46:それぞれの考え
見張りの交代時間である午前四時が近づく中、リアナに休憩を取らせて私とエデュアルト、そしてアラスティア様は最後の作戦会議――という名の雑談――をしていた。
作戦と言っても難しい小細工は一切しない。交代時の隙をついて、見つからないよう抜け出すだけだ。牢獄の鍵はリアナが持っているし、村から近くの街に出る道も既に把握している。
「誰にも会わず、村を出られたらいいんですが……」
争いはできる限り避けたい。
その思いから零れ出た私の呟きを、アラスティア様が拾う。
「いざってときは対抗できるでしょ。エデュアルトを元の姿に戻せばいいし」
「でも村で諍いが起きたら怪我人が……」
「なぁに、邪教徒の肩を持つっての?」
アラスティア様の目つきがほんの少しだけ鋭くなる。
私は慌てて首を振った。
「そういうつもりではありませんが、むやみやたらと傷つけ合う必要もないでしょう」
それは村の人々への同情ではなく、常日頃考えていることだ。相手がどのような立場であっても、できることなら傷つけあうのではなく穏便にことを済ませたい。そうすればこちら側の被害も減るのだから。
しかしアラスティア様の目には、私が村人たちに同情しているように映ったらしい。はぁ、と大きなため息が小さな口から吐き出される。
「女神ナディリナを降臨させたのは、あんたら人間が勝手に争って滅びそうになってたから。……まぁ? 聖女の始まりはナディリナが勝手に代理を立てたことだし、聖女の力でナディリナ教への信仰を深めさせて、また争いが起きないようにって下心はあったのは確かよ」
普段とあまり変わりないように見えたが、さすがに腹に据えかねるものがあったらしい、アラスティア様は早口で語る。
「でもそもそも呪いも汚れも、あんたらが勝手に生み出したものよ? 人間の醜い感情が始まりなの。本来ならあんたらでどうにかしろってところを、わざわざ手間と労力かけて手を貸してやってるじゃない。これ以上どうしろっていうのよ」
女神様の言い分はもっともだった。
呪いも穢れも、他人を恨む感情がなければ生まれない。女神様からしてみれば、予想外の産物だったことだろう。自分たちが生み出した生命に振り回されたとも言える。
勝手に滅びかけた人間を統率し、勝手に生み出した脅威に対抗する力を与え、これ以上何を望むというのか。何を望めるというのか。
アラスティア様の立場からしてみれば、私たちはさぞや我儘な生き物なのだろう。
「はーっ、もう二度と世界なんて作らないわよ。めんどくさい」
不貞腐れたようにアラスティア様は頬杖をついた。心なしか、その頬は膨らんでいる。
女神様の嘆きも、村人たちの恨みも理解できる。それだけに、分かり合える道はないのかと思ってしまう。けれどきっと、どこまで行ってもこの話は平行線だ。立場が違えば、見ている世界も違うのだから。
「俺はこの村の人たちの気持ちが少し分かる気がする」
今まで黙っていたエデュアルトが、突然そんなことを言い出した。
アラスティア様は少年エデュアルトの頬を抓る。
「あら、専属騎士から邪教徒になるつもり?」
今度こそアラスティア様は目つきを吊り上げ、エデュアルトを睨みつけた。しかし彼は臆することなく続ける。
「極端な話に持っていくな。ただ何かを恨むことでしか、悲しみから立ち上がれない人もいるんだと思う。……かつての俺のように」
エデュアルトは目を眇める。その瞳には、かつての幼い頃の自分が映っているのかもしれなかった。
「自分は何も悪くない、女神に背くような行いもしていない。それなのに女神は、聖女は俺を見て諦めたような瞳をするだけで、手を差し伸べてはくれなかった」
それはきっと、幼いエデュアルトの苦い思い出なのだろう。
彼がその身に受けた呪いはとても強力だ。未だ完全に解くことはできていない。女神様ですら匙を投げるほどだった。
けれどエデュアルトは何もしていないのだ。祖先の過ちを背負わされているだけ。己の身に降りかかった理不尽を恨む日だってあったに違いない。
「周りの人々が疑いなく信じている女神が、途端に怪しく思えてくる。本当にその女神は俺たちを救ってくれるのか、守ってくれているのか……皆、騙されてるんじゃないか、と」
淡々と語るエデュアルトの横顔に、リアナが重なった。
彼女も似たようなことを言っていたのを思い出す。彼女は母親に「みんな騙されている」と言って聞かされているようだった。
胸の内に湧いた疑念を共有できる相手がいないことも、よりいっそう彼らの疑いを強固なものにしてしまうのかもしれない。女神やナディリナ教を疑問視するようなことを言っても、きっと鼻で笑われるだけだ。
「オリエッタと出会う前に、何らかの形でこの村の人々と出会っていたら……」
エデュアルトはそこで言葉を切って、大きく頭を振った。
「いや、これ以上はやめておこう」
先ほどの続きがエデュアルトの口から紡がれなかったことにほっとする。
もしかしたら彼がこの村の人々の一員になっていたかもしれないなんて、正直な話あまり考えたくなかった。
「俺は聖女に救ってもらった側の人間だ。彼らの気持ちに完全に寄り添うことはできない」
銀の瞳がこちらを見た。その瞳に陰りはない。
知らず知らずのうちに強張っていた体から力が抜けていく。安堵のため息をついたそのとき、エデュアルトが問いかけてきた。
「教団には報告するのか?」
数秒考えて、私は頷く。
「聖女に被害が出ているわけだから、報告しない訳にはいかないわ。私が今回無傷でも、他の聖女にも害が及ぶかもしれないから」
躊躇う気持ちもあるが、おそらく私が無事逃げることができた場合、別の聖女が攫われるだろう。それは絶対に阻止しなければならない。
「この村はどうなるんだろうな」
「力で押さえつけることはしないよう、お願いしてみる。聞き入れてもらえるかは分からないけれど……」
教団からしてみれば、聖女を害した邪教徒だ。厳しく取り締まる可能性の方が高い。
聖女を襲い、攫うという行為は許されるべきことではない。だからこの村は摘発されるべきだ。その思いは揺らがない。しかし――害を成さないのであれば、アドリアナ村のような存在は許されるべきではないか、とも思う。
傷つき、世間から弾かれた人々が身を寄せ合う、そんな村が。
「乙女アドリアナはどうなるんでしょう」
元聖女である彼女は、当然コレット大修道院を卒業しているはずだ。乙女アドリアナとなる前の彼女を知っているシスターもいるかもしれない。
彼女は被害者だ。攫われ、村の信仰の対象として祭り上げられた。しかし今回、女神の力が尽きそうになったからという理由で聖女誘拐を指示した人物でもある。
「聖女としての登録は消されるでしょうね。よくてそのままほっぽり出されるか……邪教徒のリーダーとして裁かれる場合もあるかしら」
それは十分あり得る話だった。最初は被害者だったとはいえ、今の彼女は自分の意志でこの村に留まり、聖女誘拐を指示したのだから。
ぐったりとソファに力なく座っていた乙女アドリアナの姿を思い出す。彼女は七年間、この村でどのようなことを思い、考え、村の人々を癒してきたのだろうか――
「ふぁあ」
エデュアルトが大きな欠伸をした。その目尻には涙が浮かんでいる。
まだ交代時間まで、ひと眠りする時間はあるだろう。
「もうひと眠りした方がいいんじゃないかしら」
「オリエッタも寝たほうがいい」
目をこすりながらエデュアルトはいう。私はベッドを見た。
リアナがベッドの隅で穏やかな寝息を立てている。彼女はまだ体が小さいから、ベッドの半分ほどは空いていて――私がエデュアルトを抱きしめるように横になったら、三人で寝っ転がれるだろうか。
ちょっとした冗談のつもりで提案してみた。
「それじゃあ、一緒に寝る?」
「な――!」
瞬間、エデュアルトは驚いたように立ち上がる。その頬は若干赤く染まっていた。
いつもより素直な反応を返してくれるのは、幼い身体に精神も若干引っ張られているのだろうか。微笑ましく思いつつ謝罪する。
「ごめんなさい、冗談よ。三人は流石に無理ね。時間も気にしないといけないし」
だからエデュアルトが寝て、と続けようとしたのだが、
「……今ので目が覚めた」
がっくりとエデュアルトは項垂れた。
私としては冗談のつもりだったのだが、エデュアルトを驚かせてしまったようだ。私は素直に謝罪する。
「ご、ごめんなさい」
エデュアルトは憎らし気に私を見上げた。普段よりずっと幼い表情を浮かべた彼に、私は再度謝る。
――その後、結局エデュアルトは眠ることなく、朝の四時を迎えることとなった。




