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47:聖女と乙女



 ――朝、四時。

 リアナが用意してくれた鍵を使い牢獄を抜け出し、見張りの目を搔い潜って村の出口まで辿り着くことはそう難しくなかった。村人からしてみれば、牢獄の鍵を開けられるとは思ってもなかったのだろう。見張りは形式上のものにすぎなかったようだ。

 脱出劇は呆気なかったけれど、それもこれもリアナという協力者のおかげに他ならない。



「本当にありがとう、リアナ」



 小さく首を振る少女に、何か言葉以外のものでお礼を伝えられないかと数秒思案する。しかし今の私があげられるものと言えば、多少の装飾が施された髪飾りぐらいだった。

 迷惑だとか、一方的な押し付けだとか、考える暇はなかった。髪飾りをリアナの小さな手に握らせると、「ありがとう」と再び礼を言う。

 そして未だ少年の姿のままのエデュアルトと二人、ここから一番近いと聞いた街に向かって歩き出したときだった。



「近くの街に出るには、こちらの道の方が近いですよ」



 背後から呼び止められる。

 凛とした女性の声。振り返らずとも、その声の持ち主は明らかだった。



「乙女アドリアナ……!」



 私たちを見送るリアナの更に後ろに、乙女アドリアナは無表情で立っていた。暗闇にぼんやりと浮かぶ青白い顔は生気がなく、ぞっと背筋を恐怖が駆け抜ける。

 見つかった。早く逃げなければ。

 そう思うのに、こちらを見つめる金の瞳から目を逸らせない。

 乙女アドリアナは村人たちを呼ぶことなく、それどころかこちらに向かって大きく頭を下げた。



「ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございません」



 謝罪されたことに違和感を覚える。

彼女は自分が聖女を攫うよう村人たちに命令したと自白していた。それなのになぜ謝るのだろう。私がこの村から逃げることは、彼女の計画が失敗に終わることに他ならない。



「……あなたが聖女わたしを攫うように指示したのでしょう? 逃がしてよいのですか」


「私たちと同じ考えでない者に、乙女の名は継承できません」



 乙女継承に関しては彼女の答えに納得したが、そこまで改まった態度を見せるなら、最初から強引に誘拐などしなければいいのに、なんて思う。何らかの形で聖女と接触し、話し合いで乙女継承するに足る聖女かどうか、見極めることもできるだろうに――

 ふと、乙女アドリアナの視線がリアナに注がれた。そこで気づく。

 彼女にとっても、村の少女リアナの行動は予想外だったはずだ。言ってしまえば裏切り行為を働いたわけだが、その少女の姿に、乙女アドリアナも思うところがあったのかもしれない。

 ――小さな少女が村の教えに疑問を覚え、独断で聖女に手を貸した。それを知ったとき、乙女アドリアナは何を思ったのだろう。



「このまま、この村を続けていくのですか」



 気づけばそんなことを問いかけていた。

 乙女アドリアナは微笑んで頷く。その微笑みはどこまでも穏やかで、しかし全てを諦めているような儚さを感じた。



「はい。例え未来がなかったとしても……彼らはこの村以外に居場所などないのですから」



 彼女の言葉は真実なのだろう。この村の人々が外の、ナディリナ教を一切疑うことのない人々と共に生きていくことは不可能に近い。

 しかし、もし次の乙女となってくれる聖女が見つからなかったら。もし当代の乙女アドリアナが完全に力を失ってしまったら。

 一度見捨てられた人々は、再び同じ目に合うことを極端に嫌うだろう。乙女アドリアナの女神の力が尽き、村人たちの呪いを癒すことができなくなってしまえば――あなたも私たちを見捨てるのかと、村人たちの憎しみが今目の前で微笑む彼女に向かってしまわないだろうか。



「力が、完全に失われてしまったら……」



 乙女アドリアナは一瞬表情を強張らせて、しかしそんなことを私が気にする必要はないのだというように首を振った。

 彼女はもう、覚悟を決めている。行きつく未来が例えどのようなものになろうと、乙女アドリアナとして生涯を終えるつもりだろう。

 胸の内で様々な感情が入り乱れる。複雑に入り組んだそれに、私は名前を与えることができなかった。

 だから――湧き出た衝動のまま、私は乙女アドリアナに歩み寄った。



「オリエッタ!」



 エデュアルトの手が私の手首を掴んだけれど、今の彼は少年の姿をしているから、私でも小さな手を振り払うことができた。

 乙女アドリアナに駆け寄って、彼女の両手を取る。そしてそっと目を閉じた。



(女神の力が水で、聖女が空のジョウロなら……水を移し替えることもできるはず)



 アラスティア様が話してくださったたとえ話を思い出す。

 聖女がただの器なら、私という器から乙女アドリアナという器に、女神の力を移し替えることができるはずだ。

 そっと指先に力を込める。そして脳裏に二つのジョウロを思い描き、水を移していくイメージで女神の力を使った。



「ごめんなさい、私はあなた方の力にはなれません。でも……」



 力を使い終えて、私は伏せていた瞼を開ける。先ほどまで青白かった乙女アドリアナの顔に、血の気が戻ってきていた。きっと、おそらく、成功だ。



『中途半端な憐れみは、相手への侮辱よ』



 アラスティア様が私の中で囁く。



「ただ私がこうしたかっただけです」



 それはアラスティア様に対してだけでなく、目を大きく見開いて私を見る乙女アドリアナに対してもかけた言葉だった。

 近いうち、この村には教団の手が入る。どのような形になるにしろ、村が解体されるのは間違いない。けれど最後のその日まで、彼女に乙女アドリアナとして生きてほしいと思った。生きて、この村のことをきちんと教団に伝えてほしいと。

 アドリアナ村のことは見逃すことはできない。けれど教団が、聖女の在り方が、この村を生み出してしまったという事実からもまた、目を逸らしてはならない。



「あなたがたのことは、教団に報告します。聖女が攫われて、被害が大きくなる前に」



 乙女アドリアナは驚くどころか微笑んだ。きっと覚悟していたのだろう。



「武力で押さえつけることはしないようお願いしてみるつもりです。ですが、教団がどういう手段を取るか……」



 ぎゅ、と乙女アドリアナが私の手を握り返してきた。

 はっと顔を上げる。乙女アドリアナは清々しい笑みを浮かべていた。



「イレナ・フォルマー」


「え?」


「私のかつての名前です。大修道院で調べれば、分かると思います」



 イレナ・フォルマー。その名を胸に刻んで頷いた。

 握りしめていた手を放す。乙女アドリアナ――イレナの顔を見つめたまま、数歩後退した。



「ありがとう、聖女オリエッタ」



 エデュアルトに手を取られて走り出す。

 ありがとうと笑ったイレナの顔が、ありがとうと囁いたイレナの声が、しばらく脳裏と鼓膜にこびりついて離れなかった。



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