23:“前世持ち”ご令嬢
任務を終え、大修道院のエントランスホールに帰ってきたときのこと。
身なりの良い見慣れない男性が、シスターに大きく頭を下げている場面に遭遇した。
「お願いします!」
「ですが……」
様子を見るに、男性が何かシスターに依頼をしていて、しかしシスター側はその依頼を受けることに躊躇っているようだ。呪いや穢れの浄化依頼であれば二つ返事で頷くシスターたちが、あそこまで渋っているのを見るのは初めてだった。
彼らのやり取りの邪魔をしないよう、その脇を通り抜けて、
「あの方……シャイベ子爵だ」
ぽつり、とエデュアルトが呟いた。
私はエントランスホールの端まで移動し、シスターと男性に聞こえないように小さな声で尋ねる。
「有名な方?」
「領内に多くの孤児院を作り、身寄りのない子どもたちを集めて支援されている慈善家として有名だ」
なるほどそんなにも素晴らしい活動をされているのであれば、有名なのも納得だ。
けれど。
「そんな方がどうして大修道院に?」
一体何をシスターに頼み込んでいるのだろうか――気になってしまう野次馬精神がどうしても顔を覗かせる。
「オリエッタ!」
そのとき、シャイベ子爵と会話していたシスターが私を見つけたらしい。彼女は「助かった!」というような表情を浮かべ、子爵に断りを入れてからこちらに駆け寄ってきた。
どうやら彼女は、会話を切り上げるきっかけを探していたようだ。そこに運よく私が通りかかった、ということらしい。
シスターは私と合流すると、振り返り、シャイベ子爵に頭を下げた。そしてそのまま歩き出す。ここで私が付いていかなければ不自然だと思い、私も子爵に目礼してから、慌ててシスターの後を追いかけた。
背中に感じる視線。振り返らずとも、子爵がこちらを見ているのが分かった。
「シスター、先ほどの方は……」
「あの方のご令嬢が“前世持ち”のようなのです」
はぁ、とため息交じりにシスターは続ける。
「それで、かねてから大修道院へ入られるか検討されているのですが……聖女から実際に話を聞きたいとずっと相談を受けていて」
娘を想う父親心が、どうやらシスターたちを悩ませているようだ。
基本的には大修道院に入る候補生に対して、いわゆる説明会のような場は設けていない。大修道院がどのような場所であるか世界的に知られているから、そもそも説明を求めてくる人も少ないのだ。
それでも疑問がある場合、シスターたちが窓口になって受け答えをしている。実際に聖女が説明をする――前世でいうOG訪問のような対応は、一切取っていなかった。それは任務への支障を来たさないようにするためだ。
「一通りの説明は私たちで行ったのですけれど、ああして何度も、聖女から直接話を聞きたいと直訴に来ているのです」
廊下の角を曲がる直前、振り返る。シャイベ子爵はまだエントランスホールに立ち、こちらを見つめていた。
――本当に娘のことを想っているのだ。娘を想う父のその姿に、じぃん、と胸を打たれた。
私は思わず足を止める。そして、
「あの、私でよろしければ――」
***
後日、私はシャイベ子爵が治める街へと向かう馬車に乗っていた。
聖女直々の説明は別に禁止されているわけではない。そんな暇な時間は通常の聖女にはないからと、シスターたちは断っていたのだ。――が、しかし、ここに時間を持て余している聖女が一人、いるではないか。
シャイベ子爵の必死な姿に、私は思わず立候補していた。大修道院としてもその申し出は願ってもないことだったようで――地位と名声を持つ子爵の依頼を無碍にすることは難しく、いずれ聖女を向かわせるつもりではあったそうだ――あれよあれよという間に話は進んだ。
『ったく、面倒なこと引き受けちゃって』
私の膝の上で丸くなる子猫――アラスティア様はめんどくさそうにあくびをする。
今回私は教会に種火を届ける任務の“ついで”に、シャイベ子爵のご令嬢に会うことになっていた。
「でも喜んでくださっていましたから……」
思い出す。聖女が伺うと話したとき、シャイベ子爵はそれはもう喜んだのだ。その喜びようといったら、こちらまで嬉しくなるぐらいで。
今まで不自由なく暮らしてきたであろう子爵令嬢が、質素な暮らしを送る大修道院に馴染めるか、という心配はとてもよくわかる。少しでもその不安を拭って差し上げたかった。私の大修道院暮らしは誰よりも長いのだ。きっと力になれるはず、と珍しく自信があった。
揺れる馬車の中、雑談交じりにエデュアルトに問いかける。
「シャイベ子爵令嬢……エデュアルトはお知り合いなの?」
すれ違うぐらいでシャイベ子爵だと分かったぐらいだ。もしかしたら面識があるのではないか、と思っての質問だったのだが、エデュアルトは小さく首を振った。
「いや、エッセリンク家は士爵の称号を剥奪されて久しいから、社交界に顔は広くないんだ。先方は俺のことは知らないと思う」
士爵の称号を剥奪された。
その言葉に私の顔からさぁっと血の気が引く。
「ごっ、ごめんなさい!」
『あーあ、地雷踏んだー』
アラスティア様が追い打ちをかけてくる。
「気にしないでくれ。そもそも二代しか賜っていなかったんだ、かつてエッセリンク家が士爵の称号を得ていたと知っている者の方が少ない。それに大修道院での俺の言葉もよくなかった。あれではオリエッタが誤解するのも分かる」
最大限のフォローをしてくれるエデュアルトにますます申し訳なくなって、背中を縮こまらせる。
「でも軽率な質問だったわ、ごめんなさい」
『自分の専属騎士のことぐらい、もう少し調べたら?』
「ごもっともです……」
そう、私はエデュアルトについて、そして彼の実家であるエッセリンク家についてまだまだ知識がない。竜に呪われたお家だということぐらいしか分かっていない。それならば知らないままではなく、知る努力をしなければならなかったのだ。
「オリエッタは聖女になってから任務に追われている。俺の家のことなんか調べるぐらいだったら、その分休息をとってほしい」
嬉しいけど、嬉しいけどやめて、エデュアルト。フォローされればされるほど申し訳なくなって、今にも消えてしまいたい気持ちになる。
『甘やかすんじゃないわよ』
アラスティア様が小さな前足でエデュアルトの腕に猫パンチした。
「オリエッタは自分に厳しい。その分誰かが甘やかすべきだろう」
『あら、じゃあ頑張ってる女神様も誰かが甘やかしてくれるのかしら?』
数秒の沈黙。それからエデュアルトは顔をしかめた。
「……どこにそんな女神がいるんだ?」
『あっ、コイツ煽りでもなく本気で思ってる顔してる! 腹立つわね! ちょっとオリエッタ! 自分の専属騎士の教育ちゃんとしなさいよ!』
びしびしとパンチを繰り返すアラスティア様。その途中で爪が彼の服に引っかかってしまったらしい、更に毛を逆立てた。
引っかかった爪を外しながら、私は話題を変えるべく女神様に問いかける。
「あの、子爵令嬢……貴族の方が聖女になるかもしれないって、珍しいですよね?」
――私が出会ってきた候補生たちは、皆平民の出だった。貴族より平民の数の方が多いのだから当然かもしれないが、それでも過去貴族出の聖女がいたという話は聞いたことがない。
引っかかった爪が取れたところで、アラスティア様は毛づくろいをしながら答える。
『せっかく前世持ちとして産まれても、貴族は聖女になる確率が低いのよ。貴族のお嬢様だったら金持ってるし聖女以外の道も選べるでしょ? 一般家庭出の魔力を持たない女性なら、普通に働くよりほとんどは聖女を選ぶ。今回の令嬢はたぶん、ネローネのミスね』
考えていないようで考えているのね、というのが素直な感想だった。
確かに平民出の“前世持ち”なら、聖女以外の道は選びようがない。支援金で家族に裕福な思いをさせてやれるし、そもそも魔力を持たない者が、この世界で普通に働くとなると中々難しかったりする。早くに結婚でもしてしまえば話は別だが――
私が“前世持ち”だと分かったときも、両親は大修道院へ迷うことなく送り出した。それは娘の人生を思ってのことだったのかもしれないし、支援金目当てだったのかもしれない。今となっては分からない話だ。
「確かに私も、聖女以外の道なんて考えたことなかったですね……」
『ご不満?』
迷わず首を振った。
「いいえ。人の役に立てて、家族も養えて……色んな人と出会えて、私は幸運だったと思っています」
年齢等を理由に聖女を引退しても、教団に雇ってもらえる。それこそ大修道院にいるシスターは、ほとんどが何らかの理由で引退した元聖女だ。つまり一度聖女になればもう一生くいっぱぐれない。夢のような職業と言っていいだろう。
確かに“前世持ち”として生まれた以上、聖女になって人々の役に立ちたいという想いはあったけれど、この世界で一番安定している職業に対して魅力を感じていたのも事実だ。実際一度聖女になれば、私の人生はもう保障されたようなものだし――それに、聖女でなかったら、騎士であるエデュアルトとも出会えなかっただろう。
『でもま、どこに産まれても似たようなもんよね。あんただって生まれながらにして騎士になることが決まってたんでしょ?』
アラスティア様がエデュアルトを見る。彼は「そうだな」と目を伏せて頷いた。
――生まれながらにして呪いを持つエデュアルト。騎士の家に男性として生まれたことはもちろん、呪いを制御する、という意味でも彼は騎士になる道しかなかったのではないか、と思う。
「決められた道を煩わしいと思う者もいるだろうが……俺は選べた方がかえって途方に暮れていたかもしれないな」
決められた道。人にとっては窮屈と思うかもしれないけれど、同じく人によっては既に決まった目標があった方がありがたい、と思うかもしれない。エデュアルトは後者なのだろうか。
「決められた道の中でも、何を感じ、どう動くかは、俺が決めることだ」
その通りだ、と彼の言葉に同意する。
確かに私は聖女になった。この道は“前世持ち”として生まれた瞬間から、半ば決められていた。そして私は決められた道を辿り、聖女になった。しかしここからどのような聖女になるかは私次第だ。
私は任務の中で出会った先輩聖女たちのように、人々の心に寄り添える聖女になりたい。そのためにもまずは、シャイベ子爵令嬢のご不安を少しでも払拭できるよう、力を尽くすつもりだった。




