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61:兄弟の絆



 光が満ちて、引いていく。

 次に目を開けたときにはあたりの霧はすっかり晴れており、“鎧”が立っていた場所にはパウエル様が唖然と立ち尽くしていた。

 ――抱き着いていた体が、僅かに身じろぐ。

 私ははっと我に返ってその体から離れようとした。しかしそれより早く背中に逞しい腕がまわり、ぎゅっと抱きしめられる。



「ありがとう、オリエッタ」



 耳元で囁かれた声に体全身から力が抜けてしまった。エデュアルトの優しい声に心の底から安堵した。

 数秒の後、ゆっくりと抱擁が解かれる。緩慢な動きで顔を上げれば、細められた銀の瞳と目が合った。

 ――成功だ。霧は晴れ、エデュアルトは竜の呪いに飲み込まれずに済んだ。



「あ、兄貴?」


「パウエル!」



 何が起こったのか理解できていないのだろう、唖然とこちらに近づいてくるパウエル様。

 私の肩を支えたままエデュアルトは弟を呼んだ。そうすればぼんやりとしていた銀の瞳の焦点がエデュアルトに定まる。そして先ほどよりもしっかりとした足取りで更に近づいてきた。



「な、なにが起きたんだ? 俺、さっきまで変な魔物と戦って……」



 パウエル様はあたりをきょろきょろと見渡す。

 やはり彼からするとエデュアルトの姿が魔物の姿に見えていたらしい。エデュアルトが剣筋でパウエル様だと見抜けなかったら、互いに幻覚を見せられたまま、どちらかが倒れるまで戦い続けていたのだろうか。考えるだけでもぞっとする。



「幻覚を見せられていたんだ。どうやら女神が大樹に近づく穢れや呪いを排除するために細工をしていたらしい」



 エデュアルトの端的な説明にパウエル様は納得したようだった。

 彼はなるほど、と数度小さく頷いて、“そのこと”に気づいたのかまっすぐな瞳でエデュアルトを見た。そして問いかけてくる。



「でも兄貴たちはどうしてそれが分かったんだ? 同じ幻覚を見せられていたんだったら、俺の姿が魔物に見えてたんだろ?」


「…………」



 エデュアルトはぐっと顎を引いて黙り込んでしまった。剣筋から幻覚の正体を見破ったことを話すつもりはないらしい。

 俯くエデュアルト。見つめるパウエル様。不可抗力ながら二人の間に挟まれた私はエッセリンク兄弟の顔を交互に見上げ――過ぎた真似だと重々承知の上で、口を出してしまった。



「エ、エデュアルトが剣筋から魔物の正体がパウエル様だって見抜いたんです」


「オリエッタ!」



 焦ったように、咎めるように名前を呼ばれる。しかしこのことだけは伝えるべきだと思ったのだ。

 パウエル様はじっとエデュアルトの横顔を見つめている。その視線に耐えきれなくなったのか、エデュアルトは早口で呟いた。



「……手首を軸にして剣を遊ばせる癖、直ってないんだな」



 ――あぁ、やっぱり、エデュアルトは弟パウエル様のことを今もずっと大切に思っているのだ。昔からの癖を覚えていて、幻覚に惑わされることなく、瞬時にその正体を見抜けるぐらいには。

 パウエル様の顔に喜びが広がっていく。しかし自分のだらしなく緩んだ表情を恥じたのか、ばっと勢いよく顔をそむけると、横目に兄を見て口元を尖らせた。



「兄貴は、直しちゃったのかよ。俺、兄貴の真似してたのに」



 数秒の沈黙。エデュアルトとパウエル様は互いにじっと見つめ合い、そして――全く同じタイミングでふ、と破顔する。

 今回のことは、お互いに大切に思っていたからこそすれ違ってしまっていたエッセリンク兄弟が向き合うきっかけになったのではないだろうか。今すぐ昔のような関係に戻ることはできないだろうけれど、これから徐々に歩み寄れるはず――なんて、口に出せば何様だと咎められそうなことを思う。

 霧も晴れ、エッセリンク兄弟も手と手を取り合い、これにて一件落着!

 心の底から安堵し、どこかぎこちなく笑いあう兄弟の姿を見守っていたところ、



「いやぁ兄弟の絆のおかげで、相打ちせずに済んだっすね!」


「ア、アウレリオ様!?」



 どこから現れたのか、聖女ジーナの専属騎士であるアウレリオ様が私のすぐ隣で笑っていた。



「美しきかな兄弟愛、ってことっすねー、アイロミーナ様」



 そしてこれまたいつの間に現れたのか、アウレリオ様は隣に立っていたジーナ様――アイロミーナという名前では決してない――に声をかける。彼女は名前を間違えられたことなど一切気にしていない表情で、「そうだね」と頷いた。

 驚き固まってしまった私たちの耳に、パウエル様を探すアウローラ王国騎士団の声が届く。どうやら彼らも霧を抜けられたらしい。

 合流した後、誰一人欠けていないことを確認する。そして隊列を組みなおし、本来の目的である魔物と大樹の捜索を再開しようと歩き出したときだった。



『よくぞここまでたどり着いた』



 腹の底まで響く深い声が響いた。

 聞き慣れない声にあたりを見渡す。しかし人影はどこにもなく、私たちの間に緊張が走る。



「誰!?」


『こっちじゃ、上じゃ』



 言われた通りに上を見上げると、そこには――周りと比べて一際大きな大樹があった。

 驚くべきことにその大樹には顔があり、「頑張ったな」と大きな口が動く。どうやら先ほどの声は、この大樹のものらしかった。



「た、大樹がしゃべった!」


「女神の力を与えられて、意志を持ったのね」



 すかさず入ったアラスティア様の解説のおかげでそこまで混乱しなかったけれど、大樹が話すという光景は中々に受け入れがたい。アラスティア様の解説を聞くことができなかった騎士たちは尚更で、動揺のあまり剣を抜く者までいた。

 大樹は剣先を向けられても動じない。どうやら大らかで心の大きな人――人、と言っていいのか分からないけれど――のようだ。



『ここまでたどり着いたそなたたちにこれを授けよう』



 木々の隙間から一筋の光が足元に落ちた。かと思うと、その光の筋を道のように辿って頭上から何かがゆっくりと落ちてくる。私は反射的に数歩前に出て、落ちてきた“何か”を受け取った。

 感触からして、それは布だった。若干薄汚れていたが繊細な模様が施されており、高価なものだろうと見当をつける。ここまで苦労して手に入れたものなのだから、何か特別なアイテムではないかと期待してしまうが――

 この布が一体何なのか問いかけようと大樹を見上げて、先ほどまで動いていた“口”が見当たらないことに気づいた。口だけじゃない、顔自体がなくなってしまっている。

 女神の大樹は役目を終えたと言わんばかりに、ただの一際大きな大樹に戻ってしまった。



「ところで、魔物の住処はどうなったんだ? まだ見つかっていないだろう?」



 パウエル様の言葉にはっとする。彼の問いかけによってぼんやりしていた脳に酸素が送り込まれたようだった。

 そうだ、大樹の捜索任務は無事に終えることができたが、肝心の魔物捜索任務がまだ終わっていない。すっかり目的を達成した気になっていた。むしろここからが本番だ。

 気の抜けた己の心を叱咤するように二度頬を叩いた瞬間、



「あ、それならこっちで解決済みっす!」


「え?」



 元気よくアウレリオ様が手を上げた。

 ――解決済みって、どういうこと?

 困惑の視線をその身に引き受けたアウレリオ様は、しかしニコニコ笑顔を浮かべたままそれ以上何も言おうとしない。助けを求めるように視線を彷徨わせると、手を挙げたアウレリオ様の横で、ジーナ様が表情を変えずに説明してくださった。



「さっき魔物の棲を見つけたから対処しといた。穢れに影響を受けた訳じゃなくて、子どもが生まれて殺気立ってただけみたい。今は落ち着いてる」



 ――アウレリオ様が言い放った「解決済み」とはその言葉通り、魔物の件は全て解決した、という意味だったらしい。

 自分たちが幻覚に苦しめられていた真っ最中、ジーナ様たちはあっという間に幻覚を打ち破り魔物の棲家を見つけていたということになる。そして魔物が殺気立っていた理由を瞬時に見抜き、的確な処置を施した。

 あまりの仕事の速さに信じられない気持ちが顔をのぞかせたが、彼女たちが嘘をついているようには見えないし、そもそも嘘をつく理由もない。



「いつの間に……」


「たぶん、あなたたちが幻覚騒動でばたばたしてたとき。わたしたちは幻覚なんて見なかったもの。他のアウローラ王国の騎士団員たちも一緒だったし」



 私は思わず右肩に座ったままのアラスティア様を見た。

 ジーナ様の言葉を信じると、幻覚を見せられていたのは私とエデュアルト、そしてパウエル様の三人だけということになる。なぜ私たちだけが、と不思議に思うのは自然なことだろう。



「……もしかしたらエデュアルトの呪いにさっきの大樹が反応して、エデュアルトと縁深そうな個体を狙って排除しようとしたのかもしれないわね」



 なんだか微妙に納得いかないが、誰一人大きな怪我をすることなく、エッセリンク兄弟の確執もほんの僅かではあるが解消された。結果オーライと思うしかない。

 ――いや、良いように考える前に、本来の目的達成において何一つ役立てなかったことをまずは謝罪するべきだ。



「お力になれずすみません……。ありがとうございました」



 聖女ジーナ、騎士アウレリオ、そしてアウローラ王国の騎士団の方々に大きく頭を下げた。するとエデュアルトとパウエル様も同じように謝罪する。

 一瞬重い沈黙が流れたが、



「いやいや、俺たち、そのために来たんすから! 当たり前のことしただけっす!」



 ケラケラ笑うアウレリオ様のおかげであたりの空気が緩んだ。彼の明るさに救われた。

 ありがとうございます、と再度頭を下げ、ふと思い出す。先ほどエデュアルトの呪いを解こうとしてかなり強い女神の力を使ったが、アラスティア様の許まで力を巡らせられただろうか。

 大元の目的はアラスティア様の解放なのだ。いくら女神の大樹を見つけられようと、アラスティア様の解放に近づけなければ意味がない。



「アラスティア様の体調はいかがですか?」


「まぁまぁいいわ」



 そう答えたアラスティア様の顔色は確かに良かった。私自身は多少力を使って疲れた、ぐらいしか変化を感じないが、彼女の言葉を信じることにしよう。

 先ほど女神の力が宿った大樹から受け取った布切れを見る。正直特別な物には見えなかったが、ナディリナ様に渡してみれば思いもよらない事実が明らかになるかもしれない。

 ――かくして、大樹捜索の任務はこれ以上ない形で無事終了したのだった。



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