44:弟・エデュアルト
村の入り口で捕まえたという怪しい少年が、どこからどう見ても幼少期のエデュアルトだった。他人の空似で片づけてしまうにはあまりにも似すぎている。けれどどうして幼少期のエデュアルトがここにいるのか分からない。
どう声をかけるべきか、そもそも他人の振りをするべきなのかすら分からず、私はじっと少年を見つめていたのだが、
「姉さん!」
「ねっ!?」
姉さんと呼び掛けられて、完全に思考が止まった。
「お知り合いですか?」
乙女アドリアナに顔を覗き込まれる。彼女の美しい金の瞳がすぅ、と細められて、その奥に潜む疑いの色にはっと我に返った。
――少年は、私に「姉さん」と呼び掛けた。つまり、おそらく、意味が分からないけれど、この少年は私の知っているエデュアルトだ。弟を装って助けに来てくれたのだろう。
どういうからくりで少年の姿になっているのかは検討もつかない。魔法の類か、それとも別の力――女神アラスティア様の力か。
どうであれ、「姉さん」と呼びかけられた以上、私も応えなければならない。
「お、弟です」
問いかけられた以上のことは答えない。下手に情報をつけ足せば、ボロが出る可能性がある。
乙女アドリアナの瞳が少年エデュアルトをじっくりと観察する。――と、小さな体が床の上でぎゅっと丸まった。そして「うぅ」と小さく唸る。
はたから見たら、痛む腹を庇う哀れな少年の姿だ。流石の乙女アドリアナも慌てたように村人たちに視線をやる。
「少年を傷つけたのですか?」
「あ、暴れたもんですから、つい……」
私は慌ててエデュアルトに駆け寄った。そして小さな肩に触れると、強い力で手首を掴まれる。驚き彼の顔を覗き見たところ、普段のエデュアルトより大きな銀の瞳が細められた。
おそらく腹を痛めているのは演技と見ていいだろう。安心し、演技派専属騎士に続く。
「すみません! 弟をどこかに安静な場所に!」
――そうして連れてこられたのは、ベッド付の牢獄だった。外から見るとただの民家なのだが、中は鍵付きの牢獄が二部屋並んでいるという驚きの作りだ。
最初はエデュアルトと別々の部屋に入れられそうになったところを、乙女アドリアナに懇願して同じ部屋に入れてもらった。幼い少年を村人が痛めつけたことに罪悪感を感じているのか、乙女アドリアナは村人の反対を押し切って私の希望を叶えてくれた。
鍵がかけられ、村人たちが出ていく。人の気配がすっかり遠くなったのを確認してから、少年エデュアルトの姿をまじまじと観察した。
どこからどう見ても、過去の世界で会ったエデュアルトだ。幻覚を見せる魔法でも使っているのだろうか。
「エデュアルト、どうしたの、その姿……」
「あたしが身体の時間だけ戻してやったの。まっ、魔法の一種ね」
答えてくれたのは数時間前、私が地面に投げつけてしまった子猫――女神アラスティア様だった。
身体の時間だけ戻す。それは時の女神である彼女からしてみれば容易いことなのかもしれなかった。
驚きと、アラスティア様の力が本当に戻りつつあるのだという実感と。
「そんなことできるんですか」
「できるのよ、女神だから。感謝しなさいよ」
「便利ですねぇ……」
しみじみと呟く。
大方、エデュアルトは少年の姿であれば警戒されにくいと考えて今回のような作戦を立てたのだろう。青年の彼は長身で、騎士らしく体格もそれなりにいい。いくら武装解除していようと、村の中までこうも簡単に入り込むことなどできなかったはずだ。
私が攫われたばっかりに、エデュアルトにもアラスティア様にも迷惑と負担をかけてしまった。一体何度目だろう、と自己嫌悪に陥りかけて、しかし今はそれどころではないと落ち込みかけた己を叱咤した。
「それより無事でよかった」
少年エデュアルトが柔く微笑む。改めて見るとかなりの美少年だ。
「この村は一体……? そもそもどうしてオリエッタは攫われたんだ?」
「この村のリーダーである女性が体調を崩していて、その治療ために攫われたみたいなの。この村は聖女に救ってもらえなかった人たちの集落だって……」
エデュアルトとアラスティア様は顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべる。
女神様の前で「あなたを恨んでいる人々が集まった村だ」とは言いづらい。だから角が立たないよう言葉を選んだつもりだったのだが、遠回しに伝えても却って時間がかかるだけだと判断し、単刀直入に言い直した。
「過去の出来事から女神様と聖女を憎んでいて、女神様の代わりに先ほどの女性を乙女と呼んで信仰しているみたい」
そこでアラスティア様は大方察したのか、深いため息をつく。そして子猫の姿からいつもの手のひらサイズの女性の姿に戻ったかと思うと、私の膝の上に座って足を組んだ。
「なるほど、邪教ってわけ。懲りないわねぇ」
――邪教。
実際アラスティア様の言う通りなのだが、こうはっきりと女神様の口からその単語が発せられるとドキリとする。
面倒くさそうに組んだ膝の上に頬杖をつく彼女は、一体何を思うのだろう。
「でも乙女は元聖女で、彼女も私と同じように攫われてきたそうなんです」
「村全体が臭いものね。そりゃあ女神の力が必要でしょう」
答えてくださったアラスティア様の声は普段と何ら変わらない。怒りも苛立ちも感じ取れなかった。
女神様はたかだか小さな邪教徒の村など気にも留めないのか、諦めているのか。
どうであれアラスティア様の気分を害さなかったことに安心しつつ、今の機嫌なら質問しても答えてくれるだろうと判断し、乙女アドリアナとの会話の中で気にかかっていたことを問いかけた。
「あの、女神の力って有限なんですか? 乙女はもう女神の力がつきそうで、後継者を探しているようなんです」
「あんたが後継者候補? ハズレ引いたわね」
歯に衣着せぬ物言いに若干ダメージを受けつつ、実際その通りなので甘んじて受け入れる。
「それはそうなんですけど、女神の力は有限――」
「に決まってるじゃない。女神の力を人間が自分で生み出せちゃマズイわよ」
言われてみれば確かに、いくら聖女と言えど女神の力を己で生み出せてしまえばそれはもはや神の領域を侵していることになる。
少し考えれば分かったはずのことなのに、女神の力が有限だという事実に思い至らなかったのはなぜだろう。私よりずっと先輩のベテラン聖女の方も元気に活動されているからだろうか。万年候補生時代、力を失くした聖女の話を聞いたことがなかったからだろうか。
自分でも気づかない内に腑に落ちない表情をしていたのだろう、アラスティア様は私の顔を見て小さくため息をついた。しかし面倒くさがらずに解説してくださる。
「あんたたちは空の器……例えるならジョウロね。そこにナディリナが大量の水を注いで、あんたたちはちょびちょび水やりしてるの。水をやり続ければいつかジョウロは空になるでしょ」
理解しやすいたとえ話に私は小刻みに頷く。
「だったら私も……?」
「大修道院に帰ってきたときにでも適当に継ぎ足してるんじゃないの。ここの乙女とやらはナディリナが存在を認識できてないから、力の継ぎ足しをしてもらえてない」
アラスティア様の口調からするに、力の継ぎ足しに関しては彼女の推測なのだろうけれど、私としては納得できる答えだった。
乙女アドリアナが攫われてきたのは七年前。力の継ぎ足しが行われない環境下で聖女が力を使えるのは、せいぜいそれぐらいの期間なのかもしれない。
私の質問への回答が終わったところで、タイミングを見計らっていたのかエデュアルトが早口で提案してきた。
「とにかく長居は無用だな。早く逃げよう」
「でも、村人たちが……」
「大丈夫だ、協力者がいる」
協力者? と首を傾げたそのときだった。民家の扉が小さな音を立てて開く。
私は警戒に体を硬くしてそちらを見た。しかしエデュアルトもアラスティア様も慌てた様子はなく、それどころか微笑んでいる。
彼らの様子に疑問を抱きつつ、誰が来るのかと暗闇に目を凝らしていたら――
「お兄ちゃん、お待たせ」
一人の少女が現れた。
彼女の顔を見た瞬間、既視感に襲われる。私は彼女と会ったことがある。それも、ごく最近。
お世辞にも記憶力はいい方ではないが、それでも必死に記憶を辿って、辿って――脳裏にある光景が蘇ってきた。
男が少女の首元に短剣を突き付けている、そんな光景が。
「この子……人質の子!?」
記憶違いでなければ今目の前にいる少女は、数時間前に襲われた際、エデュアルトの動きを封じるために村人たちが利用した人質の子だ。その子がどうしてこんなところに。
不躾ながらも少女を指さして驚く私に、エデュアルトは苦笑した。
「彼女はこの村の出身で、人質はオリエッタを攫うための作戦だったらしい」
明かされた真実は予想外のもので。
まさか人質がグルだったなんて、なんとも卑怯な手口だ。
ぐったりと肩を落とす私に、少女は申し訳なさそうな顔をした。きっと大人たちに利用されただけなのだろう彼女を責めるのはお門違いだ。こうして助けに来てくれたのだから、きちんと感謝しなくては。
「ごめんなさい、少し驚いただけなの。助けに来てくれてありがとう」
気にしないで、と微笑めば少女の顔は僅かに明るくなった。
「朝の四時に見張りの交代があるから、そのときがチャンス。それまでは、我慢」
少女からの情報は的確でありがたいものだった。
私はエデュアルトとアラスティア様と顔を見合わせ頷く。とにかく今は、この村から脱出することだけ考えよう。




