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28:犯人たち



 脱出できる抜け道がないかくまなく探し、重い布で隠された壁の穴を見つけた。穴を隠していた布はかなり重量感があり、頑丈に壁に貼り付けてある。修理が追い付かず、応急処置として隠しておいていたのだろう。

 女性が一人通れるか通れないかぐらいの穴を指さして、私は叫ぶ。



「ここ、穴があいてます! 通れるかもしれません」



 駆け寄ってきたダニエラ様と顔を見合わせた。

 二人肩を並べて穴の先を見る。どうやら木々に囲まれた場所にこの建物は立っているらしく、場所の目印になりそうなものは見当たらなかった。

 活発なダニエラ様のことだから、すぐさま穴を通り抜けようとするのではないかと思ったのだが、彼女は意外にも穴をじっと眺めているばかりだ。そもそもダニエラ様は豪奢なドレスを身にまとっているから、ここは私が先陣を切るべきだろう。

 そう判断し、私は穴に手をかけた。



「出られないか、試してみますね」



 穴は私たちの膝のあたり、低い位置にある。私は床に膝をつき、上半身を勢いよくねじ込んだ。

 想像よりもスルッと入り込むことができて、これは脱出できるかもしれない――なんて楽観的な考えが脳裏を掠めたときだ。ぐ、と腰からお尻にかけての部分で引っかかる感覚があった。



「あっ、はまった!」


「お、おい!」



 後ろでダニエラ様が慌てたように声を上げる。

 服が引っかかってしまったのか、私の体が引っかかってしまったのか。どちらにせよ、このまま強引に突破するのではなく、一度戻って体制を立て直した方がいい。

 そう判断し、私は後退を始めた。その瞬間、足首に鋭い痛みが走る。怪我したことをすっかり忘れていた!

 痛めた片足を庇った状態では思うように戻ることができず、かなり間抜けな恰好で手をばたつかせる。

少しして、状況を把握したらしいダニエラ様が私の腰を掴んだ。そして引き戻そうとしてくれたのか、腰を掴む指先にぐっと力が入った、まさにそのとき。



「――オリエッタ!」



 男性の声に名前を呼ばれた。

 私は反射的に背筋を伸ばして声のした方を見やる。そして暗闇に目を凝らせば、こちらに駆け寄ってくる一つの人影を見つけた。月光に照らされるその人影は――



「エデュアルト!?」



 専属騎士、エデュアルトその人だった。

 見つけてくれるはずだと信じていたけれど、まさかこんなに早く再会できるとは。きっと必死に探してくれたに違いない。

驚きと喜びと申し訳なさと。それらが複雑に入り乱れた結果何も言えず、ただエデュアルトを見上げるばかりの私に、彼は安心させるように微笑み――首を傾げた。



「……何をしているんだ?」



 今の自分の間抜けな恰好を思い出して赤面する。

 助けに来た聖女が壁にはまっていたのだ、困惑して当然だ。



「壁に穴があいてたから脱出できないか試みたら、ハマっちゃって……」



 数秒の沈黙。それからエデュアルトは安堵のため息を笑顔と共に吐き出した。



「まったく、君は……」



 エデュアルトは私のすぐ傍らに膝をつき、壁に触れる。そしておそらくは魔法を使ったのだろう、壁の穴をほんの少しだけ広げて私を抱き上げてくれた。

優しい手つきで地面に降ろされる。私は確かめるように数度その場で足踏みをし、一瞬足首に走った痛みに眉を寄せた。

 しかしエデュアルトに気取られる前に微笑を顔面に貼り付けた。そしてぼさぼさになっているであろう髪を手櫛で整える。



「無事でよかった。怪我はしていないな?」



 すっかり汚れてしまった聖女の制服を軽く叩いて、エデュアルトは私の顔を覗き込む。頷けば、彼は相好を崩した。

 ――そのとき、泣きそうになっている己を自覚した。

 エデュアルトを、アラスティア様を信じていた。だから不安に思わなかった。それは嘘ではない。けれど自分でも気づかないところで張り詰めていた緊張の糸が、エデュアルトの笑顔を見たことで切れてしまったらしい。

 じわりと滲んだ視界に一番動揺したのは私自身だ。エデュアルトに気づかれないうちに涙を拭ってしまおうとしたのだが、それより早く、目の前の彼が私の肩を掴んだ。そしてそっと引き寄せられる。

 どん、とエデュアルトの肩に頭突きするような体勢になった。俯く私の涙は、エデュアルトからは見えない。



「無事でよかった」



 エデュアルトは繰り返す。私の眦から零れ落ちた涙はそのまま地面へと吸い込まれていった。

 深呼吸を繰り返し、涙が止まったことを確認してから顔を上げたその刹那、背後からバン! と大きな音がした。そのすぐ後に「お嬢様!」という男性の声が続く。おそらくはエデュアルトと共にやってきた護衛が建物の扉を突き破って、ダニエラ様を無事保護したのだろう。

 ――こうして子爵令嬢誘拐騒動は数時間足らずで解決したのだった。



 ***



 さて、問題は今回の誘拐騒動の犯人はいったい誰なのか、ということだが――どうやら既に犯人は捕まっており、かつダニエラ様は犯人に目星がついているようだった。

 私とダニエラ様が案内されたのは、昼間訪れた教会だった。私たちが閉じ込められていた廃墟――今はもう使っていない孤児院らしい――から一番近い建物がここだったようで、教会の応接室で毛布にくるまれながら、ダニエラ様と二人ソファに座る。

 ダニエラ様はソファに座るなり、エデュアルトと護衛数名にこう言ったのだ。



「今回の犯人はホルガーたちだろ?」



 それは問いかけというより、確認に近かった。

 ホルガーって、ダニエラ様の護衛のホルガー様? 彼が犯人? まさか!

 驚き固まったのは私だけで、エデュアルトは何も言わず応接室の扉を開ける。すると麻縄で縛られた数名の男女が部屋に入ってきた。

先頭の大男は見間違えるはずもない、ダニエラ様の護衛の騎士・ホルガー様だ。その後ろにまだ幼い子供三名が続いて入室する。

彼らは縛られたまま、こちらに向かって大きく頭を下げた。

 護衛であるはずのホルガー様がなぜこのような計画を実行したのか、まるで分からない。理解が追い付かずに考えることすら放棄して、こちらに頭を下げる子どもたちは誰なのだろうと唖然と見つめていたところ、



「こいつらは孤児院のガキ」



 ダニエラ様が説明するように、あるいは守るように子どもたちの前に立った。

 今回の誘拐騒動の犯人は、護衛のホルガー様と孤児院の子ども。彼らの繋がりは見えたけれど、そもそもの動機は全く見当がつかない。

 未だ驚きのあまりろくに声も出ない私にかわって、エデュアルトが話を進めた。



「どうしてこんなことを?」



 エデュアルトの問いかけの声はひどく冷たい。自分に向けられた声ではないのに、まるで喉元に刃を突き付けられているような心地がして息が詰まった。

 しかし子どもたちはひるむことなく声を上げる。彼らは必死だった。



「今日、聖女様がやってきたって聞いて、それで……! ダニエラ姉ちゃんが連れていかれちゃうと思ったんだ!」


「姉ちゃん、聖女になりたくないって言ってたから!」



 ――ようやく今回の誘拐事件の真相が見えてきた。

 彼らは聖女わたしに“姉ちゃん”を連れていかれると思い、助けるために誘拐騒動を起こしたのだろう。“姉ちゃん”が聖女になりたくないことを知っていたから。

 それきり俯いた子どもたちに声をかけたのはダニエラ様だった。



「攫って、どうするつもりだったんだよ?」


「そ、それは……」


「やっぱなんも考えてなかったのか」



 ダニエラ様はため息をつく。しかしその表情は、そして声は、子どもたちを責めるようなものではなかった。



「でもとにかく、あの屋敷にいたら明日にでも連れてかれるかもしれないって、ホルガーが!」



 そこで全員の視線がホルガー様へ向く。

 シャイベ子爵がよかれと思ってやったことが、大きな誤解を与えてしまったらしい。どうやら彼らからしてみれば、私の方がダニエラ様を大修道院へ攫う誘拐犯のように見えていたようだ。

 ダニエラ様がゆっくりとホルガー様に歩み寄った。彼は主人から目を逸らさない。



「……クビになるとか考えなかったのか?」


「お嬢様の望みが、俺の望みですから」



 ホルガー様は迷いもなく言い切った。どのような結果になろうと、きっと彼は後悔しないのだろうと思った。

 彼とダニエラ様の間にどのような過去があるのか、私は知らない。けれどホルガー様の迷いのない瞳から、強い意志を持った声から、どれだけダニエラ様のことを大切に思っているかが窺い知れるようだった。



「ばかだなーもう」



 ぽつりとこぼすと、ダニエラ様は私に向かって大きく頭を下げる。



「悪かった。全部ウチのせいだ。こいつらの前で聖女になりたくねぇーって愚痴ってたウチの責任」


「ね、姉ちゃん!」



 子どもたちが慌ててダニエラ様に駆け寄った。この時ばかりはホルガー様も、大きな体を持て余すようにあわあわと主人の後ろで右往左往する。しかしダニエラ様は決して顔を上げようとはしなかった。



「咎めならどうかウチ……私だけに。本当に、申し訳ございませんでした」



 語尾が震えている。本気で従者と子どもたちの不始末の責任をとるつもりのようだった。

 その姿を見て、私は小さく首を振る。――甘いと言われようと、ダニエラ様を責めることはできそうになかった。

 私は巻き込まれたというより、首を突っ込んだ側だ。ホルガー様たちは当初の予定では私まで攫うつもりではなかったはず。それに被害といえばせいぜい制服が汚れたぐらいだ。誤解も無事解けたことだし、これ以上の追及は必要ないように思えた。

 私は立ち上がり、未だ頭を下げたままのダニエラ様の前に立つ。



「……なんのことですか? 私はダニエラ様と夜の散歩を楽しんだだけです。ね?」



 ダニエラ様は勢いよく顔を上げた。驚きに見開かれた瞳は美しかった。

 私は彼女に右手を差し出す。果たしてこの握手がなんの握手なのか、正直自分にも分らなかったけれど、ダニエラ様は目を潤ませて私の手を取った。そしてその手を頬に寄せる。



「ありがとう」



 ダニエラ様が体を震わせながら微笑む。彼女の涙がしっとりと手の甲を濡らしたけれど、気づかないふりをした。

 ――何もなかった。ただ誤解からちょっとした騒動になってしまっただけ。だからこのことはシャイベ子爵にも教団にも報告しない。他言無用だ。そう互いに約束し、解散することになった。

 ダニエラ様はもう少しホルガー様たちと話をしたいようで、私とエデュアルトは二人、先に教会を出る。

 屋敷へ帰る道すがら、私はすっかり汚れてしまった制服を眺めながらため息をついた。替えはいくつかあるし、頼めば新しく仕立て直してもらえるだろうけれど、こんなにも早く一着をダメにした聖女は珍しいだろう。

 また劣等生の面が――なんて気が重くなっていたところに、声がかかった。



「オリエッタ」


「エデュアルト?」



 彼はこちらに手を差し出してくる。その意図が分からず、しかし誘われるように手を重ねる。

 手を繋いだ状態のまま、エデュアルトは目線を私の足元に落とした。



「足、痛めてるだろう」


「……よく分かったわね」



 痛めているといってもそこまでひどい怪我ではない。多少痛みはあるけれど普通に歩けるし、明日になればすっかり治っているだろう。だから気づかれたこと自体驚きだった。

 大丈夫よ、と続けようとした刹那、繋いでいた手をぐっと引き寄せられたかと思うと、そのまま抱き上げられた。

 唖然とする私を抱えて、エデュアルトは歩き出す。いくら夜とはいえ、街にはまだ人通りもあり、すれ違う人すれ違う人が全員こちらを見ているような気がした。



「待って! 流石に恥ずかしい!」


「譲る気はないぞ。オリエッタが騒ぐほど注目される」



 それはその通りで、私が声を上げれば何事かと人々はこちらを見る。そして騎士が聖女を抱き上げている光景にぎょっと驚いた顔をするのだ。

 羞恥心のあまり、無駄な足掻きだと分かっていつつも体を縮こまらせる。エデュアルトの顔すらろくに見られず、俯いて瞼をぎゅっと瞑った。早く屋敷につけ、と心の中で念じながら。



 ***



 屋敷に到着し、さっさと寝てしまおうと身支度を終えてベッドに潜り込んだ。そして瞼を閉じるその前に、“あの方”にまだお礼を言っていなかった、と一度倒した上半身を起こす。

 虚空に向かって小声で呟いた。



「ありがとうございました、アラスティア様」


「……あたし?」



 どこに隠れていらっしゃったのか、小さな女性――女神アラスティア様がすぅ、と姿を現した。

 ピンと来ていない様子の女神様に首を傾げる。



「アラスティア様なら、私の場所が分かったのでは? だからあんなに早く助けてもらえたのかと……」



 あぁ、とようやくお礼の意味を理解したらしいアラスティア様は「そうだったんだけどねー」と宙で足を組んだ。

 時折その恰好をされるけれど、宙にどうやって腰かけているのだろう、といつも疑問に思う。



「あたしがアンタの場所を教える前に、アイツが飛び出してっちゃったもんだから」



 アイツ、とはエデュアルトのことだろう。そんなに彼は焦っていたのだろうか。

 目を丸くする私に、アラスティア様はニヤリと笑う。そして揶揄うように私の右頬を小さな指でつついた。



「すごかったわよー、アイツの顔。もう少しで竜になるかと思ったわ」


「そ、そうなんですか?」



 もう少しで竜になるかと思った、と称されるエデュアルトの様子は正直想像がつかなかったけれど、それだけ必死に探してくれたのだろう。

 そう思うと申し訳なくて――それなのに、どうしてか嬉しくて。

 明日改めてお礼をしよう。そうだ、以前贈ってくれた髪飾りのお返しもかねて、何かプレゼントを用意するのもいいかもしれない。



「何にやけてんのよ」


「にっ、にやけてません!」



 反射的に言い返してしまったけれど、にやけている自覚はあった。

 だからこれ以上突っ込まれないように私は毛布を頭まで被って、そのまま瞼を閉じる。いつもより早い己の心臓の鼓動が、今日ばかりは心地よかった。



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