45:協力者の少女
協力を買って出てくれた少女――乙女アドリアナにあやかってリアナと母親に名付けられたらしい――曰く、見張りが交代するのが朝方の四時。それまで少しでも体を休めておこうと、私とエデュアルトは交代で仮眠をとっていた。
エデュアルトは意識こそ十九歳のままだが、体力等は体の年齢に引っ張られるらしい。最初は自分のことはいいから、と私を眠らせるよう言っていたが、無理やりベッドに横にならせたところすぐに寝入ってしまった。
少女リアナは眠くないようで、私と二人、壁に背を預けて座っている。
沈黙が気まずくて、それ以上にこの村で暮らす少女が女神についてどう考えているのか気になって、ついつい問いかけてしまった。
「女神様や聖女のこと、どう思ってる?」
「……よく、分からない」
リアナは膝を抱えて俯いた。
「お母さんたちは、みんな騙されてるんだって言ってる。女神や聖女は誰も助けてくれない、全ての人々に分け与えるべき力を独占して、私腹を肥やしてる憎むべき存在だって」
淡々と教えてくれるリアナ。常日頃からそう言って聞かされているのであろう少女の言葉には重みがあった。
騙されている“みんな”とは、ナディリナ教を、聖女を快く思っている人々のことだろう。この村の人々からしてみれば外の人々は教団に騙されている愚か者、といったところか。
しかしそのような思考に陥ってしまうのも、分からなくはなかった。圧倒的少数派が故に、自分たちこそが真実を知る選ばれし存在なのだと信じて、多数派を下に見る――
それに実際、村人たちの視点から見れば何も間違ったことは言っていないのだろう。村人たちを先に裏切ったのはナディリナ教。だから憎んでいる。そう乙女アドリアナも言っていた。
「でも、アドリアナ様も聖女なんでしょ?」
「……知っていたの?」
リアナは小さく頷く。
乙女アドリアナの正体を彼女が知っているとは予想外だった。聖女を攫って乙女の地位に立てたのだから、一部の村人は知っていて当然だと思うが、小さな子どもには隠しているものとばかり思っていたのだ。例えば、サンタクロースの正体のように。
「前、傷ついた旅人が村に迷い込んだことがある。そのとき、アドリアナ様が旅人の傷を癒したら……旅人はアドリアナ様のことを聖女様って呼んだ」
旅人側からしてみれば乙女アドリアナの癒しの力をみて、聖女様と口走ってしまうのも無理はない。実際彼女は聖女なのだから。
その後旅人はどうなったのだろう。考えるのが少し怖い。
「お母さんたちはみんな怒ったけど、そのあとこっそりアドリアナ様に聞いてみたの。そしたら、そうだって」
幼い少女からの問いに乙女アドリアナは誤魔化すことなく答えたようだ。しかしいずれはリアナも乙女の正体を知る日がきっと来る。それならば下手に誤魔化さない方が得策かもしれない。
乙女の正体を知ったそのとき、リアナは何を思ったのだろう。驚いたのだろうか、ただ受け入れたのだろうか、それとも。
どこまで踏み込んでいいのか判断しかねて、私はただリアナの言葉を待った。
「憎んでるはずの聖女に、結局私たちも縋ってる。それって……おかしいと思う」
おかしい。それはきっと、幼いが故の正直な言葉。
リアナの言う通り、この村はとても歪だ。けれどそうなってしまったのも、大元を辿れば呪いや穢れへの対抗手段が一つしか用意されていないせいかもしれなかった。
例えば、魔法でも対抗できたら。例えば、女神の力とはまた別の、何か特殊な力が用意されていれば。この村の人々も、今のように憎しみに取りつかれて生きる必要もなかったのかもしれない。
女神様にお願いして、より生きやすい世界を作ってもらう? 大修道院に直訴して、管理体制をよりよくしてもらう?
考えるだけなら簡単だ。しかし世界はそう簡単に、一日二日では変われない。きっと今後もナディリナ教は多くの人々に支持され続けるだろうし、この村の人々も増え続ける。
聖女一人が考えたところで解決する問題ではない。しかし、だからといって考えることを放棄してはいけないようにも思う。
思考の海に頭まで浸っていたところ、リアナが不意に顔を覗き込んできた。そして、
「よく、分からないけど……あなたを脅して無理やり連れてきたことは、いけないこと。それは分かる」
表情を硬くして、しかし私から目を逸らさずそう言ったリアナに、なんだか胸がいっぱいになった。
今は「分からない」と首を振るリアナが、聖女を心の底から憎む日が来てしまうかもしれない。けれど私は間違いなく、彼女に助けてもらったのだ。
願わくば、この日の出会いが悲しい思い出にならないように。彼女が聖女や女神を恨む日が来ないように。
「だからこうして手を貸してくれてるの?」
「うん」
「ありがとう」
例えば今この村で呪いを患っている人々を癒すことはできたとしても、過去の傷までは癒せない。喪った大切な人は戻ってこないし、聖女に見捨てられた過去は変えようがない。 私にできることといえば、ただ聖女として日々力を尽くすことぐらいだ。
己の無力さに打ちひしがれていたら、今度はリアナから問いかけられた。
「女神様ってどんな人か、お姉ちゃんは知ってる?」
「え、えっとぉ……」
知っている。だって私の中にいるもの。
――なんて当然言えるはずもなく、私は苦笑でその場を濁そうとした。しかしリアナはじっと私を見上げてくるものだから、まっすぐな視線を前に誤魔化すのも不誠実な気がして、私はそっと口を開く。
「この世界を作り、命と時を与えてくださった方で……女神様は一度だって私たちを見捨てたことはないと、私はそう思っているわ」
確かに適当な部分もあるけれど、やさぐれたりしているけれど、女神様も女神様なりに考えてこの世界を作り、見守って下さっているはずだ。本当に見捨てているのなら、女神の力を人間に分け与えるようなことはしないだろう――と思いたい。
こんな不出来な小娘の体に閉じ込められて、文句を言いつつもいつもアドバイスを下さる。口も態度も悪いけれど、大事なときには手を差し伸べてくださる。
アラスティア様とお会いしてから、もう数か月が経過した。うんざりすることもあるけれど、毎日充実しているのは確かだ。正直言って、とても楽しい――
こちらを見上げるリアナの瞳が曇ったのを見て、私は慌てて付け足した。
「でもそれは、私が聖女という立場からこの世界を、そして女神様を見て思っていること。あなたのお母様たちとは、立場も考え方もまるで違う」
私が女神様を肯定することは、一歩間違えればリアナのお母様たちの否定に繋がる。幼い子どもの前で、その親を悪く言うのはどうしても憚られた。
あなたの考えは間違っていると糾弾することは簡単だ。力で押さえつけて、無理やり正すことだってできるだろう。しかしそれではただ溝が深まるだけだ。
「あなたも、あなた自身の目で見て、確かめて……そのときに感じたことを大切にしてくれたら、嬉しいわ」
聖女のことを、女神のことを信じてくれなくてもいい。ただ話し合える存在なのだと思ってくれればそれだけでよかった。
話し合ったところで、結局道は違えてしまうかもしれない。それでもただ最初から拒絶するのではなく、互いに話し合えれば――共存の道を探すことだって、いつかはできるかもしれない。女神を否定する者たちの意見が、大修道院を、聖女という制度を、よりよいものにしてくれるかもしれない。
こんなのただの夢物語だ。現実はもっと非情で、大修道院は邪教徒を厳しく取り締まるかもしれないし、そもそも私だってまだ助かったわけではない。最悪命を落とす可能性だってあるだろう。
それでも、リアナとの穏やかな時間に夢を見てしまった。そしてその夢に少しでも近づくべく、そしてこの村の人々のような存在を増やさないよう、今後いっそう聖女として励もうと心に決めた。




