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03:竜に呪われし騎士



 私が美しい竜に見惚れていた間にシスター・イネスとクレマン様の二人で話を進めていたらしい。未だぼうっと竜を眺める私の意識を呼び戻すように、シスターの手が肩にそっと触れた。



「オリエッタ、私は隣の部屋にいます。護衛の方は扉のすぐ前にいてくださるようですから、何かあれば声を上げてこれを吹くように」



 シスターが差し出してきたのは小さな笛だった。小さいながらも細長い形のそれは、前世で目にしたことのある犬笛によく似ていた。



「これは?」


「竜避けの笛です。人間の耳には聞こえない周波数の音を出して竜を威嚇しますが、念のため吹く前に両耳を塞いでください」



 シスター・イネスのいつもより硬い口調に緊張した面持ちで頷き、笛を受け取った。ずっしりと重く、ひんやりとしている。

 紐がつけられていたので笛を首から下げて、改めて目の前の竜の姿を観察した。竜は足を鎖で縛り付けられている上に頑丈そうな口輪をされており、かなり動きを制限されているように見えるが、竜避けの笛はいつでも吹けるように手に持っていた方がいいだろう。



「それでは、よろしく頼みましたぞ、聖女様」



 クレマン様はそう言葉を残してシスター・イネスと共に地下牢から出て行く。

 扉が閉まる音は聞こえてこなかった。チラリと背後を振り返れば、半分ほど開いている扉の隙間から、心配そうにこちらの様子を見守っている二人の護衛と目が合う。明らかにハラハラしている様子の二人に、私は苦笑した。

 ――改めて、鎖で繋がれている竜に向き直る。銀の瞳は依然こちらを捉えたまま、しかし襲ってくるといった素振りは見せなかった。



(襲ってくる様子はないみたい……? 本人の意識はあるの?)



 壁に背を預けて、できるだけ距離をとりつつ竜の様子を窺う。竜の美しさに心奪われたせいか恐怖は和らぎ、冷静な思考が戻ってきていた。

 そっと目を伏せ、今まで学んできたことを思い返す。呪いを解く方法。それが書かれた教科書を、私は七年間ずっと読み返してきたのだ。知識だけはある。



(呪いを解くには呪われている対象と心を通わせて、呪いの源から対象を“引き離す”……)



 呪いの源と呪われている対象は深いところで結ばれてしまっている。聖女はその結びつきを女神の力で強引に“引き離す”のだ。そのためにはまず、結ばれている深いところまで辿り着かなければならない。

 つまりは大前提として対象の心の奥底に干渉する必要があり、干渉するためには対象と心を通わせなければならない。

 心の通わせ方は聖女によって様々だ。純粋にコミュニケーションをとって仲良くなる聖女もいれば、強い力を持つ聖女は半ば強引に心を開かせることができるという。

 ――満足に力を使えない私が取れる手段はただ一つ。対話して距離を縮めるしかない。

 言葉が通じるか若干不安に思いつつ、こちらを見つめる竜に向かって頭を下げた。



「は、はじめまして、オリエッタ・カヴァニスと申します。これからしばらく、お世話になります。よろしくお願いします」



 竜は頷いた――ように見えた。

 一体いつまでここにいられるのかは分からない。何日経っても成果が出なければ見限られ、シスター・イネスに連れて帰られるだろう。

 自分と竜の間に空いている物理的な距離を縮めようと、そっと数歩踏み出す。コミュニケーションを取るのならば、そして力を使うのならば、もう少し近づかなければならない。

 一歩近づいては竜の顔色を窺って、こちらに敵意がないのを確認しつつ、あと数歩近づけば鱗に触れられる距離まできた。



「ちょ、ちょっと失礼しますね」



 竜の体に手を翳し、そっと目を閉じる。そして女神の力を使おうと深く息を吸った。

 ――女神の力は私の中に宿っている、らしい。その力は私の体を巡り、外へと出ていく。その“感覚”が万年候補生の私にはいつまで経っても掴めなかった。



「んー!」



 唸ってみるが、やはり力は使えない。それでも諦めず、自分の中に眠っているはずの女神の力を信じて、私は力を使おうと何度も試行錯誤した。

 竜の周りをグルグル回って、断りを入れてからその鱗に触れてみたり、いっそ離れた場所からならどうだろうかとできるだけ距離をあけたり。その間美しい竜は銀の瞳で私をずっと追っていて、時折私が触れやすいように頭を下げてくれることもあったりと、とても協力的な姿勢を見せてくれた。



(呪いによって我を忘れているかと思っていたけれど、“騎士”の意識はかなりしっかりしていそうね……)



 竜になってしまった騎士だって、助かりたいに決まっている。だから私を襲うことなく協力してくれているのだ。――力も満足に使えない、私に。

 そう思うと、彼にどんどん申し訳なく思えてくる。これは私にとっては大聖女コレット様がくださった最後のチャンスだが、騎士からしてみれば自分の命運を不出来な聖女候補に握られているのだ。教団が優秀な聖女を派遣していれば、とっくのとうに元の姿に戻れていただろうに。



(どうして、私は……)



 気づけば涙が頬をつたっていた。

 悔しさ、情けなさ、申し訳なさ、劣等感、焦燥感――それらがない混ぜになってこぼれた涙は、一度溢れてしまえば中々止まらなくて。服の裾で強引に涙を拭ってもきりがなくて、顔を手で覆ってしゃがみ込んだ。

 涙は顔を覆う服の裾に吸い込まれていく。しばらくその体勢のまま泣き続けたが、数年分の涙もものの数分で枯れてしまった。

 泣いていてもなにも変わらない。他人を羨んで妬みを向けても、彼らが私と同じ場所まで“堕ちて”くれる訳じゃない。私は自分に“できること”をしなければ。

 すん、と鼻を啜って顔を上げた。――瞬間、背中に控えめに固い何かが当たった気がして振り返る。

 振り返った先に、ぐっと頭を地面につけて、こちらを上目遣いで見やる竜がいた。大きな銀の瞳から敵意は全く感じられず、それどころか泣いた私を気遣うように優しげで――

 その瞳に、私はほっとした。弱っていたせいもあるだろうが、この竜は味方だと思えて、気づけば笑みを浮かべていた。



「ご、ごめんなさい、みっともなく泣いてしまって」



 涙こそ止まったものの、未だしっとりと濡れている頬を裾で拭いながら謝罪する。彼からしてみれば、突然やってきた聖女がろくに力を使えないどころか泣き出したのだ。戸惑うに決まっている。

 竜はぐいぐいと頭を私の腕に押し付けた。撫でて欲しいと強請る犬のような行動だった。



「慰めてくれるの? ありがとう……」



 竜は話すことができない。だから私は自分に都合がいいように、竜の行動を解釈した。

 手のひらに触れるひんやりとした鱗。思わず撫でてみれば、ざらざらとしていた。

 床に体を伏せる竜の首元に寄り掛かるようにして座る。私の右側には竜の頭があり、銀の瞳がこちらを見上げていた。



「私、万年候補生なの」



 自分でも無意識のうちにこぼれ出た言葉。

 心配をかけまいと、シスターたちにも友人たちにもこの胸の内の劣等感を打ち明けたことはない。だからこの話をするのは彼が初めてだ。



「前世持ちとして生まれて、小さい頃から大修道院に預けられて、ずーっと聖女になるために努力してきたの。それなのにどうしてか、女神の力を使うことができなくて……」



 口を開いたときは笑顔を浮かべていられたのに、話していくうちにどんどん下を向いてしまう。



「どうして私は……。他のみんなはすぐに力を使いこなせるのに……」



 ぐる、と竜が私を気遣うように喉を鳴らした。パッと顔を上げて竜を見れば、とても悲しい表情をしているように思えて。

 寄り添ってくれるような態度と表情に、なぜだろう、再び涙が溢れた。ほっとしたのか嬉しかったのか、自分でも理由はよく分からない。しかし私の涙を見て焦ったように視線を泳がせる竜にますます泣けてきてしまって、ボロボロ涙をこぼしながら私は笑った。



「でも、できないものはできないのよね。他人を羨むより、自分が努力しないと」



 大修道院を去っていく友人たちの背を見ながら、何度も自分に言い聞かせた言葉。それは他人を妬まないようにという戒めから生み出した、綺麗に着飾った“いい子ちゃん”としての言葉だったが、今この時だけは心の底から“そう”だと思えて。

 私は竜に真正面から向き合う。そして美しい鱗に手を添えて、約束した。



「私は万年聖女候補生だけれど、あなたの呪いを解けるよう、精一杯頑張るから」



 銀の瞳が見開かれる。私は微笑んで、竜の鱗に頬を寄せた。

 ひんやりと冷たくて、気持ちがいい。肩から力が抜けるようではぁ、と大きく息を吐き瞼を閉じる。そのとき、眦から涙が一筋流れ落ちていくのを感じた。

 竜は動かない。私の手を振り払いもしないし、こちらに擦り寄ってくることもない。

 鱗の触り心地が気持ちよくてもう少しくっついていたかったが、流石に離れようと思いそっと頬を離した瞬間、カシャン、と鉄か何かが擦れる音がした。その音にパッと目を開けて何があったのかと視界を巡らす。そして気づいた。

 ――竜がつけていた口輪が、外れている。



「あ……」



 自分の力で外したのか、はたまた口輪が壊れて外れてしまったのか。どちらにせよ、私の目の前には大きな口が自由になった竜がいた。

 ゆっくりと、竜は口を開く。食べられるのかもしれない。一瞬そう思ったが、すぐには動けなかった。――違う、私は“動かなかった”。

 竜の動きがスローモーションのように見える。彼は小さく口を開き、首を傾げるように顔の角度を変え、そして――私の頬を大きな舌で舐めた。



「え……?」



 控えめに、舌先で私の頬を舐める竜。その舌はゆっくりと目の方まで移動し、私の眦に溜まった涙も舐めとった。

 ――涙を拭おうとしてくれた。

 そう解釈した私の目からは再び涙が溢れてくる。

 あたたかい心を持った竜――人だ。呪われた立場でありながら、私を励まそうとしてくれるなんて。

 ますます彼の呪いを解いてあげたいという気持ちが強くなる。もし私が果たせなかったとしても、シスター・イネスに優秀な聖女を派遣してもらえないか掛け合ってみよう。大修道院を去る前の最後の願いだと言えば、優しい彼女は無碍にできないはずだ。



「ありがとう」

 


 感謝の気持ちを伝えれば、竜は再び私の頬をべろんと舐めた。――その時だった。

 目の前の大きな体が、カッと鋭い光を発し出す。あまりの眩しさに私は目が眩み、手で顔を覆い背を向けて、光から逃れる他なかった。



「な、なに――!?」



 どれだけその体勢でいただろう。背後からの光が収まったのを察して、私はそろそろと顔を上げた。そうすれば目を見開いた護衛の方々と、シスター・イネスがこちらを見下ろしているのが視界に飛び込んできた。

 突然のことに驚き、駆けつけてくれたのだろう。とりあえず自分は無事だと伝えようとして――シスターたちが見ているのが私ではないことに気がついた。

 シスターたちは、私の背後を見ている。一体何があるのかと恐る恐る振り返り――私も彼女たちと同じように、目を見開いた。



「ひ、人……?」



 ――私の背後に横たわっていたのは、一人の人間だった。

 銀色の長い髪で顔が隠れているものの、身長と体格からして男性で間違いない。着ている服はかなりボロボロになっていたが、それでも元々は上等な衣服だったのだろうと細かな装飾等から推測できて。

 突然光出した竜の体。そして突然現れた見知らぬ青年。

 ――この人は、まさか。



「エ、エデュアルト様!」



 護衛の一人が声を上げる。

 ――エデュアルト。

 それは呪いによって竜に姿を変えてしまった、騎士の名だった。



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