43:乙女アドリアナ
「先ほどの女性は、穢れによって我を失った魔物に家族を奪われました。先ほどの男性は、今も呪いにその身を苛まれています」
呪いや穢れによって大切なものを喪った人々が身を寄せて暮らす村、アドリアナ村。
この村の権力者と思わしき女性、“アドリアナ様”は淡々と語る。
「聖女の派遣が間に合わなかった、派遣された聖女が浄化できるだけの力を持っていなかった……理由は様々ですが、彼らは女神と聖女に見捨てられた存在なのです」
「見捨てられたって……」
彼女が語ったような聖女の“不始末”は過去確かにあっただろう。私は幸運にもエデュアルトの竜の呪いを一時的に解くことができたけれど、似たようなシチュエーションで失敗した聖女もいるはずだ。
けれどその聖女だって、失敗したくてしたわけではない。結果はどうであれ、できるかぎりを尽くしたであろう聖女を指さして、「見捨てた」と吐き捨てるのはあまりにも人の心がないように感じた。
けれど――これは私が聖女側に立って考えているからだ。もし私が聖女ではなくて、例えば身内が呪いにその身を侵されている一般人だった場合、身内を救ってくれなかった聖女を気遣えるだろうか。どうして助けてくれなかったのだと嘆き悲しみ、そして怒るのではないだろうか。
言葉を失ってしまった私の横で、
「ゲホッ、ゴホッ」
“アドリアナ様”が突然激しく咳込んだ。
咄嗟にその背をさすりながら思い出す。私は彼女を癒すために攫われてきたのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
“アドリアナ様”は緩く頷いて、口元を拭った。
勘違いされがちだが、女神の力は病を治すことはできない。あくまで呪いや穢れに特化した力であり、その他にも怪我を治すことはできるけれど、人の体を蝕む病魔には干渉できないのだ。これは魔力に依存して使われる治癒魔法も同様であり、魔法学とは別に医学の進歩は多くの人々が求めるところであった。
咳が落ち着いた頃、“アドリアナ様”が不意に扉の方へ視線をやった。そして扉の向こうに向かって声をかける。
「入りなさい」
入ってきたのは小さな少女だ。
彼女は右腕に包帯を巻いていた。しかし既に解けそうになっており、緩んだ包帯の隙間から見える肌が黒く変色している。
――呪いだ。
反射的に理解する。
「ごめんなさい、アドリアナ様」
「よいのですよ。ほら、腕を……」
「はい……」
少女は近くまで駆け寄ってきたかと思うと、黒く変色した腕を“アドリアナ様”に向かって差し出した。“アドリアナ様”は細い指先を少女の腕に添え、そっと目を閉じる。
――瞬間、黒く変色した肌が光を発した。かと思うと少女の肌から黒みはすっかり消え去り、何ら変わりない“普通の”肌に戻る。
私はその光景を驚きに目を見開いて見つめていた。なぜって――“アドリアナ様”が使った力は、間違いなく女神の力だったからだ。
“アドリアナ様”は女神の力を使い、少女の身を蝕む呪いを弱めた。
「これで大丈夫」
「ありがとうございます!」
少女は大きく頭を下げ、笑顔で去っていく。彼女がしっかりと扉を閉めたのを確認してから私は尋ねた。
「今の……女神の力ですよね?」
“アドリアナ様”は頷いた。躊躇う素振りは見せなかった。
「そうです。この村の人々は女神と聖女を恨みつつ、その力を必要としている者も少なくありません」
確かに、呪いや穢れに対抗するには女神の力が必要だ。いくら強い魔術師であっても呪いを解くことはできないし、穢れを払うこともできない。
呪いを解いてもらえなかったから、穢れを払ってもらえなかったから、女神と聖女を憎んだ。しかし結局のところ解決方法は、憎悪の対象である女神と聖女しか持っていない。だから――本来なら憎むべき存在である女神の力を持つ“アドリアナ様”を、必要としているのだ。
矛盾している。女神を憎んでいるのなら、女神の力を拒絶するべきではないのか。しかし拒絶してしまえば、先ほどの少女は数か月も生きられない。
胸の中を渦巻くこの感情は何だろう。すっきりしない。はっきりしない。もやもやする。どういった感情をこの村の人々に抱けばいいのかすら、分からない――
「私も七年前、あなたと同じように攫われてきた元聖女です。しかしもう、私の力は尽きようとしています」
“アドリアナ様”は驚くべき事実を口にした。
あなたも攫われてきたのか、とか、女神の力は有限なのか、だとか、聞きたいことは山ほどあるのに、“アドリアナ様”は私に口を挟む隙を与えない。
「だから私は後継者を探すため、聖女を連れてくるよう命令したのです」
頭が、ついていかない。
すっかり固まってしまった私を一瞥し、“アドリアナ様”は続ける。
「この村ができたのは今からおよそ三十年ほど前だそうです。先代の乙女アドリアナからそう聞きました」
「……乙女アドリアナ?」
「癒しの力を持つ者のことをそう呼んでいるのです。聖女という呼び名はこの村では使えませんから」
先代という言葉を使ったのから察するに、どうやら乙女アドリアナとは襲名制らしい。大聖女コレット様と同じだ。
未だ思考が追い付かず、引っかかった言葉を鸚鵡返しに尋ねることしかできない私に、“アドリアナ様”――当代の乙女アドリアナは自分たちの歴史を語る。
「最初の乙女アドリアナは聖女でありなから、呪いで親族を亡くしたと聞いています。絶望した彼女は同じ境遇の人々と支え合い、彼らはナディリナ教を共通の敵とすることで結束してしまった」
悲しいかな、乙女アドリアナの口から語られたこの村ができた経緯は、想像に容易かった。
傷ついた人が同じ境遇の人々と固まるのも、共通の敵を見出し結束を高めるのも理解できる。そして、憎しみを糧にしなくては立ち上がれない人の弱さも。
しかし私が唯一理解できなかったのは、攫われてきた元聖女がなぜ乙女アドリアナの名を継ぎ、この村の人々を癒しているのかということ。
村の人々は私に対し強い敵意を向けてきたが、万が一私が乙女アドリアナの名を継げば、ころっと態度を一変させるのだろうか。
「あなたも元は聖女だったのですよね? この村の人々からすれば、敵なのではありませんか?」
「その通りです。しかし前代の乙女アドリアナも聖女でした。その前の乙女も……全員、聖女だったと聞いています」
乙女アドリアナは窓の外に視線をやった。暗くて人の存在は認識できないが、暗闇にぼんやりと浮かび上がる明かりが見える。
彼女は村の人々に思いを馳せているのだと、どこか遠くを見つめる儚げな横顔から分かった。
「この村には、解くことが困難な強い呪いを抱えた者も多い。乙女は彼らの呪いを抑えられる者でならなければなりません。……そう考えると、聖女しか乙女にはなれない」
乙女が聖女でなければならない理屈は分かるのだ。けれど、聖女が乙女になるその心境が分からなかった。
少なくとも私は、乙女の後継者として選ばれたとしても絶対に頷かない。
「聖女のことを憎んでいる人々のために、どうして……」
私の言葉に、乙女アドリアナは悲しそうな顔をした。かと思うとぎゅっと手を握られる。ただそれだけなのに、細い指先が体全身にまとわりつくような不快感に襲われた。
金の瞳に貫かれる。ぞわり、と悪寒がして――彼女もまた、女神と聖女を恨んでいるのだと分かった。
「この村の人々は皆、聖女に救ってもらえなかったな過去を持っています。悲しい過去を抱え、恨みや怒りを生きる糧にしてどうにか立っている。彼らを先に見捨てたのは女神であり、大修道院です」
村の人々がどのような目にあったのか、私は知らない。私の想像よりもはるかにひどい扱いを大修道院や聖女から受けたのかもしれない。けれど、どうしても“見捨てた”と責められることに引っかかりを覚えてしまう。
しかし当代の乙女アドリアナは、心からそう思っているのだ。おそらく彼女の目には、私はこの村の人々の痛みに寄り添えない愚かな聖女として映っていることだろう。
「聖女という制度に見捨てられた人々を、私たちは救い上げる責任があるはずです」
頷くことはできなかった。――しかし、即座に否定することもできなかった。
聖女は大修道院という組織に管理されている存在だ。だからこそ世界中に女神の力を届けることができる。聖女が皆思い思いに動いて統率が取れていなかったら、きっと救える命も救えない。
しかし管理されているからこそ、一人一人に寄り添うことは難しいかもしれなかった。
上から与えられた任務を遂行する。その機械的に行われる活動の中で、取りこぼしてしまうものもあるはずだ。
統率が取れておらず救いの手を差し伸べられる範囲は狭いが、目の前の人々には寄り添える聖女。機械的に管理されているが故に多くの人々を救えるが、一人一人に割ける時間が限られている聖女。
どちらがいいとか悪いとか、そんな簡単な話ではないだろう。強いて言うならば、コレット大修道院という組織の、聖女という制度の――限界だ。
見つめてくる乙女アドリアナに、なんと答えればいいか分からない。しかしとにかく握られた手を振りほどこうと身じろいだ。
思いの外すんなりと手が解放される。ほっと一息ついたそのとき、ドンドンドン! と大きな音を立てて扉が叩かれた。
「アドリアナ様、失礼します! 村の入り口で怪しい少年を捕まえました!」
乙女アドリアナは「入りなさい」と短く答える。そうすれば数名の男たちが雪崩れ込むようにして入室してきた。
男たちに連れられてきたのは十歳前後の少年。背中を蹴り飛ばされ、地面に倒れこんだ少年が顔を上げたのを見て――私は目を見開いた。
(エ、エデュアルト!?)
少年は、女神に愛された湖で出会った過去の少年エデュアルトにそっくりだったのだ。




