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休日の昼下がり

ヴィルヘルムと呼ばれるその街は、この国の貿易の要である。主要都市へ繋がる街道沿いに位置しており、関所に近い土地柄、国内外の人間の多くが足を運んでいる。珍しい品々を求め、遙か遠方よりヴィルヘルムを訪れる者も少なく無い。



昼の歓楽区。

飲食店が密集するこの一帯を目指し街中から人々が押し寄せる。この時間帯の混雑を知る街の者は敢えて歓楽区の食事時を選ぶことはないが、その日は珍しい顔ぶれが訪れていた。


「たまには街へ出向いてみるものだね。つい散財してしまった。ハッハッハ」


オープンテラスの端の席に案内され、ようやくといった様子で腰を下ろす人影が2つ――席に座るなり、間延びした声を弾ませ、ご機嫌な様子でひとりが口を開いた。

それは、魔術師が好むような暗い色のローブを纏った女性だった。日没後の空を思わせる紫色の大きな瞳に、左肩の辺りでひとつに束ねられた新緑の長髪。何より目を引くのは、彼女の両腕だった。彼女の腕は羽で覆われており、また、ローブの裾からは猛禽類の脚を覗かせている。彼女が鳥類由来の獣人族であることは一目見れば明らかであった。


獣人族もあまり見かけない種族であるが、正面に座るもう1人は別格だ。黒と紫を基調としたフォーマルな服を身に纏う男で、まず背の高さと細さで目を引く。腰ほどまで伸ばした白銀色の髪と、そして何より、エルフ族特有の長い耳が特徴的だった。


一生のうち、エルフ族を見たことがある人間というのは稀である。エルフ族は森の奥深く、彼らが"聖域"と呼ぶ場所に暮らしており、まず人前に姿を現すことがない。厳格で、気品の高い、神秘と謎に満ちた妖精族。そんな彼らを伝承上の存在だと思い込んでいる者も未だ数多い。

しかし、ヴィルヘルムの者であればこのエルフ族を知る。普段この辺りに顔を出すことは無いが、彼もまたヴィルヘルムのギルドに長年勤める、この街の住民だ。

当のエルフ族は両手の荷物を下ろしながら、やや不機嫌そうな表情を浮かべ目の前の女性に目をやった。


「けっ。いいご身分だな、トルマン。朝から叩き起されて荷物持ちさせられる身にもなれ。人様の休暇の邪魔しやがってよ」


そして、端正な顔立ちからは想像もつかない粗暴な口調で文句をひとつ。生まれも育ちも人間社会であるというこの男は、エルフ族のイメージを(ことごと)く壊していく事でも有名である。


ギルドの仕事は多忙である。特にこの男はそれなりに責任のある立場であるが(ゆえ)、まとまった休暇というものはとりわけ貴重だ。

だが、実の所を言えば今日は本来この男の休暇では無かった。職場の者と急遽休日を入れ替える事となったのだ、それが決まったのも昨日の話である。

そのせいで現在目の前の獣人族……トルマンの買い物に付き合わされる羽目となった。要は荷物持ちだ。


休暇中に無理やり連れ回している点については彼女も思うところがあるようで、遠慮がちに肩を竦めていた。

「悪いとは思っているさ。だからこうして昼食をご馳走しているじゃあないか、エルフ殿」

エルフ、そう呼ばれた男はトルマンの謝罪にはまだ納得はいっていないという様子でため息をつく。


種族名で呼ぶのは無体であるが、この男に名前が無いため他に呼びようがない。厳密に言えば名乗ろうとしないのだが、この辺りでエルフ族と言えばこの男の事だと皆が判断できる上、男自身も今更"エルフ"以外の呼ばれ方をするのはどうもしっくり来ないらしい。また、長らくこの呼び名をサインとしても使用している為、変えるに変えられないというのが実情である。


さて、そんなエルフの態度に、今度はトルマンの方がふうと息を吐いた。

「そもそもだ。突然ヴァルグ殿と休暇を入れ替える君が悪い。こちらが先に彼と買い物の予定を入れていたのだが?」

「仕事の都合は仕方ねーだろ。つーか普段アイツに荷物持ちさせてんのか」


ギルドのメンバーに狼の獣人族がいる。名はヴァルグと言い、エルフと同期で、休日の入れ替えを行ったのも彼である。大柄で見た目は恐ろしいが、気立てがよく面倒見がいい。トルマンはそんな彼に好意を寄せているのだ。


「私には君たちのような便利な腕は無くてね。ああ、君と違っていつも快く引き受けてくれるよ。"こちらの事は気にせず必要なものを買うといい"、とね」

ウットリとした表情を浮かべ、トルマンは目を細める。脳裏に前回一緒に買い物をした時の光景でも思い浮かべているのだろう。

「へーへーそーかい今日の荷物持ちは狭量で悪かったな」

そんなトルマンにエルフは呆れ半分で悪態をついたのだった。


「お待たせ致しました。ローストチキンとハーブサラダです」


2人の会話が途切れたタイミングで、料理を乗せたトレーを手にウェイトレスがやってきた。

「どうも。ああ、いい香りだ」

トルマンの正面にローストチキン、エルフの正面にハーブサラダが手際よく並べられる。あまりこの辺りに食事へ来ないエルフでも、この店の名前は聞いたことがある。よく評判は耳にしていたのだが、実際に料理を目にして納得する。色とりどりの野菜と果物が使用されたハーブサラダ。この国ではあまり見かけない食材もあり、なかなか目を楽しませる。ローストチキンも絶妙な焼き加減だ。

ウェイトレスが下がった後、ようやく昼飯かとエルフがフォークを手に取る。ふと視線を感じて顔を上げると、笑顔でエルフの方を見つめるトルマンと目が合った。

トルマンは1度自分の料理に目を向け、待つように口を開けた。

「何で口開けて待ってんだお前は」

「ん?ここで野性的な作法を披露する訳にはいかないだろう?」

「はあ?食わせろってか?そこまで世話焼かなきゃなんねえのかよ」

トルマンには器用に物を持つ手は無い。そんな彼女の言う野性的な作法とはおそらく丸かじりなのだろう。同じテーブルで食事をとる身としては勘弁願いたい、とエルフは苦い顔をした。それから渋々といった様子でチキンを切り分け、程よい大きさにカットしたものを口に放り込む。


しかし、トルマンはヴァルグと何度か買い物に来ているのではなかったか?こうして共に昼食を取っているのであれば、と、エルフの中でひとつ疑問が浮かぶ。


「つうか、アイツ(ヴァルグ)との時はどうしてんだ?」


狼獣人族のヴァルグであるが、人間のもに近い発達した指を持っている。だが、武器を握る事には適しているものの、ナイフやフォーク、ペンを使うような細やかな作業は苦手だ。こうして誰かに食べさせる所の話ではない。

話の意図が伝わったようで、トルマンはウンウンと頷き、チキンを咀嚼し終えてから話し出した。

「彼との時はこういう所に来ないよ」

来ないのかよ、とエルフの体が滑った。

「なら何で今日ここに連れて来たんだよ」

「気まぐれと言うやつだね」

「ハァーもうなんでもいいからさっさと食って帰れお前。俺も暇じゃねえんだよ」

トルマンの言葉に、今日は朝から散々に振り回されている事を思い知り、エルフにドッと疲れがのしかかった。だが、このエルフという男は律儀なもので、乱暴に食事を口の中に押し込んだり、急かしたりはしなかった。何だかんだこの男も面倒見はいいのだ。


ふとトルマンの中で、そのエルフの姿がある人物と重なった。トルマンが今の姿ではなかった遠い過去、人間に拾われた頃の記憶。

「……ふふ」

気付けば笑い声を漏らしていた。

その声にエルフが反応し、怪訝を通り越してやや殺気立った表情を浮かべてトルマンを睨んだ。どうやら自分を笑ったのだと思い気を悪くしたらしい。

「何笑ってやがんだ」

「悪い。違うんだ。昔を思い出してね」

その言葉を聞いて、エルフは殺気を散らせた。首を傾げるエルフに、トルマンは言葉を続ける。

「私の"師"にこうして食べさせてもらったなあと、少し懐かしい気持ちになったのだよ」

「ああ。そういや弱ってる所を拾われたんだったなお前」

エルフは納得したように頷いた。トルマンが思い出していたというのは看病を受けていた頃の生活なのだろう。


2人の付き合いもそこそこに長く、エルフはトルマンの事情というものもある程度把握している。

トルマンの"師"というのは「傷の竜」討伐に貢献した魔術師だ。その他魔法分野においても、多くの功績を残した人物でもある。

その偉大な魔術師の名をトルマンと言う。目の前にいるトルマンは、師の名前を受け継いだ唯一の弟子だ。瀕死のところを保護され、傷が癒えた後はそのまま助手のような事をやていたよとトルマンは感慨深そうに語った。

「ま、彼の気まぐれに救われた命さ。かれこれ50年も前の話だが」

トルマン曰く、どうも実験動物ような扱いで拾われたのがきっかけなのだという。だが、そう語る彼女の顔は穏やかなものだった。

トルマンが昔を懐かしむ姿を見て、最初はやれやれと肩を竦めていたが――ふと、エルフが視線を落とした。

「なあ」

「どうしたんだい?」

トルマンがエルフの方を見る。エルフの手は止まっていた。

「お前。そいつの顔、覚えてるか?」

頬杖をつき、視線を落としたまま呟くようにエルフは尋ねた。このとき、トルマンは少し驚いたように目を見開いた。


エルフがトルマンの事情を知るように、トルマンもまたエルフの事情を多少は知っている。

彼は――エルフは、訳があって、過去の記憶の一部を失っている。

おそらく年齢によるものもあるのだろうが、大切な人物の顔や声を、ある時唐突に思い出せなくなったのだ。エルフもトルマンもその原因を知っているし、そして記憶が戻ることがない事も判明している。

どうにも出来ないことを思い知らされたのが、かれこれ30年程度前だったか。そう、おおよそ30年。立ち直ったのかと思っていたが、その事をずっと引きずっていたらしい。


だが、強情でプライドの高いこの男の事だ、同情の類いなど一切求めてはいないだろう。そう考えたトルマンは、口から出るままいつも通りの返事をする。

「ああ。私にペンを握る指と絵の才能があれば、ある程度特徴を捉えた似顔絵を描き出せるだろうね」

「……」

少し沈黙を置いたあと、エルフは「そうかい」と鼻を鳴らし、僅かに口端を上げた。しかし、どこか自責するように目は伏せられたままだった。


長い沈黙が落ちそうになった時、トルマンがふとエルフに尋ねた。

「そういえば君、この休暇で墓参りに行くんだって?」

エルフはまとまった休暇の際、古い友人の墓へ掃除に行く。あまり人に話していない事を知らないはずの相手から尋ねられ、エルフは若干動揺を浮かべながら、しかし悟られまいと平静を装った。

「なんで知ってんだよ」

「ヴァルグ殿に聞いたのさ。私も連れて行きたまえよ」

なぜ教えたと一瞬同僚の顔がよぎったが、後に続いた言葉に意識が全て持っていかれた。エルフの目が驚きで見開かれる。

「なんでそうなる」

「気まぐれと言うやつだよ」

「はあ?」

「道中に君の昔話でも聞かせてくれ。話してるうちに思い出せる事もあるかもしれないしね」


何を言い出すのか、絶対に阻止してやろうといきり立っていたエルフの勢いがその言葉で削がれた。瞬きを繰り返すエルフを眺め、トルマンは目を細めて笑う。

威圧感を覚えるその笑顔を見て、エルフは間もなく観念したようにため息をついた。


「……はあ。好きにしろよ。断っても着いて来るだろその感じ」

仕方ねえな、とぶっきらぼうに言った後、エルフは手をつけていなかったハーブサラダをようやく口に運び始めた。

そんな彼の姿を見て、トルマンどこか満足そうに頷いた。

「ははは、では当日はよろしく頼むよ。友よ」

「誰が友だ」

図々しい奴だな、と吐き捨てるエルフの表情はどこか機嫌が良さそうだった。

部下「え!? 食べさせてあげるなんて仲良いッスね」

エルフ「いや、ただの食事介助だぞあれ」


■登場人物


エルフ

→エルフ族の剣士、ギルドのお偉いさん。186歳。人間社会出身


トルマン

→鳥類獣人族?の、魔術師の女性。エルフとは30年の付き合い


ヴァルグ

→話に出てきた狼獣人族の男。ギルド所属でエルフの同期


トルマン(偉大な魔術師)

→トルマン(女性)の師、こちらは人間の男。人類史上に名を残す偉大な魔術師。既に亡くなっている

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