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31:専属騎士の弟



 エデュアルトのお母様・マリエッテ様から専属騎士の思わぬ初恋話を聞いた後、向けられる生温かな笑顔に耐えきれなくなって、私は一度退室した。その際エデュアルトを探してきます、なんて理由をつけて退室したので、一応は自分が言った言葉通り銀髪の騎士の姿を探してあてもなく歩く。

 屋敷の中を動き回るのは憚られたため、自然と足は外へ向いた。



『まぁまぁいい庭じゃない』



 アラスティア様が私の中で呟く。ひねくれ女神が褒めるぐらいには、エッセリンク家の庭は美しかった。

 そこまで大きな庭ではないが白の花が咲き乱れ、緑と白のコントラストが美しい。頬を撫でる風もいつもより爽やかに感じた。

 花の香りに誘われるようにして庭をふらふら歩く。――と、背の高い騎士が二人、並んで歩いているのを見つけた。

 銀髪の髪が日の光を受けてキラキラ輝いている。エデュアルトと、その弟パウエル様だ。



「戻ってくればいいのに、騎士団」



 パウエル様がぼやくように言った。

 ――あまり私が聞いてはいけない、立ち入った話をしているような気がする。

 私は咄嗟に背の高い植物の裏に隠れた。そして気づかれないうちに立ち去ろうとしたのだが、物音を立てないことを最優先とした結果、とてもゆっくりと歩くことしかできなくて。

 その間にも、鼓膜は彼ら兄弟の会話を拾う。



「お前の方がうまくやれる」


「兄貴の方が強い」



 エデュアルトは感情のない声で返す。しかしパウエル様は負けじと言い募った。

 ――どうやらパウエル様は、エデュアルトに戻ってきてほしいようだ。騎士団というのはエッセリンク家が屋敷を構えているこの国・アウローラ王国の騎士団とみて間違いないだろう。

 私は思わずその場に立ち止まり、振り返った。聖女わたしのせいでエデュアルトが騎士団に戻れないのだとしたら、無関係な話ではないと思ったからだ。

 弟・パウエル様は兄が騎士団に戻ってくることを望んでいる。それなら、エデュアルト本人は――?



「そう言うのはお前だけだ」



 エデュアルトは弟のまっすぐな視線から逃れるように顔を逸らす。――そのとき、私と目があった。

 彼の銀の瞳が見開かれる。盗み聞きしていたと思われるかもしれない!

 これは不可抗力で、いやでも話を立ち聞いていたのは紛れもない事実で、さっさとこの場から立ち去るんだった――なんてぐるぐる考えていたら、エデュアルトがこちらに向かって歩み寄ってきた。

 どうすればいいのか分からず、私は固まってしまう。エデュアルトをここで待っていた方がいいのか、一刻も早く立ち去るべきなのか。



「兄貴!」



 パウエル様がエデュアルトの背を追って、こちらを見る。すると私の姿に気づいたのだろう、気まずそうに口を噤んだ。

 結局エデュアルトが近くに来るまで固まっていた私は、彼の手がそっと背中を押してくれたことで、ようやく我に返った。

 見上げたエデュアルトは苦笑している。何よりもまず、謝罪をしなければ。



「ご、ごめんなさい」


「いいんだ。行こう」



 もう一度背中を押される。

 パウエル様の様子が気になったが、私が口を挟むことではないと判断し、促されるままに歩き出した。



「諦めないからな、俺!」



 背後から、苛立ちと悲しみを含んだパウエル様の声が聞こえる。しかしエデュアルトは振り返らなかった。



 ***



 パウエル様から逃げるように屋敷の裏口までやってきたところで、エデュアルトが重いため息をついた。



「すまない。巻き込んでしまった」


「ううん。私の方こそ、ごめんなさい」



 エデュアルトは首を振る。そして古ぼけた木のベンチにエスコートしてくれた。

 座ったベンチは古くとも頑丈なつくりをしているようで、私が座っても、その隣にエデュアルトが腰かけても、びくともしないどころか軋む音一つ立てない。

 信頼する専属騎士とベンチに腰掛け、木漏れ日を浴びながら、贅沢な一時――であるのだが、どうしても先ほどのエッセリンク兄弟の会話を思い出してしまう。聞かなかったことにするのは簡単だ。エデュアルトももしかしたらそれを望んでいるかもしれない。けれど私は、自分がエデュアルトの道の妨げになってしまっているのではないかと気が気ではなかった。

 恩から私の専属騎士になってくれたエデュアルトが、もし騎士団に“戻りたい”と思っているのなら。優しい彼が、なかなかそれを言い出せずにいるのなら――



「エデュアルト、その、弟さん、いいの?」



 いきなり本題に入る勇気はなくて、遠回しの問いかけになってしまう。

 エデュアルトはちらりと私を一瞥すると、はぁ、と大きなため息と共に青空を振り仰いだ。その横顔に浮かんでいたのは笑顔。苦笑なのか、それとも。



「あぁ。昔を引きずってるんだ」


「引きずってる?」


「憧れの兄は自分よりずっと強いって幻想を」



 エデュアルトは前髪を乱暴に掻き上げた。そして横目で私を見る。普段よりラフな雰囲気の彼に、一瞬どきりとした。

 こっそり深呼吸して高鳴った心臓を落ち着けてから、エデュアルトの言葉を頭の中で反芻する。

 憧れの兄は自分より強いという“幻想”。エデュアルトの言葉選びは、自分を傷つけたいかのようだ。

 パウエル様の表情は必死だった。出会ったばかりの私の胸にも響くぐらい、悲痛な叫びだった。それなのに、その言葉を向けられたエデュアルト本人には全く響いていない。



「弟は誰もが認める立派な騎士だ。そんな彼だけが、呪われた騎士を褒め称える。なかなか居心地が悪い」



 は、と自嘲するように笑うエデュアルト。そんな彼を見ていられなくて、私は思わず声をかけた。



「エデュアルトは私のことを何度も助けてくれたじゃない。私にとってあなたは、心から信頼できる立派な騎士よ」


「ありがとう」



 エデュアルトは表情を和らげる。しかしひく、とその口角が引きつった。笑おうとして失敗したようだった。

 するとエデュアルトは取り繕うことをせず、顔から笑みを消した。そして立ち上がったかと思うと、私に向かって大きく頭を下げる。

 驚いた私が声をかけるより早く、エデュアルトは口を開いた。



「すまない。君の専属騎士になったのも、弟から、この家から、逃げたかったからなんだ」



 突然の懺悔に、私は目を瞬かせる。

 すぐには彼の謝罪を咀嚼しきれなくて、私は引っかかった単語をそのまま鸚鵡返しで尋ねた。



「逃げたかった?」


「環境を変えたかった。呪いを解いてもらって、全く違う環境でやり直したかった。あのまま家にいたら、結局同じことを繰り返しそうな気がして……」



 そこで一度言葉を切って、エデュアルトはとうとうその場に膝をついた。しかし頭は下げたまま、私のことを見ようとしない。

 それがひどく、寂しかった。



「すまない。君を、逃げ場にした」



 ――逃げ場にしたと告白されて、しかし私は悲しむどころかすっきりとした気持ちだった。

 ただ呪いを一時的に解いただけに過ぎない私に、なぜここまでしてくれたのか。ずっとずっと疑問だったのだ。その疑問がようやく解消して、ずっと靄がかかったように掴みかねていたエデュアルト本人の心に、ほんの一瞬触れられた気がした。

 専属騎士になった本当の理由を打ち明けてくれたこと自体、私たちの距離が近づいたことの証明のように思えた。だからどちらかと言えば嬉しい気持ちが大きかったのだけれど――目の前のエデュアルトは、まるで己の大罪を告白するかのような思い詰め具合だ。

 真面目で誠実な彼のことを好ましく思いつつ、私はこれっぽっちも気にしていないと伝えるために、微笑んで告げた。



「どうしてエデュアルトは私の専属騎士になってくれたんだろうって、ずっと不思議だったの」



 エデュアルトはゆっくりと顔を上げる。

 まるで迷子の子どものような表情をした彼に笑みが深まる。するとエデュアルトの銀の瞳が大きく見開かれた。

 木漏れ日に反射する彼の瞳はとても美しい。気高く優しい、出会ったそのときから大好きな瞳だ。



「確かに呪いは一時的に解いたけれど、それだけでそこまでする? って、なんだかエデュアルトの気持ちがよく見えなくて」



 エデュアルトの献身的ともいえる言動は、確かに嬉しかった。けれどそれ以上に戸惑いを感じていた。

 だからその献身の裏に、私の知らない理由が隠されていたと知って――安心した。理由もなく捧げられる好意より、明確な理由から生み出された好意の方が信じることができる。その理由が“自分自身のため”であるならば猶更だ。

 風が吹く。先ほどエデュアルト本人が乱した前髪が瞳にかかったのを見て、私はそっと払ってやった。



「でも、そういうことなら納得。それにほっとしたわ」


「ほっとした?」


「ほら、理由のわからない好意って、少し怖いというか……居心地が悪いから」



 肩を竦めて笑う。しかしエデュアルトは笑い返してくれない。

 私は自分の隣をぽんぽん、と手で叩く。エデュアルトは気まずそうに視線を一度逸らしたが、じっとその横顔を見つめていたら、根負けしたのかゆっくりと隣に腰かけてくれた。

 隣に座ったエデュアルトに体ごと向き直った。そしてしっかり目を合わせながら伝える。



「いくらでも逃げ場にして。エデュアルトが逃げ場にしてくれなかったら、私は今聖女になれてないもの」



 そう、どんな理由であれ、私が聖女になれたのはエデュアルトのおかげだ。そこが揺らぐことは絶対にない。そしてそこが揺らがなければ、私のエデュアルトに対する恩も決して消えないのだ。

 エデュアルトは私を逃げ場にした。そのおかげで私は聖女になれた。自分から言い出すのはどうかと思い口には出さなかったが、これぞ前世でいうウィンウィンの関係、ではないだろうか。

 私の言葉はエデュアルトに届いたらしい、彼は数秒の後、今度こそ笑った。口角が引きつることはなかった。



「ありがとう」



 エデュアルトが浮かべた笑顔からはもう、私に対する後ろめたさは感じられない。そのことに心から安堵する。

 最初は緊張したけれど、こうしてまたエッセリンク家に来てよかった。今回の件で、私たちの距離はいっそう近づいた気がする。

 すっかり緩んだ空気の中、隣のエデュアルトがどこか居心地が悪そうに身じろぎした。そんな彼を慮って、何か新しい話題はないかと考え――ふと思い出したのは、先ほどマリエッテ様に聞かされた、エデュアルトの初恋の話。

 しかしそれは流石に本人に聞く話ではないだろうと思い、別の話題を探したのだが、



「あんたの初恋の相手、オリエッタに似てるんですって?」



 一瞬、自分の口からその質問が出てしまったのかと慌てて、しかし目の前に浮かぶ小さな女性の姿に、彼女――アラスティア様が問いかけたのだと安心した。

 女神様とはいえ、アラスティア様は私の心までは読めないはずだ。だから同じタイミングで同じことを思い出しただけなのだろうけれど、ドキッとしてしまう。

 問いかけられたエデュアルトはぎょっと目を見開き、なんとも言い難い初めて見る表情をしていた。



「なっ!?」



 まるで助けを求めるように私を見やるエデュアルト。おそらくどこでその話を聞いたのか知りたいのだろう。

 じわじわと時間差で頬が赤く染まり始めた彼を気の毒に思いつつ――初恋の話なんて、親しい友人にもなかなか打ち明けないパーソナルな話題だろう――話の出どころを明かした。



「お母様からそうお聞きして……」



 あぁ、と大きくため息をついてエデュアルトは前髪を掻き上げる。先ほども同じことをしていたから、今日の彼の髪はいつもよりぐちゃぐちゃだ。ぴょこんと跳ねた毛先がなんだかかわいい。

 乱れた髪を見ていた私の視線を誤解したのか、エデュアルトは顔を更に赤く染めた。



「ち、小さな頃の! 夢の話だ! 気にしないでくれ!」



 彼はベンチから立ち上がって、すっかりこちらに背を向けてしまう。私は「えぇ」と頷いたけれど、意地の悪いアラスティア様は新しいおもちゃを見つけた、とでも言いたげなニヤニヤ笑顔で彼の前に回り込んだ。



「そう言われると突きたくなるわよね〜」


「勘弁してくれ!」



 ――と、ぴたりとエデュアルトは動きを止めた。俯いて、すっかり黙り込んでしまう。



「エデュアルト?」


「お、怒ったの?」



 さすがの女神様もやりすぎたと思ったのか、探るようにエデュアルトの顔を覗き込む。こちらに背を向けたままの彼がどのような表情を浮かべているのか、私からは見えなかったけれど――

 バッとエデュアルトは勢いよくこちらを振り返った。そして、



「……御言葉の地について、ひとつ、心当たりがあるんだ」



 突然そんなことを言い出した。



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