第99話 死を賭す学術変革
山蓋地区、蓋世樹。
柱のように立つ黒煙より、燃え灰が飛び散った。
「ぐぬぬぬ……ぎぎっぬぬぬぬぬぬっ……」
火の粉と共に宙を舞う灰が大地へ降っては、シュウシュウと風に靡かれは溶けるかのように消える。
灰の降る大地に、たった一つ首が転がっていた。
「ぐぬぬぬっ……再生が間に合わない……」
それは屍轍怪の首であった。
頭の大半は焼き爛れ、唯一焼かれていない右目からは怨嗟の念が伺えた。
(分解身学術の真髄は、己の遺伝と細胞の情報を解析することで身体の再生を促す学術。如何なるプロセスが組まれていようと、如何に難解な身体であろうと、分解身学術の効果は絶大なはずだ……なぜ、再生が追いつかないのだ……!)
弱々しく呻く屍轍怪の首から、身体が再生しかけては焼けて無くなり、また再生しかけてはそれを上回る速度で焼け落ちる。
焼けるのが僅かに早く、刻一刻と完全消滅に向かっている屍轍怪の首を、発動している魔術が、苦しくもなんとか防いでいるような状態だった。
「こんなところにいたか。しぶといな」
未だ空へと昇る黒煙の中をまっすぐに突き抜けて歩いてきたのは風原楓真だ。
「[鹵赫鱗]は相手の術をぶん取って膜に封じ込め、圧縮することで威力を増強させる術式。お前とて、自分の魔術にはとても耐えられないだろうな」
屍轍怪の黒き爆炎の威力は途轍もない。それの威力を増強させたものを食らわせたというのだから、これほど身に余るダメージもなかろう。
「くぅ……覚えて……おけよ、賢術師……がぼぼほおっ……」
焼けるも辛うじて骨格のみが残る屍轍怪の口から、血が滲んでいた。
「潔く死ね」
楓真が右脚を上げ、足底に術水を纏う。
屍轍怪の首をそのまま、術水を纏う右脚で踏み潰した。ぐじゃりと音が響き、鮮血が焼けた大地に散るのと共に、屍轍怪の踏み潰された首が分解され、消えてゆく。
(波瑠明の言っていた、死んだ後に死体が消えるタイプの魔術骸か。波瑠明らの情報だと、消えた魔術骸は様々いるが、一部に共通するのは、上級の魔術骸であるということ。先日の試験会場襲撃の濤舞と如牟と言う魔術骸と、歯車の魔術骸、廃発電所周囲の森に出た骸たち、寒廻獄——それから、この魔術骸も)
やがて屍轍怪は、散った鮮血も含めて完全に消え去った。
(同胞たち)
楓真は踵を返す。
そのまま、焼けて黒焦げとなった大地に横たわる複数の賢術師の元へ足を運んだ。
「……すまない。俺の責だ。もう少し早く到着することさえ、叶っていたならば……」
焦げた大地に膝を着き、既に息のない部下の賢術師一人一人を見ながら、楓真は言った。
(先に任務があったなどと、そんなことは言い訳には出来ない。そもそも、このような状況となることを予測しなければならなかった)
「勇人、裕太、大翔、美奈、涼——」
転がる賢術師たちの顔を見ながら、弔いの念を込めて一人一人の名を呼ぶ。
「——隼也、圭佑。俺を許せとは言わない。だが、見ていてくれ。君たちの死は無駄にはしない。必ず我々が勝つ」
楓真が手を合わせ、目を瞑る。
それは追悼だった。亡き同胞たちへの。
「長官、これは……」
目を瞑る楓真の背後より、彼に話しかける声があった。しかし、声の主は状況を察し、共にその場で目を瞑る。時間にして数分。
その間、楓真は様々な思いを馳せていた。
楓真は目を見開き、ゆるりと立ち上がる。踵を返して、そこで共に目を瞑る賢術師へ言葉を投げかけた。
「来たか、優乃」
そこにいたのは女性の賢術師、赤崎優乃。楓真の直轄、本部指揮班の賢術師だ。
「……長官。何があったのですか」
「……私が、遅かったのだ。先の任務で時間をかけた結果が、このザマ。私の責だ……。私のせいで、彼らを救うことは叶わなかった」
楓真は俯きながら話す。
「魔術骸は倒したが、過ぎた時は戻らない」
悔しさを表情に滲ませながらも、楓真は顔を上げた。
「……長官。悔いは残るかも知れませんが——」
「分かっている。暫し思い込みに過ぎない懺悔を行っていただけだ。本部へ戻ろう」
楓真が優乃の肩に手を置く。
そして彼女の横を通り、楓真は歩き出した。
「わかりました」
彼女も楓真の背に着き、歩き始めた。
その時だった。
「……!?優乃っ、躱せっ!!!」
突如楓真が声を張り上げると、優乃はその場に咄嗟にしゃがみ込んだ。
頭上より黒き影が両腕を振りかぶり、楓真へ襲い掛かる。楓真は、頭上より振り下ろされた武器を幾重にも重ねた術水の壁にて受け止め、その間に優乃を守るための術水の膜を張る。
「……なっ、なぜお前が……」
幾重にも重ねた術水の壁でその黒き影を押し返す。
「屍蘇操術は本来、人間や魔術骸など命を持つ者にしか効果を示さない。だが、術者本人である俺自身が死の感覚を掴み、それを超越することで、秘められたる魔術の深淵に迫ることができ、さらにそれを引き出すことが出来た」
弾かれたことで身を退いた黒き影。
その正体は、肌や制服まで黒く染まった屍轍怪であった。それは黒灰ではない。
全身に隈なく黒い魔源を纏っており、それが外部からの一切の光の介入を阻んでいるのだ。
「分解身学術の深淵に迫るほどの余裕はなかった。だが、深淵に迫った屍蘇操術と、分解身学術の真髄、《遺伝調和》を融合することにより、俺はその深淵とも呼べる場所へ至ったのだ」
黒き屍轍怪が高らかに述べる。
「これが屍蘇操術と《遺伝調和》の融合魔術、《遺伝継承》である」
訝しげに楓真は屍轍怪へ睨みを利かせている。
「分解身学術は、濤舞という魔術骸の魔術ではなかったか。確か、先日の襲撃事件時に、餓吼影によって殺されていると報告を受けたが」
「お前たちが知る必要はない。だが、魔術とは必ずしも特定の魔術骸だけの専売特許の範疇に留まるわけではないと覚えておくことだな」
屍轍怪の話など念仏と言わんばかりに、楓真は踵を返し、優乃を振り向いた。
「優乃。部下たちの遺体を本部へ連れて帰れ。応援も呼べ」
「しかし、あの魔術骸は……」
「俺が引き付ける。応援の賢術師も含め、君たちがこの場所にいる間は、如何に四肢が捥がれようと君たちには決して近づけないとここに誓う」
楓真の表情を見て、優乃はその決意に頷いた。
「すぐに応援を呼びます。ご武運を」
「早く行け」
優乃が走り去ると、同時に楓真の背後より黒き爆炎が迫った。
「今度はすぐに死んでくれるなよ。いいや、お前が死んでも殺し尽くす」
そう言いながら、楓真は黒き爆炎に、あえて身を投じた。瞬く間に着弾した黒き爆炎が、再び大地を焼く——かと思われたが、そこに身を投じた楓真へ吸収されるように収縮し始め、やがて一点に凝縮された。
「ここで爆発したら、俺の同胞たちの遺体まで焼かれてしまうだろう」
地面を蹴り、楓真が屍轍怪へ迫る。
「お前には、俺の同胞たちの火葬はさせない。穢れた術で、俺の同胞たちを勝手に送ってくれるな」
[鹵赫鱗]にて一点に集中した黒き爆炎を掌に、楓真は迷うことなく屍轍怪の間合いへ入る。同時に[鹵赫鱗]を突き出し、それを握り潰した。
(自爆かっ……いいや、ここで爆発してしまえば、賢術師どもの死体まで諸共木っ端微塵だろう。焦ることはない。逃げることは——)
屍轍怪が目を見開く。
そして爆発する直前、屍轍怪は見た。
「なんだと……!」
亡くなった賢術師たちを囲い込むように、術水の壁がドーム状に展開されていた。それは先ほど同様、幾重にも重ねられており、大抵の爆発や衝撃ごときでは破壊出来ないだろう。
両者が肉薄する瞬間、握り潰された[鹵赫鱗]が両者を白く包み込み、派手な大爆発を引き起こすのだった。
かつて使われた学術が、変革を遂げて楓真を苦しめる——