02 木宮光雅
「ケイちゃん落ち着いた?」
「うん……何とかね」
ケイとアイリが六階のベンチに腰を下ろしてから、かれこれ二〇分が経過していた。ベンチ横の自動ドアの先は駐車場になっており、利用客らが度々行き来している。
「悪いわね、せっかく誘ってくれたのに」
「そんな事気にしなくていいって」
アイリは優しく言うと、六階に来てから購入したペットボトルの緑茶の残りを飲み干した。
「病院行った方がいいのかしらね」
ケイは空のジュース缶を指先で突きながら、ぼそりと言った。そんな姉を、アイリは気遣うように見やる。
「木宮さん……今のわたしと同じ、高三の時に亡くなったんだよね。急性心不全、だっけ」
「そう。本当に突然だった」ケイはゆっくり顔を上げ、ぼんやり天井を見やった。
木宮光雅は、ケイの高校時代の同級生だ。明るくさっぱりした裏表のない人柄だったため、生徒たちだけでなく、教師陣にも軒並み好かれていた。
ケイは二年時のクラスが光雅と同じで、最初の席替えで隣同士になったのをきっかけに仲良くなり、その年の秋には二人で映画を観に行く事になった。それを知るや否や、当時一〇歳だったアイリは、観ていたバラエティ番組そっちのけで騒ぎ出した。
「ケイちゃん、それってもうデートじゃん!」
「そんなんじゃないわよ。ただ一緒に出掛けるだけ」
「そういうのをデートって言うんだよ!」
「大袈裟よ」
「デートじゃないなら、じゃあアイリも付いて行ってもいいよね?」
「こらこら」
母にたしなめられると、アイリは舌をペロリと出した。
「今度の土曜日だっけ? ケイ、お父さんにも一応言っておくのよ」
「何でよ。別にいいでしょ」
「一応よ、一応」
映画を観に行った日以降も、二人だけで出掛ける事は何度かあった。進級時には再び同じクラスとなり、周囲には付き合っているのではないかと度々勘違いされたりもした。
「まあ、高校の間だけでしょ。卒業したら続かなくなるよ」
二人の中を勝手にやっかんだある女子生徒が、そう陰口を叩いているのを耳にした事もあったが、ケイは特に怒りを覚えなかったし、むしろ彼女の言う通りだとさえ思っていた。
しかしその考えは、違った意味で外れる事になる。
三年の夏休み明け、涙ぐんだ担任の口から最初に告げられたのは、光雅の死だった。
「幻覚じゃないと思うよ」
アイリが静かにそう言うと、ケイはゆっくり振り向いた。
「ケイちゃんが見たのは、本物の木宮さん……の幽霊だったんじゃないかな。何かしらの意味があって、ケイちゃんの前に現れたんだと思う」
「意味?」
「例えば、何か伝えたい事があるとか」
直後、アイリのバッグから某男性アイドルグループの歌声が流れ始めた。
「あ、電話みたい」アイリは慌ててスマホを取り出した。「友達からだ。何だろ。はいもしもーし……」
──伝えたい事……?
仮にアイリの推測通りだとして、光雅は一体何を伝えたかったというのだろうか。今生の別れ? それにしては遅過ぎる。
──というか、言葉は何も聞いていないのよね。
鏡越しに目撃した光雅は無表情で、何か言おうとしている様子はなかった。
──でももし、本当は何か言いたかったのだとしたら……。
ケイは唾をゴクリと飲み込んだ。
──また現れる……?
「うん、わかった。わざわざ電話ありがとね。それじゃ月曜日!」
アイリの通話はすぐに終わった。
「学校の友達から。間違えてわたしのボールペン持って帰っちゃってたって、わざわざ連絡くれたの」
「そっか」
「ねえケイちゃん、お腹空かない? 実はわたし、朝はトーストだけだったから、そろそろエネルギー切れになりそうで……あ、もう駄目~」
アイリはわざとケイにもたれ掛かった。
「そうね、そろそろ何か食べに行きましょうか」
「よし来た! わたしパスタが食べたい!」
「じゃあ三階ね」
空になった缶とペットボトルをゴミ箱に捨てると、二人は六階を後にした。
「何にしよっかなー。ボンゴレはこの間食べたし……カルボナーラかジェノベーゼかなー」
エネルギー切れはどうしたんだと言いたくなる元気な足取りのアイリを見ているうちに、ケイも少しずつ元気を取り戻してゆくのを感じた。
──昔からそうだ。わたしが沈むと、この子が引っ張り上げてくれる。
「ねえねえ、ケイちゃんは何にする?」
「向こう行ってからじっくり決めるわ」ケイは微笑んで答えた。