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STARDAST TWINS  作者: sagitta
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第一章 別離

 金属の枠で四角く区切られた強化ガラスの向こうに、無限の宇宙が垣間見えた。

 少年は数多の星々の輝きに見入りながら、小さくため息をついた。美しい銀の髪が、コロニーの廊下を照らす白銀灯の光を受けて冴え冴えと輝く。

 宇宙の無限さに比して、自分たちのなんとちっぽけで、有限なことか。

 広大な宇宙を目の前にしながら、少年にはそれをただ眺めることしかできない。

 最初の世代が母星を旅立ち、このコロニーに住み始めてから百年以上の歳月が流れている。コロニー内で生を受けた少年にとって、窓の向こうは近くて遠い世界だった。彼らを守るコロニーの分厚い壁を一歩越えて宇宙に飛び出した瞬間、少年の命はいともたやすく尽き果てるだろう。

 いや、いっそのこと。このまま宇宙へと飛び出してしまえたら。

 そうすればこれほどの孤独に耐えずに済むのだろうか――。

 少年のとりとめのない思考がさらに奥深くへと歩を進めようとしたその時。

「オメガ!」

 静かなコロニーの廊下に響いたのは、ガラスの鈴を転がしたように澄んだ高い声。

 振り返った少年の視線の先に、まだ幼い少女の姿があった。年の頃は十を少し数えた頃だろう。肩口で切り揃えられた美しい金髪。かつて地上に降り注いだという氷の結晶――“雪”を思わせる、透き通るように白い肌。そして、地上から見た“空”と同じ色をしているという、青い瞳。

 髪の色と長さを除けば自分と瓜二つの少女の姿を、オメガと呼ばれた少年は熱のこもった視線で見つめた。

 オレは独りじゃない。

 オレには彼女が――アルファがいる。

 オレは彼女を護らねばならないんだ。死ぬことなど許されない。

 密かに決意を新たにしたオメガの思考は、アルファの焦った声によって遮られた。

「オメガ、大変なの! 博士が!」



 二人が駆けつけた時、彼らによって博士と呼ばれている中年の研究者は、重い鎖で部屋の壁に縛り付けられていた。鎖を力づくで引きちぎろうと試みたのだろう、むき出しの手首や足首についた赤黒い傷跡が痛々しい。

「博士! どうしてこんな……」

「来るなッ!」

 慌てて駆け寄ろうとするオメガを、鬼気迫った博士の声が押しとどめる。

「……博士?」

「アルファ、オメガ、私に近寄るんじゃない……」

 幼さの残る顔一杯に驚きの表情を浮かべるオメガに、博士が苦しげな声で告げた。

「オメガ、あれ」

 アルファが何かに気付いた様子で、オメガの服を引っ張った。オメガが彼女の方に目をやると、彼女は震えながら博士の顔を指差している。

「……(あか)い目」

 オメガもそれに気付き、苦々しい声で呟く。灰色がかった青色だったはずの博士の瞳が、血のような鮮やかな赤に染まっていた。

 (あか)い目――それは、忌まわしき〈獣化〉(ライカンスロピィ)の証だった。

「ぐおおぉっ!」

 博士が苦しげなうめき声を漏らす。苦悶に満ちたその顔は血管を浮き上がらせて醜く歪み、引き裂かれんばかりに開かれた口からは牙のように長く伸びた犬歯が覗いている。その表情はまさに獣じみていた。この忌まわしき病が獣化と呼ばれるゆえんである。

 〈獣化〉(ライカンスロピィ)。それはまさに、コロニーを襲った類を見ない大災厄だった。

 母星を飛び出したコロニーの最初の住民たちは、環境の激変によるホルモン異常により突如生殖能力を失った。滅亡の危機に瀕した彼らは必死の思いで当時まだ実験段階だったクローン技術を研究し、その応用による遺伝子操作と人工授精で子孫を作ることに成功したのだった。コロニーの第二世代の住民たち、つまり最初の住民を除く全ての人間がクローン技術によって生まれたのである。

 そこに現われたのが、〈獣化〉(ライカンスロピィ)の脅威だった。ある種の遺伝病であるそれは、クローン技術によって誕生したコロニーの人間たち全てに例外なく襲い掛かっていた。原因は解明されていない。クローン技術の応用による人工授精と遺伝子操作の工程に何らかの問題があることはわかっていたが、その具体的な原因は未知のままだ。

 その発症率は――恐るべきことに――百パーセントだった。発症の時期は定まらず、二十歳になる前に発症するものもいれば五十代後半になってようやくという場合もあったが、高齢で死に至るよりも前に誰もが必ず発症した。絶望して自ら死を選んだ者を除いて、発症を免れたものは一人もいなかった。かつては住民千人を数えたこのコロニーが、今やオメガとアルファ、それに博士を残すばかりとなっているのは、そのためであった。最後に唯一残っていた博士が発症するに至って、本当に一人の例外もなく、全ての第二世代の人間が〈獣化〉(ライカンスロピィ)(あぎと)に捕らえられた事になる。

 〈獣化〉(ライカンスロピィ)を発症して、生き残っているものもまた皆無だった。脳の主要器官を侵すこの病は、発症すると患者の理性を破壊し、凶暴化させる。患者は激しい破壊衝動に突き動かされ、目の前のあらゆるものを破壊しつくし、殺しつくす。そして、全てのものを破壊し終わると最後に自分の肉体そのものを破壊し、息絶えるのである。

 ある者は自らの子供を喰らい、ある者は最愛の妻と互いに殺し合い、そしてまたある者は自身の心臓をえぐり出して死んでいった。

「……アルファ、オメガ。私はもう助からない。わかるな?」

 博士が二人の子供たちに穏やかな声をかけ、彼らをまっすぐに見つめた。幼い子供に言い聞かせるような、優しい声。理性を侵そうとする病の力を精神力で無理矢理押さえ込んでいるのだろう、額には脂汗がにじんでいる。

 彼は、凶暴化した自分がオメガやアルファを襲ってしまわないよう自らを鎖のついた拘束具で壁に縛り付け、その鍵を排水溝に投げ捨てたのだ。

 博士は、オメガとアルファにとって親とも言うべき存在であった。いや、実際彼が二人を創った(・・・)のだから、まさしく親というべきだろう。オメガとアルファが誕生したとき、コロニーはすでに〈獣化〉(ライカンスロピィ)によって絶滅に瀕していたから、二人がまともに話したことのある人間はほとんど博士だけだと言っても良かった。あらためて考えるまでもなく、博士は二人にとってかけがえのない存在であった。

 アルファは博士の赤く染まった瞳を正視できず、唇を噛んで俯いた。そんな少女をかばうようにオメガは一歩進み出て、博士の視線をまっすぐに受け止めた。

 彼とて、その視線を受け止めるのはひどく苦しいに違いない。食い破りそうなほどに噛み締められた唇の端から、わずかに血がにじんでいる。

 だが。

 オレが、アルファを護らなきゃいけないんだ。

 その一念だけが、彼をしてその苦しみに耐えさせていたのだ。

「わかるな?」

 博士が再び問うた。赤く染まった瞳はまっすぐオメガたちに向けられている。

「……うん」

 オメガは痛みに耐えるように歯を食いしばったまま、小さく頷いた。

 それを見て、博士は震える唇の端を持ち上げた。もしかすると、微笑んだのだろうか。彼は苦しげにひとつ大きく息をつくと、震える声を絞り出した。

「お前たちは私の、私たちの最後の希望なんだ。どうか……生きのびてほしい」

 切なる響きを帯びたその声は、二人の心を強く締めつけた。

 アルファとオメガの二人は、博士が生涯かけて研究したクローン技術の粋を集めて創られたこのコロニー唯一の「第三世代」の人間だった。〈獣化〉(ライカンスロピィ)に対して文字通り命を懸けて研究を行なった博士は、すでに生まれている人間の発症を止めることはできなかったものの、新しく創り出す生命に関してはその危機を取り除くことに成功している。すなわち、博士によって創られたアルファとオメガはこのコロニーで唯一、〈獣化〉(ライカンスロピィ)の脅威から解放された存在なのだ。

「このコロニーの生命維持装置は、まもなく停止するだろう。地下に脱出用の宇宙船が格納してある。お前たちはそれに乗って、今すぐここを離れるんだ」

 脂汗が額を伝うのを拭おうともせず、博士は懸命に言葉を続けた。

 それを聞いたアルファが、顔色を変える。

「嫌だ! あたし達は博士と一緒にいるよ!」

 アルファが叫んだ。彼女の青い瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。秀麗な顔を歪めて泣きじゃくりながら、少女は叫び続けた。

「あたしは、博士と最後まで……」

「頼む!」

 少女の悲鳴のような泣き声は、博士のはっとするほどに強い調子の声に遮られた。

「まだ私の理性が残っているうちに……私の目の前から消えてくれ」

 赤い瞳から、一筋の涙が滴り落ちた。

「理性の全てを失い、憎しみに歪んだ姿を、お前たちには見られたくない」

「……でも!」

 なおも言い募ろうとするアルファを、オメガが肩を掴んで制した。

「行こう、アルファ」

 短く言ってアルファの手を取り、博士に背を向けて部屋の扉に向かって歩き出す。

「でもオメガ、博士が……」

「いいから行くんだ!」

 強い調子で少女の言葉を制する。

 オメガの脳裏には、博士が〈獣化〉(ライカンスロピィ)によって最愛の妻を失った日の事がまざまざと浮かんでいた。

 博士の妻リリィは、博士の目の前で〈獣化〉(ライカンスロピィ)を発症して凶暴化した。そして牙のような犬歯をむき出し、鬼のような形相でオメガに襲い掛かろうとした。博士はとっさに護身用の拳銃を掴み、妻に向けて引き金を引いた――。

 最愛の妻を埋葬したあと、博士はオメガにこう漏らした。「何よりも、記憶に残る妻の最後の顔が醜く歪んでいたことが悲しい」と。

 オメガは乱暴にアルファの手を引き、扉の前に立った。しゅっ、と空気が抜ける音がして圧力弁が開き、扉が横にスライドする。そこを抜け、背後で扉が再び閉まるまで、二人は振り返らなかった。それが最後の別れになるのだと、オメガはわかっていた。

 彼の耳に、博士が小さく呟く声が聞こえた。

「僕の大切な子供たちよ、どうか生き延びてくれ」

 博士は静かに目を閉じ、小さく微笑んだ。

「リリィ……僕はやっと君の元にいける」

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