第三章 真相
「水と備蓄食糧は、だいたい一月ぶん、ってとこか」
丸一日かけて船内の備品をチェックし終えて、オメガが言った。
おそらくはこの日に備えて博士が準備していたのだろう。船倉には入りきるだけの食糧と水が蓄えられていた。だがそれとて、もちろん無限にあるわけではない。コロニーにいるときは水も食糧も自給されていたが、それには大規模な設備とエネルギーが必要であり、大きいとはいえ船の内部ではそれは望むべくもなかった。
とすれば、何もせずにただ宇宙を漂っているだけでは、彼らは緩慢な死を待つばかりだということだ。食料の尽きる一月後までに、何か行動を起こさねばならない。
「とは言っても……どうすればいいんだ?」
途方に暮れたようなオメガの呟きに、リリィが応えた。
『現在の座標から一時方向に約五千キロメートル進むと、母星の幹線軌道に入ります。……百年前と変わっていなければ、ですが』
「母星の、幹線軌道?」
聞きなれない言葉に、アルファが首をかしげる。
『母星からコロニーや宇宙ステーションへ行き来するための軌道です。定期的に多数の宇宙船が通行しているため、偶発的に遭遇できる可能性も高いと思われます』
「そうか、遭遇した宇宙船に救援信号を送れば、助けてもらえるかもしれない」
アルファが、納得した様子でぽんと手を打った。
「そんなにうまくいくか?」
「でも、やってみるしかないでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
まだ納得しきっていない顔のオメガに対し、アルファはすでにやる気満々だった。
「じゃあリリィ、早速その幹線軌道に向かって!」
『了解しました』
一時間ほど後、戦艦リリィは幹線軌道にたどり着いていた。
備え付けのレーダーを全方位に展開して、周囲を通行している宇宙船をサーチする。
『半径五キロメートル以内に、宇宙船と思われる反応をひとつ捕捉しました』
リリィの機械音声が告げた言葉に、オメガは目を丸くした。
「え? 本当に見つけちゃったのか?」
「やったぁ! あたしたちってすっごくラッキーなんじゃない?」
アルファがはしゃいだ声を出して喜ぶ。
『早速接触しますか?』
「もっちろん! ねぇ、オメガ?」
当然とばかりにうなずいたアルファに、オメガが慌てた声を上げた。
「お、おい、まだ相手がどんなやつかもわかんないんだぞ? 海賊か何かだったらどうするんだよ!」
『応戦します』
リリィの機械音声が即答した。どこか楽しんでいるような響きを感じたのはオメガの気のせいだったのだろうか?
「お、応戦するって……」
「そうよ、リリィは戦艦なんだから、海賊なんかには負けないわよ」
呆気に取られているオメガとは対照的に、アルファはすでにその気になっている。
「あ、あのなぁ。いくらリリィが戦艦だからって、オレたちにはそれを使いこなす技術なんて……」
『心配無用です。この戦艦の装備はガイド用人工知能である私が全て統制します。あらゆる状況をシミュレートした結果をもとに戦略を立てるため、熟練した操縦士にも引けを取りません』
心なしか誇らしげに聞こえる、リリィの声。
「そうなんだぁ。リリィってすごいね!」
単純に喜んでいるアルファを横目に見ながら、オメガは小さく呟いた。
「……もしかして、リリィはただ船の装備を使ってみたいだけなんじゃ……」
『そんなことはありません』
自分だけに聞こえるように呟いたつもりのオメガだったが、リリィの高性能センサーはそれを聞き逃さなかったようだ。
「みゃあ」
頭を抱えてため息をつくオメガのそばで、彼を慰めるように猫型ロボットのミュウが小さく鳴いた。
『対象艦の映像を捉えました。モニターに映します』
リリィの言葉に続いて、操縦室前面のモニターに船の姿が映し出された。
コロニーでは見たことがない形状の船だ。外から見た限りでは、ほとんどの船に標準装備されている護身用の小さな機銃以外には特に兵器の類は見当たらない。船首部分に掲げられた黄色い花を模したマークはどこかの国旗か、それとも社章か何かだろうか。オメガたちには見覚えのないものだ。
「かなり大きな船だな。商船かな?」
「少なくとも海賊船じゃないみたいね」
『そのようですね。特にこちらに敵対的な様子はないようです』
応えたリリィの声は、かすかに残念そうな響きを帯びているようだった。
『救援メッセージを送信します』
リリィの声とともに、モニターの右端に"send message"の文字が点滅する。
相手の船からの返答はすぐにかえって来た。ピコン、と電子音がする。
『映像通信を求めてきています。つなぎますね』
リリィの言葉にオメガがうなずくと、モニターに中年の男の顔が映し出された。小太りのその男は、銀色の見たこともない素材の服に身を包み、その禿げ上がった頭に小さなベレー帽をかぶっている。
「救援信号を確認した。君たちの船はどこの所属だ?」
彼はモニター越しにオメガとアルファの顔を見て、その幼さに驚いたようだった。
「所属……えっと、オレたちは第七コロニー『テラツー』から来たんだ」
「第七コロニー、テラツーだって?」
オメガの答えを聞いた男が、顔色を変える。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
明らかに慌てた様子でそう言うと、男は一方的に映像通信の接続を切った。
「何よあれ、感じ悪い」
口を尖らせてアルファが呟く。オメガもそれに応えてうなずく。
「明らかに何か隠してる感じだったな。オレたちのコロニーがなんだってんだ?」
「ちょっと向こうの様子を『視て』みようか」
アルファがいたずらっぽい瞳でオメガを見つめた。と思ったときには、オメガの答えも待たずにすでに自分の額に手を当てて『力』に集中している。彼女の空色の瞳が、青白い光を放った。
彼女が意識を集中して感じ取っているのは、先ほどまでの映像通信に使っていた電波の"残り香"だ。それを辿って相手の船にまで『力』を飛ばし、船内の様子を『視る』のだ。
「よし、『視え』た! リリィ、音声を電波に変換して送るから受け取って」
「了解しました。スピーカーに出力します」
はしゃいだ声を上げたアルファに、リリィの機械音声が応えた。
『おい、やばいぞ。あいつら、テラツーの住民だって……』
直後、スピーカーを通じて操縦室の中に響き渡ったのは、向こうの船内で交わされている会話だ。
『テラツー? じょ、冗談ですよね? 生き残りがいたっていうんですか?』
『オレだって信じられないさ! あそこは完全廃棄されたはずなんだからな』
スピーカー越しの切れ切れな声が、相手船内の慌てた様子をオメガたちに伝える。
「……完全廃棄、って?」
聞きなれない単語に、アルファが眉をひそめる。
「どういうことだ?」
オメガも不審げに首をかしげ、スピーカーに耳を澄ます。
『そもそも計画の段階で成功する見込みはまったくなくて、五十年は持たないはずだって聞いたぞ? もうとっくに全滅していると思ってたんだが……』
『計画の段階で? 何でそんな計画たてたんですか?』
スピーカーから聞こえてくる衝撃の事実に、アルファとオメガの表情がみるみる険しくなっていく。
『決まってるだろ。……口減らしだよ』
「口減らし……」
オメガが、呻くような声で呟いた。
『母星の人口が増えすぎて食糧やなんかを自給しきれなくなったから、その対策として千人単位の人間をコロニーに完全移住させた。それが「テラツー計画」だ』
商船の船長らしき男が、いささか興奮した様子で説明し続けている。リリィの操縦室でそれを聞いているオメガとアルファは、身じろぎひとつできなかった。
『だけど実際は、ホルモン異常による生殖能力の消失を予測していながら、それを解決できないまま強引に計画を実行したって話だ。もちろん、計画に参加する移住者たちには知らせずに、な。要は人口問題がそこまで切迫していたってことなんだが……移住者たちは母星に切り捨てられたんだ』
『じゃ、じゃあ、もしかして、あいつらはオレたち母星の人間に復讐しようとしてるとかっ?』
もう一人の男が、うわずった声を上げる。
『ありえないことじゃないな。あの船見てみろ。あれは明らかに戦艦……それも、おそらくは海賊船だ』
『た、大変だ! 早いとこ逃げないと! こんな船じゃひとたまりもありませんよ!』
『そうだな……おい、船を出せ!』
あたふたと指示を出し始める商船内の会話を、オメガはどこか遠い世界の話のように聞いていた。驚くべき話を一度に聞かされて、とてもにわかには整理できない。
だが、彼らの話がまったくのデタラメだとは思えなかった。
今思い返してみれば、オメガたちの住むコロニーには、不可解な点があった。
生殖異常や〈獣化〉といった絶滅の危機に瀕していながら、彼らはなぜ母星に助けを求めなかったのか。母星とコロニーは決して接触不可能なほど遠く離れているわけではないというのに。
だが、商船の船長の話を真とするならそれは理解できる。コロニーの人々は母星に接触していなかったのではない。おそらくは何度も何度も、母星の助けを求めたに違いない。
だがそれは決して受け容れられなかったのだ。……彼らの住むコロニー「テラツー」は、計画の開始段階ですでに母星に見捨てられていたのだから。
「オレたちは……見捨てられていたのか」
オメガが苦しげに呟く。
全ては母星にとって、想定済みの出来事に過ぎなかったのだ。コロニーの住民たちの苦しみも、その絶滅も。
そして、博士の死も。
「……」
オメガは言葉にならない怒りに唇を噛み締めた。あまり強く噛み締めたものだから唇が破れ、その端から血が滴る。
ふと隣を見ると、アルファが悔しそうにうつむいている。その顔は青ざめて紙のように白くなり、今にも卒倒しそうだ。
オレは、彼女を護らなければならない。
オメガは再び、その思いを胸に刻み込んだ。
「リリィ、船を出してくれ」
唐突にオメガが、決意に満ちた表情で告げた。
「……オメガ?」
アルファが不思議そうに顔を上げる。
母星の人間たちにとって、想定外のことがひとつだけある。
それは、アルファとオメガの存在だ。
博士の必死の研究によって、テラツーのクローン技術は母星のそれを遥かに上回っていた。
彼によって創り出された二人は、母星の人間たちの予想に反して、テラツーの滅亡に際しても生き残ることができたのだ。
ならば。
オレたちが、母星に復讐してやる。オレたちの生命を弄んだ母星の人間たちに苦しみを味わわせてやるんだ。
オメガは、暗い炎をその瞳に宿して呟いた。
「やつらがオレたちを海賊と呼ぶなら、そうなってやろうじゃないか」