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ボーイ・イン・ザ・ミラー  作者: 園村マリノ
第二章

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09 追跡

 一二時三〇分、カフェ〈竜胆〉前。


「本当に行くのか? 緋山」


「今更引き下がれるわけないでしょう」


〈タイヨウドラッグ〉までは徒歩一五分足らず。複雑な道のりではないため、まず迷いそうにはなかった。


「わかった」凪はケイに向き直った。「何かあったら、その時は俺が緋山を守る」


「あら、それなら逆じゃない」


 ケイはブレスレットを左手首に装着し、札をジャケットの右ポケットに忍ばせた。少々頭が出てしまったが、じっくり見ない限り気付く者は少ないだろう。


「凪の分のアイテムはないんだから、わたしが凪を守らないと。そうでしょう?」


「お、おう……」


 二人が歩き出してから約一〇分後。二箇所目の横断歩道で信号待ちをしていると、見覚えのある人物がケイの視界に飛び込んだ。


「あの人……多分、雨野さんよ!」


「何処だ」


「ほら、ここ渡った先のY字路の左側を歩いている、赤茶色いベリーショートの女性。後ろ姿だけど、背格好からして間違いないと思う」


「ああ、あの人か。今から出勤って事か?」


「おかしいわね。お店は右の方よ。あっちじゃ逆方向」


「そもそも何の荷物も持ってないよな。いやでも、シャツの上にエプロン着けてるっぽいぞ。あれって店のじゃないのか」


 二人が顔を見合わせると同時に、信号が青に変わった。


「嫌な予感がするわ。走りましょう」


「昼飯買いに行くだけならいいんだけどな!」


 信号待ちしている間に距離は開いていたが、雨野らしき女性の歩速はそれ程速くないため、すぐに追い付きそうだった。


「雨野さん!」ケイは走りながら女性に呼び掛けた。「雨野さんですか?」


 あと数メートルで手が届くという距離まで近付いた途端、女性は突然走り出した。


「え、ちょっ!?」


「お、おい!」


 ケイも凪も、足は速い方だ。しかし女性は少しずつ二人との差を広げてゆく。


「ち、ちょっとストップ……」


 三〇メートル程進んだ地点でケイが右脇腹を押さえて立ち止まると、先を進んでいた凪も足を止めて振り返った。


「どうした緋山!」


「き、急に走り出したから……」


「無理するな。先に行ってるから」


「駄目よ、凪一人じゃ危ないわ!」


「けどよお……」


 そうこうしているうちに、女性は角を曲がって姿を消した。凪は迷っていたが、結局ケイの元へ戻って来た。


「大丈夫か」


「ええ。ごめんなさい」


「しかし流石に妙だ。ありゃあ完全に逃げてるよな」


 ケイははたと気付いた。


「あれ……待って、そういえばあの気味の悪いオーラが見えなかったわ!」


「え、マジか」


 ──人違い?


 ケイは女性の後ろ姿を思い返した。女性と雨野は特徴が一致している部分が多かった。凪が言っていた通り〈タイヨウドラッグ〉のものと思われる、朱色のエプロンも着けていた。偶然被ったにしては出来過ぎている。


「どうする緋山、引き返して店に行ってみるか? もっとも、さっきの女性が別人だったとしても、あの様子は何かありそうだが」


「……いえ、追いましょう」


 ケイは二回大きく深呼吸した。脇腹の痛みはだいぶ治まってきている。


「恐らくあの人は雨野さん本人よ」


 角を曲がり、裏路地を進むとT字路に突き当たった。女性の姿は左右どちらにも見受けられない。


「分かれるぞ」


「でも──」


「札を二枚共貸してくれ。雨野さんに会ったら一枚渡す。あと矢も二、三本。そんなもんで大丈夫だろ。ほら、もたもたしてると見付からなくなる」


 ケイが言われた通りに札二枚と矢を三本手渡すと、凪はパーカーのカンガルーポケットに無造作に突っ込んだ。


「じゃあ、俺は右に行くから緋山は左。見付かったり何かあったら連絡くれ」


「わかったわ」


「無茶はするなよ」


「あなたもね」




 ケイは新旧住宅が建ち並ぶ閑静な住宅街を進んだ。幸いにも一本道が続いているが、雨野どころか人っ子一人の気配も感じられない。


 ──こっちじゃなかったのかしら。


 ある古い平屋の前を通り過ぎた時だった。


「ちょっと、ねえ、そこのあんた」


 刺々しい声に振り向くと、少しだけ開いた平屋の窓から、六〇代半ばくらいの女性が顔を出し、睨むようにケイを見やっていた。


「あんた、友達?」


「え?」


「さっきここを通り過ぎた、派手な色をした短い髪の女の友達?」


 ──!


「は、はいそうです! あの──」


 ケイが近付こうとすると、平屋の住人は露骨に顔を歪めて拒否反応を示した。


「すみません、その人何処に行ったか──」


「墓地だろうねえ!」


「……墓地?」


「この先に民家はないし、坂を登ると行き止まりで墓しかない。善紅寺(ぜんこうじ)が管理している墓地がね。

 それよりもさあ、あんたの友達! あたしが買い物から帰って来て門から家に入ろうとしたら、後ろから走って来てぶつかったんだよ! あたしゃよろけてもう少しで転ぶところだったってのに、あの女は謝るどころか、鬼のような形相で睨んできたんだよ!」


 今のあなたみたいにですか、という言葉が出掛かったが、ケイは飲み込んだ。


「頭きたから怒ってやろうと思ったら、今度は犬みたいに唸ってさ! 何なのさあれは! あんなの異常者だよ、異常者! 昔の言い方するならキチ──」


「やめてくださいそんな言い方」


 ケイ自身が驚く程冷たい声が出た。嫌な思いをしたのは事実だろうし、怒りを覚えるのも無理はないが、あまり同情出来なかった。

 平屋の住人はギョッとした様子を見せると、何かブツブツ言いながら窓とカーテンを閉めて姿を消した。

 ケイは慌てて再び走り出した。


 ──墓場って……嫌な予感しかしないじゃない!


 平屋の住人の言葉通り上り坂に差し掛かった。両端を竹藪に覆われ陽が射さない様子に、ケイの不安は更に募った。


 ──無事でいて!


 上り坂は、距離は短いが意外ときつく、運動不足のケイの脚には応えた。それでも途中で止まる事なく走り切ると、こぢんまりとした墓地が姿を現した。

 何処か遠くから鳥の鋭い鳴き声が聞こえてくる以外は不気味な程静かで、ケイが一歩進む度にザリザリという足音が響いた。


 ──!!


 様々な種類の墓石が建ち並ぶ中、最奥列の更に一番左奥に、追っていた女性の姿があった。こちらに背を向けた状態で、目の前にある木を見上げている。ケイは角の墓石の陰に隠れると急いで凪にメッセージを送信した。


〝こっちにいた〟


〝ずっとまっすぐすすんで坂のぼった墓地!〟


 スマホは元々しまってあったリュックの外ポケットではなく、ジャケットの右ポケットに入れた。そしてリュックからもう一つの黒水晶のブレスレットと、念のために破魔の弓と矢を一本取り出すと、意を決して墓石の陰から歩み出た。


「……雨野さん?」


 反応はない。


「雨野さんで間違いないですよね」


 変わらず反応はない。


「わたしです……奏子の姪の緋山ケイです」


 女性は木を見上げたまま微動だにしない。


「大丈夫で──」


 ケイは気付いた。雨野の右手に、ロープのような物が握られているのを。


「駄目……駄目です、雨野さん」


 ケイがゆっくりと慎重に近付いてゆき、雨野との距離がほんの二、三メートルにまで縮まった時だった。


「あら緋山さん!!」


 突然、張り上げるような大きな声と共に女性が勢い良く振り返った。

 ケイは驚いて体をビクつかせ、その場に固まった。


「こんにちは緋山さん! こんにちは!」


 女性は間違いなく雨野茉美子だった。しかしその表情は異様としか言いようがない。血走った目は忙しなくキョロキョロと動き、ニッと笑う口角は不自然に吊り上がっている。


「あ、雨野さん……」


「緋山さんそれ何?」雨野の視線がケイの手元に注がれた。「それ何緋山さん。緋山さんそれ何?」


「雨野さん、こ、これを……」ケイは右手でブレスレットを差し出した。「魔除けの黒水晶です……今の雨野さんには必要なんです、絶対に」


「いらない」雨野は淡々と答えた。


「でも──」


「いらないって言ってんの」


「雨野さん」


「いらないいらないいらないいらない」


 雨野はブンブンと首を振りながら呪文のように言い続けた。


「いらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいら──」


「やめて!!」


 ケイが悲鳴に近い叫び声を上げると、雨野は顔をニヤニヤさせ、やがて堪え切れないと言わんばかりに()()()()笑い出した。

 ケイはオーラが見えなかった理由を理解した──あの化け物は雨野茉美子に完全に憑依し、一体化してしまったのだ。

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