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05:聖女と騎士の専属契約



 鏡に映るのは、純白の聖女の制服を身に着けた少女。ゆるいウェーブを描く赤髪に、髪より多少彩度が落ち着いた赤の瞳。――万年候補生だったはずのオリエッタ・カヴァニスが聖女の制服を着て、鏡に映っている!

 呪われし騎士エデュアルトを助けてから、シスター・イネスと共に大急ぎで大修道院へと戻ってきた。そして手続きやら何やらであれよあれよと時間が過ぎ、気づけば聖女の就任式当日だ。

 今の今まで夢でも見ているような気分だったが、支給された純白の制服に袖を通し、ようやく実感が湧いてきた。



(私、本当に聖女になるのね。……専属騎士はまだ見つかっていないけれど)



 あまりに突然の就任で、聖女に必ずつく護衛の騎士――専属騎士はまだ見つかっていなかった。教団側で探してくれているらしいが、果たして元万年候補生に仕えてくれる騎士などいるのだろうか、という不安がどうしてもよぎってしまう。

 定刻を告げる鐘の音が遠くから聞こえてくる。就任式に遅刻する訳にはいかないので、私は慌てて自室を出て、七年間お世話になった聖女候補生の寮に別れを告げた。

 就任式が行われる礼拝堂へ続く廊下を一人歩く。足が軽い。勝手に口角が上がる。気を抜けばスキップしてしまいそうだ。

 どうにかこうにか笑いを噛み殺したそのとき、背後から名前を呼ばれた。



「オリエッタ!」


「ガブリエル!」



 私を呼んだのはつい先日、見送ったはずの友人――ガブリエルだった。

 彼女は傍らに専属騎士を伴って笑顔でこちらに駆け寄ってきたかと思うと、私の手を取り声を弾ませる。



「驚いたわ、急に同期が増えるって聞いたら、まさかあなたなんて!」


「私が一番驚いてる!」



 テンションが高まるあまりガブリエルに抱き着いてしまった。距離を縮めすぎたか、と一瞬後悔したが、彼女は気にせず抱きしめ返してくれる。



「オリエッタと同期なんて嬉しいわ! どうかこれからもよろしくね」


「こちらこそ!」



 ――聖女三人、聖者一人の就任式は、つつがなく執り行われた。

 就任式といっても大聖女コレット様から聖女の称号を拝受するための式であり、コレット様と当人、枢機卿など教団のお偉方、そして大修道院のシスターたちが出席するだけだ。他の同期である聖者と聖女に挨拶をする時間も与えられず、早々に解散になった。

 聖女はそれぞれシスターから命を受ける。ガブリエルは明日にも東の小国に向かうらしかった。私に与えられた命は――



「聖女オリエッタ、あなたはしばらく聖女寮で特訓です。まだ力を使いこなせてはいないし、専属騎士も見つかっていませんからね」


「……はい」



 聖女にはなれたけれど、劣等生という汚名を返上するには、まだまだ時間がかかりそうだ。



 ***



 就任式を終えた後、私は候補生寮から聖女寮へと移り、女神の力を使いこなすための特訓を続けていた。専属騎士はまだ見つかっていない。万年候補生という私の悪名は騎士たちにも伝わっているのか、我こそは、と手を挙げてくれる騎士がいないようだ。

 専属騎士はその仕事の過酷さ故、命令ではなく騎士本人が希望しなければ教団も動けない。過酷な労働環境を強いては騎士から教団への不信感が募り、専属騎士という制度自体が崩れてしまう。それにナディリナ教団が騎士を好きにできる権力を持ってしまえば、それを快く思わない人々も出てくるはずだ。圧倒的な権力は、一歩間違えれば独裁を生み出してしまう。

 聖女が休暇を過ごすための聖女寮はがらんとしている。世界中から聖女は引っ張りだこな存在であるため、時間を持て余している聖女は私を除いていないのだ。

 聖女になれたはずなのに、候補生として過ごしていた毎日とそう変わりない日々を繰り返しているようで、気が滅入っていた。

 ――相変わらず、私は女神の力を自分の意思で使うことができない。



(何も変わってないじゃない……)



 一か月程前から袖を通し始めた聖女の制服は、なぜだろう、就任式のときよりその純白がくすんでしまったかのように思えた。

 竜の呪いに対抗できるだけの力がこの身に宿っている。それは確かだ。しかしその力は使いこなせなければ意味がない。

 全てがうまくいくとは思っていなかった。けれどここまでうまくいかないとも、思っていなかった。

 昼食をとるために食堂へ続く廊下を歩く。――そのときだった。



「なぜあの候補生が修道院にいる! とっとと家に帰せと伝えたはずだ!」



 男性の怒鳴り声に、私は咄嗟に物陰に身を潜めた。

 この声には聞き覚えがある。毎年大修道院に多額の寄付をしている貴族だ。年に一度、寄付者を集めて開かれる謝礼パーティーに候補生も出席させられるのだが、その場で挨拶をさせられた。毎年候補生の中にいる私の顔を覚えていたのか、今年挨拶したときに忌まわしそうに睨まれたからよく覚えている。



「彼女はもう候補生ではありません。竜の呪いを解いた、立派な聖女で――」


「聖女寮で寝ているだけなのに? 専属騎士が見つからなければ各地へ派遣もできん! 寄付金の無駄だ!」



 必死に私を庇ってくれるシスターに、尚も言い募る貴族の男。彼がきっと、目の出ない候補生を切って資金を確保しろと言い出したのだろう。

 男からの寄付金は大修道院を運営するにあたって必要不可欠なほどに多額であった。謝礼パーティーでもかなりの上座に座っていたのを見るに、それは明らかだ。だから彼の言葉には、たとえコレット様であろうと強く出ることはできない――

 だからこそああいった形で、私に最後のチャンスを与えてくださったのだ。



(……私がここにいたら、コレット様やシスターたちに迷惑がかかる……)



 ――大修道院を、出よう。

 これ以上迷惑はかけられない。コレット様やシスターたちは最後まで庇おうとしてくれるはず。だからこそ、自分から出ていこう。

 聖女を破門になれば私には何も残らない。けれどそれもそれでいいかもしれない。ゼロからのスタートだ。新しい道を、人生を模索しよう。

 未だ激高している男に気づかれないようにその場から離れて、大聖女コレット様の執務室へ向かう。その道中の廊下で、



「――オリエッタ」



 ふと、呼び止められた。振り返る。そこに立っていたのは、寂しそうに笑うシスター・イネスだった。



「シスター・イネス? どうされたんですか?」


「エデュアルト様がいらしています」



 エデュアルト様。彼女の口から出てきた名前に数秒思考が停止する。

 何度か口の中でその名前を呟いて、ようやく思い出した。エデュアルト。それは竜に呪われた騎士の名だ。

 お客様を待たせるわけにもいかず、コレット様の許へ向かうのは一旦やめて、大修道院のエントランスホールへと急いだ。会いに来てくれたのだと思うと、純粋に嬉しかった。

 エントランスホールに到着するなり、見慣れない人影が視界に飛び込んできた。大修道院には聖女たちの専属騎士も出入りすることから騎士は特に物珍しくないが、彼の氷のように研ぎ澄まされた容姿はとても目立つ。

 シスターや聖女候補生たちの視線を一心に集めるその人は、堂々としていた。



「エデュアルト様!」



 名前を呼ぶ。そうすればその人――エデュアルト・エッセリンクは、低い位置で一つ結びにした銀の髪を揺らして振り向いた。

 銀の瞳が細められる。それだけでどきりと心臓が高鳴るのはなぜだろう。

 彼が尋ねて来てくれたのが今日でよかった。あと数日ずれていたら、私はもう大修道院にはいなかっただろうから。



「聖女オリエッタ。突然すまない」


「いいえ、お元気そうで安心しました」



 逢いに訪ねていいだろうか、とは言っていたけれど、まさか本当に来てくれるとは。ただの社交辞令の一言だと思っていたのに、随分と律儀な人だ。

 私の口角は自然と上がり、思いの外自分が浮かれていることに気が付いた。それと同時に、周りがどんどんざわめき始めていることにも気づく。

 一体あの方はどなただと、聖女候補生たちが噂をしているようだった。ここで会話を続けては注目を集める一方だ。



「あの、よろしければ大修道院をご案内します」



 とにかくここから離れようと思い、エデュアルトに提案した。そうすれば彼は言葉もなく頷き、私の後についてくる。

 さてどこに行こうか、と考えて、人が少ない中庭を選んだ。中庭へ続く廊下を並び歩きながら、私は毒にも薬にもならない雑談を切り出す。



「お体の方はどうですか?」


「おかげさまでかなりいい。力も徐々に、だが、扱えるようになってきた」



 一瞬、息が止まった。

 安堵と喜びと、ほんの少しだけ、置いて行かれてしまったような寂しさと。

 劣等感を抱えているという共通点はあるが、そもそもの立場が違うのだ。私は力を満足に使えない万年候補生。エデュアルトは竜に呪われてこそいるが、立派な騎士。比べるのも烏滸がましい。



「こんな短期間で、ですか? エデュアルト様はすごいですね」



 どう言葉をかけるべきか迷って、結局子どもみたいな感想しか出てこなくて。それきり会話は途切れてしまう。

 会話が続かない。聖女やシスター以外とどんなことを話していいのか、分からない。七年間ずっと大修道院にいたせいだ。世間の流行りも知らないし、騎士様が何を好むのか、てんで見当もつかなかった。

 せっかく訪ねてきてくれたのに、退屈な思いをさせてしまってはいないかと、エデュアルトの様子を横目で伺う。――彼は、こちらを見て微笑んでいた。



「君に勇気をもらったから」



 ――あぁ、最後にそんな風に言ってもらえて、私は幸せ者だ。まぐれだったとしても、最後に一度だけ聖女としての勤めを果たせたことは、一生忘れられないだろう。

 最後のチャンスを与えてくださったコレット様に、シスターたちに、そしてエデュアルトに、お礼を言いたい。

 私は立ち止まり、エデュアルトに向かって頭を下げた。



「こちらこそ、私に聖女としての勤めを果たさせてくださって、ありがとうございました」



 エデュアルトは不思議そうな表情で私をみていた。彼の立場からしてみれば突然お礼を言われて不思議がるのも当然だろうが、私はニコリと笑ってそれ以上は何も言わなかった。

 再び会話が途切れ、私は話題を見つけるためにもあたりを見渡した。美しい中庭だ。ここに彼の興味を引けるようなものがあればいいけれど――と、中庭に面した廊下の向こうから、男性が歩いてくるのが見えた。思わずげ、と声が出てしまう。

 見つかったのは会話のネタではなく、頭痛の元だった。



(さっきの貴族……!)



 シスターに私を破門するよう強く言っていた貴族の男だ。今見つかれば、間違いなく面倒なことになる。

 私は身を隠す場所を探して、中庭の大きな噴水の影にしゃがみ込んだ。突然のことに驚いたのだろう、エデュアルトはすぐ横にしゃがみこんで、小声で問いかけてくる。



「体調でも悪いのか?」


「いいえ、ただ……見つかったらまずい方がいらっしゃいまして……」



 ちらり、と廊下にいった私の目線を辿ったのだろう、エデュアルトは“見つかったらまずい方”の姿を目にしたようだった。かと思うと「メビュラン候……」と小さく呟く。

 名前を知っているということは、知り合いなのだろうか。あぁ、そういえばあの貴族は、エデュアルトと同じアウローラ王国に属していたかもしれない――



「彼が君に何を?」



 何か勘違いしているのか、エデュアルトは険しい表情で尋ねてくる。

 適当な嘘で誤魔化してもよかったのに、その真剣な表情に、私はついつい本当のことを話してしまった。



「あの方は力を満足に使えない私のことを快く思っていなくて。損切りをしろ、とシスターたちにしつこく言っているみたいなんです」



 重く捉えられないように、へにゃりと笑って明るいトーンで言う。――瞬間、エデュアルトの銀の瞳に、ぎらりと怒りの炎が灯ったのを見た。



「聖女に向かって損切りなどと――!」



 立ち上がり、今にも貴族の許へ走り出しそうになったエデュアルトの腕を掴む。そして彼が口を開くより先に、早口で捲し立てた。



「あの、私、昔から万年候補生で! 力も満足に使えないし、何より専属騎士がつかない聖女はどこに行けません。本当、ただの穀潰しなんです! あの方が仰っていることは正しくて、その、私は辞めるつもりですから! だから大丈夫!」



 何が大丈夫なのかは私にも分からない。とにかくエデュアルトに私なんかのために怒る必要はないのだと伝えたかった。

 そう、貴族の男が言っていることは正しいのだ。そして大聖女様たちもそうした方がいいと薄々わかっているものの、私に対する情で庇ってくれている。だから私が辞めれば一件落着、円満解決だ。

 私が我慢すればいい――



「俺が君の専属騎士になることはできないか?」



 ――鼓膜を揺らした心地よい彼の声は、あまりに自分に都合が良すぎて、幻聴ではないかと一瞬疑った。

 立ち尽くす私に、エデュアルトは微笑んで続ける。



「専属騎士がいれば、君は聖女として務めを果たせるんだろう?」



 彼は私の手をそっと握った。大きくて、あたたかな手だった。

 そこでようやく理解が追い付く。エデュアルトは私のために、専属騎士になろうと立候補してくれているのだ。

 正直言えば、その提案は願ってもないことだった。私が力をうまく使いこなせない事実が変わらなくても、専属騎士さえつけば表面上は立派な聖女だ。適当に近場に派遣して、実習授業のようなことも行える。つまり今すぐ私に必要なのは、女神の力を使いこなす技術ではなく、専属騎士という存在だ。

 そこにエデュアルトが名乗りをあげてくれた――けれど、そんな迷惑をかけるわけにはいかない。専属騎士は聖女を守るために命を張る仕事だ。それを彼は分かっているのだろうか。



「そ、そんな、専属騎士はとても危険な立場で――」


「俺はまだ君に何も返せていない。君の力になりたい」



 銀の瞳に真っ直ぐ射抜かれて、私は何も言えなくなってしまった。

 ――ここでエデュアルトの提案を断れば、私は何もかも失う。聖女になり損ねた者に、きっと世間は冷たい。

 握られたあたたかな手を、握り返してしまいたい。自分勝手なことだと自覚しつつも、縋ってしまいたい。けれど、けれど。

 葛藤する私をよそに、エデュアルトは優しく微笑む。そして腰に差していた立派な剣を鞘ごと引き抜くと、私に向かって傅いた。



「エ、エデュアルト様――」


「どうか、聖女の祝福を」



 エデュアルトは両手で剣を掲げる。

 自分に傅き、祝福を請う騎士。駄目だと、甘えてはいけないと、分かっているのに。

 気づけば私の右手は剣の鞘へと伸びていた。立派な装飾が施されたそれは、エデュアルトが古くから続く騎士の家の出だと、視覚的に訴えてきて。

 指先が震える。脳裏で警鐘が鳴り響く。しかし私の口はまるでそうすることが自然とでもいうように、するりと解け、“それ”を口にした。



「騎士エデュアルトに、祝福が、あらんことを……」



 元万年候補生であり、現在進行形で劣等生の私の祝福なんて、なんの効果もないだろうに。

 エデュアルトは心の底から嬉しそうに笑う。そして、私たちを照らす日の光よりも優しく、穏やかに、言った。



「我が剣は、聖女オリエッタ、あなたと共に」



 ――そうして竜に呪われし騎士は、落ちこぼれ聖女の専属騎士になった。



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