07:初めての街
馬車を降りた先に広がっていたのは、活気あふれる街並みだった。
エデュアルトが開けてくれた扉の先に私は駆け出していく。
「わぁ! 街だわ!」
今世ではこんな大きな街に出るのは初めてだ。大通りから香ってくる食欲を誘う匂いにも、騒がしい人々の話声にも、色とりどりな街並みにも、五感で感じるものすべてに感動してしまう。
「オリエッタ、あまり走ると危ない」
落ち着きなくあたりを見渡していた私に、エデュアルトが注意する。おそらく馬車から降りたときのことを言っているのだろう。
「ご、ごめんなさい。でも、こんな大きな街に来たの、初めてで……」
「ずっと大修道院にいたのか?」
背後からの問いかけに、頷きながら振り返る。
「小さな頃からずっと、聖女になるために勉強をしていたから……」
振り返った先に立っていたエデュアルトは目を丸くしていた。大修道院からほとんど出たことがないという話に驚いたのだろうか。
聖女は多くが私と同じようなものだから、と続けるべきか迷って、しかし私が口を開くより先に、エデュアルトが提案してきた。
「種火を届けた後は時間に多少余裕がある。街をまわってみよう」
――そんな、自分から仕事を増やすようなことを言っていいのだろうか。種火を届けるなり宿屋に直行して、翌日まで休んでいた方がずっと楽だろうに。
心配しつつも、エデュアルトの提案はとても魅力的なもので、私は花に誘われる蝶のようにふらふらと近づく。
「……いいんですか?」
投げかけた問いかけに、エデュアルトは息を吐き出すように笑った。
「なぜそこで敬語になる? 任務を終えた後の息抜きまで咎められることはないはずだ。少しぐらい構わないだろう」
今目の前にいるのが例えばガブリエルであったのなら、ありがとう! と叫んで抱き着いていただろう。それぐらい嬉しかった。
しかし当然ながら今目の前にいるのは同性の友人ではなく、異性の騎士だ。抱き着きでもしたら前世でいうセクハラになりかねない。だから興奮に頬を紅潮させて「ありがとう」とお礼を言うだけに留めた。
「教会は……こっちね!」
一刻も早く任務を終えようと街の入口にあった地図を見て、教会へ続く道を確認する。そしてエデュアルトと肩を並べて歩き始めたのだが――
(目立ってるわね……)
ちらちらと向けられる目線の数々に、身を隠せるわけでもないのに背を縮こまらせた。
目線の理由は二つ。私が着ている聖女の制服と、エデュアルトの容姿だ。
純白の聖女の制服はほとんどの人が一目見てそれと分かる。分かるように作られた制服なのだから当たり前だが、目立つのは避けられない。しかし目立っているのは私ではなく制服であるから、着替えてしまえば多くの視線に晒されることもなくなるだろう。
一方で女性の視線を掻っ攫っているのはエデュアルト本人。きっとどんな格好をしていたって、この容姿は目立つ。しかし当の本人は素知らぬ顔で歩いていることから、彼にとってはこれが日常茶飯事なのかもしれない。
四方八方から感じる視線に早足になりつつも、どうにかこうにか教会へと辿り着いた。
大きな街の、大きな教会だ。天井が高く、立派なステンドグラスが壁一面に広がっている。騒がしい通りから一転、切り取られたような静寂が広がる教会に、ほっと息をついた。
「聖女様、ですか?」
若いシスターがおそるおそる、といった様子で話かけてくる。
聖女として相応しい振る舞いをしなければ、と小さく咳払いをしてから頷いた。
「コレット大修道院より参りました、聖女のオリエッタ・カヴァニスと申します。司祭様はいらっしゃいますか?」
「司祭様でしたら、あちらに」
普段より自然と声のトーンが高くなった私の問いかけに、シスターは教壇の方を示した。そちらを見れば、立派な髭を蓄えたいかにも司祭様、といった出で立ちの男性が別のシスターと話し込んでいた。
教壇の後ろに聖火が燃えているのが確認できる。鉄の柵で聖火の近くに行けないようにしているようだった。
エデュアルトを振り返り、聖火の種火が入ったランタンを受け取る。そして司祭様の許へ近づけば、私たちの足音に気づいたのか、彼はこちらを見た。
「おぉ! お待ちしておりました!」
大修道院の方から今日聖女が種火を届けると事前に連絡があったのだろう。司祭様は待ちかねたというように両手を広げて歓迎してくださった。
挨拶もそこそこに、司祭様は柵の扉になっている部分を開ける。そして私に中に入るように促した。
私はランタンを持って聖火に近づく。そして聖火の前でランタンを開ければ、種火は自然と聖火の中に吸い込まれていった。
――任務完了だ。
「はい、確かに。ありがとうございます、聖女様」
心なしか先ほどよりも燃える勢いが強くなった聖火を満足げに眺めながら、司祭様は言う。
「いいえ、これが務めですから」
想像していたことではあるが、あまりに呆気ない任務に若干拍子抜けしつつも、決して表には出さないように微笑んでみせた。
任務が終われば長居する必要はない。教会側としても、聖女に居座られても困るだけだろう。そう判断し、早々に退散した。
教会から出た私たちを出迎えたのは、心地よい日差し。初めての任務を終え、すっかり緊張がほぐれたこともあり、思わずその場で伸びをしてしまう。
「初任務完了、おめでとう」
エデュアルトの労わりの言葉に、彼を笑顔で見上げる。そちらこそお疲れ様、と声をかけようとして、
――ぐぅ~。
間抜けな腹の虫が響いた。
誰のって、私の。
緊張が一気にほぐれたせいだとか、そう言えば朝食を摂っていなかっただとか、様々な言い訳が脳裏を駆け巡ったものの、恥ずかしさのあまり口がわなわなと震えるばかりで、うまく言葉にできない。
顔を真っ赤にして、ちらりとエデュアルトの様子を窺う。すると彼は口元を手で抑え、肩を僅かに震わせていた。
――笑うのを我慢している!
その気遣いに余計に羞恥心を煽られ、私は耳まで真っ赤にして俯いた。
(こんな、任務初日にとんだ失態を!)
恥ずかしすぎて、顔があげられない。
うぅ、と一人で呻いていると、頭上から優しい声が降ってきた。
「とりあえず、何か腹に入れよう。いい店を知っている」
若干語尾に笑いを滲ませたその声は、とても柔らかくて。
恐る恐る顔を上げる。思いの外近くにあったエデュアルトの顔には、呆れや嘲弄といった感情は浮かんでいない。彼はどこまでも優しい表情を浮かべていた。
彼の表情に安堵したものの、恥ずかしさが完全に消え去ることはなく、赤らんだ頬のままゆっくりと頷いた。




