿のジジイが本部に長期不在の時期と被ったことで、本部と『裁』と共同で正式に俺らの追放が決まるまではジジイに伝えられることはなかった。如何な常套句でジジイを唆したのかは知らねぇが、その後俺らの元へ来なかったってことは、まぁつまりそう言うことなんだろ」


 波論は少しだけ、唇を噛んだ。


 そこに渦巻く感情とは如何なるものなのか、柊に知る由はなかった。


 




その心中に渦巻くものとは——

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