22:任務完了
「たぶん、この泉のことじゃないかな」
フィロメナ様が案内してくださったのは、彼女が言っていた通り村のはずれにある、木々に囲まれた小さな泉だった。
水面に映る月が美しくて、私は感嘆の声を上げながら水際まで近づく。
「うわぁ……!」
感動する私の肩にとまっていた小鳥姿のアラスティア様が、ぼそりと呟いた。
『……見覚えがないわ。見晴らしは悪いし湿っぽい。きっとネローネの加護を受けた場所ね』
散々な物言いに水を差されたが、私としては綺麗な場所だと思う。聖なる地だと言われれば信じてしまいそうなほどに。
それにアラスティア様は何かと投げやりで適当だし、もしかしたら――
(忘れてるだけだったり……)
『何か言った!?』
心の中でぼやくだけに留めたはずなのに、くちばしが右頬に突き刺さる。口に出てしまっていただろうか、と内心冷や汗をかきつつもぎこちなく首を振った。「イイエ……」
ふと、隣のフィロメナ様がもぞもぞと身動きした。どうしたのかと様子を窺えば、なんと彼女はその場で靴を脱ぎ、泉に足をいれようとしていた。
「こういう泉は中に入って祈りを捧げるものらしいよ」
こんな寒い夜に!?
驚き、咄嗟に止めようと手を伸ばした私より早く、テオバルドがフィロメナ様の体をひょいと抱き上げた。彼は明らかに慌てている。
「なっ、何をしている!」
「え? 泉に入ろうかと……」
さも不思議そうな顔でテオバルドを見上げるフィロメナ様。目を丸くした彼女は、任務中よりも幼く見えて。――もしかすると先輩聖女として気を張っていただけで、素はこちらなのかもしれない。
自分の腕から逃れて再び泉に近づいた聖女を、専属騎士は必死に止める。
「キサマは……ッ! こんな夜に泉に入る馬鹿がどこにいる! あぁ! 裾を捲るなはしたない!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ二人の姿は、なんだかとても微笑ましかった。偉そうな口調は変わらないが、テオバルドもエデュアルトの前で見せた表情とはまるで違う。
こんな風にじゃれ合う関係が本来の二人なのであれば、フィロメナ様がテオバルドのためにあそこまで頭を下げたのも分かるような気がした。きっと二人は特別な絆で結ばれている。
竜の呪いに引きずられるエデュアルトと同じように、テオバルドもねずみの呪いに引きずられていたのだろうか。竜に恐怖したねずみが、警戒するように干渉したのか――
考え込んでいたら、ふわり、と肩に毛布が掛けられる。振り仰げば、真上からエデュアルトに顔を覗き込まれていた。
「オリエッタ、明日の朝、改めてくるか? 泉に入るのは反対だが……」
「風邪ひいちゃうかしら」
エデュアルトの言う通り、泉の中に入るのは昼間であろうとなかなか厳しいものがある。けれど泉の近くで祈りを捧げるくらいなら――
『ここハズレね』
アラスティア様が割って入ってきた。
突然のことに反応できず、私は首を傾げるばかりだ。
「え?」
『女神の加護はどこからも感じない。加護が切れたのかそもそも嘘の情報だったのか』
「えぇ……」
すぐさま格子を外したアラスティア様に困惑の声をこぼす。しかし女神様は特に気にする様子はなく、それどころかふふん、と鼻で笑った。
『最初から当たり引けると思ったら大間違いよ』
どうしてそんなに偉そうなんですか。
喉元まで出かかった言葉をどうにか飲み込んで、前向きな言葉に変える。
「でも、汚れを祓うことができたし、少しずつ力を使えるようになっていますよね」
はずれと女神様ご本人が言うのであれば仕方ない。この地で祈っても意味はないのだろう。けれどここに来るまでに、浄化の任務を無事に終えることができたし、間違いなく前進している。そう考えるしかない。
頷いてくれたのはアラスティア様ではなく、エデュアルトだった。
「聖地……御言葉の地そのものが力を授けてくれるのではなく、そこまでの道のりで自ずと力が身につくのかもしれないな」
あ! と思わず声を上げる。
同じことを考えていたことがなんだか嬉しくて、私は笑顔でエデュアルトを見上げた。
「私も同じことを考えてたわ」
するとエデュアルトも嬉しそうに目を細めて頷いてくれる。
びゅう、と強い風が吹いた。私はエデュアルトがかけてくれた毛布のおかげでそこまで寒くなかったが、アラスティア様はぶるりと身を震わせて私の首元に身を埋めてくる。
こういうところはかわいいんだけど、なんて、どんどんアラスティア様に対してあたりが強くなっている自分を自覚しつつ、胸に秘めておく。
『ま、そういうことにしておきましょ』
寒かったのか、アラスティア様はとうとう私の中に入ってきた。
未だじゃれついているフィロメナ様とテオバルドの声を聴きながら、私は月を眺める。とてもきれいだ。思わずほぅ、とため息をついてしまいそうなほどに。
「今夜は月が綺麗に見えるな」
あ、また同じことを思ってたみたい。
エデュアルトの言葉にふふふ、と笑う。今この場で話題になりそうなものは月ぐらいしかないから、考えることが被るのは特に珍しいことではないだろうが――やっぱり、嬉しかった。
月から視線を逸らして、エデュアルトの横顔を盗み見る。月の光に照らされた銀髪銀目の騎士は、とても神秘的で美しかった。美形を通り越して芸術品のようだ。
「今回もありがとう、エデュアルト」
聖女の任務は危険と隣り合わせなのだと、改めて実感させられた任務だった。専属騎士という制度がどうしてできたのか、その理由を身をもって知った。
これからもエデュアルトを危険に晒してしまうことがあるかもしれない。彼が大きな怪我を負ったときも助けになれるように、もっと女神の力を使いこなせるようになりたい、と強く思った。――呪いのせいで私以外の聖女の治癒の力が効きにくいのであれば、なおさら。
「オリエッタの力になれたなら、よかった」
しばらく、私とエデュアルトはそのまま、二人並んで月を眺めていた。




