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75:呪いの黒竜



 偶然再会したガブリエルたちと別れた後、私とジジは彼が護っていた最後の街・ユリヤにやってきた。

 ユリヤは先に訪れた二つの街と比べるとかなり栄えており、港を擁しているおかげか活気がある。更に今丁度お祭りが開催されているようで、人の多さに圧倒されてしまった。



「お祭りをやっているみたいね。……ミーナ祭、って読むのかしら」



 街の入口のアーチにかけられた横断幕に書いてある文字を読み上げる。名前の由来こそ分からないものの、街行く人々が笑顔で互いに花束を渡しているのを見るに、もしかすると花束を贈り合う祭りなのかもしれない。

 ジジは横断幕を見上げて、ぽつりと呟いた。



「……この街だ」


「え?」


「あの少女が住んでいたのは、おそらくこの街だ。祭りの名前が、少女の名だ」



 少女――。

ジジが言っているのは彼にローネの花を贈り続けた少女のことだろう。どうやら少女の名前と祭りの名前が一致しているようだが、祭りの名前の由来がその少女なのだろうか。確かにミーナという名前はごくごく一般的な女性の名前だが――



「えぇ! それじゃあ、ジジが過ごしていた洞窟もこの街の近くなの?」


「あぁ」



 ジジは何かに誘われるようにふわふわとした足取りで街の中へ入っていく。私は人混みを掻い潜りながらその背を追った。

 大通りにはたくさんの露店が出ており、ほとんどの店でローネの花束が売られている。街行く人々も次から次へとローネの花を手に取り、笑顔で渡し合っていた。

 ジジはとある店の前で足を止める。そこの店主は気のよさそうなおじいさんで、客の希望通りの花束をその場で作って見せるパフォーマンスをしており、一際人気のお店のようだった。

 足を止めてしまったジジの腕を引っ張って、邪魔にならないよう通りの端に身を寄せたところ、その店の前にできた列に紛れ込むように並んでしまった。一瞬抜けようかとも思ったが、すかさず後ろに数名が並んだこと、そして何よりジジが動こうとしなかったことで半ば諦めるようにそのまま列に並ぶことにした。

ジジはぼんやりとした表情でローネの花を、そして街の人々の表情を眺めている。



「いらっしゃい! どんな花束にしようか?」



 程なくして順番が回ってきて、私は適当に店先に並べられた花を数種類指さした。すると店主は素早く華麗な手さばきで作業に取り掛かり始める。

 店主が花束を作ってくれている間、邪魔をしてしまうと思いつつも祭りについて問いかけてみた。



「あの、すみません。このお祭りの名前って女性の名前ですよね?」


「あぁ、そうさ! この祭りは少女ミーナが始めたからね」



 この祭りの名前の由来がとある少女であることは間違いないようだ。となると次に気になるのは、その少女はジジにローネの花を贈り続けた少女と同一人物なのか、という点。――しかしこの問いに答えられる者は今のところ誰もいない。

 店主は慣れた手つきで花束を作ると、仕上げと言わんばかりにかわいらしいリボンを巻いてこちらに差し出してきた。



「日頃お世話になっている相手に、感謝の言葉とローネの花を贈る。誰でも素直になれる、素敵な日さ」



 ばちん、とウインクを決めるおじいさん店主。親しみやすく、陽気な人物のようだ。それにおそらくこの街、そしてミーナ祭について詳しい。

 礼を言って花束を受け取った後、助けを求めるように彼を見た。




「その少女について知りたいのですが……」



 祭りを始めた人物とはいえ、生きていたのはかなり昔だろう。正直手がかりを得られるなんて期待はしていなかったのだが、おじいさんは笑顔で「あぁ!」と頷く。そして、



「だったら街のはずれにある孤児院に行くといい。少女ミーナはその孤児院出身で、墓もそこにあるよ」



 これ以上ない手がかりを与えてくれた。

 私は思わず隣に立っていたジジを見る。すると先ほどまでぼんやりとしていた彼の瞳に、強い光が差したのが分かった。

 おじいさんに礼を言って店先から離れる。ジジは迷いのない足取りで大通りから脇道に入り、あっという間に孤児院を見つけ出した。

ジジは孤児院の場所を知っていたのだろうか。それとも、少女に呼ばれたのだろうか。

 孤児院の前で遊んでいた子どもたちが私とジジの存在に気が付いた。聖女の制服こそ着ていないものの、女性と騎士という組み合わせからして不審者には見られないはずだ。

 子どもたちは大人を呼びに行ったのだろうか、一度孤児院の中へ戻っていく。それから程なくして一人の女性が現れた。



「何か御用でしょうか……?」



 女性が恐る恐る訪ねてくる。

子どもたちから見知らぬ二人組がいると報告を受けたのだろう、若干こちらを警戒しているようだ。

 なるべく友好的に見えるように私は笑顔で口を開いた。



「突然申し訳ございません。私はオリエッタと言います。ミーナ祭について、個人的に調べておりまして……」



 そこまで言えば、女性は私たちの目的を理解したらしい。どうぞ、と孤児院の中に招き入れてくれた。

 少女ミーナの墓は孤児院の裏にあった。立派な墓石に彼女の名が刻まれており、墓前にはたくさんのローネの花が添えられている。彼女が街の人々に愛されているのは目に見えて明らかだった。

 一体“ミーナ”はいつ、どのようにその人生に幕を下ろしたのだろう。心優しく、人と人の心を繋ぐことに長け、竜ですら心を傾けた、そんな素晴らしい女性――

 ジジはミーナの墓の前に膝をついた。その後ろで、孤児院の女性は少女ミーナについて語る。



「元々、体が丈夫ではなかったと聞いています。幼い頃から長らく病に臥せっていて……けれど命尽きるそのときまで、賢明に生きたと」


「ミーナさんはローネの花がお好きだったのですか?」


「えぇ、そのようです。ローネの花を栽培して、街の人々に配って……それがミーナ祭の始まりと言われているんですよ」



 ジジは何も言わず、墓に刻まれたミーナの名前を見つめている。その背中に何か感じるものがあったのか、孤児院の女性は「ごゆっくり」とその場から離れ私たちを二人だけにしてくれた。

 膝をつくジジの背中に数歩近づき、問いかける。



「ジジ、少女が病に臥せっていること、知っていたの?」


「あぁ。花を届けにくるとき、いつも咳込んでいた」



 ジジは墓石に手を伸ばす。そしてそっとミーナの名前を指先でなぞった。



「だから護ってやらなければと、思った」



 彼は少女に恋をしていたのだろうか。愛おしく思っていたのだろうか。



「ミーナを残して逝くことが、未練だった」



 残されたミーナはジジの亡骸を前に、一体どうしたのだろう。泣き叫んだのだろうか、優しく弔ってやったのだろうか、ジジを殺した相手を憎んだのだろうか。

 考えるだけで胸が痛む。もし誰かにエデュアルトの命を奪われたら、きっと私は冷静ではいられない。聖女でありながら、穢れや呪いを生み出してしまうほどの憎しみをこの胸に抱くかもしれない。ジジを失ったミーナは――

 俯いた私の鼓膜を揺らしたのは、ジジの吐息交じりの笑い声だった。

 顔を上げる。彼は清々しい表情で青空を見上げていた。



「小さき者は……私が護らなくても、共に手と手を取り合って、立派に生きていくのだな」



 まるで憑き物が落ちたような、心から安堵したような、それでいてどこか寂しそうな笑顔。この瞬間、少女ミーナを残して逝った彼の未練が昇華されたように感じた。

 ジジは小さき者を護ることを使命と感じているようだった。その使命半ばに倒れたからこそ、強い未練を抱いた。しかしジジが残して逝ってしまった小さき者は、少女ミーナは、自分の足で己の人生を歩みきった。――その事実はジジにとって、喜ばしいことだったと思いたい。

 先ほど買った花束を少女ミーナの墓前に添える。そしてジジに提案した。



「あなたが棲んでいた洞窟に行ってみない?」



 ジジが過ごしていた洞窟。――ジジが命を落とした、洞窟。

 心臓が嫌な音を立て始めていた。アラスティア様との会話が鼓膜に蘇ってくる。

 ジジと呪いの一体化。洞窟に足を運び、彼が当時の記憶を鮮明に思い出せば、それが果されてしまうかもしれない。

 きっと喜ぶべきことなのだろう。それを望むのが正解なのだろう。ジジが呪いと一体化することで、エデュアルトが呪いから解放される可能性が高まるのだから。

 けれど私はここまできて尚、決断できずにいた。愛おし気にミーナの名前をなぞるジジの表情が、脳裏に焼き付いて離れなかった。



 ***



 ジジが過ごしていた洞窟は、街近くの森の中にあった。

 道中、森の中にしてはずいぶんと道が整えられていて疑問に思ったのだが、洞窟に足を踏み入れた瞬間その訳を知る。

 洞窟の中にローネの花が大量に供えられていたのだ。思わず駆け寄ると、花に埋もれるようにして墓石が立っていることに気が付く。

 刻まれていたのは、ジジの名前だった。



「……私の墓……」



 唖然と呟くジジ。

 墓前に供えられている花はしなびてしまったものから元気なものまで様々で、定期的に人々がやってきているのだと分かる。目前に広がる光景に、ジジ亡き後の少女ミーナの行動が見えるようだった。

 きっと彼女は丁重にジジを弔ったのだ。そして生前と同じように、ローネの花を贈り続けた。命尽きる、その日まで。

 そんなミーナの姿に影響されたのか、街の人々もやがてジジの墓前に花を供えるようになったのだろう。



「ミーナさんの意志を継いで、今もこの洞窟に花を捧げる人がたくさんいるのよ、きっと」



 ジジは呪いの竜なんかじゃない。少女に愛され、街の人々に愛された、立派な守護竜だ。



「あなたはこの街の人々の心の中に、ずっと生きてる」



 今までも、そしてこれからも。

 隣に立つジジを見上げる。揺れる金の瞳がこちらに向けられ、やがてゆっくりと細められた。人々の愛に包まれた、幸せを具現化させたような笑顔だった。



「ありがとう、オリエッタ。この体はエデュアルトに返す――」



 瞬間、ジジの眉間に皺が刻まれたかと思うと、彼はぐぅ、と腹を抱え込むように体を丸めた。

 幸せに満ちた空気から一転、嫌な予感が胸を掠める。不随意に鼓動を刻む心臓を落ち着かせようと左胸のあたりを強い力で抑えて、私はジジに歩み寄った。



「ジジ、どうしたの? 大丈夫?」



 丸まった背中に触れようとして、見えない力にバチン! と弾かれる。



「な、なに!?」



 ――瞬間、私は自分の目を疑った。

 ジジの体から立ち込める黒い靄。嫌な予感が背筋を走り抜ける。鼻を刺激した焦げた臭いに、心臓が大きく跳ねた。

 ――呪いが、ジジを、エデュアルトを、飲み込もうとしている。

 ふらついた私の肩を誰かの手が強く支える。振り返れば、人間サイズのアラスティア様が鋭い目つきでジジを睨みつけていた。



「エデュアルトに体を返そうとするジジに、呪いが抗っているのかもしれないわ!」


「そんな!」



 おそらくジジはエデュアルトに体を返そうとしてくれた。しかしそれを嫌がった竜の呪いが強引に体を乗っ取ろうとしているのだとアラスティア様は言う。

 黒い靄がどんどんジジの体を飲み込んでいく。近づこうにも呪いのせいか強いプレッシャーを感じて足を前に踏み出せない。女神であるアラスティア様でさえ近づけないようだった。

 聖女なのに、女神の力を持っているのに、心から救いたいと願っているのに、私は何もできない。ただ、呪いに飲み込まれていく彼を見ていることしか――



「近づくな、オリエッタ――!」



 黒い靄の中で叫んだのは果たして誰だったのだろう。ジジか、それとも――

 瞬間、彼の体を包んでいた黒い靄が爆発するように弾けた。その際の衝撃はすさまじく、地面に伏せ瞼を閉じてどうにか耐える。

 どれくらいの時間そうしていただろう。鼓膜を揺らした唸り声に、私は恐る恐る顔を上げた。

 ――そこには、巨大な竜がいた。

 黒い鱗。赤い瞳。ジジとも、エデュアルトとも全く違う姿。

 竜の大きな足によって、街の人々が供えたたくさんのローネの花は無残にも踏みつけられていた。



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