第9話 顕現する可能性
「おっと、駆け付けてみたは良いものの、決着ついたっぽい?稔にせっかく任せて来たのに」
如牟襲来から二〇分、柊波瑠明が『万』へ現着した。既に黒煙が上がっており、凄まじい術水の放出の跡が見られた。
柊がゆるりと地面に降り立ち、状況を睨む。
そこでは、迦流堕と久留美が術式を放つも、ギリギリで肉体の再生を終えた如牟が白夜の牢獄を展開して威力を相殺していた。
「《顕現印》仮想実現」
柊が詠唱する。柊の体から瞬く間に多量の術水が放出され、やがて蒼白い光を帯びる。
次の瞬間、『万』を真っ二つに分断する様に蒼白い壁が展開される。術水の壁は建物を透過しているのだ。
この辺一帯を分断しているため、満身創痍の如牟に壁の反対側まで回って来れる道理はない。
「迦流堕ー、久留美さん」
「やはりこの壁はお前か、波瑠明」
壁の向こうに透けて、如牟の姿が見える。迦流堕と久留美を柊側、如牟を反対側に相対する様に術水の壁は展開されたのだ。
「賢学に襲撃ってんでどんな不届者かと思えば。君、濤舞ってやつの知り合い?」
柊が壁の向こうの如牟に話し掛ける。壁で少々互いの姿が見えづらいものの、声までは透過するため問題なく会話出来る。
「お前が、柊波瑠明か」
「やだー、俺って魔術骸界隈で有名人?名前って広がるもんなんだね」
如牟が苛立ちを露わにする。
「癪に障る」
「君らが人間を殺し、喰うから、俺らも均衡を守るために君らを葬るしかないの。共存なんてできると思ってないし、これからも俺らは君らを葬り続ける」
「己の名が広く知れ渡り驕っているのかも知れぬが、いずれそれを撃ち砕く罰が降る事だろう」
如牟の言葉に、柊がふっと笑いを溢す。
「滑稽だね。まるで負け犬の遠吠えみたいだ」
会話の間に身体の治療をある程度済ませると、如牟は浮遊し始める。この場から去るつもりだろう。
「逃げられると思ってる?俺の教え子に手を出しておいて、まんまと逃げ延びるなんて許せないな〜」
「次に会うときには——ぬぁ!?」
魔源放出を強め、浮遊速度を速める如牟だったが、後の祭りとはこの事。
「《顕現印》空想実現」
柊の詠唱の直後、如牟は突然、無抵抗に地面に叩き付けられた。叩き付けられた後も如牟の身体は一切動かない。
「何だ……身体が動かぬ」
如牟が目を見開く。如牟の身体の周囲の空間がぐにゃりと歪んでいるが、それも柊の能力だ。
(先程のあの男の[黒牢呪縛]とやらとは比べ物にならぬ……これは一体——)
「俺の術印は、可能性を現実化させる《顕現印》。俺が可能性を妄想するだけで、そのほぼ全ての可能性を思うままに実現できる」
柊は発動中だった仮想実現を解く。
先程まで『万』を分断していた蒼白き術水の壁が雪の様に溶け、やがて消滅した。
「ちなみに、仮想実現は簡単にいえば術水を思うままの形に変形して顕現させる。今君が動けないのは、空想実現の術式で、【重力が倍になる可能性】を局所的に顕現したから。俺が術式を解かない限り、君はここから逃げられないって訳」
如牟が歯を食いしばって柊を睨め付ける。しかし状況は何ら変わらず。
倍の重力が纏わりつく如牟の動作は鈍速だ。
「長話もあれだよね」
柊が如牟を頭を鷲掴みにする。
「ちなみに俺は俺の術式の影響を受けないから」
可能性の重力を操作する事で、頭を鷲掴みにされながらも如牟は身体を締め付けられる事で身動き一つ取れない様子だ。
「最後に目的だけ喋ってよ。一年生の試験会場を襲ったあの二節棍の魔術骸は君の配下か何か?そういえば妙な歯車を使う奴もいたな」
「死んだところで喋る訳もないのである」
柊はニコッと笑う。
「君が喋る気ないなら、もう用済み。あんまり拷問とかしてる時間もないから」
柊は掌握した如牟の頭蓋をぐしゃりと握り潰した。
可能性の重力も作用し、頭蓋の跡形も残らない。残った肉片も、可能性の重力がミンチにし、地面には最早鮮血しか残っていなかった。
それを見た迦流堕が思わず口を出す。
「お、おい波瑠明っ!目的を喋らせなければ……」
後ろから迦流堕が柊に鋭い視線を向ける。
「大丈夫。拷問とかしてる時間、はっきり言って無いし、どうせ喋らない様な奴にいつまでも構ってるだけそもそも時間の無駄だ」
「確かにそうだが……。一年は無事か」
はぁ、と溜息をついた後、迦流堕が問う。
「あぁ、何とか。でも意識不明者がいるから、一刻も早く由美と眞樹に治してもらわないと」
「生徒に頼る姿勢。お前ほど強い賢術師にも妥協というものはあるのだな。全く、最強、妥協して恐々に没すとは言ったものであろう」
「久留美さん、俺は別に登能にへこへこする訳じゃないですよ。まぁどうせ俺の術式では治せないし、どのみち頼むしか無いでしょう」
久留美が納得した様に頷く。
「で、虹と流聖は?」
「由美が治療中だ」
「おっけい。行ってくる」
賢学内へ、柊はゆるりと歩いて行った。
***
柊先生が『万』へ向かった直後。
「じゃ、俺たちも戻りましょうか。尾盧と姫狗さんを早く賢学に連れて帰りましょう。眞樹より早く賢学に着いても、故馬先生に治して貰えば——」
「分解身学術」
稔先輩の言葉を遮る様に言葉が被せられる。
「誰っ!?」
「主らに我の分解身学術を受講させてやろう。万に一希望した者は、私の分解身学術の礎と成れる権利を与えてやる」
稔先輩の背後に巨大な影が突如現れた。
「動くなかれ、江東稔。破った瞬間、受講への叛逆の意思と見做し、処刑する」
稔先輩の背後から発せられる声には聞き覚えがあった。俺を連れ去ろうとした、あの二節棍の男の声とそっくりで、悍ましい声をしている。
しかし懸命な判断か、稔先輩は一切身体を動かさない。
油断も隙もなく、稔先輩は目を鋭く見張るのみだ。
「その子を離しなさい。あなたは誰?」
美乃梨先生が二節棍の男に問う。
「名乗らぬのは失敬と言うべきか。我が名は濤舞。そこの日野と澪は分かるのではないか」
「美乃梨先生、俺を連れ去ろうとした二節棍の男です。気を付けてください」
「波瑠明が言ってた魔術骸ね」
濤舞は空を見上げる。
「予想通り、彼は化け物だ。我の分解身学のモルモットになって欲しいものだ。彼が実験対象になれば、幾分、分解身学が推進することだろう」
濤舞が言っている彼とは柊先生のことだろう。しかし、あの男は柊先生に殺されたはずでは……。
「あんた、柊先生に殺されたんじゃなかったの?」
隣で俺の思う事を代弁する様に澪が問う。
「分解身屈指の傑作だったのだがな。とは言え分解身は分解身。柊波瑠明が相手では我の最高傑作を投入しようとも、呆気なく葬り去られるだろう」
「波瑠明が殺したのは……あなたの分身体って事?」
美乃梨先生が濤舞から情報を出し抜く様に冷静に問う。以前として稔先輩の背後から出て来ないあたり、濤舞自身も慎重にこちらの出方を伺っているのか。
「半分正解と言ったところだ。柊波瑠明に殺されたのは、我の細胞の一部を分解し、分解身学術に基づいて融合することにより創り出した、分解身。対象の細胞をそのままコピーする形で創り出す分身とは若干異なるのだよ」
得意げに話す濤舞の頭上に、術印が展開される。
「叛逆の意志を見せたね——」
「[地表断裂]っ!」
稔先輩が動き出した。詠唱の直後、稔先輩と濤舞の足元の地面が割れ、ゴゴゴゴッと轟音を立てて地震が起こる。割れた大地に飲み込まれた二人だったが、しかし術者である稔先輩は一人でその中から這い出てくる。
「危ない掛けに出るものね、稔」
「どうせ背後から刺されて終わりでしたよ。俺の術式であいつが身動きを取れないうちに……」
「我が受講させてやると言っているのに、叛逆の意思があると判断した。これより、連帯責任で君ら全員を処刑する」
雪崩の様に陥没した地面から、ヌッと濤舞が這い出てくる。
「詠唱が足りなかった…やはり半端では弱いか」
「俺と澪も戦いますよ。足手纏いにはなりません」
俺は稔先輩の横へ歩く。だが、その行手を美乃梨先生が阻んだ。
「美乃梨先生?」
澪が不思議そうに美乃梨先生を見つめる。
「二人、は尾盧と姫狗を連れて賢学に戻りなさい。稔と私でこいつは片付ける」
「そんな、俺たちも戦いますよっ!」
俺に続いて澪も声を張る。
「みすみす逃げるなんて行動はしたくないです」
「逃げるんじゃない。君たち一年は、あくまでも試験のためにここへ来た。それを守るのが、私たち教諭の仕事なのよ。それに、尾盧と姫狗は全身骨折の可能性だってある。一刻も早く賢学に連れて帰らないと」
美乃梨先生が俺たちを見る。
「……」
「あと、この事は波瑠明に伝えて。二度は言わない。行って」
美乃梨先生が視線を濤舞に移す。お優しいことに、濤舞は何やら俺たちを待っている様だ。でも、戦いに移行した瞬間、奴は即座に俺たち四人を殺しに掛かるだろう。
決めるなら今しかない。
「……日野、ここは先生と先輩を信じて行きましょう。それよりも、この事を柊先生に伝えた方がいい」
澪の言葉にハッとする。柊先生さえいれば、恐らく勝ちは確定するだろう。
そちらの方が助けになると言うならば。
「柊先生を呼んできます。すぐに」
「よろしく頼んだぞ、日野遥希、澪玲奈。美乃梨先生と俺の生死は君たちに掛かってる。まぁ、あいつを二人で殺せばなんら問題はないがな」
苦笑しながら稔先輩が俺たちの背中を押す。
術水操作に慣れていないため、尾盧と姫狗を浮遊させる事は出来ないが、それなりの出力で振動を与えない様に保護する程度なら出来る。俺が尾盧を、澪が姫狗を背負い、この場を二人に任せて駆け出した。
「お話は終わったか。どうせ君たちを殺してすぐに彼らにも追いついてあげよう」
濤舞が笑いながら言う。
「なんだ、柊先生を呼ぶなら先に一年を殺しに掛かると思って身構えてたが、そりゃ驕ってるのか?」
「あの者たちは殺せずとも、柊波瑠明が来る前に貴様らを殺して退散するとしよう」
濤舞の身体より魔源が溢れ出る。魔術を使用する気だ。
それを見逃す訳もなく、美乃梨と稔が即座に行動を開始した。
vs.濤舞戦、上級レベルの魔術骸に美乃梨、稔が挑む。