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58:聖女と専属騎士の関係



 森の中を進んで程なくした頃、深い谷を前に私たちは足踏みしていた。――というのも、



「この橋、今にも落ちそうっすねー!」



 谷にかけられている吊り橋が見るからに老朽化していたからだ。

 足元の板はところどころ抜け、ちょっとした風でも大きく揺れて嫌な音を立てる。勇敢なアウローラ王国の騎士団でさえ躊躇いを見せるほどだった。



「橋を使わず魔法で一人一人運ぶか?」


「だが、万が一聖女のお二人に何かあったら……」



 背後で騎士団員たちが相談している。彼らは聖女わたしたちに万が一のことがあっては、と判断しかねているらしい。

 自分で言うのもあまり気が進まないが、聖女――女神の力が使える存在――は貴重だ。万が一任務中に聖女が命を落とすようなことがあれば責任問題になるのは明らかで、彼らはその責任の重さに躊躇いを覚えているようだった。



「聖女のお二人は俺が運ぼう」



 ざわめきの中で声を上げたのはエデュアルトだ。声に誘われるようにして振り返った先には、竜の翼を背負った彼が立っていた。

 いつの間に、と驚いたのもつかの間、エデュアルトは私に目配せしてそっと微笑む。心配するな、と言いたいのだろう。



「まさか、竜の呪いの……?」


「エッセリンク隊長の兄である……騎士エデュアルトだったか」



 エデュアルトの姿を見て、騎士団員たちの間に驚きと動揺が広がる。どうやら竜に呪われた騎士の名は王国内で有名のようだ。しかし当の本人は気にする素振りは見せず、もう一人の専属騎士であるアウエリオ様に声をかけた。



「先にジーナ様を運ぶが、渡った先でお一人でいらっしゃるのは危険だ。何らかの手段で貴殿も同時に向こうへ渡れるか?」


「任せてくださいっす~!」



 アウレリオ様は躊躇うことなく頷いた。そしてけろっとした表情で先に吊り橋を渡り始める。

 揺れる揺れる、などと声を上げて笑うアウレリオ様の姿に、騎士団員たちは更にざわめいた。



「パウエル、オリエッタを頼む」



 エデュアルトは弟パウエル様に私を託すと、ジーナ様を抱き上げて飛び上がった。

 大きな竜の翼を羽ばたかせるエデュアルトの姿をはらはら見守っていたが、特にヒヤッとする場面もなく、無事に向こう側へ到着したのを見届ける。アウレリオ様も大きく揺れる吊り橋を難なく渡りきり、自分たちの無事を知らせるためかこちらに向かって大きく両手を振った。

 騎士団の間に安堵が広がる。そしてアウレリオ様の姿に触発されたのか、皆ゆっくりと吊り橋を渡り始めた。

 程なくしてエデュアルトが再びこちら側に戻ってきた。その顔色は悪くない。竜の呪いに飲まれることなく、力を使いこなせているようだ。



「エデュアルト、大丈夫?」


「あぁ、心配するな」



 微笑んで、エデュアルトは私を抱き上げた。そして大きく羽ばたき空に舞い上がる。

 竜の呪いをすっかり制御できているエデュアルトの姿に、正直言って驚いた。

 私の専属騎士を務めてくれる中で、幾度となく強い穢れや呪いの前にその身を晒し、竜の呪いを引きずり出されるような場面が何度もあった。それがかえってエデュアルトの呪いを制御する力に好影響を与えていたのだろうか。

 エデュアルトの横顔を眺めていたら、あっという間に谷を渡り切ることができた。



「ありがとう、エデュアルト」



 どういたしまして、とエデュアルトは微笑みながら竜の翼を“しまった”。その動作もスムーズで、完全に呪いを制御できているらしい。

 随分と丁寧に運んでくれたのか、私の到着と共に騎士団も吊り橋を渡り切ったようだ。皆の無事を確認してから、再び森の中の散策を始める。

 幸いにも道中で魔物に襲われることはなかったのだが。



「どんどん霧が濃くなっていってる……」



 思わず出た呟きに、すぐ横を歩くエデュアルトが頷いた気配がした。

 吊り橋を渡ったあたりから霧が出始めたと思ったら、あっという間に数メートル先も見通せないほど濃い霧に囲まれてしまった。この状況でむやみやたらと歩き回っては危険だと思い、進む道しるべになりそうなもの――例えば、穢れの気配だとか――を先ほどから探しているのだが、それも一向に感じ取れない。



「一度足を止めましょう。このままだと迷い込んでしまう」



 パウエル様の提言で、私たちはその場に腰を落ち着けることになった。

 騎士団が手早い動きで火を起こし、聖女わたしたちを取り囲むように陣を組んで座る。その陣の真ん中で、私とジーナ様は一休みすることになった。



「ジーナ様、穢れを感じ取れますか?」


「ぜんぜん」



 ふるふる、と黒髪を揺らして首を振るジーナ様。

 私は途方に暮れてあたりを見渡したが、濃い霧のせいで近くに座るエデュアルトの顔ぐらいしか見えない。

 過去の経験からして、魔物を狂暴化させてしまうような強い穢れであれば遠くからでも焦げたような臭いが鼻をつく。しかし一向にその臭いがしてこないということは、この森全体がかなり広大で穢れの元に近づけていないのか、もしくはこの森はそもそも穢れてなどいないのか。



「でも、魔物は狂暴化しているようですし……」


「まぁ分からないものはしょうがないっすよね、ハーナ様」



 ――なぜ名前を憶えていないのに、しきりにその名を呼ぼうとするのだろう。

 再びジーナ様の名前を間違えたアウレリオ様に呆れたような目線を向けたところ、隣でエデュアルトがため息をついた。



「専属契約を結んでいる聖女の名前を何度も間違えるのは失礼じゃないか?」



 低いトーンで咎めるような口ぶりのエデュアルトだったが、アウレリオ様は一切気にせず明るく笑う。



「いやぁ、自分、人の名前を覚えるのが苦手なんっすよ。そんな怖い顔しないでください、エミリオッド殿」


「……俺のことか?」


「あれ、違いましたっけ? ドゥライド殿?」



 とうとう呆れて物も言えなくなったのか、エデュアルトは大きなため息をついて口を閉ざしてしまった。

 名前を間違えられても咎めるどころか何も言わないジーナ様に、私は思わず問いかける。



「いいのですか、ジーナ様」


「気にしてない。あたしもあの人の名前覚えてないし」


「えぇ!」



 驚きのあまり大きな声が出てしまった。

 聖女と専属騎士の関係は人によって様々だと分かっている。しかし互いに名前を知らないというのはいくらなんでも――



「だって、今日初めて会ったもの」



 更に驚きの事実が告げられた。

 ジーナ様の名前を間違え続けるアウレリオ様を見て、まさか今日初めて会った相手ではないだろうに――なんて考えていたのだが、その“まさか”だったとは。今までの印象とは一転、初めて会った日にこんな大掛かりな任務に参加することになった聖女と専属騎士に同情してしまう。

 コレット様やシスターはなぜ彼らをこの任務に選んだのだろう。



「そうっす。前の専属騎士はクビになったから自分が来たんすよー」


「クビじゃない。昨日の夜に逃げられた」



 次々明かされる事実に私の頭は追い付かなくなって、私はエデュアルトと同じように口を噤んだ。

 昨日の夜専属騎士に逃げられた、ということは、シスターたちがこの任務にジーナ様を指名したときには前任の専属騎士がいたのだろう。まさか前日の夜に騎士が逃げるなんて、ジーナ様もシスターたちも思ってもいなかったはずだ。

 当日の朝、シスターたちは大慌てだったに違いない。むしろよく代理の専属騎士――アウレリオ様――を見つけられたものだと大いに関心する。



(何があったのかしら……。でも専属騎士に逃げられるってこともあるのね……)



 ジーナ様と前任の専属騎士の間に何があったのかは知らない。けれど騎士に対して、あまりにも無責任ではないかと思ってしまう。

 しかしこれは聖女の立場から考えた場合だ。騎士の立場からして決して許されない“何か”があったのかもしれないし、専属騎士という制度は騎士側の負担が大きいのは明らかで、正直逃げたくなる気持ちも分かる。

 もし私が大きな失敗をしてエデュアルトに愛想を尽かされ、逃げられでもしたら――巡らせてしまった想像に、ありえない話でもないかもしれない、と一人で勝手に落ち込んだ。



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