第97話 かの時代の賢術師
俺と玲奈は蓋世樹を右手にしひたすら走る。向かっているのは、先ほどのけたたましい音が聞こえた方向だ。おそらく、刈馬さんの方だろう。
「遥希、あれっ」
「えっ……!?」
玲奈が俺の名を呼び、続いて上空を指した。
俺は上空を仰ぐ。
上空にあったのは、まるで凍った木の枝が、大地から無数に伸びているかのような光景だった。あの下で、何が起きているのだろうか。
俺らは息を呑み、さらにスピードを上げて現場へと急いだ。
「……なんだ、これ」
数分走り、俺らは現場へと到着する。
目の前でバチバチと弾けるような赤き雷と、絶え間なく花火を散らす黄色に光る炎が大地を焼いていた。その中で蠢く影が二つ。
刈馬さんと、謎の仮面をつけた人物だ。
「ここで何があったっていうの……」
「いいやわからない……。そもそも刈馬さんが戦ってるあの仮面のやつ、魔術骸か?これ使ってるの、明らかに術——」
喋っている刹那、俺らの目の前に赤き雷が迫った。
「!!?」
咄嗟に目の前に術水で壁を構築する。
先日の術水球破壊鍛錬の後、少しだけ柊先生から教えてもらった術水での基本構築技術だ。
俺の作った術水の壁に赤き雷が衝突する。瞬間的に俺の術水の壁は砕かれ、それが俺と肉薄する。だが、後方から透明な波紋が靡き、その赤い雷が迫るのを僅かに減速した。
玲奈の術式だろう。
それにより僅かに出来た隙で術式を発動する。
[炎帝焦楼]。
包み込んだものを蝕む炎の膜を正面に張り巡らし、さらに術水をありったけ注ぎ込んで強度を上げる。
元々この術式は敵の攻撃を防御するということに特化しているわけではないが、他の術式に比べてみれば、最も防御が可能だ。
そもそも包み込んだものを蝕む炎、少なからずこの赤き雷も減力してくれるはずだ。
「おりゃっ……!!」
時間にして数秒。俺らが押し続けると、目の前の赤き雷はようやく弾け、明後日の方向へ軌道を逸らしていった。
「あっぶね……」
「壁を作るならちゃんとやんなさいよ」
ぴしゃりと玲奈が俺に言う。
もっとも、玲奈の援護が無ければ今頃あの雷に焼かれていたかもしれないのは事実だ。
「とりあえず、状況を——」
そのとき、俺の言葉をかき消すほどの爆音がこの場を支配した。凄まじい爆風が迫り、俺らは再び術水の壁を構築する。
「な、なんだっ!!?」
ビュオオオオオオッと吹き荒れる爆風が縦横無尽に俺らを襲う。だが、先ほどの赤き雷に比べれば耐えられぬほどではない。
俺らはひたすら術水の壁を補強し続け、吹き荒れる爆風をなんとか耐え凌いだ。
「ふぅ、止まったかしら……」
「しかし、なんて爆風だよ……一体なにが……?」
透ける術水の壁越しに、目の前の光景へ目を向ける。そこには巨大な黒きキノコ雲が立ち込めていた。ところどころ、バチバチと雷が迸っている。
そのキノコ雲の中から、人影が飛び出してきて、丁度俺らの数メートル先に着地した。
「あれれ、君たち来ちゃったのかい?」
全身にとてつもない量の術水を纏いながら、笑顔をたたえてそう話しかけてきたのは、刈馬さんだ。
刈馬さんは、正面に立ち込めるキノコ雲を睨みつつ、背後の俺らへ意識を向けていた。
「は、はい。一体、何が……?」
「今はあんまり説明してる暇はないかな。それより君ら、ここに居たら死ぬよ」
その時、キノコ雲を縦に真っ二つに割りながら、天へ昇るほどの稲妻がそこに出現する。
天を衝く稲妻があたりに炎を散らしながら、勢いよく刈馬さんの方へ迫った。
「もう数十メートルは離れておきなっ!」
俺らへの警告と共に、刈馬さんは自身に迫った天を衝く稲妻を受け止めた。
ズガガガガガッと大地を抉り焼き、なおも勢いの止まらぬ稲妻がけたたましい轟きを鳴り渡らせる。刈馬さんの姿が逆光で見えなくなるほどの輝きに、俺らは目を開くことすらままならない。
「《尽斬印》、一式——」
僅かに、この場一帯を照らしていた稲妻の輝きが弱くなる。同時に見えるようになった刈馬さんの両腕に、碧色の球体が現れていた。
「おぉ、こりゃ凄いね。[碧牆尽]が二個でも包み込めないの?」
刈馬さんの頭部にもう一つ、全く同じ碧色の球体が出現する。途端に、その稲妻は急激に威力を減少させていき、輝きが瞬く間に消え失せた。
「三個ならいけるか。よし、受け止めてみなよ」
三つの碧色の球体に、先ほどの稲妻が納められていた。天へ昇るような先ほどまでの轟きは、もはや見る影もない。
「なかなか倒れん奴だ」
真っ二つに割れたキノコ雲の立ち込める大地を悠然と歩き、姿を現したのは先ほど一瞬だけ見えた、不気味な髑髏を模したような仮面をつけた人物だ。
現れた仮面の人物へ、刈馬さんが手に握った三つの球体を投擲した。
「ふん。これほどの力がありながら、その程度の扱いしか出来ぬか。惜しいものだ。お前には、とても過ぎた代物らしい」
斜め頭上より迫る、稲妻を凝縮した三つの碧色の球体を見据え、仮面の人物は右手をき出した。そこに雷と火が収束すると、瞬く間に膨れ上がる。
同時にそれが前方へ撃ち放たれ、三つの碧色の球体を貫いた。
「へぇ。それは容易に貫けはしない代物だけどね」
顔色を変えず、事実を述べるかのように刈馬さんは言葉を発する。
稲妻を無理矢理押さえつけていた碧色の外殻が崩れ、その中の稲妻が大地に溢れ落ちた。大地を広範囲に焼きながら、再び地を這う稲妻が刈馬さんへと迫った。
「返してやる」
「あぁ、要らない。《狂寒印》三式——」
刈馬さんの目の前に凍てつくような術印が展開される。そこから冷気が溢れ出し、詠唱と共に冷たい輝きを発した。
「[凛寒冷淘汰砲]」
前方より迫る稲妻に向かって撃ち放たれたのは、焼けた大地すらも凍て付かせる真っ白な砲撃だ。
稲妻を飲み込んだ真っ白な砲撃はその場で凍てつき、その動きの一切を停止させる。
「君の目的はなんなんだい。そう簡単に僕を殺すことは出来ないと分かっただろう、大人しく話したほうがいいよ」
稲妻と、それに焼かれた大地が凍てつく最中、刈馬さんが離れた場所にいる仮面の人物へ言う。
しばらくして、仮面の人物も言葉を発した。
「目的、か。オレの目的を知ったところで、ここでお前を逃すようなことはしない。聞きたいとあらば、それは冥土の土産に他ならぬ」
仮面の奥より発せられる声には、明らかな怒りのようなものが込められていたような気がする。言葉と共に全身から滲むように溢れる術水が、それを歴然と、ものがたっているのだ。
「お前たち、現代の賢術師は衰えた。これでは来る日、厄災の《闇渦》により飲み込まれ、全てが滅びる時が訪れれば、儚くこの世界も散ることになろう」
「忌み子が昇華した存在のことかな。厄災の《闇渦》と言うのは初耳だね」
首を傾げて刈馬さんが言う。
「君は、僕らを現代の賢術師と言うけど、そう言う君はじゃあ、どこの時代かからやって来たってことなのかな?」
仮面の人物は押し黙った。
「君の使っていた《雷火印》、という術印を、僕はとある書物で見たことがあるんだ」
俺や玲奈は初耳だ。
柊先生には、『万』に登録されている数十種類の術印に関する情報は聞かされているが、その中にも《雷火印》と言う術印はなかったはずだ。
「英傑伝承譚——かの時代、その時を生きた屈指の賢術師たちが魔術骸との大戦に勝利を収め、それまでの戦乱の物語を著した書物。それで僕は、《雷火印》と言う術印を見た。そして、その使用者も」
微動だにせず、仮面の人物は話を聞きながら立ち尽くしている。それに構わず、刈馬さんは言葉を続けた。
「《雷火印》は、たった一人、ある者が開発した術印にして、その者にしか使用できなかった、極めて高難易度の術印。その使用者は、かつて深賢樹海を収め、奇しくも僕と同じ右座の地位を賜っていた男——魔洲與縫」
一息置いて、刈馬さんは前のめりになって、その仮面の人物へ問いかけた。
「君は、魔洲與縫か?それとも——」
仮面の人物が僅かに顎を引く。
「忌み子、尾盧與縫か。今は、どちらなんだい?」
仮面の男の正体とは——?