人形は逃げることをやめた
「はあ…」
ため息が溢れる。
「ソラ、そんなあからさまなため息はやめろよ。大変なのはわかるが人手不足なのは確かだろ」
それを聞いていたユウトがすぐに突っ込んでくる。
ユウトの言葉は最もだ。
全然追いつかない書類に定期的に視察に行かなければいけない場所、依頼で動かなければいけない仕事が山のようにあるが、人員が足りていない。
俺もユウトも限界が近かった。
しかし、ユウトと同じ側近の募集をかけるとめんどくさいし信用できない奴は近くに置きたくない。
これが最近の悩みの種だ。
「よし、アイリスを呼ぼう」
キメ顔で立ち上げるがすぐに制される。
「すぐにアイリスに逃げるなよ!」
「アイリスがここで働いてくれたらなー!」
椅子の背もたれにのけ反り項垂れる。
「諦めて手を動かしてくれ」
ある程度落ち着き、伸びをした。
気分転換に城内の見回りでもするか。
「ユウト、少し散歩してくる」
「おう、行ってら」
ユウトも少し片付いたのだろう、すぐに許可がおりた。
「いい天気だな」
中庭を見ながら歩いていると、少し苦手な人物に出会った。
「ソラ殿下」
「ノアル侯爵殿」
整えた顎髭と眉間の皺が印象的な男が立っていた。
「最近は真面目に業務をこなしておられるようで。何かお心に変化でも?」
威圧的な声でこちらの様子を伺うように嫌味な言葉を並べてくる。
「少々息抜きしすぎた件に関しては申し訳ない。しかし元から机仕事も嫌いではないが…なぜそのようなことを?」
言い返した感じにはなってしまう俺も少々幼稚だ。
「いえ、最近殿下への面会客が頻繁に来るようでしてそのことが関係してるのかと思いまして」
「…あぁ、友人のことですね。彼女が何か?」
「ご友人でおられましたか。しかし、いくらご友人と言えどあまり部外者に城を出入りされては困りますな」
なるほど、そのことが言いたかったのか。
確かに一般人を城の中に招くことに対しリスクは多々あるが…。
「万一にそのご友人が殿下に対し、妃にして欲しいだの地位が欲しいだの言ってきたらどうしますか」
一瞬、予想していたこととあまりにも見当違いすぎて固まってしまった。
「ふっ、それはないぞ侯爵殿。彼女はきっとあなたが出会ったことがない人種ですよ。またよかったら話してみてください。もしかしたらあなたの『理解者』になってくれるかもしれませんよ」
思わず笑いながら言葉を並べたが効果は絶大だったようだ。
今度はノアル侯爵がポカンとした顔をしていたがそのまま立ち去った。
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そんなノアル侯爵とソラのやりとりなど知らず、アイリスは今日城を訪れていた。
「アイリス殿!」
衛兵が遠くから手を振り近づいてくる。
「はい、なんでしょうか」
アイリスの目の前まできたところで衛兵の足が止まる。
「殿下をお探しならば先ほど書庫の方へ行かれましたよ」
若い衛兵がハキハキとした口調で言う。
「ありがとうございます」
アイリスは頭を下げ、書庫へ向かった。
アイリスはその後も何人かの顔見知りになった城内の人たちと言葉を交わしソラの元へ向かう。
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書庫で資料を探していると聴きなれた規則正しいリズムのヒールの音が聞こえてきた。
音が大きいわけではないが静かな場所だとよく聞こえる。
音が近くで止んだ瞬間振り向く。
「よくここにいるってわかったな、アイリス」
金色の絹のような柔らかく長い髪をそのまま下ろし、まっすぐこちらを見つめる青い瞳は何度見ても見惚れてしまうほどに綺麗だ。
それはまた彼女の雰囲気もあるのだろう。
指先まで洗練されているかのような姿勢、陶器のように透き通る白い肌に浮かぶ表情は無に加え、まるで人形なのではないかと勘違いしてしまいそうな美貌だ。
噤んでいた桜色の小さな唇が動く。
「城の方々に教えていただきました」
「…日に日に顔見知りが増えていってるようだな。俺もよくアイリスの話を兵士やメイド達から聞くよ」
最近はむしろ城内はその話で持ちきりだ。
「みなさんとても良くして下さります」
当の本人は自身が他人を惹きつける魅力があることを知る様子もない。
「ふぅ…」
あまりの無自覚さに思わずため息が溢れる。
「…お邪魔のようでしたら出直します」
「いや、違う。少し疲れて休みたいと思っていたところなんだ。話し相手になってくれないか?」
立ち去ろうとするアイリスを慌てて引き止める。
「はい」
二人で対面に席につく。
不意にノアル侯爵との会話を思い出す。
「アイリスは最近どうして城まで来てくれるようになったんだ?」
最初誘っていた時は頑なに城には来たがらなかったのに、と気になっていたことを聞いた。
「…外でお会いするとソラをまた危険な目に合わせてしまうかもしれません」
リスクを下げるためか…妥当な理由だ。
少し肩を落とす。
「しかし本当はあなたに会いにくること自体許されないのかもしれません。だから会いにくるのは私の我が儘です。そのことでソラやここの方々が不快な思いをするのでしたら、私は…」
アイリスの言葉が止まる。
「その言葉の続き、言っていたなら俺が許さなかったよ」
会うことを止める、顔が歪んでいそうで思わず視線を下に向けた。
「言えませんでした。いえ、言いたくありませんでした」
アイリスの指先が視界に入り、気付けば頬に触れ、下がっていた視線はアイリスの元へと引き戻される。
「すみません、あなたにそんな顔をさせるつもりじゃありませんでした。私は自分が思っていたより、あなたのそばにいたかったようです」
そう言いアイリスの瞳に俺が映ると優しく笑いかけた。
恥ずかしさですぐにのけ反りそうになったが、持ち堪えて話を続けた。
「えっと、アイリスは最近城の中で困ったり誰かに見られたりはしてないか?」
「困っていること、ですか?」
アイリスは触れていた手を離し、目を伏せ視線を逸らし考える素振りをする。
「…皆さん親切にしてくださいますし、困っていることは特に無いかと思います」
「本当に、だな?」
アイリスは思うところがあっても確信があるまで話さない癖があるため、執拗に再確認が必要だ。
「はい、本当にありませんよ。しかしそんなことを聞くということは、ソラには思い当たる節がある、ということですね?」
しまった、完全に墓穴を掘ってしまった。
今から誤魔化そうにもアイリスにはきっと効かないだろう。
頭の中で葛藤が繰り広げられる。
「…俺はどうも敵を作ってしまうらしい」
悩んだ末に零してしまった言葉だった。
開いた窓から風が吹き抜ける。
「…俺はどうも敵を作ってしまうらしい」
その言葉の意味をアイリスは考える。
きっとソラはこれまでたくさんの思いで動き、葛藤してきたのだろう。
それを想像するのは烏滸がましいとさえ思うほどに。
「でもだからこそ俺を支え、そばにいてくれる人たちを俺は大切にしたいと思うんだ」
アイリスはソラの愛おしそうに何かを見つめる顔を見て、目を細めそっと瞳を閉じた。
「そんなあなただから私は____」
強風が吹き抜け、アイリスの言葉はかき消される。
「アイリス、なにか言ったか?」
ソラがアイリスを見る。
「いいえ、何でもありません」
アイリスもまたソラを優しい顔で見つめ返す。
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夕暮れ時、辺りは綺麗なオレンジ色に染まっていた。
「そんなところで何をしている」
ソラと別れて一人で帰路につこうとまだ城内を歩いていると、後ろから威厳のある声が響く。
振り向くと位が高いであろう貴族の服を身につけた男が冷たい目でこちらを見下ろしていた。
「…今は自宅に帰ろうと門へ向かっていたところです。その前はソラ殿下に面会へ行っていました」
隠しても分かりきっていることだろうと先に報告をする。
「殿下が君に?どう見ても君の服装は一般市民同様のものだ。君に殿下とお会いするだけの価値が私にはあると思えない。本当に君は己がここにいてもいい人間だと思っているのかね」
ソラの心配はもしかしたらこのことだったのかもしれないと気づく。
『己がここにいてもいい人間だと思っているのか』
アイリスは自嘲気味に男を見る。
「いいえ、私はここにいるべき人間ではありません」
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『いいえ、私はここにいるべき人間ではありません』
アイリスとノアル侯爵が話しているのが見えたので急いで来たらこの言葉だ。
その言葉に衝撃を受け、咄嗟に身を隠す。
アイリスの表情は見えない。
アイリスはもうここへは来てくれないのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていると次の言葉が聞こえてきた。
「しかし、ここへ来ることを止めることはできません」
はっきりとアイリス自身がそう言い切った。
侯爵はカッとなり、剣を抜き剣先をアイリスへ向ける。
「その言葉、撤回しないのであればここで君を斬ることになる」
思わず飛び出してしまいそうなのをアイリスの言葉が制する。
「撤回はできません。私は、『ソラ』の味方になりたいのです」
その言葉を聞いて僅かに視界がぼやけた。
あぁ、そうかアイリス、君は俺の言葉に気付いてなお、こんな俺の味方でいたいと言ってくれるのか。
目頭が熱くなる。
「貴様!!撤回をしないあげく殿下を呼び捨てにするなど許されないことだ!!」
侯爵の手に力が入る。
「私を斬ることが殿下のためであるとあなたが思うのであればお斬りください。私はもう、あの人から逃げません」
アイリスは真っ直ぐ侯爵を見つめ、剣先の方へ一歩、また一歩と距離を縮める。
その歩みに迷いはない。
アイリスをずっと睨み、剣先を動かさない侯爵。
剣先がアイリスの喉を突き刺そうとする瞬間、先に動いたのは———侯爵だった。
剣先はアイリスから外れ、力なく地面に向けられる。
「…本当に切られていたかもしれないんだぞ」
侯爵が視線を下に向けたままアイリスに問いかける。
「あなたは斬りませんよ。『殿下の味方になりたい』と言った私を、嫌われ役を買って出てまでも殿下を大切に思うあなたには、私は斬れません」
「…そうか」
そう言って侯爵は床にあぐらをかいて座り込む。
「私が敵であれば、あなたは殿下に恨まれようと私を斬っていたのもまた事実ですよ。ソラ、あなたには憎らしくも愛しい味方もいるのですね」
少し声を張りこちらを見るアイリス。
「だろ。俺の宝だ」
「で、殿下!!」
飄々とした態度で姿を見せる。
侯爵はすぐに立ち、姿勢を正す。
どうやら気付いていなかったらしい。
「まったく…ハラハラしたぞ。侯爵、あなたでもアイリスには敵わなかったか?」
侯爵はその質問に対しバツが悪そうな顔をして答える。
「…普通、女が剣を向けられたら震えて引き下がるものでしょう。まさか立ち向かってくるなんて誰も思いませんよ」
「だろうな、あれは俺も驚いた」
そう言い、ニカッと笑って見せた。
「まぁ、アイリスへの説教は後にするとして」
アイリスがえっ、とこちらを見る。
「侯爵、あなたが俺を大事に思ってくれているのはありがたいが、自分の立場を見失う行為は慎むんだな」
「はっ!おっしゃる通りです。大変失礼いたしました」
ノアル侯爵は片手を胸に当て頭を下げ、立ち去るのを見送る。
「さて、門まで送るよ」
門までアイリスと肩を並べて歩く。
「もう逃げないっていうのはどういう意味だ?」
先ほどのノアル侯爵との会話で気になっていた部分だ。
アイリスはいつも障害があっても立ち向かっていた気がする。
「アイリスが逃げていたことなんかあったか?」
「ソラの方がずっと戦っているではありませんか」
俺が?思い当たることがなかった。
首を傾げているとアイリスが先に言葉を続ける。
「きっとあなたは人を信じ裏切られ、誰も信じたくなくなろうともまた信じて、そうやって何度も何度も己自身と戦い続けながら、ずっと民のことを信じ続けてきたのでしょう。あなたは傷つきボロボロになった身体でこの国を抱きしめてきたのでしょう」
そう言って夕陽に照らされた街の景色を見下ろし瞳を揺らがせた彼女は今、何を思っているのだろう。
「俺は確かにこの国が好きだし信じてる。でもそれはユウトや侯爵…そしてアイリス、俺を信じてくれる人がいるからだ」
アイリスと目を合わせる。
「だから俺はこの景色をずっと守っていきたいと思えるんだ」
信じ続けることは苦しいことだと思う。
でも自分を信じてくれる人がいる限り俺は俺が進むべき道を歩んでいく。
「俺はこの国の王族として生まれて、この国のためにできることがあってよかった!」
決意を込めた思いでアイリスに笑いかける。
「…やっぱりソラには敵いませんね」
夕陽を背にアイリスが振り向く。
金糸のような長い髪が反射し彼女の仕草と連動しながらキラキラと輝く。
「私の負けです」
アイリスは覚悟を決めたような、しかし満足げな顔で微笑んでいた。
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アイリスが姿を見せなくなって数週間。
最後に交わした言葉と表情が頭から離れない。
会いに行きたいが変わらずの人手不足のため業務に追われている。
「人手不足の件はどうなってるんだ?」
少し項垂れながら同じく近くで業務に追われているユウトに確認する。
「なんでもノアル侯爵殿がその件預かったらしいぞ。しかし募集しても資格やら教育やらで時間がかかるらしい」
側近と同じ仕事をこなしていくとなれば少々時間がかかるのは仕方ないだろう。
「ノアル侯爵みたいなお堅い奴は嫌だな…」
「ははっ!そうしたらソラの見張りをしてもらおう」
ユウトがとても楽しそうに声を上げて笑った。
「それにしてもアイリスは本当に最近来なくなったな。とうとう飽きられたか?」
ニヤニヤしながらこちらを見ている。
「…俺じゃなくてお前に会いたくないのかもしれないぞ」
むすっとして言い返す。
「それは辛い」
ユウトがすぐに落ち込む素振りを見せる。
二人で悲しみに暮れながら業務をこなす日々が続く。
「おーい!朝だぞー!ソラ!起きろ!」
ユウトの声で目を覚ます。
昨日も寝るのが遅かったためいつにも増して起きるのが憂鬱だ。
「俺も眠いんだからいい加減一人で起きてくれよ!」
ユウトも辛そうだ。
「あぁ、悪い」
「あ、あと今日新しい側近がきてくれるらしいぞ。始業に来るから早く支度してくれよな。流石にこんなだらしない殿下を初っ端に見せたくない」
「…俺だって嫌だよ」
教えることもあるだろうが少しでも仕事が片付くと思うと助かる。
「もう少ししたら、アイリスに会いに行けるかな…」
願望を小さく呟く。
支度がなんとか間に合い、ユウトとソワソワしながら人を待つ。
「さて、どんな奴が来るかな」
「いい子だといいな」
ユウトも楽しみなのか少し浮かれている。
———コン!コン!コン!
ノックの音が響き渡る。
咳払いをして、落ち着いて返事をする。
「どうぞ」
ドアを開け入ってきたのは———ノアル侯爵だった。
「ん?新しく配属されたのって…?」
ユウトがあからさまに動揺している。
すると侯爵が呆れながら答える。
「…私はただの付き添いですよ。…入りなさい」
侯爵が続けて入るように扉を開け促す。
その人物は規則正しいヒールの音と指先まで洗練されているかのような姿勢で部屋の真ん中で立ち止まる。
その場で片足を引き、スカートの両サイドを摘み広げると優美な仕草で一礼をする。
「本日より第二王子ソラ・シリウス殿下の身の回りの事を任されました」
その人物は頭を上げ、こちらを真っ直ぐに見た。
「———アイリス、と申します」
俺はこれでもかという程に目を見開き、ユウトは固まっていた。
ノアル侯爵は呆れた顔でこちらを見ていた。
その元凶の本人は悪戯に成功した子供のような顔で微笑む。
「あなたの『味方』になりにきました」
「こ、侯爵、これはどういうことだ?あなたにしては珍しい冗談だな?」
混乱しながら侯爵に聞く。
「冗談だったならよかったのですが、残念ながら彼女は自分の力で全ての試験に合格し殿下のそばにいる資格を勝ち取ったのですよ。試験官の私がそこは保証します」
「俺は剣術だけでスカウトされたようなものだったが、殿下のそばにお仕えするにあたっての一般試験はかなり難しく合格者も現れないほどのため、仕える者は皆俺と同様だと聞いたことがあるぞ?」
ユウトもかなり動揺しているようだ。
「だから、その試験にこの娘は全て受かったんですよ」
「いろいろ聞きたいことはあるが、とりあえず置いといて。侯爵、あなたが彼女を通したということは、あなたの信頼をも彼女は勝ち取ったということだな?」
「…信頼はしたくありませんが、あなた方が近くで見てた方が安心でしょう。では、私は失礼します」
ノアル侯爵はそそくさと去っていった。
ユウトは苦笑しながら「素直じゃないお人だ」と言った。
「全くだ」
「驚かせてしまって申し訳ありません」
「…申し訳なさそうな顔してないぞ」
アイリスは楽しそうに笑っていた。
「いやでもほんとにびっくりしたよ。まさかアイリスが来てくれるなんて」
ユウトはまだ信じられないという顔をしている。
俺だって驚きはした。でもそれよりも———
「まあ、これからよろしく。アイリス」
「はい、ソラ。ユウト。これからよろしくお願いします」
アイリスが居場所をここに選んでくれたことがとても嬉しかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。




