69:ローネの花
――呪いの竜・ジジが護っていた地は街が三つと、森が一つ。
まず最初に訪れたのは、コレット大修道院から一番近い街・フルメヴェーラだった。
そこまで広くはないものの街の中心に大きな花畑があり、観光名所としてそれなりに有名なようだ。花畑の周辺には露店も出ており、とても活気がある。
「うわぁ、すごい……! 街の中心にこんな花畑があるなんて!」
あまりに見事な花畑を前にして、私は本来の目的――ジジの案内――も忘れてはしゃいでしまった。大修道院にも素晴らしい庭師の手によって整えられた庭園が備わっているが、ここまでの感動は得られない。
一通り堪能したところではっと我に返り、慌ててジジを振り返る。すると彼はある花の前に膝をついていた。
そっとジジの背後に近づき、彼の手元を覗き見る。ジジが見つめていたのは、淡い紫色の花びらがかわいらしい小さな花だった。
「ネローネ様が愛していらっしゃるローネの花だ」
「女神様が愛した花……」
私の気配を察したのか、ジジは目線こそ花から外さなかったものの、端的に説明してくれる。
ローネの花。おそらくはこの花が咲いている場所こそ、ジジが護っていた地なのだろう。
ジジの隣にしゃがみこみ、彼と同じように淡い紫の花をじっと観察する。愛らしく、しかしどこか神秘的なその花は、なるほど女神様が愛した花に相応しかった。
隣に膝をつくジジの横顔を盗み見る。彼は今までになく穏やかな表情でローネの花を見下ろしていた。
(ジジもこの花が好きなのかしら)
ほのかに緩んだ口元に、そんなことを思う。
ジジの隣から立ち上がりあたりを見渡した。ここに来るまでの道すがら、花束を売っている露店があったことを思いだしたからだ。
私の記憶に間違いはなく、すぐ近くに花を取り扱っている露店を発見する。所せましと並べられている色とりどりの花の中に、ローネの花が見えた。
他の誰かに買われてしまう前に、と慌てて露店に駆け寄ってローネの花束を注文する。かわいらしくラッピングしてもらっている間も、ジジの後ろ姿はほとんど動かなかった。
久しぶりに見るその花によほど感慨深さを感じているのか、単純にその花を愛しているのか。
花束を手にジジの許へ戻る。そして再び彼の傍らにしゃがみ込み、そっと花束を差し出した。
「ジジ、はい」
「…………」
――突如目の前に差し出された花束に、数秒、ジジは固まっていた。
何も言わない彼に不安になる。ジジは自然の花を摘み花束にして売るという行為を好ましく思っていないのだろうか。だとしたら、不快な思いをさせてしまっただろうか。
どうであれジジに意思表示をしてもらわないとこちらとしても対応に困るため、返事を促すように再び口を開いた。
「あっちでローネの花束が売っていたの。あなたもこの花が好きなのかと思って……ジジ?」
再び名前を呼べばようやく彼の金の瞳がこちらを向いた。かと思うとジジは差し出された花束を受け取る。どうやら花束が嫌いな訳ではなさそうだ。
ローネの花束を手に、ジジはぽつりと呟く。
「すまない。少し昔のことを思い出していた」
「ローネの花に思い出があるの?」
ジジは小さく頷き、立ち上がった。そして過去に想いを馳せているのか、頭上に広がる青空を見上げる。
「一人の少女が私の許に、定期的にローネの花を届けてくれたんだ」
私もジジの後を追うように立ち上がり、青空ではなく彼の横顔を見上げた。
目を眇めてどこか寂し気な表情を浮かべるジジ。見ているこちらの胸が締め付けられるような、切ない横顔だった。
「守り主であるジジにお供え物をしていたってこと?」
今度は左右に首を振った。
「確かに私はネローネ様に命令されこの地を守っていたが、小さき者たちは私を守り主とは認識していなかった。小さき者を怖がらせないよう、極力洞窟の中で過ごしていたからな」
「だったら、その子はどうして?」
「森に迷い込んだのを助けてやったのがきっかけだ。礼のつもりだったのだろう」
そこで空を見上げていたジジがこちらを見る。しかし金の瞳に私の姿は映っていないように感じた。
おそらくジジは、“少女”の姿を見つめている。
助けた少女と彼との心温まる交流に思いを馳せる。竜は人間より寿命が長いと言われているが、少女はジジより先に亡くなってしまったのだろうか。それともジジの方が先に討伐されてしまったのだろうか。
もしそうだとしたら、ジジは少女に未練を残している可能性も――?
「――お兄さん! 彼女さんに似合うブローチはどうだい?」
不意に背後から大声で声をかけられて、私はその場で飛び上がった。
驚きに竦みあがった心臓を落ち着かせてから振り返る。すると若干離れた場所に出ていた露店の店主がこちらに向かって大きく手を振っていた。
声をかけらればっちり目が合ってしまった以上、このまま無視するのは心苦しい。しかしブローチを買うつもりもないし、さてどう躱そうかと思案していたら、私より早くジジが動いた。
彼は予想外にも露店に向かっていった。私も慌ててその後を追い、二人並んで机の上に並べられた商品を眺める。
店主の言葉通り、売られていたのはブローチをはじめとしたアクセサリーだ。どれもこれも花をモチーフにしており、花畑目当てでやってきた観光客向けに商売をしているのは明らかだった。
綺麗に並べられた商品の中に一つ、気になる物を見つける。それは色や花びらの形からして、ローネの花を象ったと分かるブローチだった。
「これ、ローネの花を象ったアクセサリーね。かわいい」
商品に着けられた値札を見るに、観光のついでに買ってもいいと思えるぐらいのお値段だ。私とジジが並んで商品を眺めている間にも、おそらくはカップルと思われる男女が店先に誘われるように近づいてきて、それなりに売れていそうだといやらしいことを考える。
びし、とジジの指がローネの花を象ったブローチを指さした。
「これを一つもらおう」
「毎度あり!」
まさか、ブローチを買うなんて。ネローネ様へのお土産にするつもりだろうか。
それよりもジジが懐から出した財布は、どう見てもエデュアルトのものだった。ネローネ様からお小遣いをもらっている訳はないし、まさかエデュアルトのお金を――
訝し気にジジの背中を見つめていたら、くるりと彼は振り返り、
「ここまで連れてきてくれた礼だ」
先ほど買ったばかりのローネの花のブローチをこちらに差し出してきた。
――ネローネ様へのお土産ではなく、私への贈り物のつもりで買ったらしい。
予想外の展開に驚きつつも、差し出されたブローチを半ば反射的に受け取る。するとすぐさまジジはこちらに背中を向けて歩き出してしまったため、私は慌ててその後を追った。
「あ、ありがとう」
ジジの背中にお礼を言ったのだが、きちんと聞こえていただろうか。




