7日間の終末
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
世界美食レストランが開発した「口どけ最速」生食パンを頬張りながら、腕に付けたリングの画面でライフログをチェックする。今日は『遅番』だからゆっくりできそう。リングを指でスライドし、「トップブランド」のオススメコーデを選択。
ポーンと通知音が鳴り、部屋の宅配ボックスに「春のゆったりコーデ」が届く。淡い色使いが可愛い。鏡の前で見ていると『職場』から電話が鳴った。
『岬さん、早番の青木さんが来なくって、悪いけど早めに来てくれない?』
「良いですよ。また、ドタキャンですか?」
『そう。あと7日間でも介護士として責任感持って欲しいわー』
「ペナルティポイント付くの、平気なんですね」
『ま、どんな世界でも自己中な人もいるわよね』
「そうですよねー」
適当に相槌をうち、ライフログのポイントを確認すると、AIが音声認識で契約変更の前払い分を500ポイント加算した。今朝の高級ブランドコーデ一式分のポイントと同額だ。
洗面所でメイクパックシートを取り出し、顔に貼り付け剥がすと「清楚なカジュアルメイク」が完成。秒でメイクができるパックは300ポイント。因みにさっきの生食パンが100ポイントだけど、ポイント残高は8万ポイントあったから気にしない。
それに、私はエッセンシャルワーカーの介護士だ。1日1万ポイント以上、楽に稼げる。
***
「近藤さーん、立ちますよ」
私の倍以上ある身体も、制服のパワースーツが補助する。とはいえ、現実乖離症状から発生した麻痺の身体を車椅子へ移乗させるのは一苦労だ。
「ワシは帰るんじゃーっ!」
近藤さんには時間感覚もない。精神が現実からだいぶ乖離している。だから戻る場所もない。家族はいるが、面会に来なくなった。
「じゃあ、帰るために車椅子に乗りましょう?」
「んん…お姉さん優しいね」
近藤さんが大人しくなる。本当は帰らずに『お風呂』に行くから嘘だけど…あと5人移動しないといけないから、ごめんね、近藤さん。
心の中でちょっと謝って、御年80歳のお爺さんを入浴フロアへ案内する。
「おい、有人タクシーを呼べ」
急に、近藤さんが言う。
「ごめんなさい。有人タクシーはもう無いんですよ。自動運転車しかなくて」
これは、本当。最近は危険運転者が続出し、公道は自動運転車だけしか走れないよう、法律が変わった。
「タクシーの金は会社が出す!」
中小企業の社長だった近藤さんは、突然精神離脱症状を起こし、ウチの施設に入った。たまに過去の記憶が蘇り、今みたいな事を言う。デジタル通貨が存在していた世代は、通貨がまだ有ると信じている。通貨の概念が消え、ポイント制になった事も知らない。黙っていると罵詈雑言が飛んでくる。今日は一段と言葉が荒いから、メンタルケアポイントが加算されるな、ラッキー。色々な事を言わつつ、エレベーターに連れていく。
「岬さん大丈夫ですか?」
同僚の笹井君が通信インカムで尋ねてきた。やば、設定オープンだったかも。インカムの小型マイクに話しかける。
「大丈夫よ、これも仕事のうちだもん」
「流石ですね。僕、次はちょっと無理かもです」
「あ\ゆミ@ちゃん、だっけ?貢ぐんじゃなかったの?」
あ\ゆミ@ちゃんは150万人登録の人気動画師だ。笹井君は世界最終日の、文字通りの『終末ライブ』チケット代10万ポイントを稼ぐため、この仕事を選んだ。
「今日、鹿野宮さん着替えさせたら、また『出た』んですよ。それも3回目。その後も『人間のクセに着せ方が雑だ!ここは、ホスピタリティが売りじゃないのか!』なんて言われて…」
全麻痺の鹿野宮さん、朝注文したトップファッションブランドの元CEOだった。AIと機械の施設が多い中、私の職場は人が支援するから、元資産家が多く利用予約する。ま、とはいえ人手不足で入所してから現実を知った利用者が苛立つのも無理はない。
「メンタルケアと支援ポイントが付くから頑張って」
「えー。もう無理ですよー」
「笹井君まだ初日だよ? 次は終末ライブで本人とハグするんでしょ」
「ハグはプラス5万ポイントいるんですよー」
「大丈夫。夜勤入れば1回6万ポイントだし」
「うう〜。夜勤はぜったい嫌だぁ。入浴介助2回分にします」
『岬さん、笹井さんインカムの私語が多いです』
チーフAIもとい監視AI(密かに私はそう名付けている)が無機質な音声で応答する。
「仕事頑張ろ。笹井君、早番でしょ。勤務上がったら愚痴を聴くから」
「ううっ、優しい岬さん。あと6日しかないのに」
そうね。あと世界は6日しかない。好きに生きる人もいれば、地道にポイントを稼ぐ人もいる。
私にもしたい事はある。だから後者を選んでいる。
***
テレビでビビットカラーのTシャツを着たタレントが「『第3965回 168時間テレビ』も残り、150時間を切りました」と言う。
ひな壇の芸能人は、残り6日間と6時間を視聴者のためにお祭り騒ぎを展開するが、今どき誰が観ているんだろ? 時間経過の確認には便利な番組も、芸能と文化を保持するため必要らしい。
「CMの後『人生の終わりを未来に繋げる少女』が登場、感動の記録です」
私は手元のリモコンで、テレビを押す。
「岬さん消さないで下さいよ。コーナーけっこう僕は好きなんですよ」
ビールを飲んでいた笹井くんが抗議する。
「あれって半分ヤラセだよ?」
「それ含めて好きですよ。僕って前は、テレビで脚本を創ってましたもん」
「え、前職、脚本家なの?」
つまみの枝豆がテーブルに落ちる。初対面のプロフィール交換に無かった情報だ。
「まぁ、設計士の下請けでTV企画やってたんですよ。通ったの一本でしたけど。ポイントも入浴介助の半分だけど、好きな仕事だったなぁ」
へぇー。笹井君は20代後半で、実年齢通りなら、まだいくらでもチャンスはあろうに。
「なら、脚本家またすれば?」
「何回しても売れなかったんですよ。それに役立つ事がしたかたんですよ」
「それで介護士を選んだの?」
「本当の現実を描きたいんですよ。現実乖離者施設ならわかるかなって。色んな仕事をしたけど、プロフィールに全部載せるとマイナスポイント保持者とか、ポイント稼ぎって思われそうで、プロフを操作したんです」
なるほどね。極端に職を転々としたり、ポイントを荒稼ぎすると、ポイントがマイナスだって思われちゃうもんな。ライフログのプロフも、よく考えればポイントで多少改造できる。ちょっとグレー手段だけど『グレーも世の中には必要だよ』と設計士のタクヤが言っていた。
「岬さんはどうして介護士を続けるんですか」
「楽にポイントが稼げるからかな」
「まさか、ポイントマイナスなんですか?」
「そんな訳ないでしょ」
腕のリングでライフログを表示する。今日の稼ぎを含め、11万ポイント。
「うわぁー。万ポーだ!譲って下さい!」
まんぽー?若者言葉についていけず、リングをスライドし、ライフログペディアvr.10.20を確認する。
『万ポー。10万ポイント以上保持している人。ポイントを使わず貯める行為。世界が7日間制になり、快楽的な人生選択嗜好者が8割と言われる中、ポイントを貯める行為に揶揄を込めている』
ほっとけ。カクテルをあおると酒が回ってきた笹井君が顔を赤くしながらごね始めた。
「半分で良いからポイント下さいよー」
「何でよ。自分で稼いでよ」
「あと6日で世界は終わるんですよ。それとも岬さんもアイドルに貢いでいるんですか?」
「違うよ。夢があるの」
「あ、それ脚本に使えますね!『終末7日間のドリームチャレンジ』」
笹井君酔ってるな。ライフログに熱心にメモしてるし、次は脚本家に転職しそう。
「で、岬さんの夢って何なんですか?」
「酔っ払いには言わない」
***
「気になるー気になるー」と言い潰れた笹井君を自動運転車に乗せる。後は彼のライフログを読み取った機械が適切な処置をして自宅まで送り届けるだろう。深夜0時の時報をライログが告げた。「世界の終わりまであと6日になりました。」
***
『はい!終末7日間コラボの3日目、生放送ですっ!動画師の再生師チャンですっ!みんな〜元気?今日はあの有名動画師、我輩の師、あ\ゆミ@ちゃんとコラボします!』
『こんにちはー。みんなのアイドル、あ\ゆミ@ちゃんだじょ?』
『うわー、コメント欄がめっちゃ熱い。良い子はR18コメントはダメよ。AIがペナルティポイント付けるっす』
『そうだじょ。まだ5日あるのに、あゆんのためににマイナスポイントでアンダーポインターになちゃダメだじょ?』
画面をコメントが流れる。というか荒れてる。
『100pでして』
『俺1000pで』『←犯罪者確定ww』
『Live行く』『Rヤロウ出ていけ。穢すな』
『ガチ『なまセ』ライブ希望』
『5万pハグ辞めて』
埋め尽くされるコメントが停止し、黒い画面が表示された。『この動画は不適切な内容により削除されました』
「あああああ!」
インカムでも笹井君の絶叫が流れる。
「笹井君、インカムで耳が痛いよ。休憩中インカムOFFにして」
「すみません。ひどくないですか、コラボ動画消されたんですよ」
「ふーん大変だったね」
美食レストランで昨日ポチった世界珍味弁当を口に頬ばり、適当に相槌を打つ。
「あ、岬さん豪華ランチだー」
「だって昨日夜勤だったんだもん。これ食べたら帰るけど」
青木さんがサボタージュしているせいで(体調不良かもしれないけど)夜勤明けで昼食介助までするハメになった。まぁ、おかけでポイントが1.5倍加算されたので、良し。さらに昨日は痴漢に間違われ御年103歳の上田さんに噛まれて(人工義歯を入れててマジ痛かった)5500p加算された。その他色々あって一晩で10万p稼げたのは幸運と言うべきか。
「これ飽きたからあげる」
笹井君のインスタント焼きそばに三つ星シェフの天然風フォアグラを乗せてあげる。
「これ何ですか?」
「太らせた鳥の肝臓」
笹井君がもぐもぐ頬張る。
「もぐ、むしろ僕はこの味を削除して欲しいっす」
「美味しそうに食べてる癖に…文句があれば設計士にジョブチェンジすりゃ良いじゃん」
「上位職は最低15万ポイントいるんですよー。僕は あゆミんがいるから、無理です。あ、岬さんひょっとして次回上位職を狙ってます?」
「そうね、パイロットになろうかな」
「え、『ぱいろっと』?そんなジョブないですよ」
腕のリングでライフログの職業一覧を見ている笹井君が言った。世界同時飛行墜落事件以降、飛行機すら完全自動されたから、運転士という職業はない。というか若い子には運転という概念がないかもな。
「世の中には庶民の知らない事がいっぱいあるのだよ、笹井君」
「うわー、万ポインターのマウンティングだー。今どき流行らないすよ、岬さん」
「今どきかぁ…やっぱり笹井君は若いなぁ」
「岬さんて、僕と二個違いなのに、精神的に老成してますよね」
「ははっ、ま君より人生経験は長いかも」
鋭い一言に笑みが漏れた。久々に笑った気がする。
「まさか年齢ポイント操作したるんですか?」
昼休憩終わりを告げる時報が鳴る。
「笹井君、知らない方が幸せな事は世の中に沢山あるのだよ」
***
「はい、本番まで10秒前……5、4……」
3、2、1とADが指を下ろした。
「はい、皆さん今日で世界の終わりまで残り3日になりました。今日はそんな中でも治験を続けるミサキユイカちゃんにインタビューです」
テレビで観るアナウンサーが目の前にいるのが不思議だった。その向こうにはカメラマンとディレクター。カンペを持ったAD。
「ユイカちゃんは新薬の開発のために、5回以上治験に参加されています」
もうすでに涙目。俳優経験者のアナウンサーは違うなぁ。整った顔立ちに何ポイント使ったんだろ。年齢を下げるより、容姿を変える方がポイントを使うからこの人も治験でポイント稼いだのかな?
「7日間ずっと病院で過ごすなんて大変だね?」
えっと、カンペをチラッと見る。
「ううん、私もお薬で助かったから、新しい薬を作れたら嬉しいです」
半分本当だけど、半分嘘。精神乖離予防薬にはお世話になったが、治験1日=100万ポイントのメリットが大きすぎた。『永久保存』のためポイントは1日分600万ポイントを手に入れるには、7日間病院食と苦痛に耐えるのもなんともない。
「そうなんだ…とっても偉いね。そんなミサキちゃんの夢を叶えるべく、168時間TVではミサキちゃんが大好きなアイドルグループ『リアル8の…」
声が遠くなり、意識がぼんやりしてくる。薬が切れたのだろう、精神を安定薬は副作用も大きい。…あと1分はしっかり座ってなくちゃ契約金が…ドクターが近づいてくる。
「ユイカちゃん、しっかり! リクだよ」
超イケメンだな。だけどごめん私、貴方の事は好きでもない、そもそもTV局とのタイアップで私は一ミリも知らなや……そこで5回目の私の意識は途切れた。
虚無感覚。何度経験してもどこか他人事だ。タクヤはどんな感じだったんだろうか。
「ご…め……ん」
最後の言葉が蘇る。タクヤ、そんな事言わなくったって良いんだよ……今なら言ってあげられるかな。
虚無の中、唐突に無機質な音声が頭に響く。
『管理局です。デフラグ前に『死亡』したため、リスタートされます。メンタルケアポイント500万ポイントが残数分加算されます』
『リスタート開始ピピピピピピ……』
***
ピピピピピピピピピ。ライフログのアラームを止める。
「…夢か…」
嫌な夢すら懐かしい感覚。だいぶ現実感も麻痺しているのかも。
朝のルーティンの、テレビのスイッチを付ける。始まりはいつもその日のニュースに設定済。
アナウンサーが言う、「おはようございます。世界の終わりまであと4日になりました。」
そっか、夜勤明けで帰ってそのまま寝ちゃったんだっけ。腕のリングに手をかざしライフログを開く。
『保持ポイント15万2580p』『ジョブ、介護士(8回目)』『勤務予定、公休』
リングのセンサーで網膜認証。プライベートプロフィールを開示。
『管理データアクセス権限有。有効期間2日』
『擬似年齢操作有』
昔、1000万ポイントで購入した権限も残り2日か。タクヤの記録、最後に観ようかな。ベッドから起き、洗面台へ向かう。鏡に映った姿は30代前半の私。夜勤明けでひどい顔だけど。
美容パックを取りだし顔に貼る。剥がせばひどいクマもなくなり、普通の顔になる。とはいっても30代だった頃の自分の顔だけど。リングに手をかざし、管理データクラウドからファイルを呼び出し。
『おはよう』
鏡の向こうで30代の頃の下着姿のタクヤが立っている。タクヤってこんな顔だったけ?
『今日、ユイカが行きたがっていた、店予約できたよ』
シャツを着ながらタクヤが話す。
世界美食レストランだったけ? 『21世紀の有名シェフ100名の味を再現した』と言って当時話題だった。
『ユイカ、俺……』
振り返るとフォログラムの映像が消える。
「そっか、だいぶ前に消したんだった…」
確か、あの後レストランで珍味フルコースを食べながらタクヤに指輪を渡された。
その時何を話したか、タクヤがどんな顔だったか、私が何を思っていたのか。ライフログから消した時間はぼんやりしたままだ。
通知音が鳴る。
『予定リマインダー 上位職ジョブチェンジ申請』
ポイント溜まったもんな。リングをスライドして10pのファストブランドの服を選択。
通知音が鳴り、宅配ボックスから今年のトレンドを押さえた綺麗めカジュアルコーデを着る。
仕事用に残していた300pのメイクパックを顔に貼り付け、剥がす。
「ふふっ」
ちょっと、笑う。顔の方が服よりポイント高いなんて、ちょっと可笑しい。
「最後くらい、笑ってお別れ言わなくちゃね」
***
平日の労働管理局は思ったより空いていた。
「上位職にジョブチェンジしたいんです」
受付ロボットにリングを差し出す。
『岬ユイカさん。50万ポイントになります。…使用すると次回持ち越しポイントがゼロなりますが』
「構わないわ。船員パイロットに覚醒を」
『法律の改正により覚醒時間は12時間になっております。承認されますか?』
「ええ」
「上位職にジョブチェンジする場合、残り日数は自動的に消去されますが、よろしいですか」
承諾しようとした矢先、『職場』から電話が鳴る。
「岬さん、休日にごめんなさい。青木さん急に退職してしまって、遅番に入ってくれないかしら?」
青木さんもジョブチェンジしたのかな……リングに手をかざすと、今日のシフトは笹井君も入っていた。一人にしたら、彼、発狂しかねないか。
一つため息をついて電話に応える。
「分かりました。30分後に行きますね」
電話を切る。
「ジョブチェンジ申請、10時間後に変更してもらえますか?」
リングに休日出勤手当1000pが加算された。
『了承しました』
『10時間後、ジョブチェンジの実行が予約されます。労働報酬が発生するため、持ち越しポイントは発生しますが、残り3日間は自動的に消去されます』
「持ち越しポイントは慈善団体に寄付……いいえ、取り消します。譲与できるようにして。
『6割の譲与税が発生しますがよろしいですか?』
私が頷くと、受付ロボットが事務的に答えた。
『承諾されました』
リングにで職場まで50pで無人タクシーを呼んだ。
***
「岬さん!青木さん辞めたんですよ!」
食堂で笹井君が松木さんの車椅子を押しながら叫んだ。
「笹井君声が大きいよ。松木さん、ほとんど聞こえていないけどさ……」
松木さんの前に夕食を置く。眠っているのかと思っていた目が見開き、すごい勢いで食べ始める。食べる感覚だけは生きているようだ。
「青木さんのシフト、終末ライブの日に僕が夜勤なんですよ!」
笹井くんの怒りは収まらないようだ。
「次回にライブを持ち越せばいいじゃん?」
「嫌ですよ。あ\ゆミ@ちゃんがジョブチェンジしちゃったら、どうするんですか?」
「あの手は辞めないわよ。ずいぶん昔からやってるし」
突然、近藤さんが叫ぶ。
「おい!私語が多いぞ!ワシの飯を出さんか!」
食べかけた夕食の皿は目の前にあったが、認識できていないようだ。
「お腹空きますよね。今お部屋へお持ちしますから、一度お部屋に戻りましょうか」
現実離脱の症状への対処法は、設計士が不在の今、寄り添うしかない。
優しく声をかけても、今日の近藤さんは表情は険しいままだ。
「家に帰せ!会社の会議に出るんだ! 高い金を払って誰が食わせたと思って○×#/お前ら仕事&/!」
最後は言葉にならない。
『安定剤を投薬します』
無機質なチーフAIがの言葉とともに、近藤さんの腕のリングが赤く光る。
「何するつ#/&もり@だ!……お姉さん、疲れたから帰りたいのだが……ここが何処か分からん」
疲れた顔で近藤さんが言う。あと3日経てば復元されるが、近藤さんの復元率は酷く低下している。
「ひとまずお部屋にご案内しますね」
「お姉さん、ワシは何時になったら帰れるんじゃ」
「帰りたいですよね。眠っているうちに帰れますよ」
ベットに寝かせると、近藤さんは安心した顔で眠った。食堂に戻ると、笹井君と清掃ロボが床に散らばったおかずと食器を片付けていた。
「岬さん大丈夫でした?薬をもっと使って欲しいですよねー」
「あの薬はリセットと同じ。使いすぎたら、死ぬわよ?治験でだいぶ改善はしたけど」
何度か私も死なされた薬も認可が下りて久しいが、死ぬ確率も高い。それは人手不足の原因でもある。
「ですけど、死んで500万加算されるのが羨ましいーなぁ。あ、でも症状が治るわけじゃないから、次もここで過ごさなくちゃいけないのかぁ」
運が悪けりゃ本当に死ぬのだと言いかけてやめた。まだ若い子の夢は奪いたくないしね。
「笹井君が介助したら、少しは幸せに過ごせるんじゃないかな?」
笹井君は笑った。
「岬さんって真面目ですね。僕は介助ロボットの方が技術高いし、介助者もストレス減ってWin-Winだと思うけどなぁ。あ、でも介助士が完全自動化されたら、稼げなくなるし。あ\ゆミ@ちゃんに会ってからにしたいですね」
「そんなに行きたいならポイントあげるよ。これで年休をもらったら?」
笹井君のリングに残りのポイントを譲与する。今日の稼ぎで年休購入ポイントにはなるだろう。
「良いんですか? 岬さん神だっ!やったー終末LIVEグッズも買って、次の世界でもライブの為に仕事頑張ろ!」
元気の出た笹井君にほっとする。笹井君。ごめんね、後は頼むよ。
***
帰宅後テレビのスイッチをつけると、ニュースキャスターが「皆さん、世界の終わりまで、あと3日ですね。ライフログの記録整理はできていますか? 今日の特集、ログの生前整理でお馴染みの…」
馬鹿らしくなり、テレビを消す。21時のニュースのトップニュースもデータベースの容量が逼迫してから劣化している気がする。
「ライフログの整理か…」
腕のリングを開き、ライフログを確認する。アーカイブに笹井君との記憶は残そうか。面白い子だったし。次の世界に引き継ぐ思考、嗜好、記憶、持ち物…あらゆるものはリングに保管される。
持ち越せるデータ容量も年々減ることは、ニュースにならない。人々の不安を煽らないようにと設計士の配慮だ。
ポーンと通知音と共に、リングが青白く光る。
『船員パイロットにジョブチェンジの予約が実行されます』
***
そして私は覚醒した。身体が重い。ゆっくりとカプセルから身体を起こす。ヘルメットを外そうにもゆっくりとしか動けない。ボディスーツの補助がなければ、腕を上げる事もままならないだろう。
「やっぱり、お婆ちゃんだよなぁ」
カプセルのガラス越しに映ったのは102歳の私。
「よっこいしょ、っと」
少しづつ、身体の感覚を使いこなす感じが合ってくる。ボディスーツと、仮想世界での日常感覚リハビリのお陰だな。
身体を眠らせていたカプセルが壁に収納される。天井の方は暗くて見えない。今も1500万人が眠り、仮想世界で過ごす。長い眠りの中で覚醒時、身体感覚を忘れないよう設計士が設定した。だけれど、年々データ容量は圧迫し、情報にも整理が必要になった。遠い昔と同じ社会システムを構築したマザーAIはかろうじて自動運用されている。
迎えの無人車が到着し、腕のリングで行き先を中央制御室と入力する。
中央制御室には誰もいなかった。拓也が座っていた席に、指輪が二つ重ねて置いてある。
「あ、300回忌で、ここに置いたんだったわ」
拓也からもらった婚約指輪も浮腫んだ指には付けられれない。眠っていたとはいえ、弔いの為に積み重ねた時間が私にも老いをもたらした。
ライフログの管理データにアクセスする。フォログラムが投影される。
修理ロボと共に、キーボードを叩きながら、プログラムを修正する拓也。最後のエンジニアとして仕事をしていた彼はずいぶんおじいさんの手をしていた。
船のエンジニアはトラブルが発生する度に覚醒した。覚醒すれば歳を取る。
「でもね、拓也、凍結睡眠していても肉体は劣化するし、データも劣化していってよ」
フォログラムの拓也が胸を掴む。私が駆け寄る。名前を忘れた何人かのメンバーも。覚醒時に死ねば、それはリアルな死を意味する。
拓也がいなくなり、マザーAIを修復できなくなった今、仮想世界は7日毎に情報をデフラグで圧縮して保たれている。デフラグを実行するシステムの構築、それが最後の拓也の仕事だった。
拓也が仕事をしていた椅子に座る。目の前のスクリーンには宇宙空間が無限に広がる。
「たけど、貴方が守った世界、楽しかったわよ」
指輪に話しかけ、私は静かに目を閉じた。
いつか、新たな惑星に帰れることを願って。