第二章 発進
ぷしゅうぅっ。
騒がしい音を立てて重い扉が横にスライドする。
オメガとアルファの二人は、コロニー地下の格納庫に初めて足を踏み入れた。
「これは……戦艦だ」
そこに収められた巨大な機影を目にし、オメガが小さな呟きを漏らす。
格納庫にあったのは、多数の機銃と砲台を備えた巨大な戦艦であった。機体に刻まれた無数の傷や、厚く降り積もった埃が年代を感じさせる。
「……博士に聞いたことがある。このコロニーの最初のリーダーは元宇宙海賊で、その時に使っていた船がコロニーの地下に眠っているって」
アルファが驚きを隠せない様子で呟いた。注意深く見てみれば、船首の辺りに刻み込まれた紋様は――だいぶすり減ってはいるが――髑髏のようにも見える。
「じゃあこれは、百年以上前の海賊船、ってことか? ……これ、動くのか?」
「ちょっと待って、『視て』みる」
そう言ってアルファは戦艦の機体に手をかざした。すると、その空色の瞳がかすかに青白い光を放ちはじめた。
〈感応力〉。そう呼ばれるアルファ特有の能力。本来は人間の意識や心を『視る』ための力だが、こうして人間以外の物体の気の流れを感じ取ることによってその状態を知ることもできる。彼女が生まれつき持っている特殊な力だった。
「……悪いところはないみたい。動かせそうよ」
「そうやって、むやみに『力』を使うと博士に――」
博士に怒られるぞ。深く考えずにそう言おうとして、オメガは口をつぐんだ。
アルファたちが生まれながらに持っている特殊な力は、博士が生涯をかけて研究したクローン技術の応用による人工授精技術の、いわば副産物とでも言うべきものだった。その力にはまだまだ解明できていない点が多く、それが使用者にどのような影響を与えるかわからない、ということで、アルファやオメガは遊び半分に『力』を使うたびに博士にきつく叱られたものだ。
だが、もはや自分たちを叱る者には二度と会うことができない――。
改めてそのことに思い当たり、オメガは思わず言葉を失ってしまう。
「オメガ、入ってみようよ」
重苦しくなりはじめた空気を振り払うように、アルファが戦艦の乗降口の丸い扉に手を掛けた。埃に塗れたそれを開けようと、手に力を込める。
「鍵が、掛かってるみたい」
「電子錠か?」
「ううん、旧式の機械錠みたい。オメガ、あなたの『力』で開けられる?」
アルファの問いに、オメガは首を横に振った。
「鍵の構造がわからないと無理だよ。内部の様子が見えなきゃ」
「じゃあ、あたしが鍵の内部を『視る』から、オメガはあたしに同調して」
「わかった」
オメガが頷くのを確認して、アルファが鍵穴に右手をかざした。再び、その空色の瞳がぼんやりと輝く。オメガがアルファの左手を、自分の右手で握った。
指と指が触れた途端、オメガの身体をアルファの『力』が駆け巡った。全身の細胞が活性化するような強い衝撃のあとで、オメガの脳裏に鮮明な映像が浮かぶ。青白い光で構成された鍵穴内部の映像だ。
「よし、『視え』た」
アルファにそう告げて小さく頷くと、オメガは自分の脳裏の映像に意識を集中した。その瞳がぼんやりと輝きはじめる。アルファの青白い光とは違い、オメガの瞳が放つ光はろうそくの炎のような鮮やかな橙色だ。
オメガは脳裏に浮かぶ映像の中で、鍵が外れる様子をイメージする。
かちゃり。扉の内部で、鍵が外れる小さな音がした。
オメガはただ鍵穴に手をかざしているだけで、鍵自体はおろか扉にも一切手を触れていないというのに。
手を触れることなく物を動かす〈念動力〉と呼ばれる能力。それがオメガの生来の『力』だった。有効に使うには対象となる物体が目で見えていないといけないが、アルファの〈感応力〉と組み合わせれば、今のような芸当も可能だった。
「入ってみようよ」
「待って、オレが先に行くよ」
早速扉を開こうとするアルファを押しのけて、オメガが扉を掴んだ。不服そうに口を尖らせるアルファを無視して扉を握る右手に力を込める。
ギギイィッ。
不気味な音を立てて、丸い扉がゆっくりと開く。あらわになった戦艦の内部は当然のことながら真っ暗だったが、生まれつき暗視能力を持つ二人には何の障害にもならなかった。
扉を開けてすぐのところに取り付けられた金属製の梯子を掴み、オメガが中に入っていく。すぐ後ろからアルファがそれを追いかけた。
「意外と綺麗だね」
梯子を上りながらアルファが呟いた。
「うん。壁とかの劣化もほとんどないみたいだ」
先に梯子を上りきったオメガが船の内壁をチェックして言った。
梯子の上は小さな踊り場のようになっていて、目の前にもうひとつ大きな扉があった。内部の空間を外から隔絶するための機密扉だ。
「この扉、開けられるかな?」
「今度のはきっと電子錠だろうから、オレの『力』じゃどうにもならないな。アルファ、パスコードを『視る』ことはできないか?」
「どうだろう。試してみるね」
オメガに向かって小さく頷いて、アルファは扉の脇にあるパスコード入力用の端末に手をかざした。
『アルファ、オメガ、よく来ましたね』
その瞬間、船内に女性の声が響き渡った。声にわずかに違和感がある。電子的に合成された人工音声のようだ。
『私の名前はリリィ。この船のガイド用人工知能です。あなたたちがここに来るのを待っていました』
「リリィ……」
オメガが、小さく呻いた。
『私は、博士によって作られ、この船に設置されました。あなたたちが来たら全力でサポートするよう、博士に言われています。どうぞお入りください』
ぷしゅうぅっ。
リリィと名乗るAIの言葉に呼応するように、機密扉が中央から左右に割れてスライドした。扉の奥に、ぴかぴかに磨き上げられた操縦室が見える。
アルファが、急に怖気づいたようにオメガの服の裾をぎゅっと握りしめた。
「行こう」
彼女を勇気づけるようにその手を取って、オメガは扉の先に足を踏み入れようとした。
「みゅー」
その時、オメガの足元でなにやら音が聞こえた。何かの鳴き声のようだ。
「ん?」
それに気付いたオメガが、足元に目を落とす。
「あ、ネコだ!」
同じくオメガの足元を見たアルファが呟いた。
そこにいたのは確かに猫だった。とはいっても生き物ではない。
このコロニーには、衛生上の問題から原則として人間以外の動物は一切存在していない。その代わりに造られたのが、ペット型自律ロボットだった。母星におけるペット用動物を模して造られたロボットたちは、愛玩用として多くの住民たちに飼われていた。それらは光発電装置によって半永久的に駆動するため、〈獣化〉の惨禍によって主人が死した後も生き残り、今もコロニー内のあちこちを動き回っているものも多い。
この猫型ロボットも、おそらくそうして主人を失ったはぐれペットだろう。
「迷いネコか?」
「ねぇ、オメガ。この仔も連れてっていい?」
そう言いながら、アルファはすでに猫をその胸に抱き上げている。
「本気か?」
「うん。だってこの仔……あたしたちとおんなじだわ」
どこか遠くを見るようなアルファの瞳に、オメガは胸の奥を衝かれるような気がした。
「オレたちと、同じ?」
「うん。この仔もあたしたちも、大切なひとにおいていかれちゃったんだもの。ねぇ、連れて行ってもいい?」
アルファの哀しげな瞳を、オメガは正視できなかった。
「……かまわないよ。アルファがそうしたいなら」
目をそらしたまま、小さく呟く。そんなオメガの様子に気付かぬげに、アルファがうれしそうな声を上げた。
「やったぁ! 連れていってもいいって! よろしくね、ミュウ」
「ミュウ?」
「この仔の名前。みゅうって鳴くから、ミュウ。いいでしょ?」
心からうれしそうに、アルファが猫型ロボットに頬を寄せる。その顔を見たオメガは、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「ありがとな、ミュウ」
こうして二人と一匹は宇宙戦艦「リリィ」に乗って、宇宙へと飛び出したのだった。
行くあてはない。そして、彼らの先に広がる宇宙は――無限だった。