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29:ダニエラの決断



 ――誘拐騒動から一夜明けて、私たちは大修道院へ戻ることになった。

 元々宿泊は一泊の予定だったため、騒動で予定が変更になったわけではない。昨晩シャイベ子爵が遅くまで留守にしていたという幸運もあり、騒動が明るみに出ないよう口止めするのはそこまで難しいことではなかった。

 朝、シャイベ子爵が手配してくださった馬車の前で最後の挨拶を交わす。彼は恐縮しきった顔でしきりに頭を下げた。



「わざわざありがとうございました、聖女様」


「こちらこそ、短い間ですがお世話になりました」



 当主自らこうして見送りに来てくれることはとても光栄なことであり、恐れ多いことなのだが――シャイベ子爵の横に娘・ダニエラ様の姿が見えないことが気にかかった。

 彼女とは昨夜、別れてから会っていない。今回の騒動は自分のせいだと思い詰めた様子であったし、今朝姿が見えないことが心配を駆り立てた。



「ダニエラ様は……」



 シャイベ子爵は眉尻を下げて首を振る。



「申し訳ありません。娘は朝から何やら閉じこもっていて……何度も声をかけたのですが」



 彼はちらりと屋敷の二階のとある窓に視線を投げた。そこは確かダニエラ様の自室だ。

 しっかりカーテンが閉められており、ここからでは中の様子は分からない。本当に部屋に閉じこもっているのか、別の場所にいるのか――

 どちらにせよ、私はダニエラ様の力にはなれなかった。けれどきっと彼女なら、自分一人で決めることができるはずだと信じよう。



「どうかダニエラ様によろしくお伝えください」



 微笑む。シャイベ子爵はどこか浮かない表情をしつつも、大きく頷いた。

 エデュアルトが無言で馬車の扉を開けてくれる。彼にエスコートされるまま馬車に乗りこみ、腰を落ち着けたまさにそのとき。



「その馬車、ちょっと待ったー!」



 聞こえてきた大声に、私は身を乗り出して外を見た。

 お屋敷の前に立っていたのは、金髪の女性。彼女は片手に大きな革製のカバンを持ち、肩で息をしていた。慌てて荷物をまとめ、大急ぎで出てきました、といった様子だ。

 女性はずんずん大股でこちらに歩いてきたかと思うと、驚き固まったシャイベ子爵を強引に押しのけ、馬車に足をかける。

 乱暴な動作ながら、それでも損なわれない品を持つその女性は――



「ダ、ダニエラ様!?」



 部屋に閉じこもっていると聞かされた、シャイベ子爵のご息女である“前世持ち”ダニエラ様だった。

 彼女は手に持っていたカバンをドン! と勢いよく馬車の床に置く。そして、



「ウチも行く!」



 そう高らかに宣言した。

 ――行くって、どこに? まさか、大修道院に?

その場に居合わせた誰もが驚き、何も言葉を発せずにいたのだが、ダニエラ様は気にすることなく私の向かいの席に勢いよく腰かける。その際ぱちりと目が合って、私はようやく我に返った。



「い、行くって、どこへ!?」


「大修道院に決まってるだろ!」



 ――どうやら彼女は、一晩のうちに覚悟を決めたらしい。

 驚きと共に湧き上がってくるこのあたたかな感情はなんだろう。安堵なのか、歓喜なのか、尊敬なのか。なんであれ、目の前で目を閉じて不遜に腕と足を組むダニエラ様がとても頼もしく見えた。

 一方でお父様であるシャイベ子爵は娘の突然の変わりように驚いたのか、馬車の扉に手をかけて、唖然と呟く。



「ダニエラ、お前……」


「親父、やっぱウチ聖女になる。んで、孤児院のきょうだいたちも、世界中の人たちも救ってやる」



 迷いのない口調だった。



「手紙書くから! んじゃな!」



 そう続けて父親の肩をぽん、と叩くダニエラ様。シャイベ子爵は感極まったように口元を手で押さえて、何度も頷いた。

 ――ダニエラ様の大修道院入りは、子爵にとっても苦しい決断だっただろう。娘を“売る”ような形になってしまってしまったことに、心を痛めているはずだ。それを分かっているダニエラ様だからこそ、こんなにさっぱりとした別れの言葉を選んだのかもしれない。

 とうとう両手で顔を覆ってしまったシャイベ子爵に、ダニエラ様は苦笑した。しかしそれ以上は何も言わず、扉の横で待機していたエデュアルトを手招く。



「ほら、とっとと出してくれよ!」



 エデュアルトは素早く私の横に座った。その口元はわずかに緩んでいて、私はなんだかますます嬉しくなってしまう。

 彼がシャイベ子爵の様子を伺いつつも馬車の扉を閉めようとした瞬間、子爵はバッと顔を上げる。そして涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしつつ、叫んだ。



「聖女さま! どうかダニエラをよろしくお願いいたします!」


「は、はい――!」



 扉が閉まりきる前にかろうじて応える。すぐに馬車は出発してしまい、それに合わせて当然扉も閉められたため、最後どんな表情でシャイベ子爵がこちらを見ていたのかは分からなかった。

 ――けれど、笑ってくれていたらいいな、と思う。

 すっかり静寂が落ちた馬車の中、向いに座るダニエラ様の様子を伺う。泣きそうになっている様子はなく、彼女は至って冷静だった。



「ダニエラ様」



 呼びかける。彼女の視線がこちらに向く。しかし何と声をかけていいのか分からず、その先の言葉が出てこなかった。

 自分から呼びかけたくせ黙りこくってしまった私に、ダニエラ様は笑う。そして穏やかな表情のまま語りだした。



「ちょっとホルガーたちの説得に時間掛っちまったけど、間に合ってよかった」



 今朝ダニエラ様だけでなくホルガー様の姿も屋敷で見なかったあたり、もしかしたら彼女たちは一緒に孤児院にいたのかもしれない。孤児院でホルガー様や子どもたちを一晩かけて説得した後、慌てて荷物をまとめて出てきた――といったところだろうか。

 どうであれ、ダニエラ様は聖女になることを決めて、それに反対したホルガー様たちを説得したのだ。そう考えると彼女の決意は生半可なものではないと自然と分かるのだが、「聖女になりたくない」と叫んでいた彼女の顔と声が脳裏にこびりついていて、思わず問いかけてしまう。



「よかったんですか?」


「いずれは行かなきゃいけないと思ってたしさ。早いか遅いかの違いだって」



 肩を竦めるダニエラ様の表情は明るい。憑き物が落ちたような、晴れやかな顔だった。



「ま、未だに大修道院でうまくやっていけっかは不安だけど……地べたに這いつくばるような変わった聖女もいるって知れたし、大丈夫だろうと思って」


「ダニエラ様……」



 ――あぁ、私が来た意味も、少しではあるがあったのだ。それだけでもう十分。

 感動で言葉を失っている私に、ダニエラ様はニヤッと笑う。その笑顔は子爵令嬢が浮かべる美しい笑顔ではなく、悪戯好きな子どもが浮かべる意地悪そうな笑顔だった。



「あんたの劣等生伝説、聞けるかな」


「勘弁してください……」



 あっはっは、とダニエラ様は豪快な笑い声をあげる。正直自分の悪評は聞かれたくないけれど、彼女が楽しそうだから一つや二つぐらいならいいか、なんて思う。反面教師にしてもらえたら過去の私も多少報われるというものだ。

 大恥は先に晒してしまおうと思い、大修道院までの道中、七年試験に落ち続けた話をはじめとして、私の“武勇伝”を語った。ダニエラ様は一つ一つの話に声を上げて笑い、しまいには笑いすぎて涙を浮かべていたほどだ。

 そこまで笑うことだろうか、と若干不服に思いつつも、緊張を少しでも解けたらと話続け――やがて到着した大修道院に、ダニエラ様は大層感動された様子だった。



「うわぁ! すげー! でっけー!」



 目を輝かせて走り回るダニエラ様をどうにかこうにか落ち着かせて、大修道院内へ案内する。豪奢なドレスを身に着けた、見るからに高貴な出であると分かる彼女は注目の的だった。

 ダニエラ様のことをとりあえずシスターに報告しようと思いあたりを見渡すが、聖女候補生ばかりでシスターの姿が見られない。ここでおとなしく待っているより探しに行ってしまおう、とエントランスホールの壁一面のステンドグラスに目を奪われているダニエラ様に囁いた。



「ダニエラ様がいらっしゃったことをシスターに伝えてきますから、少しここでお待ちください」



 一旦ダニエラ様をエデュアルトに任せて私は彼女の傍を離れる。そして気持ち速足でシスターを探しに廊下を通り、中庭に出た。

 そこで花に水をやる見慣れた背中を見つけた。あの美しい立ち姿はシスター・リュクレースだ。間違いない。

声をかけようとして、



『あー!』



 突然私の中で大声を上げた女神アラスティア様に、足を止めた。

 私はあたりをきょろきょろ眺めて、人気がないのを確認してから小声で尋ねる。



「どうなさいました?」



 誰かに聞かれてはおかしな独り言を呟いている変な聖女になってしまうので、壁に身を寄せて隠れる。

 放っておいてもよかったのだが、そんなことをしたら機嫌を損ねてしまいそうだ。できる限り女神様には上機嫌でいていただきたい。自分のためにも。

 そんなことを考えていた私に、アラスティア様は早口で責めるように言った。



『聖地、探すの忘れた!』


「……あ」



 ――すっかり忘れていた。

 馬鹿正直に言えるはずもなく、さてどう誤魔化そうと頭をフル回転させた瞬間、シスター・リュクレースがこちらを振り返った。すると彼女も私を認識したのか、ばっちりと目が合う。目が合ってしまった以上放っておけるはずもなく、アラスティア様との会話は中断して彼女に声をかけた。

 事情を説明し、ダニエラ様の許へ案内する。その最中に制服が汚れていることを指摘されて、私は苦笑で流そうとしたがうまくいかなかった。やはりシスター・リュクレースは厳しく真面目な方だ。

小言を言っていたシスターも、ダニエラ様を前にすると笑顔を浮かべた。ダニエラ様に向けられた彼女の笑顔が、今後曇らないことを心の底から祈っている。

私の前でシスター・リュクレースと挨拶を交わしたダニエラ様は、いささか緊張した面持ちで、そのまま連れられて行った。今このときから、ダニエラ様の大修道院生活が始まるのだ。

 小さくなっていく背中をエデュアルトと並んで見送る。

 ダニエラ様の一件が落ち着いたところで、つい先ほど浮上した問題をエデュアルトに相談することにした。



「聖地、探すの忘れちゃった」


「……あ」



 先ほどの私と全く同じ反応をするエデュアルトに思わず笑ってしまう。彼も聖地――御言葉の地のことなんて、すっかり忘れていたに違いない。

 エデュアルトは私の顔と小さくなってしまったダニエラ様の背中を何度か見比べて、それから柔く微笑んだ。



「……まぁ、それ以上の収穫があったんじゃないか」


「うん、そうね」



 ほんの少しだけではあるけれど、ダニエラ様の決断のお手伝いができた。聖女になりたくないと悩む彼女と接することで、改めて私も聖女という立場と向き合うことができたし――今回のことはいい経験と言えるだろう。

 エデュアルトと顔を見合わせて笑う私に、アラスティア様が叫んだ。



『いい風に締めるんじゃないわよ! もー!』



 不敬にも女神様の叫びは聞こえないふりをして、達成感を噛みしめる。そして今日という日が、ダニエラ・シャイベ聖女候補生にとって良い日となるよう、心の底から願った。



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