72:ジジと竜の呪い
浄化任務に急遽協力することになった私とジジは、ガブリエルたちの案内で森の奥へと歩みを進めていた。
デュシュネの町から徒歩で向かえる距離に存在している森は、奥に進めば進むほど木々や茂みが生い茂り、光もあまり入ってこないため何かが出そうな怪しげな雰囲気だ。怖い話が得意ではないガブリエルは見るからに怯えていたが、専属騎士のアロイスさんがすぐ傍らで励ましの声をかけていた。
二人の様子を微笑ましく思いつつ、私はあたりを見渡す。
(ここ、ジジが過ごしていた森だったりするのかしら)
ジジが護っていた地は三つの街と一つの森と聞いている。森の中にジジが過ごしていた洞窟があるとのことだったが、もしかしたらここが――
「この森ではない」
横から否定の言葉が飛んできて驚いた。
口には出していなかったはずだが、顔に出ていたのだろうか。
「あ、そ、そうなの?」
「あぁ」
頷いたジジに、確かにこの森にはローネの花が見当たらないな、と思う。デュシュネの町とはそう遠く離れていないが、町と比べて若干肌寒い気候が関係しているのだろうか。
どんどん暗くなっていく視界に注意深くあたりを見渡していたら、
「きゃあ!?」
前を行くガブリエルが悲鳴を上げた。
慌てて声の方を見やる。どうやらガブリエルが根っこにでも足を取られたのか転びそうになっていたようで、アロイスさんが抱きかかえるような形でガブリエルを支えていた。
「ガブリエル様、大丈夫ですか!?」
「えぇ、ありがとう、アロイス」
しっかりと互いに顔を見て会話する二人の姿になんだか嬉しくなる。彼らは彼ららしく、そして彼らなりに距離を縮めているようだ。
「ふふ」
「嬉しそうだな」
思わず零れた笑い声にジジが反応した。傍から見てだらしない笑顔を浮かべていたのかもしれない。
指摘されたことで自然と頬が赤らむのを感じながら、恥ずかしがることでもないと思い大きく頷いた。
「えぇ、二人の距離が縮まっていると思うと、なんだか嬉しくて――」
その刹那、いきなりジジに手首を掴まれたかと思うと、そのまま地面に転がされた。
突然のことに私の思考が追い付いていくはずもなく、体を縮こまらせて木々の隙間から僅かに見える空を見上げる。
「な、なに!?」
「魔物だ!」
混乱する私の上に覆いかぶさったジジは、腰に差していたエデュアルトの剣を乱暴に振るう。そんな周りの様子も見ず、力任せに振ったところで魔物にあたるはずがない――と思いきや、私のすぐ横に狼に似た姿の魔物が倒れこんできてぎょっとした。
今の一振りで仕留めてしまったのだろうか。依然ジジに覆いかぶさられたまま身動きが取れなかった私は、魔物の胸のあたりを凝視する。すると僅かにだが上下に動いていることが見て取れた。
まだ息はある。それに、鼻をつくこの焦げたような臭いは――
穢れに影響を受けてしまった魔物と見て間違いないだろう。すぐに浄化してあげなければ、と地面に倒れこんだまま魔物に向かって手を伸ばしたときだった。私に覆いかぶさっていたジジの体がゆらりと起き上がると、剣先を魔物の喉に突き付けた。
前髪の隙間から覗ける金の瞳が、鈍く光っている。エデュアルトとも、数分前のジジとも違う、ぞっとする底冷えした瞳。
――殺す気だ。
私は咄嗟に叫んだ。
「エデュアルト! 殺してはだめ!」
ぴたり、と寸でのところで剣先が止まる。その隙に私は体を起こして、剣を持つジジの右腕に手をかけた。そしてそのまま剣をしまわせようとぐっと力を込めて引いたのだが、びくともしない。
「なぜだ。私たちの脅威になる」
ゆらり、と向けられた金の瞳に恐怖を覚える。ジジにすら感じたことのない、恐怖を。
“彼”は一体誰なのだろう。エデュアルト? ジジ? それとも――
震えを悟られないよう一度ぐっと奥歯を噛みしめてから、“彼”に言い聞かせるように言った。
「穢れの影響で狂暴化してしまっているだけよ。殺す必要はないわ」
目を逸らすことなく、金の瞳をじっと見つめることたっぷり十秒。鈍い光を発し、どこか淀んでいた瞳に光が差した。
ジジはゆっくりと剣をしまう。そして気まずそうな表情で魔物の許から離れた。
急ぎ魔物の浄化と治癒を行えば、元はおとなしく臆病な種だったのか素早い動きで逃げていった。
茂みの中に消えていく魔物を見送って、こちらを心配そうに見ていたガブリエルたちに「大丈夫!」と合図を出す。
「さぁ、はやく穢れの元を探しましょう」
そして再び歩き出した。
しばらくジジは無言で何か考え込んでいるようだった。じっと自分の手を見つめ、突然上空を仰いだと思いきや俯き足元を見る。
先ほどの彼の様子は明らかにおかしかった。魔物に紛れもない殺意を向けていた。穏やかなジジは表面上だけで、やはり彼は恐ろしい呪いの竜なのだろうか――
「穢れは、一体何が原因で生まれる?」
ジジからの問いかけに思考の海から引き戻される。
女神の使いであるはずの彼が穢れについて知識がないことは予想外だったが、尋ねられた以上は簡潔に答える。
「人間、動物、魔物……生きているありとあらゆるモノの感情から」
「呪いも同じか」
間髪入れずに投げかけられた言葉に、私はすぐに頷き返せなかった。
ジジは己の呪いについてどこまで知っているのだろう。どこまで自覚しているのだろう。――背筋からせりあがってくるような、嫌な予感はなんなのだろう。
嘘をつく理由も誤魔化す理由もないため、数秒の間が空いてしまったが私は頷く。
「そうね。ただ呪いは呪う対象が細かく定まっているの。特定の対象に激しい感情を向けたとき、その感情は呪いとなって相手に降りかかる……」
「私はエッセリンク家の者を、激しく憎んだのか」
――呪った張本人が何を言っているの?
喉元まで出かかった言葉。しかしジジの表情を目にしたことによって寸でのところで飲み込んだ。
彼は心底驚いたような、信じられないと言いたげな表情をしていた。目を見開き、瞳を揺らし、口を小さく開いて。
「……覚えていないの?」
ジジは否定も肯定もしなかった。その代わり、昔を思い出すように目を眇める。
「確かに私はエッセリンク家の者に殺された。しかし死の間際、私が抱いていたのは憎しみではなく、未練だ」
「未練?」
「小さき者たちを守り続けられない未練、ネローネ様から与えられた役目を果たせなかった未練、あの少女の笑顔をもう二度と見られないのだという、未練……」
ジジの口から語られた“未練”は私が想像していたものにとても近かった。だからこそ自分に都合の良い言葉を素直に飲み込みきれず、駄目押しをするように問いかける。
「それらを果たせないのはエッセリンク家の騎士のせいだと、憎しみを向けたのではないの?」
とうとうジジは立ち止まってしまった。
彼は口元を手で覆い、じっと地面を見つめる。
「そう、なのかもしれない。だが、私は……」
自分のことなのに、随分と自信のない口調だ。
はるか昔のことすぎて記憶が薄れてきているのだろうか。しかしだとしたら、薄れる記憶と共に呪いの効力も薄まっていくものではないだろうか。
戸惑いを隠せないジジの姿に、私は確信を深めていく。
(やっぱり竜の呪いはジジの手を離れている……?)
アラスティア様の予想は正しかったのかもしれない。
私もジジの横で足を止めて、彼の様子をじっと見つめる。表情の変化や小さな独り言を逃さないように、じっと――
感覚を研ぎ澄ませていたおかげで、がさり、と背後の茂みがたてた小さな音を聞き逃さなかった。
「オリエッタ! 後ろ!」
ガブリエルが叫ぶ。状況を把握しきれないまま私は目の前の体に突進して、そのまま地面に伏せた。




