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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ARおっさん

作者: 聖なぐむ

新しくARアプリをダウンロードしてみた。


ARとは拡張現実という技術で、簡単に言うと現実の空間に仮想映像を重ねて、リアルにそこにあるように見えるってやつ。最近は仮想空間に自分が入り込むVRの方が人気あるから、ARってなんか地味扱いされてるけど。


コロコロした可愛いキャラクターや、リアルな造形の美少女が現実と重なって好きな角度から撮影できるようなアプリが多い中、俺が落としたアプリは「異界窓」というタイトルで、リアル寄りの非現実的キャラクターがアプリ起動中はランダムに出現するという触れ込みだった。



早速アプリを立ち上げる。

黒背景に「異界窓を開ける」という赤文字のアイコン。トン、とスマホをタップすると、キィッと扉が軋むような音がして、スマホ本体のカメラを起動してるときのような画面になった。


カメラを通して見慣れた自分の部屋が映る画面をぐるりと見回すと、ベッドの上で当たり前のように寛いでいる黒い小型ドラゴンがいる。


「おお、リアル」


くわ、とアクビしている口の歯並びも、光沢ある鱗の質感も立体的で違和感がない。スマホを近付けても遠ざけてもドラゴンの位置は現実のベッドとブレず、本当にそこにいるみたいだ。スマホを通して「ブフゥ」と野太い呼吸音まで聞こえる。


画面を見ながらドラゴンのあたりに手を伸ばすが、もちろんそこには何の手触りもなく、ドラゴンのボディに埋もれるように手首の先が消えた。

人間の体は認識されずにAR映像と重なるのに、ベッドは認識されてちゃんと上に乗れてるのはどういう仕組みなんだろう。


試しにドラゴンが下敷きにしているベッドの掛け布団の端をつまんでばっさばっさと上下に揺らすと、驚いたことに布団の上のドラゴンもがくがくと揺さぶられて「ガウ」と迷惑そうに唸った。


もちろん掛け布団にドラゴンの重さは感じない。


「えぇ……?すご」


ドラゴンはのっそり立ち上がり、背中の小さな羽を動かしてふわりと宙に浮かび上がる。そのまま天井を突き抜けるように飛び去っていった。


……ベッドは動きまで認識されるのに、人体と天井は認識されずに通過するんだ……。


仕組みはまったくわからないが、なんだか面白いアプリを入れてしまった。












それからというもの、いろいろな場所でアプリを起動してみた。

客観的にはカメラアプリを立ち上げてきょろきょろしている不審者なので、盗撮犯と間違われないように注意はしている。


電車の中で揺れるつり革の上で楽しそうにしているピクシーとか、公園のベンチで昼寝している九尾狐とか、街路樹に紛れて不自然に揺れているトレントとか、本当にさりげなくARキャラが景色に紛れ込んでいて、本当に面白い。

光の当たり方とかも時間帯や状況に応じて変化していて、一体どういう技術を使っているのかは相変わらずさっぱりわからなかった。





ある日、いつものように自室でアプリを起動させてみると、ローテーブルの前でくたびれた髭モジャな鎧姿のでかいオッサンがへたり込んでいた。


「うわっ」


リアルな頭身の人間キャラが出てくるのは初めてだったので、びっくりしてのけぞる。つま先がローテーブルの脚にぶつかって、ガタンと揺れた。


テーブルの揺れに気付いたオッサンが、不審そうな顔でキョロキョロする。……見知らぬ人間が自分の部屋にいるって、何気にホラーだ。そして狭い。気分的に。


よく見ると、薄汚れてボサボサだけど柔らかそうな金髪とリアルで見たことないような明るい緑色の瞳をしていて、髭で顔がよくわからないけど思ったより若くてイケメンかもしれない。

革のような素材の黒っぽい鎧はボロく、腰に下げている抜き身の剣も欠けている。……ブーツのまま座らないでほしい。いくらARとはいえ。



なんだか見るからに草臥れた様相なので、ふとした思い付きでそっとローテーブルに麦茶を淹れたグラスを置いてみた。

オッサンはびくっとして現れたグラスを見たが、「〇〇※△◇」と日本語ではない言葉を呟き、グラスを手に取った。


スマホ画面の中のグラスはオッサンが麦茶を飲むのに自然に動いているが、画面の外のグラスは当然のようにローテーブルの上にそのままある。不思議。



オッサンは空になったグラスをテーブルに戻した。グラスの位置はスマホ画面内とリアルで一致しているが、中身の有無が違う。


フゥ~と深いため息をついたオッサンは、腕に巻いた小汚い布をくるくると外した。あらわになったぶっとい二の腕にはざっくりと深い獣の噛み傷があって、その痛々しさに見てるだけで「ひえ」と悲鳴を漏らしてしまった。



慌てて消毒液を持ってきて、傷口を検分しているオッサンの腕にブッシャーする。


「!!!□◇※※$#!!!!!!」


突然のアルコール攻撃に苦悶の表情で呻くオッサン。

ショワァと音をたてて細かい泡がたつぶっとい二の腕。

血とか怪我とか見てるだけで苦手なので多分顔面蒼白になっているオレ。



……アルコール効果あるんかい!



「ッウゥ!!!〇¥#!!」……多分アメリカ人ならシット!!とか叫んでそうな感じで唸ったオッサンだけど、二の腕を見て「△◇?!」……ワッツ?!みたいな声を出した。


二の腕の傷がすっかり消えている。



えぇぇええ??!!なにこの消毒液、

っていうか、AR、干渉できすぎだろう!



唖然として二の腕を撫でたオッサンは、オレがテーブルに放り出した消毒液をおそるおそる摘み上げる。キョロキョロと周囲を見回し、「〇〇※△◇」と呟いて頭を下げ、消毒液をテーブルの上に戻した。

さっき麦茶を受け取ったときと同じルォルォ何とかって発音の言葉だったし、サンキューみたいな意味なのかもしれない。


オッサンはもう一度傷のなくなった腕を見て、腰を上げた。デカイ。身長2メートルくらいありそう。


腰の剣をガチャガチャ言わせながら位置を直し、部屋を出て行った。……というか、壁を突き抜けて消えた。

ドラゴンと同じく、天井と壁は認識されていないようだ。不思議。











その日から、部屋の中でアプリを立ち上げると、ちょくちょくオッサンが現れるようになった。

いつの間にかローテーブルの脇に座ってのんびりしていたり、ちょうど壁から入ってくるところを見かけたり。オッサンが来る日は、他の異世界生物は現れない。


スマホ画面の中の静物(壁と天井以外)はARキャラに認識されるので、オレは最近オッサンにビール出してやったり食い物出してやったり、餌付けに勤しんでいる。

いぶかし気に手を伸ばすくせに、口に入れたとたん「ンン!」と唸ってがつがつするのが面白いからだ。異世界言語でも美味い時の唸り方は万国共通らしい。

オッサンがいくら飲み食いしようが、実際にはテーブルの上の食べ物は減ってないわけで、オッサンが来た日は、図らずもオレとオッサンは同じ皿から飯を食べている。

ARキャラは時間の経過も記録しているのか、以前オッサンが目を輝かせたメニューを出すと、明らかにオッサンの反応が良かった。

次第に毎日のように一緒に食事するようになり、なんだかこのARキャラのオッサンが同居人みたいになってきた。


……せめて可愛いエルフ娘だったら良かったのになぁ。



















ARアプリ「異界窓」を常に立ち上げたまま生活するのが当たり前になり、2か月が経過した。



いつものようにスマホ片手に街を歩いていると、画面から「ズン」という重い音が聞こえた。立ち止まり、道の端に寄ってスマホの画面を見る。

カメラを多少左右に振って音の出どころを確認してみると、反対車線側のビルの間から、巨大なトロールが現れた。頭の位置がちょうどビルの3階くらいの高さだ。

のっそりした動きでトロールが歩を進めるたび、「ズン」という音がする。こいつの足音か。

リアル寸尺でみるとでかいなぁと思いながらトロールの動きを追っていると、ためらいもなく車道に突き出された右足が、向こうから走行してきたトラックの荷台にぶつかった。


……ぶつかった。


「は?」



蹴り飛ばされたトラックは大きく軌道がぶれ、ブレーキ音を鳴らしながら中央の植樹地帯に乗り上げる。

おそるおそるスマホから視線を外しても、巨大なトロールがいないだけで、見える景色は同じ。トラックは変な角度で止まっているし、周囲の人々はざわついている。


「え?」


スマホの画面を見ると、トロールはぶつけた右のつま先を不思議そうに眺めたが、すぐに何事もなかったかのようにもとのビルの間に戻っていった。


「それ、動画?いまの事故撮ってる?」

近くにいた男性に興奮気味に声をかけられたが、「……いや、これ録画アプリじゃなくて……」とモゴモゴ答える。


これは偶然なのだろうか。いや、偶然には違いないのだけども……。








それからも、たまに変なシーンを見た。


駅の階段に水たまりがあると思ったらスライムで、通り掛かった女性のキャリーカートのタイヤにスライムが絡まって引き摺られ、女性が思わず手離したカートだけ階段から落ちてきたり。

小鬼たちがふざけて振り回した棍棒が、自転車置き場の自転車にぶつかって、自転車が将棋倒しになったり。

ガーデニング趣味な感じのお宅のベランダに、飛んできたハーピーが無理やり着地しようと身体を捩じ込んで、蹴りだされた植木鉢がいくつも地上に落下してきたり。



AR、なんだよな??


たまたまアプリを起動したままカメラを向けたから、映ったリアル映像にARがそれっぽく反応して動くだけなのかもしれない。イヤ、きっとそうだ。リアルの動きに即座に対応してそれっぽく見せるシステムなんだ、きっと。一時期じゃんけんに絶対勝つロボットとか、話題になったじゃん。カメラで人の手を撮影して、人の目ではわからないスピードで後だししてるっていう。あれと同じで……。


だけど……。









近所で火事があった。

夜、通りの向こうのアパートは、カーテン越しにも気づくほどに赤赤と燃えていた。まだ消防車は来ておらず、飛び出して来たらしい近所の住人の人影が赤い炎に揺れている。


唖然とする俺の手に握られたスマホからは、怪獣の咆哮のような音が聞こえる。恐る恐る、カメラを向けると、目が痛むほどに強い炎の中で、巨大なドラゴンが雄叫びを上げていた。口元からはチロチロと火が吹き出し続けていて、ヤツの吐いた炎が民家に引火したようにしか見えない。


不謹慎だ。いくら自動で状況判断するARだからって、これは……。



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()違和感にも気付かず、俺はぼんやりと火災現場にスマホを向ける。

右往左往している人影の中に、明らかに浮いている出で立ちの男がいた。


「□△!!」


悲鳴などに混じる、勇ましい声。黒い鎧。長い剣。


「オッサン?!」


スマホの画面を凝視する。


無理だろ。無茶だろ。あんなボロい装備、どう見ても勇者じゃない。オッサンはモブ冒険者だろ。ひとりでドラゴンなんて倒せるわけがない!

……オッサンが炎の中に駆け込んで行くのと同時、けたたましいサイレンと共に続々と消防車が集まってきた。オッサンの消えたアパートの入口は、路上に止まった消防車に遮られて見えなくなる。


俺は、スマホ片手に部屋を飛び出した。













近付くにつれ、頬がチリチリするような熱を感じる。結構距離があるのに、それでもだ。

消防車はまだ来るのかと驚くくらい台数が増えていて、通りにズラリと並んでいた。忙しなく動く消防士は素晴らしく訓練されていて、短い言葉のやり取りだけでてきぱきと各々の役割をこなしている。

そんな中で、燃えるアパートにスマホをのカメラを向けている俺はとんでもなく不謹慎だ。野次馬をしてる近所の高齢者に睨まれたが、俺はスマホを向け続けた。録画してるわけではなく、火事に飛び込んで行ったARのオッサンを心配しているのだと、自分の中で言い訳する。いや、それならなおのこと不謹慎だろうが。


屋根が抜けたのか、立ち上る火の手が強くなってここからはドラゴンの姿は全く見えなくなったが、腹の底に響くような咆哮はまだ聞こえている。

うろうろと立ち位置を変えても、カメラに映る範囲にオッサンの姿はなかった。


放水が風に散り、小雨のように降ってくる。何度目かカメラの水滴を拭ったところで、「俺は何やってんだろう」と冷静になった。


…………いや心配て。ARアプリなんだから。



掲げていたスマホをそっと下ろす。火の手に向けていた身体の前面がカッカと火照っていた。ゆっくりと後退り、野次馬の中から抜け出た。

燃え尽きたのか、ホースの水圧に負けたのか、赤々と燃えるアパートのあちこちでガラガラと何かが崩れる音がする。


俺はため息をついて、アプリを閉じようとスマホの画面を見下ろした。





画面は、俺の足元を映している。


スウェットにサンダル履きの俺の足元の近くに、何かが落ちている。……黒くて、棒のような。



画面から目を離すが、そこには何もない。


もう一度画面を見て、カメラの位置を動かしていく。




黒い棒ではない。これは……黒焦げの、人間の腕……?


腕だけが落ちている。見覚えのある、黒っぽい革の小手を着けて。


俺はカメラをゆっくりと持ち上げた。





俺がさっきまで立っていた野次馬の後ろに、あちこちが抉れ、捻れ、焦げている、オッサンが仰向けで倒れていた。

血が流れ込んで真っ赤になった眼を見開き、明るい緑色だった瞳は左右てんでバラバラな方向を向いている。


「…………マジか…………」


どうみても、オッサンは死んでいた。


「……モブなのに、無茶するから……」


ポツリと呟く。頻繁に一緒の飯を食べた相手だ。悲しいというより、ショックでどう反応したらいいのかわからなかった。



「……△✕◎*○□※…………」


ぼんやりとオッサンの死体を見ているうちに、火事場の雑音だと思っていた音が、実は画面から聞こえている言語なんじゃないかと気になった。

低いウーハー音みたいだけど、異世界言語で坊さんが読経してる感じに聞こえなくもない。


ゆっくりとカメラの向きを変える。


こちらに背を向けて火事を見ている野次馬の中に、ひとりだけこっちを見ているローブ姿がいた。

ロングコートと思うには不自然すぎる黒いだぼっとした厚手のローブで、フードを被っている。手には長い杖のようなものを持っていて、いかにも非現実的なスタイルだ。


魔法使い?


お経のような、呪文のような不思議な詠唱が終わると、杖のようなものがぼんやりと光った。…………その光で、フードの中が照されて見えた。


ゾクッとする。


フードの中身は骸骨に青黒い皮が薄く張り付いたように見える、目玉だけが爛々と光っているようなミイラ。

魔法使いじゃない、あれは……ああいうのは、いわゆる、リッチというやつだろうか?死んだ大魔法使い、アンデッド使いの……。


アンデッド。


光る杖を向けられて、ビクンと画面の隅の塊が動いた。

不自然に足裏が地面に付き、そこに関節がひとつひとつ無理矢理乗っかっていく感じで、ぐにゃぐにゃガクガクと仰け反りながら身体が起き上がっていく。


…………オッサンの、死体が。


明らかに欠けて、砕けて、部分的に炭化しているのに、どう支えているの理解できないバランスで、オッサンの死体がギクシャクと歩きだす。俺の方へ。

虚ろな表情で、ぐりぐりと濁った緑の瞳をバラバラに動かしながら。



「っ!!?!」


強制的に、スマホの電源を落とす。



画面は真っ黒になり、恐怖に顔をひきつらせた俺が反射して映り込んだ。


もちろん、画面の外にはオッサンのゾンビはいない。リッチも、ドラゴンもいない。

目の前でアパートが燃えていて、消火活動している消防士たちと、野次馬に集まった人垣だけだ。


ドッドッドッと、心臓が早鐘を打つ。

スマホを握りこんだ指が真っ白になるくらい力が入っていたけど、気にする余裕もなかった。



きょろきょろとあたりを見回しながら、俺はアパートに逃げ帰った。








……カタン、と台所で音がした。

俺はベッドから飛び起きて、昨夜から電源をおとしたままテーブルで伏せているスマホを見る。

洗いかごの皿がずれたか、箸やフォークが崩れたのだとは思う。思うけど……。


コ、とスマホの乗ったテーブルが揺れた。……いや、揺れた気がする。いま、揺れなかったか?


誰かのつま先が、テーブルにぶつかったみたいに。







黒く焦げて欠けたオッサンが、いつもそうだったように室内にいるような気がして、俺はスマホの電源が入れられなかった。

ARアプリを立ち上げなければいい気がするが、本当に?

普通に映りこんだ景色のどこかに、写真を撮ろうと立ち上げたカメラアプリの画面に、本当にオッサンは現れないのか?


今、倒れた床掃除ワイパーは、誰かがぶつかったんじゃないか?

揺れたカーテンに当たったものは、本当に風なのか?




異界の窓は、今も開いているんじゃないか……?

歩きスマホ撲滅キャンペーン

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[良い点] 歩きスマホよくないですよね! すごくわかります。 [気になる点] で、これを読んでいたらこんなアプリあったら歩きスマホ楽しそうでした。 [一言] こんなに面白そうにかかれたら歩きスマホした…
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