11 問い
「それじゃあお先に失礼しまーす!」
「あ、お疲れ様でーす!」
「鈴ちゃんまた明日!」
英田鈴蘭は、レジで暇そうにしている店長や後輩店員と挨拶すると店を後にした。テナント従業員用の通路を進み、警備員の荷物チェックが終わると外に出る。一八時を過ぎているが空はまだまだ明るい。やはり早番はいいものだ。
駅に向かう途中、女子高生三人組がキャーキャーと騒ぎながら対面からやって来た。
「マジウケるんだけど~!」
「ギャハハッ! 超キモ~い!」
「もっと上手くいじれっての! これじゃあたし幽霊だろっ!」
どうやらスマホで撮影した写真の加工に失敗し、それが彼女たちのツボにハマったようだった。
──幽霊、か。
つい一昨日まで、数日間ではあったが生霊に悩まされていた身としては、つい反応してしまう。
──……いや待てよ。そういえば前にも変な事があったんだったな……。
去年の事だ。客が来ず暇だったため、散らかりがちだったレジ周りを整頓していた英田は、ふと視線を感じ顔を上げた。客が来たのかと思ったのだが、マネキンのコーディネイトを変更しているもう一人の店員以外に誰の姿もなかった。
その時は気のせいだと判断し、接客が忙しくなるとすぐに忘れてしまったのだが、翌日以降も度々同じような事が続き、流石に妙だと思い始めた。他の店員たちに何気なく聞いてみたが、誰も同じ経験はしていなかった。
一箇月近くが経過したある日、店舗の視察のため、東京の本社から社長がやって来た。これといった問題は起こらなかったが、社長は帰り際に妙な事を口にした。
「ちょっと良くないのがいるねえ」
「問題のある店員がいましたか」
強張った顔付きで店長が尋ねると、社長はかぶりを振った。
「そうじゃないよ。入口付近の目立たないところに塩を盛っておきな。ね?」
意味深な言葉に戸惑う店員たちにはお構いなく、社長は「じゃあ頑張ってね~」と手をヒラヒラ振りながら帰って行った。
「え、さっきのどういう意味?」
「何か怖いんだけど」
英田を含めた店員たちは不安がった。店長は自分の休憩時間中に塩と小皿を購入すると、早速社長に言われた通りに入口付近の死角にセットした。
「よくわかんないけど、ま、とりあえず置いときましょ」
するとそれ以降、英田は謎の気配を感じなくなった。後日、ヘルプでやって来た別の店舗の店員から聞いた話によると、社長の実家は代々拝み屋を営んでおり、後を継がなかった社長本人にも霊感があるらしいとの事だった。
──すっかり忘れてたけど、まさか、あの時から……?
だとすれば、凄まじい執念だ。英田は改めて薄ら寒いものを感じたが、それ以上にすっかり呆れてしまった。
── お店が駄目なら直接家まで、って? そんな気力があるなら、新しいまともな男探せっつーの!
拓篤は本当に最低な男だ。死後はきっと地獄行きだろうし、何だったら一度生き地獄を味わわせてやりたいとさえ思えるが、あんなゴミクズにこれ以上関わるのは時間の無駄だ。
〝むしろ、降ってきた隕石を拾って、直接殴りたいですかね〟
隣人・緋山が真顔で言ってのけた台詞を思い出し、英田は噴き出しそうになった。
──緋山さんにもそのうち、去年の事を話しておこっかな。
英田は軽い足取りで駅へと入って行った。
同時刻、ケイの部屋。
〝またクソジジイがウザかったんだけど! 早く一人暮らししたい~!〟
アイリからメッセージが届いたものの、返信する気力が湧かず、ケイはスマホを伏せてフローリングの上に仰向けになった。
──ごめん、また明日。
転んで擦り剥いた膝や掌が痛む。タイツは破れ、気に入っていたショートパンツも汚れてしまった。もっとも、タイツはまた買えばいいし、汚れは洗い落とせばいいだけだ。
そう、一番大切なものを喪わずに済んだのだから、それでいい。
ケイは首元をそっとさすった。
数時間前。
生霊は悲鳴を上げるケイの首を掴み──勿論その間にも同じ言葉を繰り返し続けている──力を込めた。体温をあまり感じさせないその両手からは、明確な殺意が伝わってきた。
しかしそれはほんの僅かな間しか続かなかった。生霊の言葉が途切れ、手に加えられていた力が緩んだ次の瞬間、ケイの悲鳴が掻き消える程のとてつもなく大きな悲鳴が、他ならぬ生霊自身から上がった。
耳をつんざくような大音量と苦しげな響きに、ケイは我慢出来ず耳を塞いだ。生霊は身を捩り、喉が張り裂けんばかりに叫び続けると、まるで蒸発するように消え去ったのだった。
いまいち状況が飲み込めず呆然とするケイだったが、ある物が視界の隅に入り、そちらに顔を上げた。
それは、道路を挟んだ向かいに設置されている、丸型二面のカーブミラーだった。
ケイは立ち上がってカーブミラーにゆっくり近付くと、左右の鏡面を交互に見やった。
──……!
右側の鏡面に、一人の少年が小さく映し出された。道路の真ん中に立っているが、そちらに振り向いても誰もいない事はわかっていた。
「光雅君」
ケイは鏡面に向かって囁くように友人を呼んだ。そうしないと吹き飛んで消えてしまうとでもいうように。
「光雅君……どうして? どうして……わたしと三塚君の前に?」
光雅は何も答える事はなく、ケイが次に口を開く前に、まるで最初から映っていなかったかのように消え失せたのだった。
──本当にわからないよ、光雅君。
再びスマホが震えたが、どこか遠くで聞こえる無関係な雑音のようなものだった。
──まさか、生霊に狙われたのも、あなたが関係しているの?
ケイは身を起こすと、スマホ同様に伏せて放ってあった手鏡を手に取り覗いた。しばらく待ってみたが、光雅が現れる様子はない。
「……わたし、どうすればいいのよ?」
その問いに答える者もいない……。