25:やさぐれ令嬢
小動物系令嬢かと思っていた可憐なダニエラ様が、実は「聖女なんかなりたくないっつーの」などと吐き捨てる系令嬢であったことに私もエデュアルトも驚愕して、十秒あまり唖然と立ち尽くしてしまった。――その結果、護衛のホルガー様に気付かれた。
私たちに“素顔”を見られたと知ったダニエラ様は大きな目を真ん丸に見開き、やがて「もぉおおおお!」と大声を上げて頭を抱える。完璧な美少女フェイスから出ているとは思えない、腹の底からの叫びだった。
「ホルガーのせいでばれたじゃねーか! 外まで出ようって言ったのに、ホルガーがここでいいっていうから!」
「申し訳ありません」
ぽかぽかとホルガー様の厚い胸板を叩くダニエラ様。
謝るべきかどうか悩んで、とりあえず本来の目的を果たそうとDの刺繍が入ったハンカチを差し出す。
これを届けるためにダニエラ様の後を追って――このようなことになってしまったのだ。大人しく席で待っているべきだった。
「え、ええっと……これ、ハンカチをお忘れのようだったので……」
「あっ、ありがとうございます……じゃなくて!」
ダニエラ様はハンカチをぐしゃりと握りしめた。
『こりゃあの親父がシスターに頼み込むのも分かる気がするわね。絶対に大修道院で浮くわ』
ぼやくように言ったアラスティア様の言葉に私は心の中で同意した。
シャイベ子爵はただ娘を大修道院に送ることを懸念していたのではなく、娘が聖女候補生に交じって生活できるかを心配されているのかもしれない。
実際の聖女と触れ合うことで、大修道院での暮らしをより具体的にイメージさせたかったのか、それとも――
数少ない貴族の“前世持ち”として、ダニエラ様がもし聖女候補生になれば大きな注目を集めるだろう。そんな中で、一日中お淑やかに振舞わなければならない。きっとダニエラ様には大きな負担になるはずだ。
いっそ、素を晒してしまえば――なんて考えたが、“聖女”としてはやはり難しい。
「もうバレたから言うけど、ウチは聖女になんかなりたくねーの!」
ダニエラ様は髪とスカートの裾を振り乱して主張する。
「贅沢も許されず人のためにあっちこっち飛び回って、なーんもいいことねーじゃん! 聖女なんて他人のために人生無駄にしてるだけだろ!」
彼女は随分と聖女の悪い面ばかり強調していたが、決して嘘は言っていない。
聖女は世界中に“奉仕”する存在だ。他人のために人生を無駄にする――私はそうは思っていないけれど、そのような捉え方をする人がいても不思議ではない。
それにしても、声を枯らすほど叫ぶなんてよほど聖女になりたくないんだなぁ、なんて心の中で苦笑しながら聞いていたら、
「貴族の我儘に振り回されてさ、あんたみたいになりたくねーよ!」
「ダニエラ様!」
エデュアルトが鋭い声で静止した。そして大きな体を私とダニエラ様の間に滑りこませる。
近い距離で、笑っていないと冷たさを感じる銀の瞳に見下ろされて、威勢のよかったダニエラ様がたじろいだ。
「いくら子爵ご令嬢と言えど、その物言いは看過できません」
「な、なんだよ、間違ったこと言ってるか!?」
エデュアルトは小さく首を振る。そしてダニエラ様の顔を覗き込むように、身を屈めて続けた。
「あなたが聖女に対してどのような思いを抱くかは自由ですが、オリエッタを侮辱するのは許せない。そもそも彼女が“わざわざ”来たのだって、あなたがきっかけでしょう」
「親父が言い出したことだ! ウチは関係ない!」
剣呑な空気が漂い出したので、流石に止めようとエデュアルトの腕にそっと触れる。こちらを振り返ったエデュアルトは優しく微笑んでいて、安心するどころかほんの少しだけ、恐ろしさを覚えてしまった。
――エデュアルトから、時折底知れなさを感じる。出会って間もないのだからそれも当然かもしれなかったが、なんだか不安になるのだ。
不意に、ダニエラ様の「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。ハッとそちらを見やれば、体の大きなホルガー様に抱きかかえられて、足をばたつかせているダニエラ様が目に入った。
ホルガー様は主人を小脇に抱えたまま、私に向って頭を下げる。
「申し訳ございません」
どうやらダニエラ様の無礼――正直無礼だとまでは思っていないけれど――を謝ってくれているらしい。言葉こそ簡素だったものの、腰を大きく曲げ、十秒近く頭を下げたホルガー様の姿に、これ以上なく誠実な謝罪を受けたような気持ちになった。
「なんで“前世持ち”に生まれたからって、聖女にならなきゃなんねーんだよ! こんなの女神様の横暴だ!」
一方でダニエラ様はまだ騒いでいる。
目の前で罵られた“女神様”に私はこっそり耳打ちした。
「言われてますよ、アラスティア様」
『別に好きにすりゃいいじゃない、うっさい小娘ね』
しかし本人は何とも思ってない表情で、そっぽを向く。
あまりの態度に腹を立てるどころか笑ってしまった。自分たちが作った小さな存在の言葉にいちいち傷ついたり苛立っていては、女神なんてやっていられないだろう。傲慢な態度に頼もしさすら覚えてしまうあたり、やさぐれ女神に毒されてきた証拠かもしれない。
ホルガー様の謝罪で一応は気を収めたのか、エデュアルトは私の背後に戻った。これで一旦は落ち着いた――と思いきや、ダニエラ様が口を開く。
「でも! 聖女なんかになりたかねーけど! ウチはならなきゃなんねーんだよ!」
「……えっ、あ、そうなんですか?」
また聖女になりたくないと叫ぶのかと思いきや、真反対の言葉が飛び出してきて反応が遅れる。
聖女にはなりたくない。けれど、ならなくてはいけない。
何か事情があるのだろうか。
『あの娘、情緒不安定すぎない? 大丈夫?』
さすがのアラスティア様も心底心配するような声音で呟いた。
私もどう声をかけるのが正解なのか分からず、ただ無言でダニエラ様を見つめる。ホルガー様に抱きかかえられた彼女は俯いており、前髪のせいでよく表情が見えなかった。
「金がねーんだ……うちには……」
――貴族なのに?
脳裏に浮かんだ疑問が口から飛び出ないよう、私は咄嗟に手の平で口を覆った。
ダニエラ様の言葉を信じるのなら、どのような理由であれ現在シャイベ子爵家はお金に困っており、教団からの支援金目当てでダニエラ様は聖女になろうとしているのだろうか。だから聖女になりたくないけれど、ならないといけない。
ひどく思いつめた様子のダニエラ様を不躾にじろじろと眺める気にはなれなくて、私は視線の逃げどころとして、エデュアルトを振り仰いだ。彼も私を見つめていたようで、振り返った瞬間視線がかち合う。
銀の瞳は凪いでいた。
「……帰る」
ぽつり、と落とされたダニエラ様の声はやけに響いた。
ホルガー様は私たちに再び大きく頭を下げる。そしてダニエラ様を小脇に抱えたまま、教会を出ていった。
その背中を見送ってから、私はエデュアルトに問いかける。
「ねぇ、エデュアルト。シャイベ子爵は……お金に困っていらっしゃるのかしら?」
他人の噂話をするのは憚られて、小声で囁くように聞いた。
エデュアルトは数秒答えを探すように視線を泳がせ、それから私の背中を押す。
「彼らの後を追おう」
え、と思ったときには背中に触れていたエデュアルトの手が腰に滑り、ぐっと腰を抱かれた。少し強引な手つきに思わず数歩前に出て、そのまま歩き出す。
ダニエラ様を抱えたホルガー様は、街に戻ったかと思うとお屋敷とは違う方向へ向かった。その背中をひたすら追って、やがて辿り着いたのは街のはずれにある大きく立派な建物。
この建物は一体何なのか。じっと目を凝らしていたら、扉が開き、沢山の子どもたちが飛び出してきた。
「ダニエラ姉ちゃん! ホルガー!」
ダニエラ様はあっという間に子どもたちに囲まれる。
ドレスの裾が汚れてしまうのも気にせず、彼女はその場にしゃがみ込み、子どもたちと視線を合わせた。そして一人一人としっかり会話をして、時折頭を撫でたり、額を小突く。
子どもたちに囲まれたダニエラ様はとても嬉しそうに、幸せそうに笑っていて、きっとこれが彼女の本当の姿なのだろうと思う。
「孤児院だ」
エデュアルトが耳元で囁いた。
孤児院――その単語に、私はダニエラ様の父・シャイベ子爵の顔を思い出す。彼は領内に多くの孤児院を作り、子どもたちを保護している慈善家として有名だと教えてもらった。この立派な孤児院も、子爵が作られたものなのだろう。
それにしても、本当に立派な建物だ。建てるだけでもかなりの資金が必要になるだろうし、多くの子どもたちが暮らしているなら生活費だって――
そこまで考えてようやく気付く。ダニエラ様が、「うちには金がない」とぼやいた、その訳を。
「――旦那様は、慈善活動に資産のほとんどをつぎ込んでおります」
突然、背後から声をかけられた。
慌てて振り返る。いつの間に後ろに回り込んでいたのやら、そこにはホルガー様が立っていた。
「ようこそいらっしゃいました」
後をつけてきた私たちを罵るどころか、ホルガー様は孤児院に私たちを招き入れる。
ダニエラ様と子どもたちに気付かれないよう、私たちは裏口から孤児院へ足を踏み入れた。




