21:御言葉の地
浄化任務を無事に終え、一人部屋で持ってきた教科書とノートを開き、復習していたときのことだった。扉がノックされた音に顔を上げる。
エデュアルト――は特に用がなければ不用意に訪ねて来ない。けれど彼以外、部屋を訪ねてくる人物に心当たりはなかった。
「はぁい! どなたですか?」
扉を開ける前に確認する。すると「フィロメナだよ」とくぐもった声が聞こえた。
予想外の訪問者に、私は慌てて扉を開ける。
「フィロメナ様! どうされたんですか?」
「ちょっとね。オリエッタさん、今日は本当にありがとう。おかげで助かったよ」
まさか、お礼を言うためにわざわざ?
その可能性に気付いた瞬間、さぁっと青ざめる。私の方から訪ねるべきだった! 学ばせていただきありがとうございました、と、それこそ菓子折りのひとつやふたつ――今世には“菓子折り”はないけれど――持っていけばよかった。
ありがとうございます。申し訳ありません。両方伝えようとして焦るあまり、口をわなわなと震わせることしかできずにいた私に、フィロメナ様は頭を深々と下げた。
え、と驚き飛び上がったのもつかの間、彼女は固い声で告げる。
「テオバルドの不快な言動の数々、本当にごめんなさい。彼には反省するよう、よく言って聞かせるから」
確かにテオバルドの言動には腹を立てたけれど、まるで自分のことのように謝るフィロメナ様に、正直言ってとても驚いた。
一日二日ではその人の人となりを把握するのは難しい。けれどフィロメナ様とテオバルドの間には、他人には分からない絆や思い出があるのかもしれない、と思った。
どうやって二人は専属契約を結んだのだろう。どのように過ごしてきたのだろう。これから先も、専属契約を続けたいのだろうか――
まだエデュアルトと専属契約を結んだばかりの私には、彼らの絆ははっきりと見えなかった。けれど漠然と羨ましく思う。
「これ、よかったら。美味しいんだよ」
差し出してきたのは籠に入った果物の山。この村の特産品だろうか。見るからに瑞々しくて、フィロメナ様の言う通りおいしそうだ。
ありがとうございます、と笑顔で籠を受け取ったとき、
『ちょっと! この聖女に聖地のこと聞けばいいじゃない!』
頭の中でアラスティア様が叫んだ。
――今の今まで、聖地のことをすっかり忘れていた。しかしそれを馬鹿正直に伝えようものなら女神様の怒りを買うのは確実なので、動揺を隠して言われた通りに問いかける。
「あの、フィロメナ様、一つお聞きしたいことがあるのですが……」
「なんでも聞いて」
「聖地について、何かご存知ありませんか?」
フィロメナ様は「聖地?」と首を傾げる。その単語に心当たりはないようだった。
私も聖地という単語には聞き馴染みがない。聖女の教科書に書かれている単語であれば間違いなく覚えているだろうから、授業で教わっていないのは確実だ。私とそう年の変わらなそうなフィロメナ様も、同じかもしれない。
若干諦めつつ、もう少しだけ、と食い下がる。
「昔、聖女が修行するべく聖地を巡って、祈りを捧げたと聞いたことがあって……」
「修行……あぁ! 御言葉の地のこと?」
「みっ、御言葉の地?」
また新しい単語が出てきて混乱する。聖地、イコール、御言葉の地、と考えていいのだろうか。
思わず視線を右肩に落とした。が、今アラスティア様は私の中に潜んでおり、そこに小鳥はいない。けれど私の視線の動きが分かったのか、アラスティア様はぽつりと呟いた。
『そんな風に呼ばれてたなんて知らないわよ、あたし』
思わず首を傾げそうになったところに、フィロメナ様が付け足した。
「女神様からの御言葉を賜る場所って意味らしいよ。おばあさまが言ってた」
なるほど、だから御言葉の地というのか。
呼び名こそ違うものの、同じ場所を指していると考えてよさそうだ。長い歴史の中で、呼び名が変わってしまうことなんていくらでもあるだろう。
――それよりも、一点、気になることがあった。フィロメナ様は“おばあさま”から御言葉の地について聞いたような口振りだった。
現役の聖女も知らない御言葉の地について知っているおばあさまは、一体何者?
「おばあさま、ですか?」
「わたしのおばあさまも聖女なんだ」
え、とこぼれた困惑の声は、幸いにもフィロメナ様まで届かなかったらしい。
アラスティア様から聞いた聖女の成り立ちが正しいのであれば、聖女の血は遺伝しないはずだ。女神様が母胎にお邪魔して、その中で魂釣りをすることで“前世持ち”が生まれるのだから。
祖母と孫が聖女、なんて偶然、あるのだろうか。
――その疑問はアラスティア様に筒抜けだったようだ。彼女はため息交じりに説明してくれる。
『移動が面倒だと同じ地域で魂釣りしちゃうのよ。だから親子で聖女とか、やけに聖女が密集してる地域とかあるわよ』
(そんな適当な……)
やはり女神様はどこか適当で、気まぐれな部分があるようだ。そんな適当に聖女の元を生み出していいのだろうか、と心配になるものの、今日まで特に問題なく回っているのだからきっと大丈夫なんだろう。たぶん。
「この村のはずれの泉も、確か御言葉の地だったよ」
『ほーら! やっぱり!』
フィロメナ様から得た情報に、アラスティア様がふふん、と誇らしげな声を上げる。
探し出してすぐこうも見つかるなんて、幸先が良い。フィロメナ様が御言葉の地について詳しかったのも幸運だ。
「村のはずれ……後で行ってみます、ありがとうございます」
エデュアルトにもお願いして、この村を出る前に一度覗いてみよう。
そう思い頭を下げたところ、
「案内しようか?」
予想外の言葉が頭上から降ってきた。
私は首を振りながら頭を上げる。案内してもらうのはいくら何でも甘えすぎだ。ただでさえ私のせいで負担をかけているだろうに、これ以上迷惑をかけてしまうのは申し訳なさすぎる。
「えっ、そんな、大丈夫です!」
「いいのいいの、元々わたしも行く予定だったから」
フィロメナ様は笑顔で私の手を取った。小刻みに首を振る私のことなんて全く意に介していない。
ここまで言われては、断る方が却って失礼だろうか――そう思い動きを止めた私に、支度してくるね、とフィロメナ様は言葉を残し一度自室に戻られた。これはもう一緒に行く流れだ。とてもありがたいけれど、やはり申し訳ない。
窓の外を見た。もうすっかり日は落ちているようだ。きっと肌寒いだろう。寒さに備えるため上着を羽織りながら、アラスティア様にかねてからの疑問をぶつける。
「あの、そもそも御言葉の地……聖地ってなんなんですか」
『あたしたち女神の加護を受けた場所。もっと言えばあたしたちのお気に入りの場所』
聖地すなわち女神の加護を受けた場所。なるほど分かりやすい。
けれどお気に入りだから、という理由でその地に加護を与えてしまって大丈夫だろうか。世界を創ることができるほどの力を持っている女神様の加護となれば、その地に与える影響も大きいだろう。
「お気に入りだったら加護を授けるんですか? 各地のバランスを見て調整したり……」
『ンなめんどくさいことしないわよ。より自分が過ごしやすい場所にするために加護を与えるだけ。縄張りみたいなモン』
信仰深い人々のため、というより、完全に自分のためのようだ。女神の体裁を整えることすらしないアラスティア様の素直すぎる言葉はおもしろいけれど、どんどん不安になる。
この世界、本当に大丈夫かしら。
不安に唸る私をよそに、アラスティア様はため息交じりに続ける。
『ただ加護を授けたのも何百、下手すれば何千年前の話だから、場所によってはとっくに加護は切れてるでしょうね』
「加護が切れている聖地に行ってしまったら……」
『あんまり意味がないかもしれないわね。頑張って当たりを引きなさい』
説明に疲れたのか、アラスティア様は無責任な言葉を残して黙り込んでしまった。
聖地。御言葉の地。そう呼ばれる場所があるのは事実だが、実際に女神の加護が残っているかは足を運んでみるまで分からない。当たりがあれば外れもある。そう考えるとなかなかにしんどいものだった。
そもそも聖地に行ったところで女神の力を授かれるわけではない。そこに女神様はいないのだから。ならばなぜ、昔の聖女は修行のために御言葉の地を巡っていたのか。
考えて――ひとつの仮説に辿り着いた。
(聖地そのものが女神の力を強めてくれるのではなくて、そこにたどり着くまでの道のりが修行ってことなのかもしれないわね)
それこそ昔であればこの村に来ること自体相当大変だっただろう。ある程度道が整備されて、馬車が通った今でも時間と労力がかかるのだから。
御言葉の地で祈りを捧げることが修行なのではなく、御言葉の地まで辿り着く道中が修行だった。そう考えれば個人的には納得がいく。魔物に襲われた騎士を癒し、ときには穢れを祓いながら進んでいけば、御言葉の地に辿り着いたときにはうまく力を扱えるようになっているかもしれない。
再び扉がノックされる。はぁい、と返事をしつつ扉を開ければ、そこに立っていたのはエデュアルトだった。あれ、と首を傾げると、エデュアルトの脇からフィロメナ様が顔を覗かせる。
「エデュアルトさんと廊下で鉢合わせて、ついてきてくれるって」
――フィロメナ様と二人きりで行くつもりはなかったけれど、また任務外で面倒をかけてしまう。
謝罪と感謝の意を込めて会釈すれば、エデュアルトは笑みを浮かべて返してくれた。彼は何があっても嫌な顔一つしないから、余計に罪悪感が駆り立てられるのだ。
いつかお礼に、何かプレゼントしよう――そう密かに決意していたところに、エデュアルトではない男性の声が割って入ってくる。
「私も行くぞ」
それはテオバルドの声だった。フィロメナ様は「いいって」と首を振ったが、当然専属騎士は引かない。結局、四人で聖地――ではなく、御言葉の地に向かうことになった。




