56:新たな聖地
朝、大聖女コレット様に呼び出された私は、エデュアルトを伴って執務室を訪ねた。専属騎士を連れてきなさいとのお達しだったのだ。
執務室で私たちを待っていたのは、ふんぞり返るナディリナ様とその横で地図を広げるコレット様。
私たちの姿を見るなり、ナディリナ様はコレット様が持つ地図のある場所を指さした。
「聖地の話だけどよ、ここら辺にあった気がする」
ナディリナ様が指さしたのは大修道院からそう遠く離れていない森だ。どうやら約束通り、聖地の場所を思い出して下さったらしい。
心の底から感謝しつつ、“気がする”という若干曖昧な言い方が引っかかっていたら、
「気がするぅ? 女神が不確かな情報よこしてんじゃないわよ」
どこからともなく現れたアラスティア様が荒々しく声を上げてナディリナ様に突っかかった。
「うっせーな! お前も覚えてないだろ!」
実際ナディリナ様の指摘通り、聖地の場所を覚えていなかったアラスティア様はそれ以上強く出られなかったようで押し黙る。その様子を満足げに数秒眺めてから、ナディリナ様は説明を再開した。
「確か女神が最初に降臨したの、ここら辺だったろ。なんか記念にでけー木を植えた覚えがあんだよな」
「あの、ナディリナ様、そのような話は伝えられていませんが……」
「世話すんのめんどくさくなって、拠点移すときにそのまま放っておいたからな」
言葉を挟んだコレット様は絶句していた。話を聞いていた私も記念樹を放っておいた女神様の適当さに呆気に取られてしまう。
「でも最初はナディリナ教のシンボルにしようって、結構力を食わせてたんだよ。あのまま育ってればいい感じの聖地になってると思うぜ」
ナディリナ様はこちらに向かって親指を立てて笑った。
はたして放置した大樹が聖地になっているのかは若干怪しいところではあったが、他に聖地がありそうな場所に心当たりがあるわけでもない。半信半疑でも向かってみる価値はあるだろう。おそらく、たぶん、きっと。
「守り主は? 穢れ受けていい感じに試練になってそう?」
「女神の力は生物を引き寄せっから、長年放置されてりゃいい感じに荒れてると思うぜ」
先ほどとは打って変わって一緒に悪だくみをする子どものような表情で目を合わせるアラスティア様とナディリナ様。
聖地かもしれない場所がいい感じに荒れていていいのかしら、なんて疑問が脳裏を過ぎ去ったが、口にすることはしなかった。女神二人の機嫌を損ねでもしたら面倒だ。
不意に、今までほとんど口を挟まず地図持ち係に徹していた大聖女コレット様が口を開いた。
「実は、この森が狂暴な魔物の住処になっているのでは、という報告はアウローラ王国の騎士団から上がってきているのです」
「アウローラ王国って……」
その国の名前には聞き覚えがある。私の記憶が間違いでなければ、エデュアルトの故郷であったはずだ。
後ろに控えて、一度も口を開かずにいたエデュアルトを振り返る。目が合うと、彼は心配するな、と言うように優しく微笑んだ。
彼が反対しないのであれば、私からは何も言うことはない。
「その報告を聞いている際に、ナディリナ様が先ほどの話を思い出して……」
コレット様の説明に、ナディリナ様が“聖地”を思い出した経緯を悟った。
きっかけがどうであれ、お忙しい中思い出して下さっただけでありがたい――と思っていた私の横で、はん、とアラスティア様が馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「何よ、自力で思い出したわけじゃないってコト。情けないわねー」
「うっせー! この前まで赤ん坊の姿から戻れなくなってたくせに!」
手のひらサイズのアラスティア様がナディリナ様の高い鼻をつまめば、その体を美しいナディリナ様の手がむんずと掴んだ。そこからはもう単純な力勝負だ。鼻先をつまみ続けようと体全身でナディリナ様の顔面に張り付くアラスティア様と、その小さな体を引きはがそうと腕を震わせるナディリナ様。
コレット様も仲裁を諦めたのか、その横で地図をたたんでいた。
「はぁ!? それとこれとは関係ないでしょ! ってか赤ん坊じゃなくてこんぐらいの子どもよ!」
「そんな変わんねーだろ!」
数分に一回喧嘩をしていて飽きないのだろうか。一緒に世界を作るというとてつもないスケールの共同作業をしたとは思えない食い合わせの悪さだ。
女神様同士の喧嘩を止める勇気はさすがになく、私は遠い目をして喧嘩の行く末を見守る。ほどなくして、軍配はナディリナ様に上がった。そもそも手のひらサイズのアラスティア様とでは体格差がありすぎる。
ようやく静かになったところで、地図をたたみ終えたコレット様が仕切り直しするように声を上げた。
「とにかく! アウローラ王国から聖女派遣の依頼を受けています。ですからオリエッタ、あなたともう一人の聖女に向かってもらいます。いいですね?」
いつもより語気の強いコレット様に驚きつつも、異論はなかったので大きく頷く。
アウローラ王国は女神の大樹があるかもしれない森に、狂暴な魔物が住み着いているのではないかと疑っているのだ。狂暴な魔物――すなわち、呪いや穢れで我を失った魔物だ。女神の力を持つ聖女がいなければ話にならないだろう。
王国からの派遣要請に応える“ついで”で、私たちは女神の大樹も探さなければならない。一石二鳥、手間が省けたと喜ぶべきか、負担が増えたと憂うべきか――
「護衛として、アウローラ王国の騎士団が同行する予定です。構いませんか?」
コレット様の視線が私の背後に立つエデュアルトに向く。私も思わず振り返って彼を見た。
――アウローラ王国の騎士団。もしかするとその中には、エデュアルトが顔を合わせたくない“誰か”がいるかもしれない。
エデュアルトは私とコレット様の視線を受け止めて、迷うことなく頷いた。
「構いません」
コレット様はエデュアルトの答えに満足そうに頷いた。
――出発は明日。目指すは女神ナディリナ様が植えられたと思われる大樹。
はたしてそこで何が私たちを待ち受けているのか分からなかったけれど、その夜はなぜだかひどく緊張して、しばらく寝付けなかった。




